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婚約破棄されたら幸せを拾いました  作者: 夏つばき


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1 婚約破棄




「婚約を破棄してくれ!お願いだ!!」


アンナ・サウスビー。17歳。

弱小貴族として生き残るために、常に最悪のことを考え、先を予測して行動するのが私の信条である。

だけど、結婚式を間近に控え、婚約者から土下座される日がくるとはさすがに思ってもみなかった。

目の前の光景に、頭がついていけない。


「あの、よくわからないのですが、一体どういうことでしょう?」


私と、この土下座をしているヘンリー・ホランド様は、半年後に結婚式を挙げる予定だ。

婚約してから今まで、喧嘩もしたことがない。

仕事もあるからそんなに行き来があるわけではないが、定期的に手紙や贈り物もしていて、関係は良好だった・・・はず。

震える声でようやく聞いてみれば、ヘンリー様は顔を勢いよくあげ、私に訴えかけてきた。


「真実の愛を見つけたのだ!!」


(真実の愛・・・?何なの?それは?)

私の疑問をよそに、ヘンリー様の瞳は真剣だ。


本来なら、私が成人となる17歳の誕生日を迎えたら結婚するはずだった。

だが、17歳の誕生日を目前に、父が不慮の事故で亡くなった。

喪に服すため。また、一つ年下の弟オリバーが成人するまで領主代行を務めねばならないからと、結婚の延期を願い出てからまだ半年だ。


結婚延期を申し出た私に、ヘンリー様は私の事情を汲んで理解してくれたが、ホランド伯爵は顔を顰めたままだった。気まずい雰囲気の中、ヘンリー様は私を慰めてくれた。


『親父の態度が悪くてすまないな。兄貴たちのとこにも子どもがいないから、親父は早く孫の顔が見たいと俺たちの結婚を楽しみにしてくれていたんだよ』


そしてその場でホランド伯爵を諫めてくれたのだ。

『親父もいつまでそんな態度取ってるんだよ。アンナが困っているじゃないか。結婚が1年遅れるくらい大したことじゃないだろ。親父だってそんな年じゃないんだ。別に構わないだろ』

そう言って、あの気難しいホランド伯爵から庇ってくれたのだ。


いつもホランド伯爵の言うがままのヘンリー様だったのに、大事な時は私の味方をしてくれるんだと感動したのに。


それが、なぜ。

こんなにも短期間で人の心は変わるのだろうか。


「あの、それで、結婚したい方というのは・・・」

抑えようとしたが、声が震えるのは止められなかった。

そんな私に気付かないのか、ヘンリー様はぱっと顔を上げ、なぜか惚気だした。


「ルナ・ぺラムといってな。男爵家の一人娘なんだ。王宮で困っているのを俺が助けてやってな。その、小柄で華奢で、こう、なんというかな、俺が守ってやらないといけない子なんだよ」


(背が高くて悪かったですね)

思わず言ってやりたくなる。

だが私が極端に高いわけではない。ヘンリー様の身長が低いだけだ。

ヘンリー様に気を遣って常にヒールの低い靴を履いて、ヘンリー様より背が高くなることは避けていたのに。


「ほらっ、アンナはしっかりしてるだろう?だから俺がいなくても大丈夫だろうが、ルナは放ってはおけないんだよ」

言葉の刃がぐっさりと胸に突き刺さる。


何が大丈夫なものか。

母を早くに亡くし、頼みの綱の父も亡くなったばかり。唯一の身内である弟は、王都で学院に通うまだ学生の身。領主の仕事は小さいころから手伝ってきたとはいえ、補佐と自分が主になるとでは全然違う。

いつだって責任の重さに涙が出るほど不安だったのに。誰かに頼れるものなら頼りたかった。

だけど、私がしっかりしなかったら、誰がこのサウスビー領を守れるのか。

小さいながら両親が大事に守ってきた領地だ。

弟に万全な状態で渡さねばならないと、歯を食いしばって頑張ってきたのだ。


(しっかりしているんじゃない。しっかりせざる得なかっただけよ)

そう言いたかったが、こんなお花畑状態のヘンリー様に言っても響くことはないだろう。


じっとりとした私の暗い気持ちを代弁するかのように、窓から湿った空気が流れ込んでくる。

(ああ、空気まで重く感じる)

