113 ライアン様
「お話は終わったかしら?」
気持ちを伝え合った余韻に浸る間もなく、扉を強くノックしながら入ってきたのはイザベラ様だった。
ノックと同時に扉を開けているのだから、形だけのノックなのだろう。
この方は細かいことを気にしないらしい。
手には、ティーポットやカップを載せたティーセットをお盆の上に載せて持ってきていた。
「姉上、急に入ってくるのはやめてください」
「別にいいでしょ。私が部屋に入ってきたら、お邪魔だったのかしら?」
「そんなことを言っているわけでは・・」
「私だって、部屋に入るタイミングはちゃんと心得ているわよ。見られて困るようなときには入らないから、安心してちょうだい」
「・・・・・・・姉上」
「あら、盗み聞きしてたわけじゃないわよ。ジョシュアが部屋の前を通ったら、笑い声を聞いたって言うからね。入っても大丈夫だったでしょう?」
「姉上。それは・・・」
「はいはい、違うわよ。偶然よ、偶然。ジョシュアは、偶然通りかかっただけだからね。他意はないわよ。それより、アンナ様の体調はもういいのかしら?」
「は、はい。あの、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。もう平気です」
私が寝かされているのは、どう見ても客用寝室だ。
昼食をご馳走になったあげく、医者まで呼ばせてしまって大変申し訳ない。
「ああ、別に気にしなくていいのよ。疲れも出たんでしょう。ゆっくりしてて」
「あ、ありがとうございます」
イザベラ様は優しい言葉とは裏腹に、態度は気怠く、私には興味がなさそうだった。
だが、私にお盆を見せながら驚くことを言ってきた。
「紅茶を持ってきたわ。貴女、好きなんでしょう?」
「・・・え?」
「アルバートに聞いたのよ。食後に必ず飲んでいたんでしょう?好みがあるだろうから、ここに置いておくわね。好きなように、自分で淹れてね」
(私、アルバート様にそんなこと言ったかしら・・・?)
不思議に思ってアルバート様を見ると、なぜか恥ずかしそうに目を逸らし、小さく呟いた。
「・・・・・・君を見てれば、わかるからな」
私のことをよく見ていてくれたのだと思うと、その言葉が嬉しくて、つい顔が緩んでしまう。
そんな私たちをイザベラ様は呆れた目で見つめ、テーブルにティーセットを盆ごと置いた。
そして、おもむろに腕を組み、白けた瞳で私たちを見つめ返してきた。
「貴方たちの甘酸っぱい様子を見てればわかるけど、一応聞いとくわね。アルバート、アンナ様とはどうなったの?」
「姉上、色々とご心配をおかけしましたが、私たちは結婚します。兄上にも、もうすでに許可はいただいているので、問題はありません」
「ええ、そうね、おめでとう」
無表情で報告するアルバート様と、まったくめでたくなさそうに祝いの言葉を述べるイザベラ様。
まるで業務報告のようである。
結婚に反対するイザベラ様の態度はわかるとして、アルバート様は、もう少し嬉しそうにして欲しいと思うは、私の我儘なのだろうか。
「それより、ライアン様が苛々してるわよ。さっきエリオット団長の使いの人が来てたから、何かあったんじゃないかしら?早くライアン様のとこに、行ってあげなさい」
「ああ。わかりました。ただ・・・」
「『ただ』ってなによ?まさか行かない気?部下に迷惑をかけるんじゃないわよ」
「いや、でも・・・」
「アルバートの事情は、ライアン様に関係ないでしょう?もうアンナ様も大丈夫そうだし、ずっと貴方がついている必要はないと思うわよ」
「まあ、そうではあるのですが・・・」
「上の者が、下の者に気を遣わなくてどうするのよ。部下は、上司に文句を言えないのよ。ほら、早く行きなさい」
思いっきり部下に迷惑をかけてそうなイザベラ様が、偉そうにアルバート様に言っている。
倒れた私のことが気になるのか、アルバート様は困ったように眉を寄せている。
「アルバート様、私のことは気になさらず、どうかライアン様のところに行ってあげてください」
「いや、でも・・・」
「私の体調は、もう大丈夫です。それに、ライアン様たちに迷惑をかけたくありません」
ライアン様もエリオット団長も、気さくで感じのいい人たちだった。
そんな二人に迷惑をかけるわけにはいかない。
なにより、アルバート様の足枷になるようなことだけは嫌だ。
「・・・・・・では、ライアンのところに行ってくるよ」
「ええ」
「じゃあ、悪いけど、私もセインのお散歩の時間だから行くわね。アンナ様は倒れたんだし、ゆっくりしててね。何かあればジョシュアを呼んでちょうだい」
「あ、は、はい」
「心配しなくても大丈夫よ。廊下に出てジョシュアの名前を呼べば、すぐに来るからね」
(そんなスパイみたいな執事っているの?)
