5話目
どくどくと心臓の音がうるさく鳴っている。
距離が近い。あと少しで唇が触れてしまいそう。
レナード兄さまの赤い瞳には、驚きに目を開く私の姿が映っていた。
「……………………できれば知られたくなかったけど、仕方ない」
兄さまの声がポツリと落ちる。覚悟を決めたような重い声。一体、証明とは何をするつもりなのか。レナード兄さまは、ひどく真剣な顔をして私を見ている。
「なるべく、ソコに触れずに上手くいけばと願ったけど……やっぱり、そう都合よくいかないよね。了解だ。僕も覚悟を決めるよ」
「は?」
「すぐに持ってくるから待ってて」
覚悟ってなに?
ブツブツとよく分からないことを呟いて、レナード兄さまが私からスッと身を離した。
チェストに足を向け、引き出しの中をごそごそと漁り始める。その後ろ姿を見て、詰めていた息がふぅっと口から漏れる。
……もしかして、誕生日のプレゼントを渡すつもりなの?
そういえば15歳と16歳の分を受け取って欲しいと言われていたけど……それって、愛の証明になるような、よっぽど素敵な品物なの?
ネックレスや指輪といった宝飾品とか?
……ふん。そんなもので簡単に騙されるものですか。
贈り物など愛がなくても用意はできる。たとえ高価な品物だとしても、そんなものにホイホイ釣られる私だと思わないでよね!
「ミーシャ、これを見て欲しい」
警戒心マックスで目を向けたら、レナード兄さまが手にしていたのは見覚えのある黒いマフラーだった。
え、これって……
「私が14歳の時に、レナード兄さまにプレゼントしたマフラー……」
しかも既製品ではなく、手編みのマフラー。
私が生まれて初めて編んだマフラーは、こうして改めて見ると編み目もがたがたで、酷い出来栄えである。
黒猫の柄を入れたつもりで編んだけど……本当につもりでしかなかった。完成した時は完璧だと思ったのに。おかしい。
「僕の宝物だよ」
「……捨ててなかったんだ」
「ミーシャが一生懸命編んでくれたものだよ? 一生大事にするに決まってる」
「…………そ、そう。それで?」
一瞬ドキッとしたけれど、それだけだ。
こんなことで、簡単に絆されるものか。
「次は、これ」
コトリとテーブルの上に置かれたのは、黒い木枠のフォトフレーム。私が10歳の時に、17歳のレナード兄さまに贈った誕生日のプレゼント。もちろん中には2人で撮った写真を入れてある。
私の我が儘に付き合って、街の外れにある丘までピクニックに連れて行ってくれた時のものだ。
懐かしい……
「天使のように可愛いよね、6年前のミーシャ」
もちろん今のミーシャも可愛いけどね、と言って愛おしそうに写真を見つめるレナード兄さまに、もぞもぞと落ち着かない気持ちになる。
「……6年前の兄さまだって、可愛いし」
ツンとそっぽを向いたら、レナード兄さまがふふっと柔らかく笑った。
「この頃の僕は、今のきみと一つしか年が変わらなかったから。当時は自分のことをもっと大人だと思い込んでいたけれど、案外そうでもなかったな」
レナード兄さまが大人じゃないなら、私はどうなる。
絶対に部屋に飾って!と強引におねだりをしたことを思い出して、恥ずかしくなった。初恋を自覚した当時の私は、レナード兄さまに悪い虫がつかないようにと願って、牽制の意味を込めてこれを贈ったのだ。
「このマグカップは、11歳のミーシャがくれたものだよね」
「…………」
「この黒猫、ミーシャみたいで可愛いなって思ってた」
黒猫のマグカップを指でなぞり上げ、レナード兄さまがイタズラっぽい笑みを浮かべる。もちろんこれも害虫駆除を狙って渡したもので、私に似た黒猫の柄が入ったマグカップ、それもペアのものをわざと選んだ。
もちろんカップル気分を味わうためという下心も存分に含まれている。
「この枕は、12歳のミーシャがくれたもの」
私が投げつけた枕を宝物のように抱きしめて、彼がうっとりと頬をすり寄せた。こちらも見覚えがありまくりの品である。ちなみにこの時の私が贈ったものは、この枕……ではなく、枕カバーに施した刺繍である。
デザインは私とレナード兄さまを模したもので、黒い猫と茶色いうさぎの柄が縫ってある。
へったくそだから、ち~っとも似てないけどね!
これも牽制できると思ったのよね……。
今なら分かる、爆笑されておしまいだと。
ああっ。過去の自分のあまりの痛ましさに、くらくらと眩暈がしてきそうだわ。
「知ってた? 僕がこの黒猫をミーシャだと思って、毎晩キスして眠りについていたこと」
照れくさそうに告げられて、驚いて顔を上げる。
えっ!? そんなことしてたの……?