苛々とした気持ちで開け放していた窓を見る。

暑がりのヘンリー様のためにと窓を開けていたのだが、これでは逆効果にしかならない。

肌に湿った空気が纏わりついて不快なことこの上なかった。


そんな私の気持ちもお構いなしに、ヘンリー様はルナ様のことを優しいだの料理上手だのと褒めちぎっている。

一体いつまで続けるつもりだろうか。


(これ以上聞きたくもないわ)

ソファからを立ち上がり、窓を閉めに行く。

ついでに空模様を確認すれば私の心を映したように、西の空に暗雲が立ち込めてきている。

とりあえずヘンリー様の話を無理やり断ち切ることにした。


「あの、婚約破棄についてはホランド伯爵は了承済みなのでしょうか」


ヘンリー様の動きがピタリと止まる。


そうだろう、そうだろう。

あのホランド伯爵が、婚約破棄を了承しているとは到底思えない。

何故ならこの縁談は、ホランド伯爵から持ち込まれたものだからだ。

ぬかるみにはまったホランド伯爵の馬車が動かなくて難儀していたところを偶然私が助けたのだ。

その時にヘンリー様の嫁にと見染められたのだ。


婚約の申し込みがあった時を思い出す。


ホランド伯爵の突然の訪問と提案に、父と私も驚愕した。

混乱した父は、何度も私で良いのかと確認していた。

私は知らなかったが、どうやらホランド伯爵は上昇志向が強い人物らしく、上二人の息子は、裕福で家柄も良いらしい。だからうちのような貧乏子爵家の娘をわざわざ望むのか不思議だったに違いない。


もしかしたら、父はこの縁談に何か裏があるのかと不安を感じたのかもしれない。

だが、ホランド伯爵はそんな父を明るく笑い飛ばした。


『うちの三男坊は腕は立つが、ちょっと抜けたところがあってね。だからアンナ嬢みたいにしっかりしたお嬢さんがぴったりだと思ったんだよ』


頑固で我の強いホランド伯爵。

背が低く、太めの身体に小狡さが見え隠れする目は、どう見ても癖が強すぎた。

こんな舅がいる家は、できれば断りたいと父も思ったのだろうが、家格差を考えてもうちから断ることはできない。


少し躊躇いはしたものの、結婚後には援助してくれるという話も後押しとなり、婚約を決めた。

息子のヘンリー様が似てないといいなと心の中でため息をついたことを覚えている。


だから顔合わせの日にヘンリー様を見て驚いた。

ヘンリー様は背こそ高くないものの、がっしりしていて、いかにも頼りになりそうな方だった。

輝くような美しい金髪に翡翠のような瞳。目も鼻も口も大きい顔は獅子を連想させた。

騎士団では剣の腕を買われて出世頭という。


ホランド伯爵の印象が悪かったせいもあるが、ヘンリー様の第一印象はとても良かった。

ヘンリー様が顔合わせを終え、扉から出て行こうとした時に

『前評判と違いますね!お嬢様、素敵な方で良かったですね!!』

そうクララが囁いたのが聞こえたのか、振り向いたヘンリー様と目が合った。


聞こえたからには誤解を招いてもいけないので、ホランド伯爵がヘンリー様について評したことを恐縮しながら伝えた。

ヘンリー様は怒るかと思いきや、クララのことを笑って許してくれた。


そして苦笑いしながら言ったのだ。

『まあ実際俺は抜けているしな。君と二人、お互い助け合える夫婦になろうじゃないか』


それを聞いて、正直な方だなと好感を持った。もしかしたら上手くやっていけるかも、と。

恋愛小説のように激しい恋心はなくとも、暖かい家庭が作れるのではないかと思えたのに。

それがこんなことに、と唇を噛みしめる。


「あ、いや、父上は知らないのだが・・・」


叱られた子どものように俯き、ヘンリー様はボソボソと呟いた。


(つまりこの婚約破棄はヘンリー様の独断というわけね)

