前日譚
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れ様です。
199X年4月第1日曜日。
警視庁武道館。
今日、ここでは第4機動隊と一般警察官による、柔道の強化練習が行われていた。
練習といっても、ただの練習では無い。
数グループに分かれての、勝ち抜き戦の試合形式で行われているのだ。
そのうちの1グループでは・・・
ダンッ!!
「1本!!」
主審の右手が、高々と上がる。
「・・・試合開始、5秒・・・」
「・・・しかも、背負い投げ・・・どう見ても、女子最軽量の48キロ以下級よりも、軽いようにしか見えないのに、70キロは確実に超えている相手を、連続秒殺で5人抜きだぞ・・・嘘だろ?しかも、今の相手は、100キロ超級・・・何者なんだ、あの小学生・・・」
「・・・しかも・・・白帯・・・あり得ない・・・」
試合場脇で、見ている柔道着姿の警察官たちが、唖然としてヒソヒソと囁いている。
彼らの視線の先では、道着が一切乱れていない小柄な少女が、対戦相手と一礼をしていた。
「まあ当然だね。明美ちゃんは、甲冑をフル装備した武将を、ぶん投げて無力化する事も出来る、古流武術の達人でもあるんだ。いくら100キロ超級とはいえ、体重差なんて全然アドバンテージにもならないよ。もっとも、教えた先生が、超優秀だったというのもあるしね」
エッヘンという感じで、胸を反らしているのは、皇宮警察本部皇宮警視である本庄伶である。
「そのセリフを、第4機動隊武道小隊の柔道班の隊員たちの前でも、言えるのか?」
ジト~とした目で、鼻高々になっている双子の弟を睨みながら、警視庁警視である本庄慈は、つぶやいた。
「やだなぁ~・・・兄さん。ジョークだよ、ジョーク。さすがに、柔道班相手は明美ちゃんでも荷が重いだろうし・・・俺も、相手にしたくないよ」
手をヒラヒラと振って、伶は前言を撤回する。
「でもさ、仮にだけれど・・・竹刀を持った明美ちゃんだったら・・・?」
「異種格闘技じゃないぞ・・・剣道を、何だと思っている?が・・・本庄流奥義を使えば、いかに武道小隊といえども・・・全員、床で倒れているだろうな・・・」
誰にも話していないが、桐生の剣技の凄まじさを本庄は知っている。
昨年、桐生を拉致しようとした、旧ソ連の特殊部隊を、桐生は、たった1人で殲滅した。
もちろん、こんな話は実際に、それを目の当たりにしない限り事実であっても、誰も信じないだろうが・・・
「師範でさえ、体得出来ていない奥義を、ぶっ放せる師範代ってどうなの?」
「仕方ないだろう。本来、本庄流剣術の祖となったのは、明美の独自の剣術なんだ。俺は、まだ修練を積んでいる最中なんだ。体得するには、何年かかるやら・・・」
揶揄うような口調の伶に、憮然とした表情で本庄は答える。
「ナァ~ウ?」
本庄の膝の上に座って、大人しく試合を観戦していた幼児が、「なぁに?」という感じで、本庄を見上げる。
「あぁ、隼也。お前のお母さんは、強いな」
「マァマ、マァマ」
拍手をするように、小さな手をパチパチと叩くように合わせている。
本庄が、膝に乗せて抱っこしているのは、先ほど、現役の機動隊員たちを驚かせていた少女・・・桐生明美の息子で、1歳になる桐生隼也である。
「隼ちゃん、こっちにおいで~・・・お兄さんが、タカいタカいしてあげるよ~」
伶は、本庄の膝から隼也を抱き上げると、腕を伸ばして隼也の身体を持ち上げる。
「キャァウゥゥゥ!」
隼也は、嬉しそうに両手を伸ばしている。
「お兄さん?」
どう考えても、おじさんだろうと本庄は、眉を寄せる。
「オォジ!オォジ!」
「お兄さん!」
幼児の鋭い指摘に、伶は真顔で応じている。
「プッ!」
思わず本庄は、吹き出した。
「お兄様!お兄ちゃま!」
柔道着の上から、ジャージを羽織った桐生が、2人の側に駆け寄って来た。
「お疲れ」
「お疲れー明美ちゃん。凄かったね、5人抜き」
「うん。とても楽しかった。隼也、イイコにしていた?」
満面の笑みを浮かべて、桐生は隼也を抱き上げる。
「マァマ、マァマ」
「うん。お行儀よく出来ていたんだね。エラいね隼也」
「明美を、一生懸命応援していたぞ」
「そうなんだ!ありがとう隼也」
「ねぇねぇ、もう明美ちゃんの出番は終りだよね。せっかくだし、これから4人でファミレスにでも行かない?」
伶が、提案をしてくる。
「ええと・・・ちょっと待っていて。役員さんたちに、お礼と挨拶を言ってくる」
「真面目だねぇ~・・・」
「お前と違って、明美は礼儀正しいからな」
「失礼な!俺だって、ちゃんとする時は、ちゃんとするよ!」
「あっはははは!お兄様、お兄ちゃま、もう一度、隼也をお願いするね」
軽口を叩き合っている本庄たちに、隼也を預けると、桐生は挨拶をしに向かおうとした。
「あっ!やっぱりそうだ!!」
突然、元気な声が響く。
「「「!!?」」」
何事かと、声の方を振り返ると、中学生か高校生位の女子グループ4人のうち、1人が、もの凄い勢いで、桐生に駆け寄って来た。
