105 公爵邸
馬車の扉が開けられ、目の前に広がっていたのは、まるで黄金をイメージするかのように、壁が黄色に塗られた豪奢な建物だった。
壁が蜂蜜のように輝いている。
アルバート様は、すぐに私たちの元に駆け寄ってきてくれた。
「姉上。随分と遅かったですが、何かあったのですか?」
「何もないわよ、ただ道が混んでいただけよ。遅くなって悪かったわね。さあ、中に入りましょう」
せっかちなイザベラ様はアルバート様の手を取る間も与えず、馬車からさっさと降り、公爵邸に足早に入ろうとしている。
でも、私は動けない。
(・・・・・・ここ、何なの?凄すぎない!?)
あまりにも豪奢な公爵邸に、馬車から降りるのも忘れて口を開けて見てしまう。
広い庭園には彫像や噴水があるし、遠くには、丸みを帯びたアーチ形の建物まで見えた。
玄関周りには色とりどりのダリアが咲き乱れていて、公爵邸を更に華やかにしている。
王宮と言っても過言ではない公爵邸に、ただただ圧倒されてしまう。
呆然としている私を見兼ねたのか、アルバート様が馬車から降りるのを促すように、私の側にきて手を差しだしてくれた。
「大丈夫か、アンナ嬢」
「あ、アルバート殿下、ありがとうございます」
差し出された手に自分の手を重ね、下を向きながらゆっくりと馬車を降りる。
慣れないドレスのために、どうしても動きがぎこちなくなってしまう。
馬車から降りてアルバート様の顔を見れば、表情がわずかに曇っていた。
「・・・・・・アルバート様、でいいよ」
「いえ、そんなわけには・・・」
「前と同じように呼んでくれ」
「いえ、でも・・・」
(王弟だから、敬称は「殿下」よね?)
王族に対して馴れ馴れしい態度をとれば、不敬罪に問われてもおかしくない気がする。
皆が「殿下」と呼んでいるのに、子爵令嬢の私ごときがそう呼ぶなんて、不敬にあたるだろう。
アルバート様の本来の身分を知った今、前と同じようには振る舞えない。
何度か押し問答を繰り返す私たちのやり取りが聞こえたのか、イザベラ様がわざわざ戻ってきた。
「なに細かいことを言ってるのよ。いいじゃない、『様』でも『殿下』でも。アルバートがいいって言ってるんだから、『様』でいいでしょ。そんな事はいいから、早く家の中に入ってくださる?」
「でも、やはり・・・」
「アルバートが望んでるんだから、いいのよ。そんなに気になるなら、人前では『殿下』って呼べばいいでしょう?それぐらい融通をきかせなさいよ」
「えっ、でも・・・」
「前は『アルバート様』って呼んでいたんでしょう?貴女が急に呼び方を変えたものだから、アルバートは距離を置かれたと感じて、寂しく思っているのよ。それぐらい理解してあげてよね」
合っているのかはわからないが、イザベラ様は、アルバート様の気持ちをすごい勢いで代弁してくる。
「呼び方だけじゃないわよ。態度も変えないようにね。アルバートが王族だからって、貴女が気を遣って態度を変えたら、この子は絶対に落ち込むから。わかったわね?」
「姉上、私のことはいいので」
「はいはい。アルバートの言いたいことはわかってるから、大丈夫よ。余計な口は出すなってことでしょう?でも悪いけど、この方、ちょっと鈍いわよ。遠慮なんてしていたら、物事は全然進まないわよ。はっきり言わないとだめだと思うわ」
「姉上」
「はいはいはい。私が悪かったわよ。どうしてこう、まどろっこしいのかしらね。さっさと話をした方がよくない?雰囲気とかムードとか、そんなものが必要なのかしらね。本当に世話が焼けるわ」
「だから、姉上」
「はいはいはいはい。別に私のことは気にしなくていいわよ。それより早くしてよね。子どもたちを家に置いてきたから、早く戻らないといけないのよ。私の姿が見えないと、すぐに『お母様はどこ?』が始まるからね」
「・・・姉上、私の話を」
「ほら、貴方たちがぐずぐずしているから。雨が降るわよ、急ぎなさい」
イザベラ様は空を見上げながらアルバート様の言葉を遮り、駆け足でまた屋敷の中に入っていった。
確かに西の空からは、うっすらと灰色の雲が流れてきていたが、私たちがぐずぐずしていたわけではない。
大半は、イザベラ様がしゃべっていたせいだと思う。
(フランシス隊長が、陛下でさえイザベラ様に頭が上がらないって言っていたのは、こういう意味だったのね・・・)
人の話を聞かず、早口でまくし立てるイザベラ様には、誰も勝てないだろう。
思い込んだら一直線。
まるでイノシシみたいな人だ。
アルバート様は、イザベラ様の後ろ姿を見送りながら小さくため息をついている。
首の後ろがほんのり赤いのは、外でずっと私たちの帰りを待っていたせいなのだろう。
イザベラ様に振り回されるアルバート様が、気の毒になってくる。
「姉上がすまない。あの人は、いつもあんな感じで人の話を聞かないんだ」
「いいえ。あの、では、前と同じように『アルバート様』と呼ばせていただきます」
「ああ、そうしてくれ」
(前と同じように振る舞っていいのかしら?)
