122 イザベラ様と絵画
「どうぞ、ホットミルクです」
「ありがとう。あら、クッキーもあるのね」
「厨房にあったので。甘いものを食べると、疲れが取れますよ」
甘いものを夜に食べるべきではないかもしれないが、疲れた時にはいいだろう。
イザベラ様はホットミルクを手に取ったが、口をつけずにぼんやりと絵を眺めている。
(この部屋、なんだか気味が悪いわね)
壁一面に並ぶ肖像画の視線が、まるで自分を見張っているかのようで背筋がぞくりとする。
今すぐ自分の部屋に戻りたかったが、普段と様子の違うイザベラ様を一人にしてはおけないだろう。
イザベラ様の隣に座り、私もホットミルクのカップを手に取った。
「イザベラ様は、絵がお好きなんですね」
「ええ、そうよ。この部屋に飾られている絵は、どれも歴史的価値がある古い絵なの」
「こんなに沢山の絵を、ご自分で集めたんですか?」
「自分で集めたのもあるけど、ほとんどは画商から買ったわ。私が絵が好きだと聞いた画商が、よく売り込みにくるのよ。だから、国内のもあれば、外国の絵もあるわね、後世の歴史家が喜ぶくらいには、たくさん集まったんじゃないかしらね」
「後世に残すつもりで、お買い求めになってたのですか?」
「別にそれだけではないけどね。でも、先人の知識や技術が失われたら終わりでしょう?絵なんて、火をつけたら灰になるだけよ。二度と見ることができなくなるからね。この絵一枚で、当時の文化や歴史がわかるし、どんな技術があったかもわかるでしょう?」
(・・・意外にも、高尚な理由だったのね)
自分の財を見せびらかすためだと思っていたが、どうやら違ったらしい。
イザベラ様は何か思うところがあるのか、まじまじと一枚の絵を見つめている。
「その絵がお好きなのですか?」
「ええ、そうよ。私、この黒いドレスの女性が好きなのよ」
「この女性、ですか?」
黒いドレスを着た女性は上品ではあるが、特に美しくはない。
鋭く冷たい目つきで、どこか人を寄せつけない雰囲気がある。
むしろ、その隣に飾られている花のように華やかな美女に心惹かれる。
「そう。どこの国かは知らないけど、王妃だったそうよ。輿入れしたら、国王である夫は愛人を溺愛していたんですって。愛されもせず放っておかれたのに、子どもが出来ないと周りに責め立てられた人」
「それは・・・」
「酷いでしょう?子どもは一人じゃ作れないのにね。でも、責められるのは、なぜか女性ばかりよね。思い悩んで、子どもができるよう怪しげな薬まで手を出したそうよ。まあ、その甲斐あってか、子どもはできたんだけどね。そんなにまでして尽くしたのに、夫は愛人ばかりに目を向けていたそうよ。そのせいで、愛人からも公の場でも馬鹿にされて、散々だったのよ」
(・・・・・・一体どこに惹かれたの!?)