執事について聞きたかったが、すでにイザベラ様は部屋を出て行ったあとだった。
なんでいつも、あんなに時間に追われるように動くのだろう。
「・・・・・・イザベラ様は、まるで風のようですね」
「そうだな。姉上は、来るのも去るのも、いつもあっという間だからね。では、悪いが私もライアンのところに行って様子を見てくるよ」
「ええ、ではまた」
アルバート様も去り、一人になると、急に部屋の中が静かになったように感じた。
恐らく、雨が止んだのだろう。
部屋の中には、明るい光が差していた。
(・・・・・・折角持ってきてもらったし、紅茶を飲もうかしら)
紅茶を淹れようとベッドから離れた瞬間、遠慮がちに扉がノックされた音が聞こえた。
花の模様が施された部屋の扉を開けると、口元をわずかに上げたライアン様が立っていた。
眼鏡の奥の瞳が、楽しそうに瞬いているように見えたのは気のせいだろうか。
「失礼します。アンナ様。アルバート殿下は、こちらにいらっしゃいますか?」
「いいえ。それこそ今、ライアン様のお部屋に行かれました」
「あー、行き違いですかねぇ」
困ったように頭を掻くライアン様の仕草が、セオドアにちょっとだけ似ていて親近感が湧く。
銀縁の眼鏡をかけているせいか冷静で理知的な印象が強いが、言動の端々に、どこかユーモアが漂うのだ。
「お部屋に戻られますか?それとも、この部屋でアルバート殿下をお待ちになります?」
「・・・じゃあ、悪いけど待たせてもらえますか?公爵邸は広いので、また行き違いになってもいけませんし」
「どうぞ。じゃあ、紅茶を飲みながら待ちませんか?」
「ああ、嬉しいです。実は紅茶が大好きでして」
(先ほどイザベラ様が紅茶の準備をしてくれて良かったわ)
ホッとしながらお湯を注ぐと、芳醇な香りが室内いっぱいに広がっていった。
透き通った琥珀色の紅茶が、光を受けてきらりと輝き、とても美味しそうだった。
ライアン様に紅茶を差し出すと、嬉しそうに一口含み、ふっと表情が変わった。
驚いたように、紅茶をじっと見つめている。
美味しくなかったのだろうかと、思わず焦ってしまう。
「あの、もしかしてお気に召しませんでした?」
「いいえ。そんなことはありません。あまりの美味しさに驚いただけです。今まで飲んだ紅茶の中で、一番美味しいです。アンナ様は、紅茶を淹れるのがお上手なんですね」
「まあ、ありがとうございます」
(多分、公爵邸のお茶の葉がいいせいね)
ライアン様の大げさな褒め言葉に、苦笑いで応える。
でも、自分でも一口飲んでみると、紅茶の甘みと渋みが柔らかに混ざりあい、今までで一番美味しく感じられた。
間違いなく、人生で味わった紅茶の中で最も美味しい。
ライアン様は、紅茶にもう一度口をつけ、胸ポケットから小さな紙を取り出した。
「そうそう、これをアンナ様にお渡ししたいと思っていたんですよ」
「何ですか?」
「私の連絡先です。アンナ様の屋敷にいる執事のタイラーにお渡し願えますか?」
「タイラーに?」
渡された紙には、はみ出しや乱れが一切ない几帳面な字で住所が書いてあった。
「ええ。タイラーが、アルバート殿下宛の手紙を私に送ってきたのですが、少々回りくどかったので、今度から何かあれば、ここに連絡するよう伝えてください」
「・・・・・・タイラーは、ライアン様にお手紙を出したのですか?」
(タイラーは、アルバート様に手紙を出したんじゃなかったの?)
