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2 ヘンリー


王都が見えてきたところで、雨が降り出してきた。

本当にアンナの予報はよく当たると感心する。

急いで出てきて正解だった。このまま馬を飛ばせば、そう濡れずに済みそうだ。


(しかし意外だったな)

アンナと婚約して3年。

いつ会ってもあっさりとしたものだったから、自分との婚約破棄をあんなに渋るとは思ってもみなかった。


(まあ、それだけ俺がいい男だったってことか)

顔に手を当て、ニンマリと笑う。

最近男ぶりが上がったのか、騎士団の仕事の最中にも女どもからの熱い視線を感じることが多々ある。

(モテる男は辛いよ)

自慢の金髪を掻き上げる。


だけど小切手を受け取られたのは想定外だった。

遠慮深いアンナのことだ。

「こんなに沢山結構です」とでも言われて返されると踏んでいた。

少額だと受け取られそうだし、ごねられても困るからと大金を見せたのだが、まさかあっさり受け取るとは思ってもみなかった。


(見せ金で渡すつもりはなかったのにな・・・)

失策だったのかもしれないと今更ながら後悔の念が押し寄せる。


だが予定外の出費には違いないが、ルナと幸せになるための必要経費だ。

子どもの存在をチラつかせれば、親父だって慰謝料を肩代わりしてくれるだろうし、ルナのこともきっと認めてくれるに違いないと自分に言い聞かせる。


アンナ・サウスビー。

俺より3歳年下の元婚約者は、親父が見つけてきた。


『お前の嫁にいい子を見つけてきた。働き者だ』

俺の肩を抱いて、自慢げに言う姿に嫌な予感がした。

親父は何でも自分の意見が正しいと押し付ける傾向がある。せめてもの反抗で顔を背けた。


『別に自分の嫁さんぐらい、自分で見つけるさ』

そう伝えたが、親父はしつこかった。

『いや、お前は見る目がない。あの子にしろ』


説得され、無理やり会わされたアンナは、母親を早くに亡くしたためか、14歳という年齢の割には大人びた雰囲気を持つ少女だった。


(親父が気に入るはずだよ)

背が高く、健康な体つき。地味な装い。気が利き、使用人にも心を配る優しさ。

おそらく年配者の前に出したら、10人中10人が良い娘さんだと目を細めて気に入るだろう。

少々田舎臭いが、顔だって悪くはない。いや、世間一般からしたら美人の部類に入る。

だが俺は、アンナの意志の強そうなアーモンド形の目が何もかも見透かしているようで苦手だった。


線が細く、病弱な長兄の嫁。派手で享楽的なところがある次兄の嫁。

親父が兄嫁たちの気に入らないところを集めた、その正反対がまさしくアンナだった。


アンナはよく働く。

父親の領主としての仕事の補佐は勿論のこと、母親が早くに亡くなったために家の管理の仕事も彼女の仕事だった。手が足りないからと使用人の仕事も引き受けており、よくまあこんなに働くと感心するぐらい、いつも動いていた。


これだけ働くのならば、結婚しても使用人の数も少なくてすむだろうし、地味だから兄嫁たちのように散財もしないだろう。こんな嫁なら、いくらでも金が貯まるはずだとケチな親父が考えそうなことだ。


『な、働き者。地味で堅実。こんなにいい子はいないぞ』

親父は俺ににやつきながら囁いたが、はっきり言ってつまらなかった。


アンナは動きやすいからといつも地味なドレスを着ていて華やかさはゼロ。

口を開けば、今年の作物の出来だの領地をいかに発展させるかについてだの、興味のないことばかりべらべらしゃべるやがる。


だからアンナに会うと、どうしても王都の社交界で流行のドレスを纏う華やかな令嬢たちと比べてしまう。彼女たちはいつもお洒落で輝くように美しかった。

第一、兄たちはそんな美しく家柄の良い令嬢の中から花嫁を選び、結婚した。


(なんで俺だけ、こんな地味な嫁をあてがわれないといけないんだよ)