そんな不幸な女性の、どこが気に入ったのだろうか。
イザベラ様の感性が不思議でならない。
「・・・この女性の、どこがお好きなんですか?」
「そうね。冷静に計算できるところかしら」
「計算?」
「そう。国王である夫が、まだ若いのに事故で死ぬのよ。国王は愛人より随分若かったからね。愛人は、20歳以上国王より年上だったんですもの。まさか自分より早く亡くなるなんて、愛人も思わないわよね。だからこそ、愛人も思いのまま好き放題振る舞えていたのでしょうけどね」
「20歳!?」
「そう。人の好みはわからないわよね。国王夫妻は、ほぼ同じ年齢だったはずよ。結婚当時は、14か15歳だったと聞いたけどね」
「え?14歳?」
「だって政略結婚だもの。年齢なんて関係ないわよ」
「そ、そうですか」
当たり前のように言うイザベラ様だが、王族のドライさには驚かされる。
国の安定のためとはいえ、そこに本人の意思が介在する余地はないのだろうか。
たった14歳の少女にとっては、あまりにも過酷な運命だったに違いない。
イザベラ様は驚いた私を見て、なぜか嬉しそうに目を細めた。
唇に薄く笑みを浮かべ、私の反応を楽しむかのように問いかけてきた。
「ねぇ、後ろ盾を失った愛人はどうなると思う?今まで、正妻である王妃のことを、散々馬鹿にしてたのよ。王妃がどうするか、わかるでしょう?」
(・・・復讐、よね)
イザベラ様は、駆け落ちしたエミリー様について、自分だったら死ぬまで後悔するような罰を与えると言っていた。
私だって、本音ではヘンリー様に仕返しをしたかった。
「愛人に復讐したんですか?」
「いいえ、しなかったのよ。まあ、少しはしたけど。でも、徹底的にはやり返さなかったわ。財産を没収して、拷問して、一族もろとも・・・、ううん、今まで自分を馬鹿にしてきた人たち全員を処刑しても良かったのにね」
イザベラ様は涼しい顔だが、言っている内容は相当怖い。
この人だけは敵に回したくないと心底思う。
「無闇やたらに復讐して禍根を残したり、政敵を増やすことをよしとしなかったのよ」
「・・・賢い人だったのですね」
「まあ、そうね。彼女の人生は、その後も波瀾万丈だったけど、少なくともベッドの上では死ねたわ」
ようやく飲み頃になったのか、イザベラ様がホットミルクを一口啜った。
想像していた味と違ったのか、イザベラ様は身体を強張らせ、カップの中をのぞき込むように見つめた。
「お気に召しませんでしたか?蜂蜜を入れたんですけど・・・」
美味しくなかったのだろうか。
カップに口をつけてみると、いつもと同じ、優しい甘さのホットミルクだった。
一瞬だけ私に鋭い視線を向けたイザベラ様は、息をゆっくりと吐き出し、カップを持ち直した。
「いえ、いいのよ。美味しいわ、ありがとう」
「うちでは、疲れたときにはホットミルクに蜂蜜を入れて飲むんです」
「そう。初めて飲んだけど美味しいわ」
(気に入ってもらえてよかったわ)
もう一口含むと、まろやかな甘さが喉を通り、ホットミルクの温もりが胸の奥へと染み渡った。
「ベッドの上で死ねなかったのは、そっちの彼女ね」
イザベラ様が指したのは、先ほどの王妃の隣に飾ってある絶世の美女だ。
長く美しい髪を自慢するかのように見せ、振り返る美しい顔は、誰をも魅了するだろう。
「綺麗な方ですね」
「そう。当時も絶世の美女と騒がれて、国王に見染められて王妃になったの。彼女のあまりの美しさに、国民は大熱狂よ。美人の彼女が王家に嫁いだことで、王家の人気はうなぎ上りだったそうよ」
「美人は得ですね」
「でも、だめね。姑と上手くやれず、宮廷にも馴染めなくて、逃げるようにあちこちを旅していたそうよ。その内自慢の美貌も衰えて、扇子で顔を隠してばかりだったと聞いたわ。ちなみに、一人息子は自殺。本人は旅先で暗殺されたわ」
(えっ?不幸すぎない!?)
宮廷を巡る女性たちの不幸など、耳にしたくもなかった。
イザベラ様は、どうしてこんな話ばかり私に聞かせようとするのだろうか。
慄く私に、なぜかイザベラ様は目を輝かせながら話を続けてくる。
「まだまだあるわよ。ほら、その斜め横にある魅力的に笑う女性。可愛らしいでしょう?この方も、輿入れの時には、国民に熱狂的に歓迎されたのよ」
「もしかして、この方も・・・」
「そう。宮廷に馴染もうとせず、勝手な振る舞いで顰蹙を買っていたわね。最後は贅沢ぶりが目に余ったのか、国民からも反感を買って処刑されたわ。国が財政難に陥ったのは、彼女のせいじゃないのにね。酷い話よ」
(なにそれ!?聞く話すべてが怖いんだけど!?)