どうしてタイラーが、ライアン様に手紙を出したのだろう。
うちにアルバート様たちを迎えに来た様子を考えても、タイラーとライアン様は、到底知り合いとは思えなかった。
「ええ。アルバート殿下は王族ですからね。直接アルバート殿下宛に手紙を送っても届かないことを考えて、私宛に送ったのでしょう」
「まあ、何も知らなくて申し訳ありません」
「いえ、いいんですよ。タイラーの判断は、賢明だったと思いますよ。殿下に直接手紙を送っても、届かなかったでしょうしね」
「ライアン様は、タイラーとお知り合いだったのですか?」
「ええ、まあ。私の叔母が嫁に行った先の義兄の親友が騎士団に勤めていたので、その縁で送ってきたようです」
「それはまあ、随分と・・・」
(遠すぎじゃない!?それって知り合いの範疇に入れていいの?)
よくぞそれで、ライアン様までタイラーの手紙が届いたものだ。
「手紙はずいぶん早く出されたようですが、私の手元に届いたのは、昨日の昼です。もうすでにアンナ様は王都にいらっしゃるお時間でしたので、連絡の取りようがなくて。だから、第一騎士団総出で王都中を探しましたよ」
「えっ、私を捜したんですか?第一騎士団の方たちが?」
「ええ、そうです。彼らはアンナ様の顔がわかりますからね」
「いや、なんで第一騎士団の方が私を・・・」
「アルバート殿下が、アンナ様は野宿するに違いないって心配して騒いだものですからね」
(・・・!!!アルバート様ったら、どこをどうしたら、私が野宿するなんて発想になるわけ!?)
「な、な、なんですか、それ?」
「いや、私もそんなことをするご令嬢なんているわけがないと言ったんですけどね。あまりに焦るから、まあ、そういうこともあるのかな、と思いまして」
「・・・・・・そんなこと、ありません」
恥ずかしさのあまり、顔が赤くなるのが自分でもわかった。
アルバート様は、私のことをなんだと思っているのだ。
「最近の王都の治安はよくないですからね。アンナ様のことを心配したんだと思いますよ。野宿じゃなくても、泊まる宿次第では危ない時もありますしね」
「・・・ライアン様にもお手数をおかけして、申し訳ありません」
「いいえ、私はいいんですけどね。心配性のアルバート殿下にも困ったものです」
ライアン様は苦笑いしながら、眼鏡を外して丁寧に拭き始めた。
眼鏡に隠れてわからなかったが、ライアン様の目の下には大きな切り傷があった。
「もしかして、私が昨日フランシス隊長に会ったのって・・・」
「そうですよ。彼もアンナ様を捜していたんですよ」
「・・・フランシス隊長にも、申し訳ないことをしました」
私を捜していたのに、ひったくり犯を捕まえた私に出くわして、さぞかし目を丸くしたことだろう。
口元に微かな笑みを浮かべながら、ライアン様は眼鏡をかけ直した。
「いえいえ。まさかアンナ様が、ひったくり犯を捕まえるとは思ってもいなかったから、驚いたようですけどね」
「・・・そうですか」
捕まえたといえば聞こえはいいが、目潰しをしてかなり痛めつけた。
どこまでアルバート様に伝っているのか、知るのが怖い。
ライアン様は昨夜の騒動を知っているのか、目の奥が可笑しそうに瞬いていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
ブクマ、評価をしていただき、ありがとうございました。
アンナの大好きな紅茶ですが、イギリスでは、戦車の中でも紅茶が飲めるように給湯器が装備されているそうです。