それならばまだ婚約継続の望みはあるかもしれない。

ヘンリー様自身に未練があるわけではないけど、こちらにも事情がある。


「ならば、私も受け入れるというわけには・・・」


貴族間の婚約は、基本家と家との契約。

本人同士の間で簡単に破棄できるものではなかった・・・ような気がする。

破棄するには、それなりの理由や慰謝料の金額を元に、両親も含めて契約し直すのが普通だ。そうでないと私が路頭に迷いかねない。


「いや、書類は用意してある。もう俺たちは成人しているし、お互い納得すれば婚約は破棄できる。大丈夫だ。そこは役所に確認してきた!」


だけどヘンリー様に自信満々に言われてしまった。

細かい書類仕事は苦手だからと、結婚式の準備を全部私に任せていたくせにと心の中で突っ込んでしまう。面倒臭がりのヘンリー様にしては随分と準備がいい。

それほどまでにルナ様に本気ということか。


この国の成人年齢は17歳。

役所が認めているなら、親の承諾がなくとも婚約破棄できるのだろう。

(でもこんな一方的に破棄されるものではないと思うけど)

口から大きなため息が出た。


先日、ヘンリー様が家にくるという連絡をもらった時は嬉しかった。

そろそろ招待客リストを作りたいとヘンリー様に打診していたので、結婚式の打ち合わせとしか思っていなかった。

屋敷を大掃除し、ヘンリー様の好きなお菓子を作り、少しでも綺麗だと思ってもらえるよう余所行きのドレスに袖を通した。

この数日の忙しくも楽しかった日々は何だったんだろう。

いや、そもそも婚約していた3年間は。虚しい思いが胸に押し寄せ、辛さのあまり顔があげられない。


「な、お願いだ!頼むっ!」


ひたすら頭を下げ続けるヘンリー様。

その度にヘンリー様の金色の髪が頭を下げる度に何度も揺れる。

ぼんやりとその髪を見ながら声を出す気力もない私に、破棄する意思がないと感じたのか叫び始めた。


「アンナには、本当に悪いと思っている。な、タダとは言わん!慰謝料として1千万ゴールディ用意した!!」

にじり寄ってきて、小切手を渡された。

渡された小切手をのろのろと見れば、確かに額面は1千万ゴールディと書いてあった。


大金だ。


でも、と頭の中でつい計算してしまう。

この国の平均寿命は60歳。

私があと43年生きると仮定したとき、使えるお金は年間約23万円。月割りすれば、約1万9千円だ。

到底一人で生活できる金額ではないと思う。


どんな理由であれ、婚約破棄された貴族令嬢に次の縁談はほぼない。

年齢が若ければ次もあるだろうが、私は17歳。

ただでさえ貴族は政略結婚という意味合いもあり、早いうちから婚約してしまう。

同年代はすでに婚約しているから、今後私に縁談があるとすれば、後妻といったことこだろうか。

優しい弟は私を追い出しはしないだろうが、弟が家庭を持つ頃には私は邪魔となるだろう。

弟の独り立ちを確認した後、修道院で過ごす未来しか見えない。


(これが私の人生につけられた値段?安すぎじゃないかしら?)

ヘンリー様は、そこまでわかっていながら婚約破棄を申し出ているのか。

それとも私のことなどどうでもいいのか。

いや、どうでもいいからこそこんな真似ができるのだろう。


お父様亡き今、相談に乗ってくれる人はいない。

弟のオリバーは、まだ学生で王都で寮生活だ。


あとは・・・と部屋を見れば、ヘンリー様を真っ赤な顔をしてティーポッドを握りしめている侍女のクララの姿があった。クララの隣では、執事のタイラーが憤怒の形相で睨みつけている。


(・・・・・・セオドアがこの場にいなくて良かった)

セオドアはクララの息子でオリバーと乳兄弟だが、ヘンリー様との相性が悪い。

もしこの場に居たら、身分関係なく殴ってしまい問題になっていただろう。


とりあえず考える時間が欲しかった。

私たちの関係を修復できる・・・とは思えないが、大事なことだから即断できない。

勝手に婚約破棄してしまったら、ホランド伯爵からも文句を言われそう(いや、怒鳴り込みにくるかもしれない)だ。


それに10日後には、大きな商談も控えている。

婚約者の有無でアスター商会が態度を変えるとは思えないが、後ろ盾があるに越したことはないだろう。

女性の地位があまり高くないこの国では、父親や婚約者の影響は大きい。


気持ちを落ち着けつけるために、すうっと息を吸い込み大きく吐く。


(とりあえす、時間を稼ごう)

ヘンリー様にはっきりと告げる。


「ヘンリー様のお気持ちはわかりました。ただ、私にも考える時間が欲しいのです。婚約破棄のことは、もう少しお時間いただいてからお返事させてください」

だがヘンリー様は、私の声を大声で遮った。


「いや!今日!今すぐこの書類にサインしてほしい!!!」

(どういうことかしら?)