もしかして、この部屋の中にある肖像画は、全て不幸な人ばかりなのだろうか。
悪趣味にもほどがあるだろう。
「どうしてイザベラ様は、悲惨な運命を辿った人の肖像画ばかり集めているのですか?」
「別に?美術品として価値があるからよ。深い意味はないわ」
だが、私の問いに、イザベラ様は思いもしなかったと言わんばかりにきょとんとしている。
本当に深い意味はないのだろうか。
イザベラ様は目線を右上に向け、しばし沈黙した。
「・・・でも、そうね、教訓にはしているわ。考えなしに行動すると、とんでもないことに巻き込まれるってね」
(いや、十分考えなしに行動しているように見えるけど?)
もう少しお金を使うことを控えて、人に気を遣って生活して欲しい。
イザベラ様こそ、恨みを買って真っ先に殺されそうだ。
「だけど、これでわかったでしょう?アンナ様が考えているほど、アルバートと結婚しても甘い生活は送れないのよ」
(・・・・・・・・・結局、これが言いたかったのね)
可愛い弟のアルバート様と私の結婚を反対したいのだろう。
私を認めて祝福してくれたと思ったのは、どうやら勘違いだったらしい。
なんだか裏切られた気分がして、俯いて唇をきゅっと噛みしめる。
確かに、アルバート様の妃になるには、私には足りないものだらけだ。
王家からしたら、私は早々に排除したい存在に違いない。
それでも、これだけは譲れない。
「イザベラ様の言いたいことはわかりますが、私はアルバート様と結婚します」
「ええ、そうね」
「たとえイザベラ様が反対されようとも、私の考えは変わりません」
「・・・え?」
私は、私の選択を信じると決めたのだ。
どんなに宮廷が恐ろしい場所であろうとも、私はアルバート様のそばを離れない。
迷いを振り切るように背筋を伸ばして、顔を上げた。
「私は、アルバート様を愛しています」
イザベラ様は、私の顔を不思議そうに見つめながら首を右に傾げた。
「・・・・・・貴女、何を言っているの?」
「ですから、たとえイザベラ様が反対されても、私はアルバート様と結婚します。アルバート様のそばから離れることはありません」
私の言葉を受けて、今度はわざわざ反対側に首を傾げるイザベラ様にびっくりする。
可愛らしい子犬のような仕草だが、残念ながら私は犬が苦手だ。
「私、貴方たちの結婚に反対なんてしていないわよ?」
「え?だって、馬車の中で結婚に反対って・・・」
「ああ、最初はね。でも、今は反対してないわよ」
「そうなんですか?」
「貴女、根性がありそうだしね」
(根性の問題なの?)
一体私のどこがイザベラ様のお眼鏡にかなったのだろうか。
「じゃあ、今、私にした女性たちの話は・・・」
「別に意味はないわよ」
「ないんですか?あんなに長々と不幸になった妃の話をしたのに!?」
「貴女、考えすぎなんじゃない?世の中の世間話に、すべて意味があると思ってるの?」
(もう、嫌だ!この方、どこまで私を振り回すのよ!)
思わず、口をへの字に曲げてしまう。
私のしかめっ面を見て、イザベラ様は可笑しそうに笑った。
意地悪ではないのだろうが、私の反応を見て面白がっているような気もする。
腹が立ってイザベラ様から顔を背けていると、小さな呟きが耳に流れてきた。
「・・・いえ、意味はあるかもね。私、賢い人が好きなのよ」
「え?」
イザベラ様は、もう一度黒衣に身を包んだ王妃と絶世の美女を見比べた。
威圧的で鋭い目つきの王妃と華麗な美貌を持つ王妃の運命の分かれ道は、どこだったのだろう。
「若さと美しさは、いつの間にか消えてなくなるのよ。でも知性は違う。見えはしないけど、ずっと残っていくものだわ。私は、貴女には宮廷で生き抜く力があると思ったのよ。だから、貴女たちの結婚に反対なんてしてないわよ」
「でも、私は学院を出ていませんが・・・」
「ええ、そうね。でも、王族に嫁ぐのに学歴は関係ないわ。まあ、ないよりあった方がいいけど。いつまでも学院卒業の看板が背負えるわけじゃないしね。それに、勉強と社会でやっていける能力は違うからいいのよ。だって貴女、あのスタンリー先生から『もう教えることはない』って言われたんでしょう?」
「え、ええ」
