フォニィ 4話
腕がすっと動いた。
扉をすり抜けて新聞紙の裏側に回ったのが分かる。
……ガチャ。
鍵が開いた音がした。心臓がばくばくして飛び出しそうだ。足もがくがくと震えていたし、手なんてクミ爺よりも震えていた。
素早く、しかしぎこちない動きで建物に入る。
そして中に入ってすぐに後悔した。
新聞紙で封をされている店内だ。勿論中は真っ暗で何も見えない。もちろんこんな放置されていた建物に電気が遠ているはずもなかった。
誰にも見えない場所であの腕と二人きりになっちゃった…
あの幽霊の腕は? 腕は何処?
あの腕は!? 急いで5感を研ぎ澄ませ位置を知ろうとするとフォニィの脇腹にすっと手が添えられた。うわぁ!と悲鳴をあげそうになる。腕が脇腹をまさぐる様に触ってくる! 気持ち悪い!
硬直している間も撫でられて、最後に安心させるようにぽんぽんと叩かれた。
なんだよ! この手!
泣きそうになるも何とか堪えた。
++++++
じっとしていると少しずつ目が慣れてきた。
一階は殆ど何も無い。奥に見えた階段から2階へと上がる。2階に上がると僅かに窓から日が差し込んでいた。
部屋の中には化け物がいた…
体育座りしている。
ヒッ! と思わず悲鳴を上げそうになったが化け物は動かない。生きていないようだった。白い布を身体に巻いていて人間のようで人間じゃない。
顔は人間にマントヒヒを足したような感じで。肌は木製の家具の様に茶色く堅そうだった。本当に肌なのだろうか。木彫りの仮面のようにも見える質感。髪は灰色であっちこっちに放り出されたようにボサボサでモップのようだった。
それが顔を横にして膝の上に頬を乗せて此方を向いている。目が一点を見つめていて動かない。
ビー玉のような目だった。
これは生き物じゃない、と何となく思った。1階と同じように他に何もない。家具すらない空っぽの部屋。恐る恐る近づくとソレが少し動いた。手を脚から離してこちらを掴もうとするように。
恐ろしく緩慢で弱弱しい。
10センチも動いて途中で止まってソレは今度こそ動かなくなった。化け物の亡骸が横に倒れそうに体勢を崩したが、直ぐに止まった。
フォニィは無意識のうちに「見えない手」で掴み体勢を直す。念のため。僅かに見えない手から感触が伝わって来る。
この化け物。体も棒のように硬いぞ、と思った。それに見えない手が触れたものの感触が自分にも伝わって来ることに今更ながらに気づく。
外から自動車の音。近くで止まった。
こんなところに車? 普段は車の通りは恐ろしく少ない通りだ。特にこの通り。この建物の辺りに停めるか普通?
窓辺に近寄り新聞紙が剥がれている箇所から通りを覗き見る。
車から誰かが降りるとすぐさま車が発進していった。スマートな男が辺りをキョロキョロと見回している。
あの男……
何処かで見たことある。何処だっけ?
青いスーツのパンツに白いワイシャツ。ここ暗黒街ではキチンとアイロンをかけてビシッと着こなしているような人は少ない。どこかで見たはずだ。
宝石商の所で働いている男じゃないかな。たぶんあそこの店長? フォニィは思った。宝石屋の近くの交差点で何度か見たことある。
凄くスマートで真面目そうなおじさん。年齢は良く分からない30くらい? 交差点のレストランの人達とも仲が良さそうだったのを覚えてる。
通りを見ているとその紳士と同じようにスタイルのいい男がバイクから降りてやって来て何やら話し出した。二人は何かの紙を渡し合っていた。
アイツも見た事がある。確か……
宝石屋の男と…
そうだ、あのスマートなもう一人はレストランの男だ。オーナーじゃない。あそこのオーナーは結構な大男だったのを覚えてる。アイツあの交差点のウェイターだ。浅黒い肌に義眼の男。片目が黄色い義眼の変な奴。
何でわざわざここで隠れてあってる?
