103 アルバート様の過去 3
(・・・それにしても、アルバート様は優しすぎるわね)
自分も悪かったと言っていたが、少しぐらい、エミリー様を怒ってもいいのではないだろうか。
少なくともアルバート様は、エミリー様に誠実に向き合おうとしていた。
「当然よね。しっかり契約も交わしていた婚約を自分勝手な都合で破棄したんだから。政略結婚なんだから、そんなものでしょう。エミリー様の愚行を止められなかったカートレット家も、エミリー様も、因果応報よ」
(『因果応報』、ね。あったらいいわね・・・)
婚約破棄の話になると、ついヘンリー様のことを考えてしまう。
何も言えない弱小貴族の私を捨て、ヘンリー様は、一人だけ幸せを掴む。
ヘンリー様とルナ様は、互いに顔を見合わせて幸せそうに笑っていた。
私を踏みつけて得た幸せなのに、謝罪の気持ちなど微塵も持ち合わせていなかった。
それどころか、ルナ様は私を貶めるようなことまで言ってきた。
慰謝料は貰ったものの、気持ちの上では納得できていない。
何より、ヘンリー様の自分勝手な振る舞いのせいで、みんながうちの仕事を辞めることになった。
タイラーたちに要らぬ心配をかけ、半年間、終わりの見えない仕事に追われ、自分を責め、思い悩んだ。
イザベラ様のように罰を与える権限があれば、私も罰を与えたい。
優しいアルバート様のようには許せない。
(・・・・・・私だったら、どうするかしら?)
イザベラ様は、死ぬまで後悔するような罰を与えると言った。
そこまで酷くなくても、私も、ヘンリー様が私を捨てたことを後悔する顔が見てみたいような気がした。
もし、これからヘンリー様たちが不幸になったら、この胸のつかえも取れるかもしれない。
(・・・・・・・・・私にも、できることはあるわ)
先ほどはセオドアたちのことが頭に浮かび、ヘンリー様たちに何一つ言い返せなかった。
ヘンリー様にやり返されるのが怖くて、黙って耐えることが一番いい方法だと思っていた。
でも、別に正々堂々やり返すだけが手段というわけではない。
私だって、こっそりと噂を広げることぐらいならできる。
ヘンリー様の横暴な振る舞いを騎士に訴えて出世の足を引っ張ってもいいし、ルナ様の妊娠をさりげなく話して名誉を貶めてもいい。
きっと噂の出所なんて誰にもわからないだろう。
いや、たとえ分かったとしても罪には問われないし、人の口に戸は立てられない。
噂話に尾ひれがついて、ヘンリー様たちは世間の評判に苦しむことになるかもしれない。
(そう、そうよ、そうすればいいんだわ)
幸いなことに、フランシス隊長とフレディ様との縁は繋がった。
明日の披露宴を終えた足で、そのまま犯人の怪我を心配するふりをして騎士団へ向かおう。
人のよさそうな二人だ。
きっと私のことを気にかけて、色々と話しかけてくれるだろう。
その時にでも、つい口が滑ったふりをして、ヘンリー様たちのことを話せばいい。
浮気の末に婚約を破棄され、さらに披露宴に招かれたことを伝えれば、ヘンリー様の心証はきっと悪くなる。
出世するのに必要なのは、何も能力の高さだけではない。
人柄だって重視されるから、出世を望むヘンリー様の足を引っ張ることはできる。
私のことを甘く見て、何もできないと思っているかもしれないが、ヘンリー様たちの思い描く薔薇色の未来に、インクのシミぐらいならつけられるはずだ。
自分たちが痛みを受けて初めて、私の傷の深さに気付くのかもしれない。
その時、ヘンリー様の顔はどのような表情を浮かべているのだろう。
私は、どんな思いでその姿を見つめるのだろうか。
ヘンリー様の苦しむ有り様に、満足して勝ち誇るのだろうか。
(・・・でも、その後の私は、一体どうなっていくのかしらね)
サイレニアには、人の復讐を禁じ、それは神に委ねよと説く『復讐するは我にあり』という教えがあるらしい。
神の領域に踏み込んだ私には、いずれ相応の罰が下るのかもしれない。
それでも、ヘンリー様を傷つけたいという思いを抑えられない。
「・・・・・・・・・・アンナ様、顔色が悪いようだけど大丈夫?」
イザベラ様の心配そうな声にハッとして、思わず顔を上げた。
自分でも知らぬ間に、ヘンリー様について思いを巡らせていたらしい。
(・・・・・・私、今、何を考えてた!?)
