1話目
私の名前はミーシャ。真っ黒な耳と尻尾が生えている、猫獣人の女の子。
耳や尻尾だけじゃなく、髪や瞳も父さま譲りの黒い色。おかげで口の悪い奴らには、真っ黒ミーシャと呼ばれてる。
ミルクのように滑らかな白い肌をしてるのに。失礼しちゃう。
獣人には『運命の番』と呼ばれる存在がいる。
運命の番とは獣人にとって唯一無二の存在で、強烈に惹かれ合う相手なのだと聞いている。幼い頃ははっきり認識できないけれど、成人となる16歳の春を迎えたら、一目見ただけですぐに誰が番なのか分かるものらしい。
もちろん皆が皆、16歳で番が現れるとは限らない。相手が年下の場合もあるからだ。番はお互いが16歳にならないとセンサーが働かないので、年が違えばその分待つ必要がある。
まあ大抵の番は年が同じだし、差があっても5歳差以内がほとんどなので、そんなに待たされはしないけど。
中には運命の番が同じ街にいなくて、見つけられない獣人もいる。そういった人達は番を求めて旅をするか、諦めて似たような獣人同士で結婚するかの2択となる。
番ってすごい。お互いが、お互いだけを真っ直ぐに見つめている。皆とても幸せそうな顔をして、軽やかな足取りで街を歩いている。
16歳の春が来て、運命の番と出会い喜びに震える恋人たちは、とても幸せな人たちだと心から思う。毎年、春が訪れるたびに私は羨望の眼差しで見つめていた。
そんな私にも16歳の春が来て、ついに運命の番が現れた。
「好きだよ、ミーシャ。僕の番」
私の番だったのは、私が長年想いを寄せていた人だった。
優しいミルクティー色の髪に、苺のように甘くて赤い瞳をした隣の家のお兄さん。7つ年上の彼は面倒見がいい人で、小さな頃から彼に懐いてまとわりつく私を決して邪険にせず、妹のように可愛がってくれていた。
穏やかな兎の獣人。真っ黒な私と違って、淡い茶色の耳と尻尾を持つ、柔らかな雰囲気の人。
「しばらく見ない間に、びっくりするほど綺麗になったね。長い髪がとても似合っている。きみは肌が白いから、黒い髪が良く映えるな」
真っ赤な薔薇の花束を抱えた彼が、熱を孕んだ瞳でうっとりと私を見つめている。
びっくりするのは私の方だ。こんなにも甘ったるい声で愛を囁く人だなんて、今、初めて知ったわ。
「ああ夢みたいだ。ねぇミーシャ、結婚式はどこで挙げたい? 一生に一度のことだから、盛大にしたいね」
彼のくちびるが嬉しそうに弧を描いている。彼は当然のように私に受け入れてもらえると思い込んでいる。
だって私たちは、運命の番なのだから。
彼が私の手を取った。恭しい仕草で甲に口づける。触れられた部分がやけに熱く感じて、私の身体がぶるりと震えた。
ああ…………………最悪だわ。
「……なにが結婚式よ。勝手なことばかり言わないでよね」
「え?」
「私、レナード兄さまと結婚なんてしないから!」
差し出された花束を勢いよく突き返したら、彼の笑顔がぴしりと固まった。
★ ★
さっきからドンドンとドアを叩く音がうるさい。
番にまさかの拒絶をされ、呆然と立ちつくすレナード兄さまから素早く逃げた私は、現在きっちりと鍵をかけて家の中に閉じこもっている。
「ミーシャ! 頼むからここを開けてくれ!」
「絶対に嫌っ。もう諦めて帰ってよ」
「そんなの……諦められる訳ないだろっ!!」
扉越しに、レナード兄さまの悲痛な叫びが聞こえてくる。
番の強制力って本当にすごいな。これまでなんとも思っていなかった私相手に、こんなにも必死になれるんだから。
ふんと鼻で笑ってしまう。
私は子どもの頃から、レナード兄さまのことが好きだった。
もちろん恋愛的な意味でだ。
10歳の時にはしっかり恋心を自覚していたし、12歳になって両親から番の仕組みを聞いた時には、叶うことのない初恋に大いに泣いたものだった。
『番はね、年が近ければ近い方が選ばれやすいんだ。おそらく、結婚して子を成すのに最適な相手が番となるんだろうね』
確かに父と母はクラスメイトだったというし、3年前に家を出た姉は、同じ生徒会の役員をしていた2つ年下の後輩と結ばれている。
でもそれじゃあ、私とレナード兄さまは……
5歳以上年の離れた番なんて見たことがない。
ましてや7歳差など、絶望的である。
唯一の救いは、当時17歳のレナード兄さまにまだ番がいなかったこと。妹のような立場でいいと割り切ることにして、ずるずると彼の側にいた。
でも、やっぱり満足なんて出来なかった。
あれは私が14歳、彼が21歳の時のこと。
その年の春になっても相変わらずレナード兄さまには番が現れず、ホッとしたのと同時に、私の中にとある疑惑が生じてきた。
レナード兄さまと、今年の春16歳になった少女たちとの年の差は、ちょうど5歳。
現時点で番が見つからないということは、つまり。
――レナード兄さまの番は、この街にいないのでは?
