110 アルバート様の求婚
「知っている。それでいいじゃないか、私が君の婚約者になろう」
アルバート様の言葉の意味が理解できず、頭が真っ白になる。
思わず聞き違いかと目を向けると、そこにはいつもと変わらない無表情のアルバート様がいた。
「今、『婚約者になる』って聞こえたんですけど・・・」
「ああ。そう言った」
「・・・・・・・・・アルバート様、何を言っているのですか?」
「披露宴に一緒に出席する者が必要なのだろう?だから、私が婚約者になろう」
「・・・・・・は?」
「タイラーの手紙には、君が一人で出席せざる得ない状況だと書いてあった」
「いや、だからって・・・」
「大丈夫だ。ヘンリーの披露宴が終わったら婚約を破棄すればいい。そして君は、セオドアの元に帰ればいい。何も君が気にすることはない」
(・・・・・・突っ込みどころが多くて、どこから突っ込んでいいかわからないわね)
意味がわからなくてアルバート様を問いかけるように見るが、相変わらずの無表情で何を考えているかわからない。
「あの、どうしてここで、セオドアが出てくるのですか?」
「だって君は、アスター商会で好きな人がいると言っていたじゃないか?」
もしかして、アスター商会の店内で、求婚を断るために私が苦し紛れに言った言い訳だろうか。
どうやらアルバート様は、しっかり聞いていたらしい。
「ああ、あれは、ダニエル様の求婚を断るための口実ですよ」
「セオドアは?」
「だから、どうしてここでセオドアがでてくるんですか。セオドアは、私の大事な弟分です。それ以上でも、それ以下でもないですよ」
(全く、何を勘違いしているのかしら)
セオドアが聞いたら、顔を真っ赤にして怒りそうだ。
「・・・・・・ダニエルは、いいのか?」
「ダニエル様ですか?」
「ああ、だって求婚されていただろう」
確かに求婚されたが、残念ながら、お互いに恋愛感情なんて一切ない。
首を振って、アルバート様に答える。
「ダニエル様も関係ないですよ。ダニエル様は、私の能力というか、私がアスター商会のために益になると思ったから求婚してきただけで、私自身には全く興味がありません」
「・・・そうは見えなかったが?」
「見えなくても、そうなんです」
「いや、聞いていたダニエルの様子とはずいぶん違っていたが?」
「ダニエル様は風邪を引いていたから、普段と違って見えたんだと思いますよ」
「風邪?」
「ええ。昨日ダニエル様は咳をしていました。それに、今日握手をしたとき、微妙に手が温かかったので、熱があったんだと思いますよ」
ダニエル様は、劇場では疲れたように目を瞑っていたし、咳もしていた。
私が上着を借りたせいで、身体が冷えてしまい風邪が悪化したに違いない。
ダニエル様に悪いことをしてしまった。
「・・・・・・そうか」
「ええ。だから、ダニエル様は全然関係ないですよ」
「だが、ダニエルは金持ちだ」
(・・・・・・・よっぽど私が、貧しい暮らしをしているように思っているのかしら?)
確かに、アスター家は大富豪だ。
結婚したら、今みたいに小銭を数える生活から、一気に裕福な生活になるだろう。
だが、それとこれとは別だ。
「人を金の亡者みたいに言うのはやめてもらえますか?お金は大事ですが、私は気持ちも大事にしたいんです」
ここで、「気持ちだけあればいい」と断言できないのが、私の悲しい性だ。
「気持ち」も欲しいし「生活する上で最低限のお金」も欲しい私は、欲張りだろうか。
でも、霞を食べて生きているわけではないので、愛だけでは無理なのだ。
「・・・君の気持ちはわかったよ。でも婚約者がいなかったら、明日の披露宴で困るだろう?だから私が婚約者になろう」
「いや、ご自分が何を言っているか、わかっていますか?遊びに行く約束をするのとは、わけが違うんですよ。婚約って、そう簡単に決めるものではないですよね?まして、アルバート様は王族です。婚約するとしたら、陛下の許可がいるでしょう?勝手に私と婚約なんてしたら、それこそ罰せられますよ」
(アルバート様は、全く何を言ってるのかしらね)
仕事をし過ぎて、頭がおかしくなったのではないかと本気で心配してしまう。
「大丈夫だ」
「何が大丈夫なんですか?」
「兄上には、すでに許可を取ってある」
「はぁ?」
「君と結婚したいと申し出た」
「はぁぁぁ?」
「君が心配するようなことは、何もない」
「ちょっ、ちょっと待ってください!私と一緒にヘンリー様の披露宴に出席するために、私たちの婚約を陛下にお願いしたんですか!?」
頭が追いつかない。
許可した陛下も陛下だが、申し出たアルバート様は大馬鹿だ。
「それもある。だが、私は本気で君と結婚したいんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「なんだ、その鳩が豆鉄砲を食らったような顔は」
「え、だって、アルバート様は、私と結婚しても、何の得もないですよね?」
「なぜそこで、損得勘定を働かせるんだ?私は君が好きなんだ」
(・・・・・・・・・・今、アルバート様は、私を好きだと言ったの?)
