フォニィ 3話
ある日クミ爺の住む路地に向かうとテントが消えていた。
病死だと街の警官達は説明したが、フォニィには信じられなかった。そんな兆候は無かったし、もしそうだったらこんなに早くフォニィよりも気づいて片付けるだろうか?
この腐敗しきった街の汚職警官たちが? 有り得ないと思った。
本当に病死なんですか? だって現場が… と言った若い警官にここらでは知らないものは居ない最低の汚職警官の一人が『黙れ』と口止めしている所も見た。怪しすぎた。
最近暗黒街のこの辺りでは強盗殺人や連続失踪事件が増加しているのは知っている。ホームレス、市民ともに狙われることはあるが、最近は市民の被害が相次いでいた。
クミ爺は悪い人では無かった。
少なくとも自分を保護しようとした人達よりはずっといい人だった。
盗みは昔良くやったが今は引退しているとか、流石に学んだとか。そんな事は言っていた気がする、でもそんな昔の罪以外で爺が何かしたなんて自分は知らなかったし。ここ暗黒街では大したことじゃない。
恨みを買うタイプでもなさそうだ。
ホームレスを狙った快楽殺人かもしれないと思った。でも警察はなんでこんなに早く動いた? その殺人犯が偉い人? もしくはその家族とか? フォニィにはわからない。
フォニィの人生に夢や希望は無い。
特段。さしてやりたいことも、やるべきことも無い。
クミ爺だけがたった一人の友達で先生だった。
それ以外の人間などフォニィは良く知らない。関わろうとも思わなかった。でも爺が居ないならもうここで物乞いをする理由も無い。何処に行っても別にいいのだ。生活できるかは知らないが。
ただこれからは本当の意味でこの街で独りになる。孤独など怖くないと思っていたが。少し不安になった。
心の中にアクセスする。真っ暗な場所。
スポットライトも無いのに2人の自分の姿ははっきりと浮かび上がる。
15歳の自分。 少年は学生服を着ている。暗闇の中無表情で静観していた。何も思わないらしい。爺の死にも。フォニィの未来にも興味が無いのかもしれない。ただ『ナイフを取れ』そうつぶやいた気がした。
30代の自分。スーツを着ている男。
オールバックで眼鏡に髭。タバコを吸っている。冷たい眼。この世の全てを下に見ているかのような表情。何故か少し面白そうにしている。
一瞬こちらを見て、目があった気がした。
初めてこの存在と目が合った! 今までこんなことは起こったことが無かった。あんなにハッキリと目が合うなんて! 男は笑顔になり闇に消えた。
子供のような純粋そうな快い笑顔が印象に残った。悪い奴の様にも見えたけどそうでもないのかも。いや、分からない。ただ最後に消える前に『犯人を捜せ』 そう言われた気がした。
そしてフォニィの人生に夢や希望は無い。
特段さしてやりたいことも、生き残る以外にやるべきことも。
だから、取り敢えず犯人を捜してみようかな。と思った。フォニィには殺人犯など、どう探せばいいかは分からないけれど。
視界の端の透明な腕を見ると腕は此方に手を振り始めた。ギョっとして顔が引きつる。恐怖に飲み込まれそうになった。ぶんぶんと動く腕は異常そのもので気持ちが悪かった。
でもそれを見続けた。唇を噛んでフォニィはそれを動かそうとすると、腕がフォニィに協力するように思い通りに動いた。
「この腕が僕の武器だ。ほ、ほんとに。と、鳥肌が止まらないほどに怖いけど…」
腕立て伏せとデッドリフトを一緒にやる事から始めたら仲良くできるかな…?
懸垂とシャドウボクシングも良いかもしれなかった。
-----PHONY
【鍛錬狂い】
力: 見えない手
***
帝都・暗黒街ノーホープ ポーカー通り
路地裏で日課のシャドウボクシングで汗を流す。身体にへばりついた水滴が拳を振るうたびに飛ぶ。見よう見まねだが、何年かやっていると大分さまになった。
公園に行ってタオルに水を馴染ませて体を拭いていると霧が出てきたので安全な場所へ行った。
有害で危険極まりない霧は街の外ではあまり出ないらしい。兎に角霧は避けなきゃいけないことも爺が教えてくれたことだった。
朝力仕事を手伝うとゆで卵とブロッコリーをくれる店があるのでそこで20分だけ荷物運びをする。
基本的にはそれ以上の時間は手伝わない。
いくらでも只で使える労働力だと見なされれば人は際限なく使おうとする。余りにも20分以内で出来るだけ頼もうとしてきたら文句を言ってしばらくは手伝わない。
手伝っていいのは卵2個とブロッコリー3つ分の仕事だけだ。それに違う店と交渉したら一気に待遇が良くなった。こういうことは手伝いで稼ごうとして学んだことだった。
ゆで卵をブロッコリーと食べて水で流し込みながら考える。犯人を捜してどうなるのか。どうやって探すのか。フォニィには分からなかったけど。兎に角現場を調査することにした。
爺のテントも持ち物も何もかもが無い。まるで最初からクミ爺などこの路地にはいなかったかのようだった。
クミ爺が居なくなった時、自分は死体すら見てなかった。気付いた時には全て無くなっていたけど。テントは誰が持ち去ったのだろう。犯人? それとも警察?
警官に直接聞くのは気が引けた。
路上生活者の扱いはひどい。
何となくポーカー通りの路地を隈なく探す。
何か残っていないかな…
排水管が壁から出ていて、パイプに細かい傷が付いていた。所々ベージュの塗装が剥げている。まるでナイフで切り付けたようだ。
それとも何か別のモノ?
なんだこれ?
初めて気づいたし、別にずっと前からあったかも知れなかった。でも気になった。このパイプと繋がっているのは裏の飲食店跡地だ。
表の方まで回り込む。
昔飲食店が入っていた建物。2階建てで今は空きテナント。
フォニィがここにやって来て店は直ぐにつぶれた。店が出て行ってからもう随分長いこと誰もここを借りていない。
ガラス戸や窓には内側から新聞紙が貼られている。
ドアを押すと鍵が閉まっていた。
少し深呼吸をしてから辺りを見渡す。
もう日が暮れる頃。茜色の空が建物の間から見える。通りを照らす光は少ない。夕焼けの赤い光で空だけが明るく建物は全て影のように黒い。
元々人通りは多いところでは無い、今も通りには誰もいない。住処からすぐ少し裏に行くだけで人気が無くなる。果たしてここを歩いていて寂しくならない人間はいるのだろうか。
視界の端っこにある腕を横目で見て動かしてみる。【手】と鍛錬し始めて直ぐに気が付いた。この手は動いてくれる。
念じれば…
店の前ガラス戸に貼られた新聞紙の奥に手を送り出すように念じると、見えない手はスウッと滑らかに動き扉をすり抜けて裏側に回った。
手探りでドアノブを見つけ鍵をひねる。
……ガチャ。
テナントの鍵が開いた音がした。