10 姉の気持ち
「そうそう、お手本をよく見て」
ベスは刺繍に挑戦中だ。
先ほどから狙った所に刺せないらしく、四苦八苦している。
「ああ、やっぱり難しいわ」
疲れたのか、針を刺したままの布をぽんとテーブルに投げる。
アルバート様が、読んでいた本を横に置き、ため息混じりに注意する。
「ベス、もう少し根気よく取り組まなくてはな」
「おじ様は簡単に言うけど、どう頑張ってもできないのよ」
ベスはぷうっと頬を膨らます。
貴族の子女は、嗜みとしてこのくらいの年齢から刺繍を教わる。
ベスの昨日の様子から刺繍は好きだと思ったのだが、そうではなかったらしい。
「アンナ嬢を見なさい。黙々とずっと刺繍をしているじゃないか」
「だってアンナは大人だもの。できて当然よ」
「大人だからって、できて当然じゃない。なぁ、アンナ嬢?」
そう言われて刺繍の手を止める。
私が手にしているのは、薔薇の刺繍をすると約束していたベスのドレスだ。
まだ終わりそうにないので、ベスたちが帰る日に間に合わせるために必死で縫っていただけである。
刺繍はできはするが、実はあんまり好きではない。
「・・・まぁ、そうですね。私が今刺繍が得意なのは、子どもの時に練習したから、でしょうね」
「ほら、見てみなさい」
アルバート様はここぞとばかりにお小言モードだ。
「でも、最初からは上手くできませんでしたよ。母に言われて練習こそしていましたが、実は子どもの頃は刺繍が苦手で」
「ええっ、そうなの?」
ベスが仲間と思ったのか、嬉しそうに返事をする。
「そうなのよ。思うように針は刺せないし、たまに自分の指も刺すし。母の見本と違う仕上がりになるのも嫌で」
わかるわかるとベスが頷く。
「正直座って刺繍をしているより、外に出て遊ぶ方が好きだったわ。セオドアたちと山や森に入って木の実を取ったり、川遊びしたり。誰が一番馬を速く走らせることができるかと競争したり」
「君は、随分と活発な子どもだったんだな」
少し驚いたようにアルバート様に言われてしまった。
(まあ、普通の貴族令嬢はそんなことしませんよね)
両親が寛容だったのと、名ばかりの貴族だから許されていたのかもしれない。
「じゃぁ、どうしてできるようになったの?」
「母が病気になって。それからかしら」
あんなに元気の良かった母が倒れるなんて、思いもしなかった。
「アンナがいくつぐらいの時に?」
「12歳の誕生日を迎えたあたりかしら。母が倒れて、初めて私がしないとどうしようもない状況だということに気付いたの。父は勿論、弟もお裁縫はしたことなかったし」
「クララは?」
「勿論クララはできるけど、クララに全部お願いするわけにはいかないからね」
母が倒れて初めて、今まで母がどれだけのことを私たちにしてくれていたのかを実感した。
「幸い寝付いても口は達者だったから、教えを請いながら何とか覚えていったのよ」
上達の速さは熱意に比例した。
どうしてもっと早くから真面目に取り組まなかったのかと過去の自分を殴りたくなった。
「・・・それで、お母様は?」
「私が一人でできるのを見届けてから、亡くなってしまったわ」
ベスが同情してくれたのか、目に涙を浮かべている。
「あらあら、ベスまで悲しませちゃったわね。ごめんね。私はもう大丈夫よ」
慌ててハンカチを出して目元を拭ってやる。
「私からもお悔やみを言わせてくれ。大変だったな」
アルバート様まで神妙な顔をしている。
「いえ、いや、そうかしら。我が家を切り盛りしていたのは、しっかり者の母だったので。父も私もどうしていいかわからなくて。だから父は、随分と苦労したと思います」
「優しいお母様だったの?」
「ええ、とても。でも教育には厳しくて。何度怒られたことか」
実際厳しかった。
勉強をさぼった時など、鬼のような形相で叱責され震え上がったこともある。
だけど努力したことには、必ず大げさなほどに褒めてくれる母でもあった。
今なら母の気持ちもわかる。
家庭教師も満足につけられないほどの貧乏子爵家。
財産もないから、大人になったらひたすら自分の力で生きていくしかない。
だからきっと、自分の持てる限りの知識と技術を教えようとしてくれたのだ。
それは、私が後々苦労しないようにと母なりの愛情だったのだと思う。
「私のお母様もよく怒るのよ」
ベスが口を尖らせ、足をぶらぶらさせながら同意を求めるように私を見た。
「ベスの気持ちもよくわかるわ。そんなに言わなくても、と思う時もあったわ」
「ねっ、そうでしょう?なんであんなに怒るのかしら」
我が意を得たりと言わんばかりに、勢いよくベスが立ち上がって腰に手を当てながら体を前に倒す。
「『ベス!いい加減にしなさい!』って」
ベスのお母様の真似だろうが、母も怒る時は、似たようなポーズをよくしていた。
アルバート様は不快なのか、顔を顰めている。
「『何度言ったらわかるの!?』って。聞いたことないのに言われても、ねぇ?」
酷いわっと、ベスが呟く。
ベスのお母様の様子が、容易に想像できて笑ってしまった。
