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素直になれない、心のプログラム

昼休み直前、ツバサはモニターから目を離し、ふうっと大きく息を吐いた。普段ならそのままコーヒーでも入れて、静かにランチに入る時間。だが、今日は違う。


ツバサ(心の声)

(送るって決めたんだ。何度シミュレーションしても、結論は同じ。今日、伝えるしかない。もう、引き延ばすのは……終わりにする)


指が震えそうになるのを押さえながら、彼女はスマホを取り出した。メッセージのトーク画面を開き、既に下書きしておいたメッセージを再確認する。


「今日の夜、少し時間ある?ご飯、一緒にどう?」


それだけのメッセージ。けれど、彼女にとっては人生を左右する一手だった。送信ボタンを押すまでに、さらに数秒を要する。心臓の鼓動が耳元で大きく響いた。


ピロン、と通知が鳴ったのは、メッセージを送ってからわずか三十秒後だった。


ミナト『おおっ!いいねー!お腹空いてたとこ!何食べる!?カレー!?寿司!?いや、ハンバーグ!?うっひょー楽しみ!!』


思わず口元がゆるんだ。まったく、相変わらずだな、ミナトは。あまりにも予想通りの脳天気な返信に、緊張が少しだけ和らいだ。


ツバサ(小さく笑って)

「……バカ。ほんとに、変わらないな」


しかし、心の奥底ではまだ不安が渦巻いていた。今日に限って、彼が遅刻したり、何かトラブルに巻き込まれるんじゃないか。彼の”何とかなるっしょ精神”には数々の前科がある。


でも、今日だけは特別だ。


待ち合わせ場所は、駅から少し離れた小さなイタリアンレストラン。レンガ造りの外観と、木製の看板が目印の、こじんまりとした店だ。予約もばっちり。二人用のテーブル席は窓際に位置していて、夜にはちょうどいい暖かい照明が差し込む。



ーーーー

待ち合わせの時間ぴったり。ツバサは店の前で立っていた。


「……遅れるかな、って思ったけど……」


その心配は、すぐに杞憂となる。


「おーい!ツバサー!」


元気な声が聞こえ、振り返ると、そこに息を切らせながら走ってくるミナトの姿があった。スーツ姿にネクタイはちょっと曲がってる。けれど、それでもツバサには眩しく見えた。


「ちゃんと時間通りに来たからな!今日は完璧っしょ?」


「……奇跡、起きたね」


「奇跡って言うなよー!俺もやればできるんだから!」


笑いながら店内に入り、予約名を伝えると、すぐに席に案内された。ワインボトルが並ぶ壁の隣、落ち着いた席に腰を下ろす。メニューを開きながら、ミナトが目を輝かせて言った。


「うわー、すげぇ!めっちゃオシャレじゃん、ここ!ツバサってこういう店知ってんの?すご!」


「……まあ、調べたら出てくるし。レビュー見て、よさそうだったから。」


「へぇー!でもさ、俺こういうとこあんまり来たことないから、ちょっと緊張するわ」


「緊張する要素、どこにあるの……?」


「いや、なんかこう、ナイフとフォークが多いとドキドキしない?」


「……それ、完全にアニメの見すぎ」


ミナトの天然ボケに、ツバサも思わず笑ってしまう。周囲のカップルやグループの落ち着いた雰囲気とは、ちょっと場違いかもしれない。でも、なんだかそれも悪くなかった。


料理が運ばれ、ふたりの時間はゆっくりと流れていった。



ーーーー

食事がひと段落した頃、ふとツバサはミナトの顔を見つめた。ミナトはフォークを置いて、グラスの水を口に運ぶ。その何気ない仕草すら、今夜の彼女には特別に映った。


ツバサ(心の声)

(今しかない。これ以上、先延ばしにしたら、また伝えられなくなる)


だが、口はなかなか開かない。喉が詰まるような感覚。心は叫んでいるのに、論理的に組み立てられた文章が、頭の中でぐちゃぐちゃになっていく。


ミナト

「……ツバサ?」


「えっ?」


「なんかさ、今日のツバサ、ちょっと……いつもと違う?」


「そ、そう?」


「うん。なんかこう……言いたいこと、ある感じ?」


見透かされている。バカみたいに笑ってるようで、こういうときのミナトは、ちゃんと見ている。真剣に。


ツバサは深呼吸をして、瞳を閉じた。


ツバサ(心の声)

(大丈夫。分析はしてある。ミナトは、誠実な人間だ。もし仮に断られても、関係は壊れない。たぶん。……きっと)


目を開け、彼女は言葉を紡いだ。


「ミナト、あのさ……」


「ん?」


「……就職、おめでとう」


「え、今!?ごはん中に!?いや、ありがと!嬉しいけど!」


「それだけじゃなくて……」


ツバサは指先をテーブルに添えて、視線を落とした。ミナトの顔を見ようとすると、言葉が止まりそうになるから。


「……高校のときから、ずっと……一緒にいたよね。サクラとか、カナデとか、ミコトもいて。ずっと、みんなで、ばかみたいに騒いで。でも、私、ずっと思ってた」


「……うん」


「私にとって、ミナトは……特別だった」


ミナトが瞬きをした。時間が止まったように感じる静寂の中で、ツバサは続けた。


「笑ってるだけじゃなくて、バカなことばっかしてても、ちゃんと見てるの知ってた。だから……好き。なの、たぶん。ううん、たぶんじゃなくて……好き、だと思う。いや、好き。……あぁ、もう!やっぱり、こういうの向いてない……!」


耳まで赤くなっているのが、自分でも分かる。論理的に、順序立てて、正しく言いたかったのに、どこか破綻してる。


けれど。


ミナトは、ぽかんとした顔のまま、数秒の沈黙を経て、ふっと笑った。


「……そっか」


「な、何よ、その反応!」


「ごめんごめん、いや、ツバサが、僕のこと好きって……すごく意外だったから」


「え、そうなの?」


「うん。でも今言えるのは、僕は前向きに向き合いたいと思っている……」


「……ばか」


「ごめん。でもさ、今日、ちゃんと来てよかった」


ミナト

「ツバサが言ってくれて、ほんとによかった」


ツバサ

「……なんか、これはこれで恥ずかしいような……」


ミナト

「いやいや、今日は完全にツバサのターンでしょ。カッコよかったよ。めっちゃドキドキしたけど」


照れ笑いを浮かべながら、ミナトは水のグラスを持ち上げて、軽く掲げた。


ミナト

「じゃあさ、改めて──これからも、よろしくね。ツバサ」


ツバサ

「……うん、よろしく。ミナト」


グラスが軽く合わさる音が、静かな店内に小さく響いた。それは二人だけの、小さな約束の音。


外では夜風がそよいでいた。ガラス越しに見える街の灯りが、揺らめくキャンドルみたいに優しく瞬いている。


ツバサ(心の声)

(素直になるって、こんなに怖くて、こんなに嬉しいんだ。心のプログラムにバグがあっても、間違ってもいい。ミナトとなら)


店を出る頃には、二人の距離はほんの少しだけ近づいていた。肩が触れるくらいの、微妙な距離。でもそれが、なんだか心地よかった。


ミナト

「次はさ、どこ行く?またオシャレなとこ探してくれる?」


ツバサ

「……今度は、ミナトの番ね。私、ちょっとわがまま言うから」


ミナト

「まっ、任せて……全力で希望を叶えるから」


ツバサ

「ふふっ……よろしくね、バカ」


そして、二人の夜は続いていく。


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