少しだけ話してレストランの男は直ぐにバイクで去っていった。
何を話してたんだろうと思った時。
ガタン!
音がした。化け物の亡骸がいきなり倒れた。見えない手で固定したつもりだったがちゃんと直せてなかった!
通りにまだいた宝石屋の男がキッと周囲を睨む様に確認して、直ぐにこの建物からだ! と理解したように建物入口に向かってくる。ポケットから何か取り出そうとしていた所まで見てパニックになった。
この部屋の中で隠れる場所なんてない。
トイレくらい? 後は、後は…
それにしまった! ここに入った時にカギを閉めなおしてない! あの男が入って来てしまう!
下の階からガチャガチャと音がしてから。鍵を差し込んだ音? ……嘘。アイツ、ここの鍵を何故か持ってる!
その後一瞬の間があり、扉がゆっくりと開けられた音がした。
(どうしよう、どうしよう。やばい…)
何がヤバいのかフォニィには分からなかったが、物音がしただけであの男が建物にまで侵入しに来たことが今フォニィが置かれている状況が危険である可能性を暗に告げていた。
トイレに隠れようか、耳を立てながら考える。
階下からは
べりべりっと何かを破る音。新聞紙だ! そっか、暗いし電気が通ってないから。1階に光を差し込ませたんだ。
何者かが潜んでいるかもしれないから… 暗黒街の治安は悪い、強盗や人攫いだっている。警戒するに越したことは無いが。
アイツはカギを持ってた。鍵を回すときの感触で鍵が開いてたことに気づいていると思う。神経質そうな男だし、気づいてそうだ。アイツが閉め忘れたとしても原因が何であれ、何かが忍び込んだと仮定して動いているかも。
だとしても…
いや、だとしたら。ここに一人で入って来るのは度胸がいることなのでは?そう思ったが、それだけでなく何か絶対にバレてはならない秘密の現場だったのかもしれない。
下にいる男は1階に何も無いことを理解したのか、警戒しながらもゆっくりと階段の方へ向けて歩いているようだった。カツンカツン、と革靴の足音がする。
階段を男が昇って来る。
見た目の良い恰好だけでなく体型もスマートな男。
上背は180数センチ、手足がスラリと長い。携帯のトーチライトを使いサッと部屋の中を一瞥するとあの化け物の亡骸が横に倒れているのを発見した。綺麗な足取りで近づいていくと2階の新聞紙を破り光を入れた。
その後はポケットからハンカチを取り出して亡骸の顔など地面からついた汚れなどをふき取り元の体育座りの姿勢に戻した。
その後トイレの方へと近づきバッ、とドアを開けてサッと中を一瞥。ドアを閉めて建物から出て行く。
フォニィは生きた心地がしなかった。
男が下に降りた音を聞いて直ぐに静かに窓の鍵を内側から【見えない手】で開け外から部屋の中に滑るように入った。
外からあの男に見られないように貼り付いてカギを閉めておいたのだ。だが奴が外に出て振り返れば窓近くの外壁に貼り付いている姿を見られてしまう。
ガシャンと音がした。下の扉が閉まる音だ。
瞬間
タタタタ、いきなり階段の方へ駆ける足音。
あの男だ! アイツまだこの中に居て何故か戻って来る!何か音を立てちゃった? 分からない! フォニィには何も考えられなかったし考えるような時間はとても無かった。勿論今から音を立てずに窓から再び出るような時間もだ。
ー誰だ!
逃げ出そうと窓を再度開けようとしている所。
男と対面してしまう。西日が強く差し込み男に浴びせられる。男は眩しそうに顔をしかめて手を前にしながらフォニィに声をかけた。
「……」
顔を見られている? それとも見られていない?
この時それだけがフォニィの頭の中にあった。