番が見つからない獣人の選択肢は2つ。
番を求めて旅をするか、諦めて番じゃない子と結婚するか。
「レナード兄さま、今年も番が現れなかったね」
「そうだね。そういう運命なのかもしれないね」
どきどきと胸を逸らせて、さり気なく話題を振ってみた。レナード兄さまからは、拍子抜けするほどのんびりした調子で返事が返ってくる。
今年も駄目だったのに、落胆している様子はない。
「兄さま、もう21歳なのに全然焦ってないんだね」
「僕は別に、何がなんでも結婚したいと思ってないからね。番が見つからないなら、それはそれで仕方ないと思ってる」
「そう……」
「心配してくれたんだ? ミーシャは優しいね。ありがとう」
ふふ、と穏やかに笑って、レナード兄さまが私の頭をふわりと撫でた。
優しい手つきに心がホワンと温かくなる。兄さまも、兄さまの手も大好き。嬉しくて、私の黒い尻尾がふるふると喜びに揺れてしまう。
レナード兄さまは、番に興味がないのかな?
それなら……私じゃ駄目かなあ?
私の他にレナード兄さまに親しい女性はいない。職場は男性だらけだし、休日はいつも私がはりついている。彼女がいればすぐに分かるし、そもそも疑わしき人はとっくに追い払い済みである。
「ねえ、兄さま。私ね、兄さまのことが大好き。兄さまも私のこと、好き?」
「もちろん好きだよ。ははっ、今日はどうしたの? 急に甘えたくなった?」
レナード兄さまの好きが、私の好きと違うことくらい分かっている。穏やかで優しくて、いつだって余裕のある彼の私への態度は、明らかに恋慕ではなく庇護する対象に向けるものだったから。
それでも、私が彼にとって一番身近にいる女性なのは確かだし、大切な存在であるという自負もある。レナード兄さまに現在好きな相手がいないことも、私には特別甘いことも承知済みである。
どうせ番はいないのだ。
私が強く求めたら、絆されてくれるかもしれない。
私は賭けに出ることにした。
「じゃあ私と結婚しよ! 私、レナード兄さまのお嫁さんになりたい」
兄さまの腕にぎゅっとしがみつき、一生懸命甘えた声を出してみた。少しでも誘惑できたらいいなと思って、近頃むくむくと膨らんできている胸をむにゅっと押しつけてみる。
かすかに、息を呑む音が聞こえた。
少しはドキッとしてくれたかな。それとも……さすがの兄さまも呆れちゃったかな。
期待と不安で、心臓がバクバクと破裂しそうなほど大きな音を立てている。
顔を上げると、困惑する赤の瞳と目が合った。
それは、私の期待から大いに外れたものだった。
「あと2年もすれば、ミーシャにも運命の番が現れるよ」
どうして、そんなことを言うの。
「運命の番よりも、私はレナード兄さまがいい」
「……その気持ちは今だけのものだ。番が現れたら絶対に後悔する」
レナード兄さまは、手のかかる子どもをなだめる親のような顔をして、私に言い聞かせようとする。
「後悔なんてしないよっ!」
「…………ミーシャ、」
「運命の番に出会わなければいいのよ。2人で獣人のいない街に行ってさ、一緒に暮らそ?」
レナード兄さまが、ぐっと口元を引き結んだ。
お願い。お願い。私のわがまま、聞いてよ。私のこと嫌いじゃないでしょう?
いつも仕方ないなぁって、笑って応えてくれるじゃない。
そんなに…………困った顔をしないでよ。
「…………はぁ……」
レナード兄さまが深い溜め息をついた。
気まずそうに視線を逸らされて、絡めていた腕をやんわりほどかれる。
「ごめんね、ミーシャ。僕は7つも年下の子どもに興味はないんだ」
それから3日後、レナード兄さまは番を探す旅に出た。
「え!? ミーシャちゃん、レナードから何も聞いてなかったの?」
全然、なんにも、聞いてない。
「あの子ももう21歳でしょ。このまま街にいても番に会えないって、焦ったみたい」
それは違うよおばさん。レナード兄さまは番にこだわっていなかった。
嫌でも分かってしまう。
レナード兄さまは、私から逃げたくてこの街を出たのだ。
7つも年下の、わがままで手のかかる子どもの相手なんて、お断りだから。
レナード兄さまは昔から私に甘かった。
毎年、誕生日には素敵なプレゼントを贈ってくれたし、余程のことじゃない限り私の願いは叶えようとしてくれた。
新しく出来た喫茶店に行ってみたいと頼んだら、にこにこ笑って連れて行ってくれたし、四葉のクローバーが欲しいと言ったら、日が暮れるまで一緒に探してくれた。
一つしかないケーキの苺も譲ってくれたのに。結局、一番肝心なお願いは聞いてくれなかった。
それなのに――――――――
ドンドンと叩かれる扉を、恨みがましい目で見てしまう。
まさかこんなことになるとは、兄さまも想定してなかったんでしょうね。
2年経ってレナード兄さまはこの街に帰って来た。
おそらく私が16歳になったから。
私にもそろそろ番が現れている頃だろうと、安心して戻ってきたんだろうなぁ。
「ミーシャ! どうして結婚しないなんて言うんだ。僕たちは運命の番じゃないか!」
――――あんなに嫌がっていたくせに、番だったらそれでいいわけ?
靴箱の上に飾ってあるウサギのぬいぐるみを、扉に向かって投げつけた。
兄さまによく似た茶色のウサギは、悲しそうにぺちゃりと地面に落ちた。