「し、知らない……」
知らない。知らない。どくどくと期待に揺れる心臓に、静かにしろと叱咤する。
落ち着け、私。
そんなこと本当にしてるわけないでしょ……
「じゃあこれから知っておいて。僕がきみのことを、とても愛していることを」
「ねっ、寝言は寝てから言ってよね!」
枕を取り上げて、バフンと顔面にぶつけてやった。
けれどレナード兄さまは笑っている。愛おしそうな目で私を見つめながら、穏やかに微笑んでいる。動揺を押し隠して、瞳を逸らした。
「……ふ、ふん! これでおしまい?」
「まさか! こんなの僕の愛の、まだまだ一部に過ぎないよ」
真っ赤に茹で上がった頬をすりすりと撫でられて、みゅうと変な声が出そうになる。
……とりあえず、簡単に裏切るダメ尻尾をぐっと掴んで押さえておかなきゃ。
「これは13歳のミーシャが、僕にくれたハンカチ。ふふっ、いっぱいありがとう。すごく嬉しかったよ」
レナード兄さまがポケットから、私が刺した刺繍入りのハンカチを取り出した。言わずもがな牽制の品である。ざっと20枚以上渡したけれど、デザインはどれも全く同じ。黒猫と茶色のうさぎの絵を縫って、2匹の周りをハートマークで囲ってある。
ああっ、これまた恥ずかしい過去がっ!
確かこの年、兄さまへの誕生日プレゼントを何にしようか迷って……ふっと気付いちゃったのよね。
部屋に入る女を牽制するようなアイテムばかり贈っていたけれど、そもそも部屋に入らせないよう牽制するアイテムの方が有効なのでは?と。
ハンカチは毎日使うものなので、洗い替えも含めてたくさん用意した。
だって! 一日でも抜けた隙をつかれたら、嫌だったから!
当時、こんなに?とおばさんからも目を丸くして驚かれたのを覚えている。
ハンカチを広げて、レナード兄さまが黒猫の刺繍にキスをした。
「このハンカチにはいっぱい元気を貰ったなぁ。仕事で疲れた時も、この刺繍を見ては可愛いミーシャを思い浮かべて、やる気を出していたんだよ」
「まさか、他の人がいる前で広げたの!?」
満足げにコクンと頷かれて、顔から火が噴き出そうになる。
他人に見せつける目的で作っておいて、こんなことを言うのは間違っているんだろうけど……できれば誰の目にも触れて欲しくなかった……
あああああっ!!
この刺繡も、埋まりたくなるほど下手くそだわっ!!
「ごめん、嬉しくてどうしても自慢したくなったんだ」
「やめてぇ! お願いだから、もう誰にも見せないで!」
「それは確約できないな。だってこのハンカチはこれからも毎日使いたいし、刺繍について聞かれたらこう答えたくなるよね。僕の大好きな女の子が、僕のために縫ってくれた大事な宝物だって」
「ばかぁ~っ! 兄さまの、ばかばかばかっ!」
真っ赤な顔でぽかぽかとレナード兄さまの胸を叩くも、全く動じた様子はなくにこにこと笑うばかりである。
「これまでミーシャから貰ったものは、ぜんぶ大事にしているんだよ。ほら、僕の愛を感じない?」
「…………」
むしろ粘着質とも言える己の愛を実感してしまう。
なんなの!? あの牽制オンパレードの誕生日プレゼントはっ!
なんだか頭が痛くなってきた。私、どれだけレナード兄さまのことが好きだったのよ……。
まあ、今でも大好きだけど。それはさておき。
「も、貰ったものを大事にするのなんて、普通のことだし!」
「はは、それはそうだね」
私だって、レナード兄さまに貰ったものは全部大事に取ってある。
当前だ。大好きな人がくれたものなんて、一粒のガムですら素敵な宝物だもの。
あれ? でも、それで言うなら私からのプレゼントを全部大事にしている兄さまも、私のことが好きってことになる?
いやいや。好きにも色んな種類がある。レナード兄さまは私のことが好き。ただし、妹のような存在として。
それに、何か1つでもなくなっていたら、私ならすぐに気付いて騒いでいたと思うし。兄さまも面倒事は避けたいよね。
「で、証明とやらはこれのこと? 私に見せて気が済んだなら、もう帰らせてよね」
「嫌だなぁ。ここからが本番じゃないか」
………………え?
なぜだろう、一瞬背筋がゾクッとした。
気のせいかな?
「ミーシャに貰ったプレゼント、まだ半分しかお披露目してないよ?」
は……はんぶん?
戸惑う私に、ニコッと笑う彼から妙な圧を感じる。
私、他にも何かあげたっけ?
「仕方ないよね。僕の気持ちを、きみはちっとも信じてくれないんだから」
「あの、レナード兄さま?」
「もうこうなったら僕のこと、全部教えるしかないよね。きみにとって、知らない方が幸せなことだったとしても」
「え、その……」
レナード兄さまの様子がおかしい。どことなく不穏な空気に、熱くもないのに嫌な汗が吹き出してきた。
真っ赤な瞳が、獰猛な熱を孕んで私を縫い留めている。
「逃がさないよ、ミーシャ。きみに残された道はもう、僕の愛を信じて、受け入れることだけだから」