以前と同じようにというと、かなり失礼な振る舞いをしていたはずだ。
そっとアルバート様の表情を窺うが、相変わらずアルバート様の表情は変わらない。
イザベラ様の言葉が気になって、アルバート様に聞こうとしたが、考えがまとまらずに上手く言葉が出てこなかった。
結局、口から出たのはありきたりな問いだった。
「・・・・・・あの、お元気でした?」
「ああ。変わりはない。君も元気そうでなによりだ」
(・・・アルバート様は、いつも同じで安心するわね)
アルバート様の態度が一定だからだろうか。
くるくると猫の目のように変わるイザベラ様と話した後だと、余計に安心感を覚えてホッとする。
雨雲が忍び寄っていることはわかっていたが、アルバート様と二人、ゆっくりと公爵邸へ向かった。
◇◇◇
(「公爵」って、こんなにすごいの!?)
馬車から降りて公爵邸に入れば、家の中も目が眩むような豪華な造りだった。
白と金を基調とした内装は、至るところに鏡や金飾・花模様の彫刻が溢れている。
壁に飾られた絵画や彫刻のような調度品が視界に広がり、どこを見ても美しい。
あまりの美しさに、目がクラクラしてくる。
(花瓶まで綺麗ね・・・)
玄関脇にさりげなく置かれた花瓶でさえ、きっと芸術品なのだろう。
ミルク色の磁肌に、花やチョウが描かれ、淡いピンクや空色などをグラデーションで重ねてあった。
今まで私が見てきたものとは、色や形といい、全てにおいて全然違う。
(下々の発想で大変申し訳ないけど、絶対に値段が高いわよね!?)
アスター商会の店の中も上質な物が揃えてあったが、それどころの話ではない。
恐らく一つでも壊したら、屋敷を売ってでも弁償することはできないだろう。
万が一にでも、手が触れることがないように壁から離れて立つ。
気楽に過ごせる我が家が、恋しくて仕方がない。
「あら、やっと来たわね」
振り返ると、イザベラ様は片手に赤ん坊を抱っこし、もう片方の手は男の子と手を繋いで階段を降りてきていた。
(イザベラ様のお子様ね)
二人ともイザベラ様と顔は似ていないが、髪と瞳の色が同じだった。
あどけない瞳で、私を興味深そうに見ている様子が可愛い。
「紹介するわ。セインとダイアナよ。セインが5歳。ダイアナはもうすぐ1歳になるのよ」
イザベラ様はセイン様に挨拶させようとしたが、セイン様は恥ずかしがり屋なのか、イザベラ様のドレスの陰に隠れてしまった。
「もう、仕方がないわね。いつもはちゃんとできるのよ。ほら、セイン、ご挨拶して」
イザベラ様はセイン様を前に押しやろうとするが、セイン様はいやいやと首を振りながらドレスの陰から出てこない。
恥ずかしそうに俯いて、足をもじもじと踏み替えるだけだ。
「ほら、早く。アンナ様が待っているわよ」
「いいえ。そんなことしなくて大丈夫ですよ。こんにちは。サウスビー家のアンナです。よろしくね」
「・・・・・・セインです。初めまして」
腰を落としてドレスの陰にいるセイン様に挨拶すれば、小さな声で恥ずかしそうに挨拶してくれた。
はにかみながら挨拶をする可愛らしい姿に、思わず胸がきゅっとなる。
ところがイザベラ様は、セイン様の挨拶の出来にどうやら不満だったらしい。
イザベラ様は「仕方がないわね」と言いながら、ため息をつき、執事に向き直った。
