後編
私には4つ違いの姉がいる。
垂れ目でタヌキ顔の私と違い、姉は容姿端麗、特に涼しげな目元が凄く綺麗で、加えて性格も温厚。
誰もが憧れる人間だった。
「おかしいな?」
姉さんと一緒に明日の料理の材料を買いに行く約束だったのに帰って来ない。
姉は今日の朝、亮二さんとデートに行ったが、夕方には戻るって言ったのに。
「あれ?」
姉の携帯に電話をするが、繋がらない。
電源が入ってないのかな?
「落ち着け…」
激しい胸騒ぎが襲う。
まさかとは思うが、またあの時みたいに、自己嫌悪から家出したりしてないか?
あの時は家の中が暗くなって大変だった。
「もしもし亮兄?」
『あれ美愛ちゃん、どうしたの?』
嫌な予感を振り払い私は姉の恋人、五十嵐亮二さんに電話をする。
亮二さんと姉さんは10年も付き合っている。
私が小学生だった頃からの付き合いで、今も妹の様に可愛がってくれている。
「姉さんは?」
『今日は昼ご飯食べてから別れたよ』
「そうなの?」
昼ご飯って事は昼過ぎで姉さんのデートは終わってるじゃない。
時計は5時を回ってるのに。
『まだ病院に居るのかな?』
「病院?」
『ああ、おばさんと会ってくるって』
「…なんで?」
どうして姉さんが母の病院に?
行くときは必ず私も同行するようにしていたのに。
『ちょっと事情があってね、まあ詳しくは言えないけど』
「…そうですか」
亮兄の言う事情にも気になるが、深刻な話じゃないみたいだ。
「分かりました、ありがとう」
『ああ、紗央莉に言っといてくれ、焦らないでいいからって』
「うん、伝えとく」
早々に通話を切る。
どうやら亮兄から姉さんに重要な何かを言ったのは間違いない。
おそらくはプロポーズだ。
それで姉さんの頭はフラッシュバックを起こしたんだ。
病院に居るなら携帯が繋がらないのも納得だ。
あそこは面会の人間も含め、携帯の持ち込みが禁止されている。
「こうしちゃいられない」
急いで外出の支度をしなくては。
動きにくいスカートを脱ぎ捨て、短パンに。
化粧も落として準備完了。
明日の昼にお父さんは出張から戻って来る。
それまでに片付けなくてはならない。
それでなくても、姉さんは自分の事で負い目を感じているのだ。
波風を立ててはいけない。
「そりゃ!」
飲み物等を入れたリュックを背負い、趣味の愛車に跨る。
病院へ行くには電車を乗り継がなくてはいけない。
電車は迂回するルートで効率が悪い。
自転車なら最短ルートで行ける。
8年間陸上で鍛え上げた私の足ならば、一時間を切れる筈だ。
一気に病院へと向かう私の脳裏に浮かぶのは悪夢の記憶。
思い出すだけで胸が苦しくなる。
母が壊れたのは自業自得の結果。
どうして裏切られた人間とまた浮気をする気になったのか?
その理由はお父さんが私だけに教えてくれた。
なんてことはない、母の托卵をお父さんは知っていたのだ。
そして最初の離婚に母は納得してなかった事も。
前の夫は他の人妻に手を出したのがバレ、慰謝料を請求されたそうだ。
その事が母の両親に知られ、離婚となったのだが、クソ男は愚かにも母に、
『本当は離婚したくない、愛してるのはお前だけなんだ』
そんな言葉をのたまった。
バカな母はそれで、クソ男に慰謝料を請求しなかったのだから、呆れた話。
母からの慰謝料請求回避が目的だったのは誰でも分かるのに。
母の両親はバツがついた娘を見合いさせた。
相手に選ばれたのが、当時35歳の男性、後のお父さん。
断わりゃ良いのに、お父さんは母を気に入り結婚を決めた。
母が前の旦那に未練があるのは見合いの段階で分かっていたらしい。
『まあ、好みのタイプだったし、結婚も一度はしてみたいと思ってたんだ』
後から聞いたお父さんの言葉、一体何を考えていたんだか。
仕事で長期の出張が多いお父さん。
恋人が出来ても、なかなか長続きするのは難しく、結婚は半ば諦めていた。
そんな妻を持つ夫婦が上手く行くはずもなく、お父さんが出張で家に居ないのを良いことに母は前の亭主を探し出し、浮気をした。
なんてふざけた女だ。
「ああもう!!」
どう考えても擁護出来ない。
隠れて1年も不倫をしていたんだ。
更に姉まで托卵していたんだぞ?