「ええと・・・何方でしたっけ?」
「先月の、高嶺学園の入学試験の時に、いたコだよね!」
いきなり、面識の無い相手に詰め寄られて桐生は、少し引き気味になる。
「・・・確かに、先月高嶺学園を受験しましたけれど・・・何方様ですか?」
「やっぱり~!!やったぁ~!!同級生だぁ~!!」
ショートカットの少女は、がっしりと桐生の手を掴んで、ブンブンと振って喜んでいるが、桐生の質問には一切答えていない。
「ちょっと!佳奈、いきなり失礼だよ」
大人しそうな感じの女の子が、佳奈という少女を窘めている。
「まったく・・・佳奈は、デリカシーってのが、無いから・・・」
「・・・・・・」
気の強そうな少女と、もう1人の少女が、ヤレヤレという表情を浮かべている。
「ええと・・・」
「部活は決めている?もちろん、柔道部だよね!だって、滅茶苦茶強いもん!」
「だから・・・その・・・」
「うんうん。言わなくてもわかるよ~!いっしょに、インターハイを目指そう!」
「・・・・・・」
桐生が、口を開く事も出来ない程、少女のマシンガントークは続いている。
「ちょっと、お嬢さん。落ち着こう」
さすがに、困り果てている桐生の様子に、本庄が助け舟を出すために口を挟んだ。
「何、おじさん?今、大事なトコなんだけど!」
「・・・おじ・・・」
ガーン!
さすがに、少し傷つく。
「プププッ!!」
伶が、吹き出している。
「コラーッ!!」
どうにもならない、カオスな空気を切り裂くように、1人の柔道着姿の青年が、叫びながら、もの凄い勢いで走って来た。
「何をやっているんだ、佳奈!失礼だろう!!」
ポカン!
カミナリと同時に、佳奈という少女に、青年は拳骨を落とす。
「いった~い!酷いよ、お兄ちゃん!今、大事なところなのにぃ!」
兄と呼ばれた青年は、頭を押さえて苦情を言う妹に構わず、本庄に頭を下げる。
「すみません、本庄警視。妹が、ご迷惑をおかけしました!」
「君は?」
「はい。私は飛梅元巡査です。コイツは妹の佳奈で、今日の強化練習を友人たちと一緒に見学していました」
「飛梅?綺麗な苗字ですね。とっても素敵です」
桐生が、変な所に喰い付いた。
「は・・・はぁ・・・ありがとう」
「えへへへ。ありがとう」
桐生の、突然の感想に、兄の方は戸惑い、妹は嬉しそうにしている。
「私は、桐生明美。皆さんの名前を教えてもらえるかな?」
取り敢えず、落ち着いて話が出来る状態にはなった。
「いいよ。私は飛梅佳奈、高嶺学園の女子柔道部員(予定)!」
「私は、草鹿美沙です」
先ほど、飛梅を窘めていた少女が、口を開く。
「アタシは、工藤静流。佳奈とは幼馴染なんだ」
と、気の強そうな少女。
「わ・・・私は、成田圭子。ヨロシクです」
少し、控えめな感じの少女が、オズオズと口を開く。
一応、自己紹介が終わったところで、再び、飛梅が桐生に詰め寄ってくる。
「ねぇねぇ。明美ちゃんてさぁ、ドコ中?去年の中学総体予選の都大会には出ていなかったよね」
「う・・・ん。私、日系アメリカ人だから・・・」
一番、言い辛い質問が来た。
桐生は、表向きは日系アメリカ人という事になっているが、その実・・・特殊な事情がある。
まさか、それを説明する訳にはいかないのと、昨年は、隼也の子育てに追われていた。
一応、家庭教師に勉強は教えてもらっていたが、中学校には通っていない。
「アメリカでは、学校に通わなくても中卒の資格を取れるんだ。だから、日本の中学校には通っていないんだよ」
少し、言い淀んでいる桐生に代わって本庄が答えた。
「へぇ~・・・そうなんだ。まあ、それはどうでもいいや」
どうでもいいのか~!!?内心で、本庄は突っ込む。
「それより、高等部では一緒に柔道やろうよ!アケミンは、アメリカで柔道やっていたんでしょ?強いもん。何年くらい?」
いきなり、あだ名が付いている。
「・・・3ヵ月」
「「「「えぇえぇぇぇぇ!!!?」」」」
言い辛そうに、ボソッとつぶやいた桐生に、4人は驚いて絶叫する。
「あっ・・・それは、本格的に柔道を始めたのがって、訳で・・・日本の古流武術は子供の時からやっていたから・・・」
一応、嘘では無い。
驚きのあまり、口をアングリと開けている4人に、桐生は補足するように言った。
(はっははは・・・)
本庄も、内心で乾いた笑いを浮かべるしかない。
(まさか・・・現役の機動隊員のみならず、軍隊格闘術のエキスパートである現役の米軍兵士、現役の旧ソ連特殊部隊の人間ですら簡単に投げ飛ばせるなんて・・・絶対、言えないよな・・・)
「あっ!」
ふと、何かに思い当たったのか、飛梅兄妹の兄が、小さな叫び声を上げた。
「桐生さんって、確か・・・先々月に警視庁警察学校で、外部の指導員として剣道の指導に来ていなかった?たまたま、俺もその時、柔道の鍛錬で、警察学校の武道館に来ていたから・・・小学生みたいな小さいコが、学生に剣道の指導をしているって、皆が見物に行ったんだよね。それがまた、滅茶苦茶強いって・・・騒ぎになっていたよね」
「・・・小さい・・・」
桐生のNGワードが来たー!!!!!