「まあ、いいわ。それより、私が留守の間には何もなかった?」
「はい。特に何もなく、ダイアナ様は終始ご機嫌でした」
「そう、セインは?」
「セイン様は外遊びがしたいとのことでしたが、日差しが強かったのでお部屋の中で過ごしていただきました。お部屋の中では、楽しそうに本を読んでいらっしゃいました」
「ああ、そう。それならいいわ。今日は外が結構暑かったものね。ああ、ダイアナ、お母様のイヤリングに触ったらだめよ。そう、離してね。セイン、後でお母様に読んだ本の内容を教えてね。それで、他に来客や急ぎのものは?」
イザベラ様は、ダイアナ様をあやしながらも、セイン様に話しかけ、執事にまで次々と質問を投げかけていた。
(小さな子ども二人を抱えながら、家のことだけでなく、仕事もあるのね・・・)
ダニエル様に忙しさを盾に、私との約束を反故にしろと迫った時は、自分の意見を通すための嘘だと思ったが、イザベラ様が忙しいと言ったのは本当だったかもしれない。
「ローゼル歌劇団の団長がお見えになりました。今度お話があるので、ぜひお時間を取って欲しいそうです」
「ああ、援助のお願いでしょう?もう看板が古くなっていたしね。衣装もそろそろ全部替える時期でしょう。いいわよ、空いた日に予定を入れておいて」
「・・・・・・ローゼル歌劇団、ですか? 」
ローゼル歌劇団という言葉に思わず反応して、イザベラ様たちの会話を遮ってしまった。
先ほどイザベラ様は、忌々しそうにローゼル歌劇団の看板を見ていた。
父の不倫を元に話を作ったと憤慨していた劇団を援助するとは、どういうことなのだろう。
だが、イザベラ様は顎を高く上げ、誇らしげに言い放った。
「そうよ。私は美しいものが好きって言ったでしょう?絵画でも、音楽でも。建物でも。なんでもいいのよ、美しければ。だから勿論、舞台だって私の眼鏡にかなうなら、金銭の援助は惜しまないわ」
「・・・そうなのですね」
「湯水のようにお金を使うから、人は私を『散財夫人』って言うけどね。でもいいのよ。私がお金を出さなかったら、美しいものって簡単に消えてしまうからね」
(・・・随分と太っ腹なのね)
だが、イザベラ様がお金を出さなくても、本当に美しいものなら大衆に認められ、後世に残っていくのではないだろうか。
イザベラ様はお金に物を言わせて、自分の好みの物を作らせているだけのように思える。
傲慢に感じられて、どうも私はイザベラ様が苦手だ。
「姉上は、芸術を保護しているんだよ」
イザベラ様に対する苦手意識を察したのか、アルバート様が小声で言い添えてきた。
(そう?違うんじゃないの?)
この屋敷を見る限り、保護のためというよりも、自分の力や財力を見せつけるためだけのように感じる。
「でも、悪いけど、お金を出すからには口も出すわよ。私が気に入らなければ、援助は打ち切りよ」
「・・・・・・そうですか」
勝ち誇ったように話すイザベラ様は、やはり感じが悪い。
それに、この言い方だと、ローゼル歌劇団の結末を変えたのはイザベラ様だろう。
お金の力で自分の好きなように作品を作り替えてしまうなら、それは本当に「芸術」といえるのだろうか。
(イザベラ様は芸術を支えている気かもしれないけど、逆に縛ってるんじゃないの?)