「…ふう」
一息入れよう。
リュックからスポーツドリンクを取り出し、一気に飲む。
タオルで汗を拭い、また自転車に跨った。
不倫が終わったのは母の妊娠を知り、クソ男が堕胎を迫った挙げ句、行方を眩ませたからだ。
妊娠時期を考えたらお父さんの子供の筈がない。
母は意を決し、お父さんに打ち明けた。
『それでどうするんだ?』
『…離婚して下さい』
『なんで?』
『…なんでって』
『せっかく授かった命なのに』
『だって、この子は…』
『命は粗末にしてはダメた、産みなさい。
離婚なんかいつでも出来る』
このやり取りもおかしい。
どうするもこうするも、無いだろう。
離婚を宣告するのはお父さんの側なのに。
『母さん混乱してたな〜』
『当たり前だ!!』
その話を聞いた時はさすがに怒った。
それから一年くらい母は怯えていたらしいが当然だろう。
まあ、お父さんの出自に理由があった訳だが。
「よっと」
ようやく病院に到着した。
自転車を入口に止め、氏名を名乗る。
予約無しでは病室に入れないが、姉を呼び出す事は出来るだろう。
施設内にある待合室に案内され、パイプ椅子に腰を下ろす。
すっかり汗だくだ、こんな事なら下着以外に短パンの替えも要ったな。
「どうぞ」
扉がノックされ、姉が部屋に入って来た。
「み…美愛」
「遅いよ、こっちから迎えに来ちゃったじゃんか」
短パンの中にタオルを押し込みながら姉に手を上げる。
私が深刻な空気を嫌うのはお父さん譲りか。
病院近くにあるビジネスホテルに場所を移す。
今日は二人一泊して、明日の朝帰ろう。
シャワーから出ると、姉さんは持参していた鞄からブラシを取り出し、私の髪を梳き出した。
「もう…可愛いのが台無しじゃない」
「そりゃどうも」
昔から姉はずっと私を可愛いと言っくれる。
どう見ても姉さんの方が可愛くて綺麗なのに。
それは母の影響。
ずっと母は私を持ち上げ、姉には一線を引いていたように思う。
ぎこちないながらも夫婦生活を再開したが、お父さんの母に対する態度に変化は無かった。
対する母は姉がお父さんに嫌われないよう、必死だった。
『そんな態度は不自然だよ、紗央莉は僕の娘なんだから』
『でも』
『子供は傷つきやすいんだから、一緒に頑張ろう』
そう言ったらしい。
お父さんの両親はネグレクトだった。
だからお父さんは愛情に飢えていたが、それをどう相手に伝えたら良いか分からなかった。
まあ、今も少しズレてるけど。
それから母は変わった。
お父さんを理解し、本当の家族になろうと誓った。
私の想像だが、きっとそうだ。
私を作った位だし。
「ほら出来上がり」
「…あのね」
部屋に置かれていた鏡に映った自分の顔に絶句。
なんで三つ編みなの?
昔はよくしてくれたが、タヌキに三つ編みは似合わないよ。
「母さんは?」
「相変わらずよ、ちょっと痩せたみたい」
「また?」
半年前、既に母は骨皮状態だった。
あれより痩せたら不味いよ。
「…もう長くない、かな」
「…姉ちゃん」
そんなに深刻なのか。
なら明日は顔を出して…
「美愛は止めた方がいい」
「…だね」
私の顔を見たら発狂してしまう。
お父さんに似てるからか?