まさかそんな言葉を向けられるとは思ってもみなかった。
心が追いつかなくて、信じることができずに、ただ瞬きを繰り返す。
「・・・えっ?アルバート様、私のこと、好きなんですか?」
「だからそう言っているだろう」
「あの、本当に?」
「ああ」
「嘘じゃなくて?」
「ここで嘘をつく意味があるのか?」
言葉が伝わらないもどかしさなのか、アルバート様が眉を寄せている。
見ようによっては、すごく不機嫌だ。
愛の告白をしているのに、眉を顰める人もなかなかいないだろう。
「・・・・・・・・・すみません、全く気が付きませんでした」
「君は鈍いからな」
「えっ?そんなことはないですよ」
「鈍いだろ」
「そんなことはありません。だってアルバート様、表情がほとんど変わらないうえに、あまり話もしないじゃないですか」
「いや、君は鈍い」
「鈍くないです!なんで私が悪いみたいな流れになっているんですか。お別れの日だって、アルバート様は何も言ってくれなかったじゃないですか」
王都へ帰ると決まった日も、私は寂しかったのに、アルバート様は仕事のことばかり話していた。
あれで私に好意があるとわかる方が難しいと思う。
「・・・・・・・・・・約束したからな」
「え?約束ってなんですか?」
「いや、そのことはいい。私は君が好きだ」
(・・・・・・本当に?)
戸惑いながらも、嬉しい気持ちがじんわりと湧いてくる。
表情は変わらないが、アルバート様の耳がほんのりと赤い。
そのことが、私の聞き間違いではないことを感じさせてくれた。
「これでも精一杯、好意を伝えてきたつもりなのだが」
「・・・アルバート様のお気持ちに気付くことができなくて、申し訳ありませんでした。でも、アルバート様ってわかりにくいと思うのですが」
「だからこそ、今ここで言葉にする。アンナ嬢、私と結婚してほしい」
「・・・・・・・・・・・・・ありがとう、ございます」
アルバート様に「好き」と言われて、舞い上がりそうになってしまう。
好きな人に好きだと言ってもらえて、こんなに幸せなことがあるだろうか。
涙が零れそうになり、手で涙を拭こうとした瞬間、手がフォークに当たってしまった。
思わずフォークが落ちた方を見ようとしたら、テーブルの上の、先ほどまで美味しく食べていた料理の皿が目に入った。
食べて半分ほどになった、芸術品のようなチョコレートケーキが目に入る。
『よく考えてから結論を出してね』
不意に、馬車の中で交わしたイザベラ様の声が脳裏に蘇る。
アルバート様から私を引き離そうとしていながら、同時に私を案じる気持ちも感じられた。
(・・・・・・・・私、アルバート様と結婚していいのかしら?)
先代国王の愛情が薄れ、寂しく亡くなったリリー様。
王宮に馴染めずに、駆け落ちしたエミリー様。
そして、王族という立場のアルバート様を取り巻く、複雑で厳しい環境。
私は果たして、アルバート様の妃として相応しい条件を備えているのだろうか。
考えれば、考えるほど、私はアルバート様の妃に相応しくないことがわかる。
手のひらに、汗がじっとりと滲んできた。
喉が詰まって息が震え、指先が自分の意思とは関係なしに小刻みに揺れているのがわかる。
(・・・・・・言いたくない)
だけど、言わねばならない。
夢のように幸せな舞台とは違って、私たちが生きているのは、あくまで現実なのだ。
「・・・・・・でも、私とアルバート様の結婚は、難しいかもしれません」
「・・・なぜだ?」
アルバート様が、今どんな表情を浮かべているのかを確かめるのが怖くて、どうしても顔を上げられない。
私とアルバート様は、全然違う。
豪華な昼食だとびっくりした私に対して、アルバート様は少しも驚いていなかった。
この豪奢な公爵邸も、部屋も、料理も、全てアルバート様の日常だ。
『身分違いの恋って続かないのよ』
イザベラ様の言葉が頭にこだまし、消えずにガンガンと響き続ける。
リリー様と先代国王のように、育った環境が全く違う私たち。
最初はその違いを面白く思っても、お互いに理解できず、嫌になる時が来るかもしれない。
そして、お金も身分もない私は、アルバート様の役に立つことはない。
「私、アルバート様の足を引っ張ります。家は貧乏、爵位は子爵。アルバート様の益になることは、何一つありません」
「そんなことは問題ない。むしろ、その方がいい。姉上から王位継承問題があったことを聞いただろう?王家にとっては、後ろ盾のない君のほうがいいんだ」
「でも、今は、ベスも大きくなったし、リチャード王子殿下も生まれました。今なら、国益になる方と縁を結ばれた方がいいですよね」
技術大国サイレニア、北の大国ドルネイル、資源のあるブルライト。