お金がある者が芸術を決めるなんて、間違っているような気がする。
お金のない者の代表として、イザベラ様に物申したいと思って口を開こうとしたが、イザベラ様の興味は次に移ってしまっていた。
「ジョシュア、食事の支度はできているかしら?」
「勿論でございます。食堂にすでにご用意しております」
「ありがとう。でも悪いけど、アルバートとアンナ様の分は、別に用意してくれるかしら?そうね、小部屋がいいわね。あと、ちょっとロマンチックにしたいから、花でも飾って華やかにしてね」
(突然何を言い出すの!?)
アルバート様も、まさかイザベラ様がそんなことを言うとは思ってもいなかったのだろう。
驚いたような声を上げた。
「姉上!?」
「あら、暗い方がお好み?カーテンを閉めて、キャンドルの灯りで食べた方が、ムードがあっていいかしらね」
「姉上、だから何を言っているのです?」
「でも、今は昼だしね。いきなり暗い部屋で食事をするのは、アルバートにはハードルが高いでしょう?」
「いや、姉上。本当に何を言ってるのです?」
(・・・・・・ここまで話を聞かない人も、珍しいわよね)
イザベラ様は、また勘違いして暴走している。
しかもアルバート様の問いかけを無視するかのように、イザベラ様はダイアナ様を抱え直し、セイン様の手を引きながら、もう階段に足をかけている。
せっかちにも、さすがにほどがあるだろう。
「姉上。私の話を」
「ああ、やっぱり花よね。はいはい、アルバートの好みはわかっているから大丈夫よ。セインもお腹が空いたでしょう?お母さまと一緒に食事をしましょうね。今日の食事は何かしらね。楽しみだわ。ああ、そうそう、ジョシュア、ダイアナの離乳食だけど、最近遊び食べをするから、少なめに盛ってね。あとライアン様にも食事を用意してあげて。では、アンナ様、私はこれで失礼するわ」
「えっ、あ、は、はい」
(会話のテンポ、おかしいでしょう!?)
目まぐるしく話す相手を変えてしゃべるせいで、誰に話しかけているのかわからず、混乱する。
だが、ジョシュアと呼ばれた執事は慣れているのか、顔色一つ変えない。
アルバート様は、全く話を聞こうとしないイザベラ様のせいで、珍しく焦っている。
「姉上、お待ちください。食事は皆で一緒にすると、先ほど言われていましたよね?」
「ああ、私とアンナ様のお話は済んだから、もういいのよ。アルバートがゆっくり話をして構わないわ。アルバートも、その方がいいでしょう?」
「・・・・・・・・」
「物事は早く進めないとね。トンビに油揚げをさらわれても知らないわよ」
(トンビ?イザベラ様は何が言いたいの?)
意味ありげに笑うイザベラ様にアルバート様は戸惑っているが、イザベラ様は全く気にしていない。
「それからね、アルバートの子どもの時の話、アンナ様には話しておいたから。生まれる前の話しから、エミリー様と婚約を破棄したことまで、全部」
「・・・姉上」
「別にいいでしょう?隠してるわけじゃないし、みんな知っていることだわ。それに、先にわかっていた方が、アンナ様にとってもいいだろうし。じゃあ、アンナ様も、よく考えてね。さあ、私も忙しいからこれで失礼するわ。子どもたちがお腹を空かせているから、早く食べさせないといけないのよ。ジョシュアもお願いしたいことがあるから、一緒に来てちょうだい。じゃあ、またね」
早口で自分の言いたいことだけ言うと、イザベラ様はセイン様の手を引きながら、さっさと階段を上っていく。
その後ろを、執事が影のように静かに付き従った。
(一体、どうなっているの?)
嵐のように去って行ったイザベラ様の後には、呆然とするアルバート様と私だけが残されてしまった。
お読みいただき、ありがとうございます。
ブクマ、評価をしていただきありがとうございました。
芸術の保護者【パトロン】として有名なのは、メディチ家、ハプスブルグ家でしょうか。
作中アンナはイザベラ様を批判していますが、彼らがいなければ失われていた芸術もあると思っています。




