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文化祭の破壊

自由

作者: 月這山中


 その時、パンドラの箱は開かれたのだ。

 コノエが溢れ出る絶望を受け止め、飲まれた。


「逃げよう」

 シュラはコトリの手を取って走る。

 しかし、その手がすり抜けた。

「コトリ? コトリ!」

 コトリはいなくなっていた。

 テレポーテーションを使って瞬間移動したコトリは、屋上に立っていた。


「止めなきゃ、すべてを」




 文芸部の部長、蛙刷美津子あずり みつこはキーボードから手を離す。腕ごと振って指先まで脱力させ、手首をさする。


 部室は狭かった。部員数は、幽霊部員も含めると三十二名とそこそこいるのだが、六名程度で教室は鮨詰め状態だ。

 梅雨のじっとりとした空気が部屋を支配している。クーラーは壊れている。

 物置を兼ねた部室の隅に丸いパイプ椅子を立て、金属ラックの棚を机代わりにノートパソコンを置いて蛙刷はプロットを兼ねた下書きの制作を続けている。

 丸まった背中は戻らない。




 コトリはフェンスを越えて、縁に足をかけた。

「私に飛ぶ勇気がなかったから、こうなったんだ。私が……」

 箱の鍵を渡して散ったアカネの顔を、仲間たちを、コトリは思い浮かべる。


「アカネ」

「コノエ」

「シュラ」


「ありがとう、みんな」


 コトリは飛んだ。

 『無法者』たちで埋め尽くされた、校庭へ。


「さよなら」




 自宅に帰ってからも蛙刷は執筆を続けていた。


「美津子、ご飯よ」

「はーい」


 母の声に蛙刷は返事をした。キーボードから手を離す。腕ごと振って指先まで脱力させ、手首をさする。

 一番筆が乗るシーンにはまだ辿り着いていない。堕ちた少女を我を失ったゾンビがむさぼり食らうところを描写したい。しかもそのゾンビの中には彼女の両親もいるのだ。考えるだけでわくわくする。しかし、ゾンビの腹具合の前に自分の空腹を自覚して、蛙刷は立ち上がった。