これらの国から、王族といわないまでも、高位貴族の令嬢を娶れば、ロズモンド王国にとっては有利に働くに違いない。
「そんなことは心配しなくていい。兄上からも、君との結婚の許可は得ている」
陛下はそうでも、他の家臣はどうだろう。
イザベラ様は反対しているからこそ、リリー様やエミリー様のことを私に話し、よく考えるように言ってきたのだと思う。
「・・・まだ、あります。私の淑女教育は12歳までです。貴族令嬢として必要なことが、沢山抜け落ちています。王宮のしきたりにも精通していません」
「そこは、・・・君には悪いが、これから家庭教師をつけて勉強してもらわないといけない。勿論、私も精一杯助ける」
ここで問題はないと言いきらないところが、アルバート様の誠実なところだ。
花言葉はうろ覚え。
陛下にお会いした時のカーテシーも自信がなかった。
スタンリー先生の教えには、淑女教育は入っていない。
領主としての仕事は自信があるが、王宮で淑女として生きて行く自信はない。
「王族の方が幼い頃から学んできたことを、17歳の私がすぐに身につけられるとは思えません。支えられるばかりでは、アルバート様の重荷になるだけです」
妃教育が始まってから、ヒステリーを起こすようになったエミリー様。
家庭教師を罵倒して逃げたと聞いた時は、どれだけ我儘なのかと思ったが、もしかしたら厳しい教育に耐えきれなかっただけかもしれない。
私だって、そうなる可能性があるのだ。
「エミリー様のようになって、アルバート様に嫌われたくありません」
「君は、エミリー嬢とは違う」
(どうしてそう言いきれるの?)
アルバート様は断言するが、私が王族として恥じぬほど務められる保証などないのだ。
間近でオリバーの秀才ぶりを見てきた私は、努力だけでは手に入らないものがあることを知っている。
「・・・・・・それに、アルバート様が他の方に心を移すこともあるでしょう?」
「それだけは絶対にない」
(そんなの、わからないでしょう?)
人の心がどんなに移ろいやすいものかは、十分に身に染みている。
私の知らない間に、ヘンリー様はルナ様と愛を育み、3年間も婚約していたのに簡単に捨てられた。
「真実の愛」に見えたリリー様と先代国王の情熱的な恋だって、すぐに終わった。
身分違いの恋をして、離宮で寂しく亡くなったリリー様は、最期に何を思ったのだろう。
そして、イザベラ様の言うように、アルバート様の私への恋心は、勘違いかもしれないのだ。
私たちは、ほんの数日間一緒に過ごしただけだ。
アルバート様は、私の何を知っているというのだろう。
「アルバート様、落ち着いて、よく考えた方がいいんじゃないですか?」
「私はよく考えたが?」
「ほ、本当に考えました?後から取り消しなんて、簡単にできないんですよ?」
「・・・先ほどから、君は断る理由を探しているように見えるな。本当は、私と結婚するのが嫌なのか?」
(そんなの、嫌なわけがないじゃない!)
私はアルバート様が好きなのだ。
舞台を観た時も、ダニエル様に求婚された時も、頭に真っ先に浮かんだのはアルバート様だった。
ダニエル様と結婚したら幸せになれると思ったのに、それでも、一人寂しくアルバート様を想って生きていく気だったのだ。
アルバート様に求婚されて、本当は嬉しくて、喜んで飛びつきたい。
でも、それ以上にアルバート様に失望され、嫌われると思うと怖い。
いっそ友人のままだったら、どんなに良かっただろう。
そうしたら、こうして時々会って、一緒に話ができたかもしれない。
でも、求婚された今、もう元に戻れないことはわかっていた。
(・・・・・・・・・・・・私、どうすればいいの?)
アルバート様は、意味が分からないとばかりに眉を顰めながら私を見ている。
そんな、ちょっとした表情の変化さえも好きなのに。
真面目なアルバート様は、私がこの求婚を断ったら、私に気を遣わせまいとして、きっと私と距離を置く。
そうなったら、身分の違う私がアルバート様に会うことなど一生叶わない。
(アルバート様の求婚を受け入れる?それとも、別れる?)
考えれば考えるほど、頭の中が混乱して気分が悪くなってくる。
手が急に冷たくなって、氷になったように動かない。
よくわからないが、胸が圧迫されて、空気が上手く肺に入ってこない。
ヒュウヒュウと喉が鳴り、吸おうとすればするほど、空気が逃げていく。
アルバート様が、何か声を上げたような気がしたが、何も聞こえない。
焦ったようなアルバート様の顔が近づいてきた瞬間、ふいに、目の前が暗くなった。
お読みいただきありがとうございます。
ブクマ、評価をしていただき、ありがとうございました。
作中のアルバートの「約束」については、「44 和解」にて書いています。
よかったら、ご覧ください。