「じゃあ、合格よ。アルバートは、リリー様とどんな風に過ごしていたかは知らないけど、お母様が引き取った時は、なにも出来ない子だったのよ。でもスタンリー先生のおかげで、今やお兄様の大事な右腕で、宰相候補」
イザベラ様が、ホットミルクをもう一口飲む。
蜂蜜の優しい甘さが気に入ったのか、口元には笑みを浮かべていた。
「あの先生なら、どんな子も長所が大きく伸びて、社会で立派にやっていけるようになるのよ。どう説明していいかわからないけど、『生きる力』みたいなものが育つのよ。だから人気なの。だからこそ、みんなこぞってスタンリー先生に教えを請うのよ」
元気のいいおじいちゃんにしか見えなかったスタンリー先生は、そんなにすごい先生だったのだろうか。
「貴女もそうでしょう?その若さで、領主として立派にやってるんでしょう?」
「え、ええ。なんとか、ですが」
「少なくとも、度胸はあるわよ。馬車の中であれほど私に失礼な態度を取られても、怒りも、泣きもせず、冷静に私を観察して、あの場を乗り切ろうとしていたじゃない。しかも、嫌味に知らぬふりして嫌味で返すし。元王族の私相手に、いい根性よね」
「・・・・・・申し訳ございません」
「あら、誤解しないで。褒めてるのよ。怯えて小さくなってしまうような令嬢じゃ困るのよ。貴女ぐらいの度胸と根性がないとね」
(もしかして、私は馬車の中で試されていたの?)
これでは、抜き打ちの試験を受けさせられたようなものだ。
褒められても、試されたのだと思うと気分はよくない。
「だからこそ、スタンリー先生にセインの家庭教師を引き受けて欲しいのよ」
「セイン様にですか?」
「そう、あの子、内気で大人しいでしょう?すごく優しいし。まあ、私の育て方もあったのかもしれないけど、ちょっと心配なのよね」
性格の半分は生まれ持ったものと言われているが、実際はどうなのだろう。
子どもの立場としては、ありのままを認めて欲しい。
生まれ持ったものを変えることなどできはしない。
だが、親の立場からすれば、また違う思いがあるのだろうか。
理想の押し付けなのか、それとも、子どもの将来を考えてのことなのか。
どちらにしろ、子どもを持ったことがない私は、偉そうに講釈を垂れる立場ではない。
「スタンリー先生って、豪気というか、ちょっと野性味溢れるというか、まあ、元気のいい先生でしょう?感化されて、いい方向に育てばいいと思ったのよ」
「でも、優しくて穏やかなのも、セイン様の個性ですよね」
「もちろん優しいのも、穏やかなのもセインの美点だけどね。でも、同年代の乱暴な子に押され気味になってる我が子を目の当たりにしてご覧なさいよ。それでも貴女、同じことが言える?別に勝たなくていいのよ。でも、対等に言い合えるぐらいにはなっておかないと、先々苦労しそうでしょう?セインのために、少しでもいい先生をと思うのは、親心よ」
(誰もが、スタンリー先生の教え方に合うとは思えないけど・・・)
ただ、スタンリー先生は、個性の違う私たち三人それぞれに合わせた教え方はしてくれたような気がする。
伸び伸びと育ったせいか、オリバーとセオドアの個性は強い。
それに私たち三人は、一人で生きていけるだけの技量は身についた。
「少なくとも、スタンリー先生に教えを受けたら、逞しくはなりそうだしね」
イザベラ様は揶揄うように私を見たが、目を逸らしておく。
カマキリを手で捕まえたぐらいで、逞しい認定をされてはかなわない。
(・・・・・・あ、ヤモリ)
目を逸らした先には、壁の隅に隠れるように小さなヤモリがいた。
美しいが、人工物ばかりのイザベラ様のお屋敷で見る生き物は、私をホッとさせてくれる。
イザベラ様は私が反応しないので揶揄うのを諦めたのか、今度は奥の女性の肖像画を指さした。
「あの赤いドレスを着た女性、ご存じ?この方は、うちの国の方なんだけど」
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作中の絵に描かれたモデルは、「カトリーヌ・ド・メディシス」「エリーザベト」「マリー・アントワネット」です。
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