 夕食を食べ、お風呂に入って、明日も早いので蛙刷は布団に入った。

 グロテスクなゾンビパニックの夢を見れるようにと祈りながら、目を閉じる。



  ◆


 文化祭の放送ジャック事件は教室でも話題になった。

 中でもあの才女、鈴木小鳥が事件にかかわったとなると、大人しそうな見た目のギャップも相まってさまざまな噂が飛び交った。

 主犯の春原周良に脅されただとか、あるいは二人は付き合ってるだとか、そういうたぐいの話だ。

 蛙刷はそういう根も葉もない噂を広めるのは好きではなかった。

 だけど創作の中では自由だ。創作の中でなら、人を殺してもいいし、箒で空を飛んでもいい。

 創作の中でなら解釈は自由だ。

 蛙刷は鈴木小鳥の物語を書きたくなった。その衝動に筆を任せている。



 本日最後の授業を終えて、蛙刷はそそくさと部室へ向かう。

 早く執筆がしたい。鞄の布地の上からノートパソコンを確かめる。


「あー、もう、来年は絶対渡す! 石川先輩にチョコレート!」

「よし、その意気だ」


 部室の前で二人の女子生徒が話していた。一人は新入部員の嶋咲音しま さきねだ。


「石川先輩とはどなたですか」


 蛙刷は自然に会話へ入った。二人は、ぎょっ、として蛙刷を見上げる。


「きゅ、弓道部の主将です」

「なるほどなるほど。嶋さんは弓道部とうちを兼ねてましたね」

「すみません……」

「おや、なにも悪いことではないですよ。経験を重ねるのは良いことですから」


 蛙刷はにっこりと笑う。二人の女子生徒は震えあがって部室の前を去っていった。

 またやってしまった。でも、自分には創作があるから大丈夫だ。蛙刷は思う。



  ◆


 部室は狭かった。そして、暑かった。

 夏休みにわざわざここへきて、執筆をしているのは蛙刷くらいなものだった。ついでに、文芸部でスプラッタホラーを書いてるのも蛙刷くらいなものだった。

 生徒会の会議があったのでそのついでだ。文化部長として出席はしたが、あまり気分のいいものではなかった。

 会議の空気は苦手だ。肺の中の空気を入れ替えるために、埃っぽいこの部室に引きこもる。

 扉がノックされる。

「どうぞ」

 顧問の槍村先生だった。物腰の穏やかな女性教師だ。

「蛙刷さん、私はもう帰りますので。部室の鍵を返し忘れないように」

「わかりました。わざわざありがとうございます」

 蛙刷は体を先生に向けて、頭を下げる。

「なにか相談したいことがあったら言ってね」

「クーラー、いつ直りますか」

 顎をつたう汗を拭って蛙刷は言う。

「あー……そのうちね」

 槍村先生は帰っていった。


 プロット制作をつづける。

 文章上で少女がグチャグチャのドロドロの肉塊になっていく。十行、二十行と執拗に描写を重ねていく。プロット段階でここまでやるのは蛙刷くらいのものだろうと彼女は自負する。