訝しる私の視線をよそに、書類をテーブルの上に叩きつける。


「ルナは妊娠しているんだ!親父も明日には出張から戻ってきてしまう!な、頼む!早くこの書類にサインをしてくれっ!!」


瞬間、ぐらりと目の前が揺れた。

お腹に子どもがいるというなら、随分前からのつきあいなのだろう。

(一体いつから・・・?)

自分な中の、何かが壊れた音がした。


「・・・・・・・そう、なのですね。・・・では、サインいたします」


もう何も聞く気力はなく、ゆっくりとペンを手にとり、書類に目を通す。

あれだけ書類仕事は苦手だと言って私に押し付けていたのに完璧だった。

それだけルナ様に本気なのだろうと思えば、ちくりと胸が痛んだ。


目の端ではクララたちが必死に首を振っていたが、気にせずサインをして渡す。

「おぉっ、すまんな、ありがとう」

私の気持ちなどお構いなしに、まるでお菓子でも渡されたかのように気安くヘンリー様が受け取る。

さっきまでの悲壮感を漂わせて懇願したのは、演技だったのかと聞きたくなるほどだ。


(結局、私はその程度の存在だったということね)

自分の心が急速に冷えていくのがわかった。

「では、この書類を役所に出さんといかんからな。来て早々だが、失礼するよ」

ヘンリー様が最早用がないと言わんばかりに、足早にドアへと向かう。


(・・・こんな人だったかしら)

別にヘンリー様に恋焦がれていたわけではないが、それなりに大事に想ってきた。

婚約してから3年。多少なりとも一緒に過ごしてきて気持ちを育んできたわけで。

それがこんなにあっけなく捨てられるものかしら。


半ば呆然とヘンリー様の後ろ姿を見ていたら、急にヘンリー様が振り返った。

「ああ、見送りも土産も結構だよ。それに良かったら結婚式の招待状も送るよ。そこでアンナもいい人が見つかるかもな」

ヘンリー様は、悪気のなさそうな顔でにこにこと笑っている。


(何を、何を言っているのだろう、この人は)

あまりのことに、表情を取り繕うことさえできなくなりそうだった。


(土産?そりゃいつも王都に戻る時は渡していたけど、婚約破棄しにきた貴方に私が渡すとでも思ったの?それに結婚式に招待?私が行ってどうなるの?惨めな思いをするだけじゃない!!)

これが、今しがた婚約破棄した相手に言うことだろうか。

私は今までヘンリー様の何を見てきたのだろう。こんなに無神経な人だった?


(もう、いらない)

