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16 お菓子


階段を降りようとしたところ、一瞬目の前が暗くなり、足を踏み外しそうになった。

その途端、後ろから誰かが支えてくれたおかげで落ちずにすむ。


「大丈夫か」


アルバート様だ。朝から眩しいほど美しい。

片手で支えてもらっていることに気が付き、慌てて体勢を立て直す。


「あ、大丈夫です。すみません、私、おっちょこちょいで」

本当は単なる寝不足だ。


せっかく仕事が進んだからと早く寝たのだが、ベスのドレスの刺繍がまだできていないのが気になって、夜中に起きてしまったのだ。

どうせ目も覚めたからと、刺繍を仕上げることにした。

(せっかくだから、ちょっと凝ったデザインにしたのよね。喜んでくれるといいんだけど)


ついでに今日視察に行く分の仕事をしていたら、結局明け方になっていた。

おかげで目がしょぼしょぼするが、色々済ませることができたため、気力は充実している。


「お菓子を作りに台所に行くんだろう?ベスが張り切っていた」

「ええ。視察に行くのに持って行こうと思って」


「・・・お菓子を?君、まさか無償で働かせているのか?」

「えっ、何を言っているんですか?給与ぐらい払ってますよ、失礼ですね」


ただ、高くはない。

うちの領内の最低賃金に毛が生えたぐらいだ。

(私だって、沢山支払ってあげたい気持ちはあるのよ。気持ちはね。でも先立つものがないのよね)

せめて感謝だけでも伝えたいと思ってのお菓子の差し入れだ。


「じゃあ、何でわざわざ」

「何でって、差し入れをしてもらえれば嬉しいでしょう?感謝の気持ちです」

(アルバート様は何を言ってるのかしら?)


「給与を払っていれば、問題なかろう」


「・・・まあ、そうかもしれませんが、ちょっとした心遣いですよ」

(本当は差し入れではなく、給与を上げてほしいと思っているかもしれないけどね)


「自分を気にかけてくれていると思えば、一生懸命仕事を頑張ってくれるかもしれないですし」

差し入れは多少打算的な意味もあるが、それだってないよりあった方がいいだろう。


「しかし、仕事は感情で左右されるものではないだろう?」


「人間って、そんなものじゃないですよ。勿論仕事相手の好き嫌いで手を抜くことはありませんけど。でも好感度の高い仕事相手のほうがやる気がでますし」


「・・・・・・そういうものか」

アルバート様は優しいが、人の心の機微に疎いような時がある。


やれやれとため息をつく。

「ええ、そういうものですよ」

断言して、台所を覗く。


丁度ベスが、クララにエプロンの紐を結んでもらっているところだった。

頭には三角巾をつけている。

(うちに可愛い小人さんがいる!)


クララも可愛いと言わんばかりに目を細めてみている。

「ベス、準備万端ね。では、始めましょうか」


するとアルバート様が、横から出てきた。

「私はエプロンをつけなくていいのか?」

「えっ、アルバート様、するおつもりだったんですか?」

「そのつもりで来たのだが?何か悪かっただろうか?」


「いえ、その腕で?」

アルバート様にとって、右腕が骨折していることは関係ないのだろうか。

(片手で何をするつもりなの?)


そもそも貴族男性が菓子を作ることなどない。

(貴族男性って台所に入ることすらないのでは?)


「私ができることをすればいいだろう。何か問題があるのか?」


至極当然に言われ、慌ててクララが側にあったエプロンを差し出す。

クララの予備のエプロンだ。


アルバート様がエプロンを身につけたところで、クララがエプロンの紐を結び、座ってもらって三角巾もつける。これでアルバート様も準備は完了だ。


だが、アルバート様の出来上がりが酷い。酷すぎる。


(アルバート様が着ると、ものすごくエプロンが短く見えるわね)

クララが小柄だから尚更だ。

大人が小さい子どものエプロンをつけたみたいになっている。

おまけにご丁寧に三角巾もつけている。

美貌と服装のアンバランス感が半端ない。


(寸足らずの服にこれまた短すぎるエプロン。顔が綺麗な分、残念感が否めないわね)


クララは見てはいけないものを見たかのように目を逸らすが、本人は気にしていないようだ。


「ねぇねぇ、何を作るの?」

残念感溢れるアルバート様を唯一気にしていないベスが無邪気に尋ねる。


「え、ええ、そうね。クッキーにしましょうか」

「いいわね。私クッキーも大好きよ。でもシュークリームは?私、生クリームが大好きなのよ」


そう言えば、パンケーキの時も生クリームをつけると言っていた。

本当に好きなのだろう。

だが申し訳ないけど、シュークリームは手間もかかるし、何よりクッキーに比べて単価が高い。


勿論そんなことは言えないので、無難な理由を述べる。


「シュークリームだと持ち帰ってもらいにくいし、小分けにできるクッキーにするわね」

「その場で食べないの?」

「甘い物が苦手な人もいるし、家族にあげたいから持ち帰りたいっていう人も多いからね」


平民にとって、お菓子は基本贅沢品だ。

お祭りやお祝い事の日に楽しむものである。

だから差し入れをすると、高確率で親は食べずに子どもに持って帰ろうとするのだ。


私だって領主の娘だが、そう毎日お菓子を食べていたわけじゃない。

子ども時代は、セオドアたちと山でアケビやクワの実を食べて過ごしている。

それが私たちにとって、当たり前の生活だ。


「ふぅ~ん、変なの。だったら買えばいいのに」


心底不思議そうに呟くベスに、クララの動きが一瞬止まる。


(お金持ちの子には、わからないわよね)