 汗が目に入った。

「痛っ……」

 前髪に隠れた目を拭う。

 不意に、天井を見た。蝉も鳴かない猛暑の日、太陽光をなにかが反射して、虹色の光がキラキラと、輝いている。

 こういう情景をはさむとグロテスクが引き立つ。蛙刷は少女の走馬灯としてそれを書き込む。

 蛙刷は楽しかった。

 執筆をつづける。



  ◆


 部室は狭かった。そして、寒かった。

 二月の冷えた空気が支配する夕方。クーラーは直ってない。

 嶋が教室に入ってきた。教室が定員オーバーになったので蛙刷は一度外へ出た。

 自動販売機で飲み物を買うことにした。紙コップは部室に置いているので部員全員にいきわたるように、一番安いミネラルウォーターを買う。

 お金を入れる。ボタンを押す。ガタン。取り出し口からペットボトルを拾う。

 お金を入れる。ボタンを押す。ガタン。取り出し口からペットボトルを拾う。

 お金を入れる。ボタンを押す。ガタン。取り出し口からペットボトルを拾う。

 単純作業は脳をハイにさせる。気付けば十本のペットボトルが自動販売機の前に並んでいた。部員の数をかるく超えている。

 しかたないので、カーディガンの裾を使って大量のペットボトルを抱え込んで、蛙刷は部室へ戻っていった。

 扉の前に男子生徒が立っていた。

「何か、御用ですか」

 男子生徒の顔を上から覗き込む。整った顔立ちだ。ゾンビに食べさせたら画面映えしそうだと蛙刷は思う。

 彼が身震いしたので、妄想の世界に入りかけていた蛙刷は我にかえる。

「あ、部長の蛙刷です。驚かせてすみません」

「いえ、その、後輩を探していまして」

 チョコレートの箱を出して、彼は言った。蛙刷は納得した。

「そういう季節ですものね。少し待ってくださいね、思索にふけりたい部員も多いので。ええと、お名前は?」

「石川琢磨です。弓道部の」

「わかりました」

 蛙刷は足で扉を開けて身体を滑り込ませる。ペットボトルを机に転がした。部員たちが、ぎょっ、として部長を見上げる。

 いや、嶋だけは赤い顔をして俯いていた。

 会話は聴こえていたらしい。

「嶋さん、石川先輩がお探しです」

「……ちょっと待ってもらえますか」

 嶋が鞄からコンパクトミラーを出して前髪を整える。

 それを蛙刷はじっと待つ。

「もういいですか」

「あ、はい。すみません」

「大丈夫、かわいいですよ」

 にっこりと微笑んで、蛙刷は後輩を連れて部室を出た。

 恋をする表情とはいいものだ。絶望が映える。また妄想の世界に入りかける。

「お待たせしました。……」

 蛙刷は向き合う二人を見守った。

「石川先輩、あの……」

「聴いてください!」

 石川は朗読を始めた。

 面食らったので内容はあまり覚えてないが、通りすがりの生徒も多い廊下で自作ポエムを朗読するのは度胸のある詩人だと蛙刷は思った。執筆に度胸は大事だ。

「ええと、あの、先輩、その……」

 嶋は戸惑っている。

「良いと思いますよ。見どころあります」

 蛙刷は音のしない拍手をして頷く。

 石川はノートを鞄に仕舞い、方向転換した。

「死にます」

「えっ。あ、死なないでください!」

 窓から飛び出そうとした石川を嶋が抱きとめた。

 蛙刷は愛の力を目の当たりにして、にっこりと微笑んだ。




  ◆


 部室は狭かった。

 三年生になって受験を考えなければならない。けれども蛙刷は小説を書きたかった。

 小説で身を立てるというのは難しいかもしれないが、部員や母からの評価はそこそこいいし、ネットで発表した作品も細々と反応を貰っている。大学もホラージャンルを研究ができるところがいい。蛙刷は何となく考えてはいた。

 扉がノックされる。

「こんにちは」

 聞き覚えのある声だった。放送部の鈴木小鳥だった。

 蛙刷が勝手に主人公のモデルにしている、大人しそうな少女の顔が浮かぶ。

 蛙刷は震えあがった。

「こんにちは、誰かいませんか」

「……あっ、い、はいはいはい。今」

 丸椅子が倒れた。ガタガタとやかましく、扉を開ける。

「ななな何か、御用でしょうか」

 蛙刷は平静を装い切れていないが、なんとか声を出した。

 想像の中で皮をはぎ筋肉組織を裂き血管をゾンビにすすらせていた、肉塊になった少女がそこにはいた。

 どう謝るかを蛙刷は考えていた。

「ええと、部長さんで、いいんですか」

「はい、はい、部長の蛙刷です……それで、何か」

 蛙刷はやっと冷静になれた。あの小説は未発表作だ。彼女に念視、あるいは心を読む能力でもない限り、蛙刷の所業は見つからない。

「話しておこうと思って」

「何を?」

 鈴木小鳥は愛想笑いを貼りつけた顔で言った。けれど、その声色は、どこか晴れやかだった。

「あの日の事」

「あの日、とは……」

 訊ねずともわかる。あの文化祭が破壊されそうになった日だ。

「『真実』は春原くんに先を越されちゃったから、私は『フィクション』を担当しようかなって」

 言葉の意味は分からないが、負い目のある分、蛙刷に拒否権はなかった。



 コトリはフェンスを越えて、縁に足をかけた。

「私に飛ぶ勇気がなかったから、こうなったんだ。私が……」

 仲間たち顔を、コトリは思い浮かべる。

 その時だった。


「待たせたな!」

 屋上の扉を破って出て来たのはケイジだった。

「ようやく完成したんだ! 新兵器がさ! コトリ、いくぜ!」

 機械を背負ったケイジが『高速改造』でフェンスを破って、コトリを持ち上げる。

 そのまま屋上から飛んだ。

「散れ!」

 校庭の隅でコノエが『聖なる刀』を振り回していた。『無法者』が塵になっていく。

「私の正義は、この程度では消え失せない!」

 ケイジが背負っていた機械から圧縮空気が噴射された。その勢いは『無法者』たちを吹き飛ばし地面に激突しかけていた二人の速度を緩める。


 機械から今度は水が発射された。そして電撃。次々と『無法者』たちが塵へ還っていく。

 校庭を埋め尽くしていた『無法者』はいまや半分ほどになっていた。


「コトリ!」

 体育館から『無法者』たちの間を避けながら走ってくる。

 それはシュラだった。


 シュラがコトリの手を掴んだ。

 そして抱き寄せる。

「もう離さない」




 ノートパソコンの画面から顔を離して、副部長の井戸がたずねる。

「展開、変えました?」

 蛙刷は頬を掻く。

「いつもどん底に絶望的じゃないですか、部長のホラーって」

「まあ、たまにはこういうのもいいかなと。なんだか恥ずかしいですけど」

 蛙刷は頬を掻く。掻きむしりすぎて赤くなっている。

「経験を重ねるのはいいことですから。物語で誰かを救う事だって、自由」

「なるほど。悪くないです」

 今回は蛙刷にとって初めての、依頼された作品だった。

 もちろん袖の下も貰ってる。カーディガンの袖から取り出したチョコレートひとつぶを口に入れた。

「そういえば、なんで鈴木小鳥を主人公にしたんですか?」

「うぐっ」

 蛙刷は動揺して喉を詰まらせた。



  了

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