ソファからスッと立ち上がり、今までで一番綺麗にみえるようお辞儀をした。


「ご厚意に感謝いたします。それより、この空模様だと夜には雨が降るかもしれません。王都に近いとはいえ、ヘンリー様の馬でも半日はかかるでしょう。どうかお急ぎ遊ばせ」

さっさと退出願う。


「そうか?晴れているがな。なんなら泊まっていったほうがいいか?」

チラリと伺うように私の顔を見る。


その態度にイラッとする。

どこまで人を馬鹿にしているのか。

誰が婚約者でもない男を屋敷内に泊めるかと胸の内で呟く。

今しがた自分のしたことを考えろと沸々と怒りがこみ上げてくる。


だが、領主代行として鍛え上げた表情筋は崩れずに済んだ。

「すごくお急ぎなのでしょう?一刻も早い方がいいのでは?」

嫌味を込めて言ったが、通じる様子はない。


ヘンリー様は、上機嫌で頷く。

「それもそうだな。アンナの予報は当たるし、急いだら大丈夫だろう。書類が濡れたら大変だからな」

ヘンリー様は、大事そうに書類を抱えながら足取り軽く出て行った。



◇◇◇


「お嬢様!どうして簡単にサインなんかしてしまわれたのです!?あんな男の子どもなんて、放っておけば良かったじゃないですか!!」


応接室を片付けていると、ヘンリー様を玄関まで見送ってきたクララが叫びながら戻ってきた。

手とエプロンに白い結晶がついている。多分塩でも大量に撒いてきたんだろう。


「そうもいかないわよ。籍を入れずに産まれたなら、その子は婚外子。ホランド家の相続の対象から外れてしまうわ」


この国の法律は、存外身分に厳しい。

籍を入れずにして産まれた子は、貴族として認められない。

まあ、後から養子に迎えればいいだけだが、戸籍には記載されてしまうため、嫌がる貴族も多い。

ホランド伯爵は直系を尊ぶタイプだ。だからこそあんなに孫にこだわっていた。


「ましてその子が男の子だったらどうするの?今ホランド家には、誰も嫡子となるお子様はいないでしょう?ホランド伯爵に恨まれるのはごめんよ」


ホランド伯爵の嫡男ボビー様は、結婚して10年になるが子どもはいない。

次男ヒューゴ様にも子どもはいないと聞いている。

つまり、もし今後もこの二人の家庭に子どもが産まれなければ、ルナ様のお腹の子がホランド家を継ぐだろう。例え女の子でも、婿をとればいい。

ホランド伯爵は、喉から手が出るほど孫を欲していたはずだ。


「でも、でも、お嬢様には非はないのに、こんなのはあんまりです!!!」

クララの怒りは収まらない。


母が亡くなってから、クララは私の母代わりになって世話を焼いてくれた。

侍女というより、最早身内だ。

「ホランド伯爵に、抗議の手紙を書いた方がいいのではないしょうか」

普段口を出すことをよしとしないタイラーまで言ってくる。

「いいのよ、もう終わったことよ。それに結婚前にわかって良かったわ」

これが結婚後のことだと思ったら、ゾッとする。

愛人と夫を取り合うなんて真っ平ごめんだ。だから結果的に良かったかもしれない。


空の様子をもう一度確認しながら、クララに告げる。

「それより今夜は嵐よ。セオドアに言って教会の鐘を鳴らして。皆に避難を促さなくては」

「えっ、本当に嵐ですか?私はてっきりヘンリー様を早く追い出すための方便かと・・・」

「それもあるけどね。でも酷い嵐になるかどうかはわからないけど、雨は確実に降るわ。ここ最近雨も多かったから川も増水気味だし、山の地盤も緩んでいるかもしれないわ」


4年前の嵐を思い出したのか。クララが青ざめた。

「大丈夫。念のためよ。暗くなると避難するのも危ないし。夕方頃から山や川沿いの集落だけでも避難してもらえばいいと思うわ」

クララが安心するように、笑顔で軽く肩を叩く。


そう、4年前の嵐は酷かった。

避難を促すため教会の鐘は鳴らしていたのだが、慣れというのは恐ろしいもので、領民たちはいつも大丈夫だからとたかを括り避難を怠った。

結果、夜中に堤防が決壊した際に、多くの領民の命が川に飲み込まれてしまった。


あの教訓を生かし、今では少しでも危険を感じたら避難するよう指示を出しているのだ。

ただ恐怖の記憶が薄れるてくると、人は動かなくなってしまう。

だから鐘で知らせるだけでなく、直接声をかけるようにしているのだ。


「セオドアには東の集落に声をかけるように言って。私は西から回るわ」

クララたちはまだ何か言いたげだったが、気付かないふりをする。

正直、一人になりたかった。


「悪いけど、タイラーと二人で屋敷の雨戸を閉めといてもらえるかしら」

そう言い捨てて、振り返りもせずに厩舎まで走っていくことにした。


(ヘンリー様なんて、道中濡れて困ればいいのに)

ふと、そんな考えが浮かんで足を止める。

西の空を見上げてもう一度確認すれば、今すぐには降りそうにない。


(婚約破棄されても、嘆きもせずに相手の不幸を願うような私だからこそ捨てられたのよね)

ため息をつきながら、再びゆっくり走り出す。

(でも裏切ったのはヘンリー様なのだから、少々不幸を願っても罰は当たらないんじゃないかしら)

気持ちが揺れ動き、自分の情けなさにどうしていいかわからず、右手で落ちてくる雫をぬぐった。



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