当たり前すぎて、自分がどんなに恵まれているのかわからないのだろう。

私とクララがベスたちのために、おかずの品数を苦心して増やしていることなんて、考えも及ばないに違いない。


アルバート様が、ため息をつきながらベスの側で腰を下ろす。

ベスの肩に手を置き、自分の方を見るようにベスを身体ごと向けさせている。

もうそれだけで、これからのことが予想でき、空気が重くなってしまった。


「ベス。皆が皆、お菓子を簡単に買えるわけではないんだよ」

(あぁぁ、またアルバート様のお小言タイムが始まってしまう)


確かに聞いてていい気持ちはしないが、たかが7歳の子どもの言うことではないか。

アルバート様は、いちいち目くじらを立てすぎる。


「お嬢様、私、卵を取ってきます」

叱られるベスを見たくなかったのか、私の耳元で囁いてからクララが席を外す。

(目の前に、卵あるし・・・)


「お菓子は贅沢品だ。ベスは生活する上で何が必要になると思う?まず主になる食品。ご飯におかずだ。家や服にかかるお金だってある。付き合いや子どもの教育費だってあるだろう。皆、必要な物を買った残りでお菓子を買うんだ。だから毎日食べれるものではない」

「・・・はい」


「ベスは自分でお金を生み出しているか?いないだろう。ベスの生活は皆が支えているのだ。それを忘れてはいけない」

「・・・・・・わかったわ」


「それに自分の思ったことをすぐ口に出してはいけない。ベスの言葉で嫌な気持ちになる人もいるかもしれないからね。いいか、一度頭の中でよく考えるんだ」

(そんなの7歳の子どもに無理でしょうが・・・)


アルバート様は、理想が高すぎる。

そんな周囲に忖度する子どもなんていたら、お目にかかってみたいものだ。

(自分の子ども時代を考えてみなさいよ!)


心の中で悪態をつく私と対照的に、素直なベスは俯いて反省している。

「私、お菓子を食べるのやめようかな。これからは、あまり贅沢をしないようにするわ」

(もうっ、アルバート様のせいでベスの元気がなくなるでしょ!)


性格の悪い私は、ベスを唆すことにした。

心の中で、アルバート様にあかんべぇっと舌を出す。


「そんなことしなくていいのよ。沢山食べてちょうだい」

「えっ、でもおじ様が」

「だってベスのお家はお金持ちなんでしょう?お金があるところには、使ってもらわないと困るわ」


「えっ、でも」

「だって皆がお菓子を買わなくなったら、お菓子屋さんが潰れちゃうわ。お菓子屋さんに卵や小麦粉を売っていた人はどうなるの?それこそ皆が生活に困ることになるわ」


「・・・・・・そうね」

(よしよし、いい感じね)


「それだけじゃないわよ。生活に困った人たちがお金を使わないようにって節約を始めたら、ますます物が売れなくなるでしょう?」

経済が回らなくなってしまう。

お金は天下の回りものだ。

金持ちが使わなくてどうする。


「ちなみに私は、うちの領に遊びに来るお客様にはどんどん使ってほしいと思ってるわよ」

ベスが、そうなのかと私の顔を確認する。


「うちが儲かったら、ベスにもた~くさんお菓子を食べさせてあげるわ。そして私は御殿を建てて優雅に暮らすの」

悪者風に、にやりと笑ってみせる。


「だから、お金がある人はたくさん使ってもらわないとね」


そうウィンクすれば、ベスもようやく笑ってくれた。


「適度にな」

不満げではあるが、アルバート様もベスにこれ以上は言わなかった。

(あ~もう、アルバート様ったら、いちいちうるさいわ!)


だがお小言から始まったお菓子作りだが、作り始めたら楽しくて仕方がなかった。

ベスもアルバート様もお菓子作りは初めてだったらしく、慣れないから粉だらけだ。


「後はお菓子を詰めて持って行くだけね」

ようやくひと段落ついて、ふぅっとため息をつく。


「そうですね。良かったら飲み物も用意しましょうか」

「そうね。レモネードがいいかしら。昼間はまだ暑いから、さっぱりしたものの方が喜ぶわよね」

「クッキーと飲み物、あとは・・・」


台所を見渡せば、ヘンリー様に作っておいたマドレーヌが棚にそのまま置いてあった。

私がヘンリー様用に作ったものだから、誰も食べる気がしなかったのだろう。


「これも持って行くわね」

棚から下ろして取る。


「お嬢様・・・」

「食べ物に罪はないからね。もったいないわ。このままここに置いていたら、カビが生えて食べられなくなるしね」

一緒にバスケットに詰めると、ベスが興味深げに覗き込んできた。

(鼻にまで粉をつけてる。そんなベスも可愛いわ)


ベスの鼻の頭についた粉をそっと手で払ってやると、初めて自分が粉だらけなことに気が付いたようだ。慌てて粉を払っている。


「これはね、マドレーヌよ。お昼ごはんの後のデザートに食べていいからね」


ベスが嬉しそうに頷いている。

アルバート様が何か言いたげだったが、そこは無視だ。

(どうせ甘い物の取り過ぎとか言うつもりでしょ!?)


「でもお昼ご飯の前に、ベスは着替えた方がいいかもしれないわね」

アルバート様に何か言われないうちに、さっさとベスを退出させることにした。


「本当ね。私、なんだか真っ白だわ」

ベスが自分の髪やエプロンをチェックしながらびっくりしている。


「そうですね。では、ベス様、お着替えにいきましょう」

クララがベスを連れて行ってくれた。


(二人きりになったら、ちょっと物申すわよ!)


「16 お菓子」をお読みいただき、ありがとうございます。

普段は毎朝7時に投稿していますが、本日は夜8時にも更新予定です。

もしお時間ありましたら、そちらもご覧ください。

よろしくお願いします。

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