だが非難がましいアルバート様と目が合ってしまい、コホンと咳払いする。
「ただね、きっとベスのお母様は、ベスのことを思って言ってくれているのよ」
「そうかしら。毎日毎日お小言よ」
ベスは頬をこれでもかと言わんばかりに膨らました。
「私もそう思っていたわ。なんでいつもあんなに怒るのって。でも、今になって、母の教えてくれたことが、どんなに役立つかを実感しているわ」
「だけど、弟には怒らないのよ」
「あら、ベスには弟がいるの?」
初耳だ。
「そう。リチャードって言うんだけど。リチャードには全然怒らないのよ」
「ベス。リチャードはまだ7ヶ月の赤ん坊だろう。怒るほうが変だろう」
すかさずアルバート様からの注釈が入る。
「でも・・・だって・・・、リチャードだけずるいと思うわ」
ベスは責められたと感じたのか、ちょっと言い淀む。
(あっ、これはよくわかる。私にも経験があるわ)
「私にも弟がいますけど、小さい頃は私も毎日そう思っていましたよ」
ベスを庇うように手招きし、私の膝に乗せる。
「だってそうでしょう?何かと言えば『お姉さんなんだから』って言われて」
アルバート様の目が咎めるように細められたが、知るものか。
「ベスは7歳も年上なのだ。赤ん坊と比べてどうする」
「あら、年齢なんて関係ないですよ。同じ子どもですもの。しかも「弟」でしょう?きっと周りは弟君ばかりチヤホヤしているのではありませんか?」
この国は、爵位は法律上男女どちらでも跡を継げるが、基本男児が継ぐ。
女性が継ぐのは、男児がいなかった場合のみだ。
親は子どもが男女どちらもいる場合、当然跡取りである男児を大事にする傾向がある。
私の両親だって、弟と私を平等に扱っていたつもりだろうが、弟との差を感じることは多々あった。
幼い頃は何度不公平だと思ったことか。
「そんなことは・・・」
「そうだと思いますよ。少なくとも私はそうでした。それに急にお姉さんらしく振舞えと言われてもどうしていいかわからないでしょう?」
別にアルバート様が悪いわけではないが、ベスと昔の自分を重ねてしまい、ついキツイ口調になってしまう。
ベスも応援を得て、勢いが増したのかアルバート様に言い返す。
「おじ様にはわからないわよ。だっておじ様は末っ子ですもの」
アルバート様は、思わずハッとしたように目を見開いた。
「弟ができると、その、皆そう思うものなのか・・・?」
「まぁ、多少の差はあれ、そうでしょうね。だってそれまで両親の愛情を独り占めしてきたのに、急に赤ん坊に割って入ってこられたのですから」
「でも赤ん坊には、関係のない話だろう?」
「ええ、勿論。だから問題があるのは周囲の大人です」
「周囲の大人・・・」
「だってベスはまだ7歳の子どもですよ。アルバート様は7歳の時に今と同じように振舞えましたか?そんな子ども、いませんよね?周囲の大人がベスの気持ちを汲んでやらなくて、誰が汲むのです?きっとベスなりに沢山我慢していたと思いますよ」
これだけは長子代表として言わせてもらいたい。
好きで「お姉ちゃん」になったわけではないのだ。
「ご自身がベスの立場になって考えてみてください。経験はしていなくても、想像はできるでしょう?」
ちょっと言い過ぎたかなと思ったけど、思いの外アルバート様は素直に頷いた。
「そうだな、少し考えればわかることだな。ベス、今まですまなかったな」
(あらら、自分の非を認められるのね)
頑なに自分を通そうとしたヘンリー様とは、大違いだ。
(こんな方だったら、一緒に過ごしても気が楽よね)
ついつい、ヘンリー様と比較してしまう。
高圧的だったホランド伯爵。すぐ不機嫌になるヘンリー様。
アルバート様は穏やかに私の話を聞いてくれるからか私も意見が言いやすい。
「ううん、私もごめんなさい。おじ様はいつだって私のためを思って言ってくれたのよね」
ぴょんっと私の膝から降り、アルバート様に頭を下げる。
7歳のベスの大人びた言い方に、思わずアルバート様と顔を見合わせる。
「そんな風に思えるなんて、すごいわ、ベス」
そう言ってベスを抱きしめると、ベスがうふふっと幸せそうに笑った。
笑いあっていると、タイラーが側にスッと寄ってきた。
「お嬢様、ご歓談中失礼します」
「あら、タイラー、どうしたの?」
「各地区長から、被害状況の報告書が届きました。一度見ていただけると助かるのですが・・・」
「ああ、そうね、でも、えっと・・・」
(報告書も気になるけど、ベスの遊び相手もいるわよね)
一瞬私の目が泳いだのを見て、アルバート様がフォローしてくれる。
「私たちのことは気にしなくていいから。昨日の今日だ。ベスも疲れているだろうし、ここでゆっくりさせてもらうよ」
「そ、そうですか?」
(ベスは退屈しないかしら?)
ベスに視線を走らせれば
「大丈夫よ。私ももう少し、刺繍を頑張ってみるわ」
空気を読んだのか、ベスも快く送り出してくれる。
本当に手のかからない、いい子だ。
「じゃ、じゃあ、私、仕事をしてくるわ」
「頑張ってね~」
二人に手を振られ、書斎に向かうことにした。