どんなトラウマだ。
「今日ね、亮二さんにプロポーズされたの」
「良かったじゃん!」
姉さん、いきなりの告白だな、まあ亮兄の電話からそうだと思ったけど。
「母さん、何の反応も無かったわ」
「…そっか」
意思の疎通も更に困難になって来たんだ。
「美愛…私がお姉ちゃんで良かった?」
「は?」
またいきなり何を言うの?
「だって私は裏切りの象徴だし」
「あのね」
思わず立ち上がり、両手で姉の両頬を掴む。
私の身長は182センチ、姉さんより15センチ高くて、力も強いんだからね。
「馬鹿を言わないで、姉ちゃんは私にとって、自慢の姉なんだから」
「でも…私はお父さんから見たら」
「お父さんが一回でも姉ちゃんと私を差別した事ある?
あの件から態度が変わったりした?」
「…ううん」
お父さんが托卵を最初から知っていたのは姉には内緒だ。
知ったら反抗期だった頃のお父さんに取った態度やら、反発した記憶で姉はますます自己嫌悪に陥るだろう。
「お母さんがああなったのは仕方ないよ、それはクソ男と過ちを犯したからで姉さんのせいじゃない」
「でも…それは」
ダメか、やはり罪の意識は消えないんだ。
「罪はあの二人が償えば良いの、もっとも既に償ったかもしれないけど」
クソ男は母を脅迫したのは金が目的だった。
母は必死で家族に隠していたが、業を煮やしたクソ男は家に押しかけ、お父さんに暴露をした。
離婚をさせて、財産分与を狙ったらしい。
『イヤアァ!!』
クソ男の暴露に母は叫び、姉は泣き叫んだ。
『で?』
対するお父さんは平然としたままだった。
私は唖然として、声も出なかったっけ。
『分からねえか?
コイツは俺の子をだな』
『紗央莉は私の子供ですよ』
『はあ?』
『貴方には分からないですか?
やはり人間ではないですね』
『なんだと!』
クソ男は激昂し、お父さんに掴み掛かった。
だけど、身長195センチ、柔道選手だったお父さんに敵うはずも無く、あっさり撃退された。
『次来たら………』
あの時、お父さんはクソ男の耳元で何を言ったのだろう?
奴は真っ青な顔で逃げ出し、二度と姿を表さなかった。
母の両親はこの顛末を姉から知り、クソ男に制裁を食らわせた。
なんでも怪しいところから借金をしていたらしく、闇に葬られたらしいが、まあ良い。
だが母はそれから段々と壊れて行った。
元々精神が弱かったのだろう。
私自身、母が憎いというより、哀れという感情が上回ってしまう。
「怖いの」
「怖い?」
姉さんは何が怖いんだ?
「いつか亮二さんを裏切ってしまうんじゃないかって」
「なんで?」
「だって私には母の血が…」
なんと?
姉はそんな馬鹿な事を。
「なら私もじゃない、母は同じなんだから」
「…美愛は違うよ」
「どうして?」
「だって美愛はお父さんの娘だから」
「あのね…」
どう伝えたら良いんだろう。
良くも悪くも私はお父さんの娘、深刻なのは苦手…いや嫌いだ。
「美愛はいいなあ、お父さんにそっくりで」
「はい?」
それって父子共にタヌキ顔って意味ですかい?
一応私の顔が好きって言ってくれる人は居るんだよ、後輩の女子だけど。
「ごめん」
私の膨れっ面を見た姉さんが涙を滲ませ、少し笑った。
こんな時も絵になるから美人は得だ。
「私もお父さんに似たかったな」
なんだそんな事か。
「似てるじゃない」
「どこが?」
「お人好しなところでしょ、散財しないとこ、甘いお菓子が苦手なとこ、後は…」
指折り数えてみると結構あるな。
私は無駄遣いが多い。
甘いお菓子好きなんだよ、つい食べ歩いてしまう。
「…本…当だ」
「でしょ?」
「う…ん、良かった。
これ…なら亮二と結婚出…来る」
そう言って姉さんは泣き笑いを始めた。
そんな姉を見てると、なんだか私までおかしくなって…
「…姉ちゃん、おめでとう」
「美愛…ありがとう」
思わず抱きしめるのだった。
おしまい!