せめてもの抵抗で、親父に義姉たちのことを持ち出せば

『だからこそだよ。嫁は下からもらうに限る。家格が下なら、こちらの言うことを聞かせられるしな』

そんな親父の下卑た様子に吐き気がした。


親父は結局自分が好きなように振舞いたいだけだ。

長兄の嫁の実家は家柄が良い。次兄のところはうちより裕福。

婚約が決まった時は、兄たちは上手いことやったとほくそ笑んでいたくせに。

だが嫁二人が自分の思い通りにならないためか、次第に格上との親戚付き合いは楽じゃないとぼやくようになっていった。


(その皺寄せが、全て俺にきたんだ)


思い返すと、今でも怒りが湧いてくる。


長兄の結婚式の日、頭痛がすると訴えたが身内が欠席するのはおかしいと無理やり出席させられた。

格上の義姉側に配慮したのだろう。


だがそのせいで俺の風邪は悪化し、翌日から高熱が出て顔が腫れあがった。

母だけは俺の身を案じてくれたが、親父は俺を心配するどころか、数日後に長兄たちが体調を崩したのはお前がうつしたせいだと罵倒された。


次兄の結婚式の時には、先方に合わせて豪華な披露宴にする必要があるからと、俺は貴族の通う学院ではなく、騎士団に入団させられた。

親父に言わせれば『お前は勉強する気がないから金の無駄』とのことだが、これは先方に見栄を張ったせいで俺の教育資金がなくなったからだと今でも思っている。


何故、俺だけが親父の意向に従わなければならないのだ。

考えれば考えるほど理不尽だという思いが溢れてくる。


「結婚相手ぐらい自分で選びたい!!!俺は母親や家政婦が欲しいわけではないんだ!!!」


そう叫びたかった。

だが嫁としてのアンナは完璧で、親父の意見に歯向かう材料はなかった。

このままつまらない女と結婚して、鬱々とした人生を送るのかと常に苛々していた。


だから結婚が延期になった時には、アンナは心底すまなそうに謝っていたが、俺は内心小躍りしたくなるほどだった。

これであと1年は自由だ、と。


そんな時だ。ルナと出会ったのは。

騎士団として、王宮を警護していた時だ。


『父に忘れ物を届けに来たのですが、迷ってしまって』


頬を染め、恥ずかし気に告げる姿は、可憐で可愛かった。

金髪が光に透け、若草色の瞳が輝いていた。

笑うと、垂れ目がちな目がますます下がって、もっと笑わせてやりたくなった。

薄いピンク色のドレスを着ていた小柄な彼女は、まるで妖精のようだった。


『ルナ・ぺラムです』

ぺラム男爵の一人娘。彼女はそう名乗った。

男爵のいる部屋まで送ってやれば、お礼にと持っていたバスケットからクッキーの包みを取り出してくれた。


差し出された白魚のような手に、また一段と心がときめいた。

アンナの焼けた肌と水仕事で荒れた手とは大違いだ。

(これこそが、俺の求めていた女だ!)

咄嗟に同室のダニエルがアンナにとくれたブローチを渡した。


『そんな、こんな高価な物、受け取れませんわ』


大きな瞳をますます大きくさせ、困ったように、白く細い手で戻される。


『クッキーのお礼だから』


どうせアンナは、アクセサリーなどに興味はない。

似合いもしないし、使いもしないだろう。遠慮するルナに無理やり押し付けた。

押し問答の末、ルナはようやく受け取ってくれた。


『では、お礼にまたお菓子を作ってまいります』


その時の花のような笑顔に、俺はすっかり魅了されてしまった。

それから俺たちは二人で時々会い、愛し合うようになったのだ。


俺は本気で愛する人を見つけた。

(待ってろ、ルナ)

これで俺とルナは幸せになれる。

上着の内ポケットに大事にしまった婚約破棄の書類を服の上から押さえた。



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