桐生の身長は、148センチ。
本庄的には、小っさくて可愛くて良いのだが、桐生としては全然、身長が伸びない事を相当気にしている。
少しでも身長が伸びるようにと、牛乳を飲んだり等食事に気を使ったり、効果があると言われている運動をしたりしているそうだが、さっぱり効果が無いと嘆いているくらいだ。
何しろ、入学する高校の制服も、規制のサイズが小さいものでもサイズが大きくて合わず、フルオーダーメイドせざるを得なかったと半ベソで訴えられた時は、本庄でも、どう慰めようかと悩んだくらいだ。
(ヤバいぞ、ヤバいぞ!)
桐生の内部で、膨れ上がる殺気に、本庄は焦る。
当然、飛梅兄の方は、気付いていない。
「えぇ~!剣道部に行っちゃうのぉ~!?」
かなりヤバくなった空気を変えたのは、空気読めない系の飛梅妹だった。
「う・・・今はまだ、考えていないんだ・・・」
おかげで、桐生の怒気は上手~く、霧消した。
「それはそうと、おじさん。警視って言っていたけど・・・警視って警部の下なの?」
「・・・・・・」
変な方向に、火が飛んで来た。
「アンタ、バカ!!?将来、婦警さんになるって言っていた癖に、警察の階級も知らないの!?警視は警部の1つ上の階級だよ!!」
工藤が、突っ込んでいる。
「だって~・・・サスペンスドラマや、推理小説で出て来るのって、警部って人が多いじゃない?警視なんて、聞いた事無かったもん」
「すみません、すみません!!後で、ちゃんと言って聞かせます!!」
兄の方は、ひたすら頭を下げまくっている。
「・・・はぁ~・・・何か、疲れた・・・」
「おやおや、おじさんは疲れたようだね~」
ようやく、賑やかな集団から解放された本庄は、大きくため息を付いた。
それを、伶が揶揄う。
「うるさい!言っておくが、俺がおじさんなら、お前もおじさんだぞ!双子なんだからな!」
「俺は、おじさんって、言われなかったもんねぇ~」
「あのなぁ~・・・」
「・・・・・・」
助手席と運転席に座って、言い合いをしている兄弟を後目に、後部座席でチャイルドシートに座っている隼也をあやしながら、桐生は考え込んでいる。
「どうした、明美?」
「ん・・・部活動なんて、考えてもなかったなって・・・私、普通に高校に進学するってのも考えてなかったし・・・いいのかなって・・・隼也との時間も短くなっちゃわないかなって・・・」
桐生の過ごしてきた環境は、特殊だった。
それを思えば、桐生が戸惑いを覚えるのもあるだろう。
それに、隼也との時間を大切にしたいという思いも、あるのだろう。
「良いと思うぞ。色々な体験をするのは必要だし、同年代と付き合うのも、良い刺激になる」
「そうそう。それに、高校時代って今思うと貴重な経験が、出来た時代だと思うよ。大人になってからじゃ、絶対に経験出来ないくらい、毎日がワクワクだったよ。隼ちゃんとの時間も大事だけれど、それと同じ位、青春は謳歌するべきだと俺は思う。今は今しかないからね。隼ちゃんも、ワクワクでキラキラしているママが良いよね?」
「ハァ~イ!」
助手席から隼也を振り返る伶に、隼也は両手をパタパタさせて返事をしている。
「うん。わかった・・・でも・・・」
桐生が、僅かに眉間に皺を寄せる。
「どうしたの?」
「私の知る情報では・・・確かに高嶺学園高等部の柔道部は、インターハイでの常連校なのだけれど・・・あくまでも男子だけで・・・女子柔道部は、3年くらい前に定員割れで、部活停止状態で・・・ほとんど廃部みたいな扱いになっているはずなのだけれど・・・あのコたち、知っているのかな?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
桐生の情報網が正確であるのは、疑う余地はない。
お読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますが、ご了承ください。