思いもしなかった自分の心の醜悪さに直面し、背筋を冷汗が伝って落ちる。
私は、こんなにもずる賢く人の不幸を願い、計画を立てるような人間だったのだろうか。
善人のふりをしていただけで、その内にはこんなにも暗く濁った感情が隠れていた。
これまで知らなかった自分の醜さにぞくりとし、身震いしながらショールぎゅっとを掻き寄せた。
「ねぇ、本当に顔色が悪いわよ。気分が悪いんじゃないの?」
「あ、は、はい。大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「無理しなくていいのよ。馬車を停めて、冷たい飲み物でも持ってこさせましょうか?」
「い、いいえ。本当に大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「・・・・・・そう?具合が悪いようなら、早めに教えてね」
「はい。お心遣い、ありがとうございます」
今はイザベラ様の話に集中しなければいけないのに、つい自分のことを考えてしまった。
イザベラ様は、籠った空気で私が気分が悪くなったと思ったのか、窓を開けてくれる。
だが残念なことに、むわっとした肌にまとわりつく空気が流れて込んできただけだった。
イザベラ様もそう感じたのか、扇子で私にさりげなく風を送ってくれるが、気分の悪さは治らない。
こんなにも自分の心根が汚いとは思いもしなかった。
同じく婚約を破棄された身なのに、どうしてこうもアルバート様と違うのだろう。
本当は自分の汚い心と向き合うべきなのだろうが、イザベラ様に話の続きを促す。
この機会を逃せば、一生アルバート様のことを知らずに終わってしまう。
アルバート様のことが聞きたかった。
「あの・・・、先ほどのお話の続きを教えていただけますか?」
「・・・え?あ、ああ。そうね。でもね、エミリー様のことは終わったことだし、どうでもいいのよ。問題はアルバートよ。これでまた振りだしに戻ったのよ。婚約者のいない自分が王都にいたら、また馬鹿な貴族が担ぎ上げようとするかもしれないでしょう?」
「まさか、それで辺境に?」
「そう。兄がいくら戻るよう説得してもだめだったのよ。『婚約を破棄されたから、恥ずかしくて王都に居られない』なんて言ってね」
(・・・・・・アルバート様は嘘つきね)
全ては敬愛するお兄様のためなのに、すぐに自分が泥を被ろうとする。
自分のことより、いつも人のことばかり考えて行動している。
「アルバート様のお気持ちは、よくわかります」
「まあね。そこは私もわかるし、担ぎ上げられて、クーデターの旗印にされても困るしね。でもようやくベスも大きくなったし、リチャードも生まれて、兄の基盤が盤石になったでしょう?それでようやく兄の説得に耳を貸して戻ってきたのよ」
(・・・『七つ前は神の内』って諺があるものね)
7歳までは神に属する存在だから、非礼があっても責任は問われない。
でも、それだけ子どもは、いつ神の元に帰ってしまうか分からない脆い存在なのだ。
アルバート様は、ベスが大きくなって陛下の治世が安定するのを、遠く離れた辺境で待っていたのだろうか。
「アルバート様は、本当に人のことばかりですね」
「本当にそうよ。寒さの厳しいドルネイルの国境沿いの第五騎士団にいたのも、そのせいよ」
「・・・え?」
「自分が産まれたせいで、ドルネイルとの関係が悪くなったと思っているのよ。ドルネイルから奇襲でもかけられたら、後悔しても後悔しきれないからじゃない?何かあったら、自分が盾になるつもりで、第五騎士団を希望して行ったんだと思うわ」
「・・・・・・・・・アルバート様」
(ねぇ、今まで、どんな思いを抱えて生きてきたの?)
アルバート様のことを思うと、胸の奥がきゅっと縮んで、声が出ない。
アルバート様が生まれてきた経緯なんて、アルバート様には関係ないことだ。
なぜ自分に責任のないことで、アルバート様が苦しまなければならないのか。
アルバート様は、どれだけの思いを抱えて、今まで過ごしてきたのか。
望まれなかった、自分の誕生。
顧みられることのなかった生活から、ようやく自分を愛してくれる人が見つかったと思ったら、今度は自分のせいで愛する人が危機に陥って。
まるで、贖罪のように人に尽くして働くアルバート様。
類まれな美貌を持って、人が羨む生活をしているはずのアルバート様の心は、満たされたことはあったのだろうか。
私に『ありのままの君が大好きだ』と言ってくれたアルバート様。
アルバート様は泣き喚く私に、私の全てを肯定して慰めてくれた。
役に立つからではなく、私が私であるからこそ、皆が私を好きだと教えてくれたアルバート様。
あの時アルバート様は、どんな気持ちで言ったのだろう。
その言葉を、すっかりそのままアルバート様に返してあげたい。
自分の存在を肯定され、頑張りを認めてもらいたかったのは、ほかでもないアルバート様自身のはずだ。
アルバート様の胸の内を想って目の奥が痛んだ私に、イザベラ様は無神経な言葉をぶつけてきた。
お読みいただき、ありがとうございます。
「復讐するは我にあり」は、新約聖書「ローマ人への手紙」に記されている言葉です。
「七つ前は神のうち」と言われるのは、昔は乳幼児の死亡率が高かったからでしょうね。
明日も更新を予定していますので、よかったらお付き合いください。




