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ニュートンの忘れ物  作者: 高城 蓉理
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◆◆◆◆◆


 


「んっ…… 」


「あっ、悪い。起こしちゃったな 」


「……朝? 」


 急に肌寒さを感じて目を醒ますと、私は一人で布団の中にいた。

 これまでに、お日様が昇らなければいいのにと、何度思ったかは分からない。

 私はまだ温い布団を手繰り寄せると、残り香を吸い込むように顔を埋める。薄明かりの向こうには、その余韻を放つ存在が、シャワーを浴びる準備をしていた。


「鞠子、身体は大丈夫か? 」


「あっ、うん。多分、平気…… 」


「そうか…… それなら良かった 」


 本当は身体が少し痛くて、お腹には形容し難い違和感がある。何回経験しても、この感覚は薄れないけど、先生に心配を掛けてしまうようなことは口にしない。

 私は何とか身体を起こすと、散乱している部屋着へと手を伸ばす。大したものは用意できないけど、コーヒーくらいなら淹れることは出来ると思った。


「……鞠子は、まだ起きなくていいよ 」


「えっ? 」


「今はまだ五時前だから、もう少し横になってろ。俺が部屋を出る前には、ちゃんと声を掛けるから。しっかり睡眠を取っておかないと、一週間は長いぞ 」


「でも…… 」


「いいから。ほら、腹を温っためて、もう少し寝とけ」


「…… 」

 

 先生はそう言うと、無理矢理私をベッドに連れ戻して、布団と毛布を集約した。


 彼はもう直ぐ、この部屋を後にする。

 そうすれば、次に会えるのは二週間後だ。

 先生は私と一緒にいられる時間を少しでも作るために、月曜日は真っ暗なうちから早起きをして、私のアパートから仕事に直行してくれる。いつも申し訳ないとは思いながらも、早く帰って休んでよとは言えない自分が情けない。子供っぽくて、甘えている自覚はあるけど、やっぱり少しでも側にいて欲しかった。

 

 私は少しだけ布団を剥ぐと、自分の身体を確認した。

 多分、首筋は大丈夫。先生はいつも、そこには絶対に触らない。だけど胸元の辺りには、無数の痕が残っていて、私は思わず目を逸らした。


 寂しい……

 私は先生のものなのに、やっぱり寂しいことには変わらない。いっそうのこと、先生以外の他の誰にも見せないのだから、消えないでとさえ思ってしまう。

 私は先生にバレないように、込み上げるものを圧し殺すと、愛しい無数の赤い印をなぞっていた。


 んっ……? あれ? 

 何だか指先に、妙な違和感がある。 

 生温くて、コツりと肌に当たる感覚は、絶対的に私の生身のものではない。私は恐る恐る手を伸ばすと、自分の指先を確認した。


「えっ? 」


 何が起きたかわからなくて、私は今一度自分の手を覗いてみる。そこには何故か鈍く光る金属があって、それが一体何なのか理解するまでに、そう時間はかからなかった。


「……先生、あのっ  」


「なに 」


「こっ、これって…… 」


「虫除け 」


「えっ? 」


 身体中が、ドクンドクンと脈を打っている……

 私は布団から這い出ると、ほぼ反射の境地で、自分の左手を先生に突き出していた。 

 

「サイズは、大丈夫そうだな 」


「何でっ、私の指のサイズがわかったんですかっッ? まさか、経験豊富で目視でサイズがわかっちゃうとか? 」


「なっ、お前さんはバカなのかっ? んな訳ねーだろっッ。俺だって、指輪なんか初めて買いにいったよ 」


「えっ? 」


「この前、鞠子が寝ている間に測ったんだよ。大学にいる間は、ずっと付けとけよ 」


「あり……がとう…… 」


 鳥肌が立って、全身が震えていた。

 先生は、私よりも何年も多く生きている。

 だから心のどこかで、私は先生の初めては何も貰えない気がしていた。でも今、私は先生の未経験の当事者になっていて、まるでまだ夢の中にいるようだった。


「あの、先生は着けないの? 」


「俺はいいんだよ 」


「…… 」


 先生はそう言うと、バスルームへと向かっていく。

 いつもの私なら、絶対にそんなことはしない。だけど今日の私は、とても積極的な気分になっていた。

 だから、次に気付いたときには……

 私は最大限に爪先を伸ばして、先生の背中に抱きついていた。


「おいっ、ちょっ、いきなり何をするんだよ? 」


「……それなら、私はここに痕を付けときます 」


「ハアっ? ちょっ、待て待て。お前さんは、まず服を着ろっッ。あと、俺の首を射程に捕らえるな。仕事に行けなくなるだろっッ 」


「だって、先生は私のものだもん 」


「なっ…… ったく、このアホ 」


「あっ…… 」


 先生が困っている気配がしたけど、私はこの手は離さない、と思っていた。

 だけど大人の男性の力に抗える訳もなくて、私のささやかな悪戯は、あっさりと翻された。


「一応、俺の分も鞄には入ってるよ。お前さんの指輪しかなかったら、意味がないだろ? 」


「…… 」


「ったく、朝っぱらから大人を煽りやがって 」


「ちょっ、んっっ 」


 先生はそう言うと、私の唇にキスをする。そして私の手を引くと、再び私を布団に押し戻した。

 目が合っただけで、全身の体温が上昇する。

 先生が私を覗き込むような仕草は、何だか朝には相応しくない表情な気がした。


「その言葉、そっくりそのまま鞠子に返してやる 」


「えっ? 先生、仕事の支度は……? あっ…… 」


 先生はそう言うと、私の胸元に顔を埋める。

 何個数えても飽きることはない痣が、また増えていくような感覚がした……

 

「鞠子ってさ、温かいよな 」


「……私が子ども体温だって、言いたいんでしょ? 」


「拗ねてるのか? 」


「違っ 」


「期待してるところ悪いけど、生憎 俺にはそういう趣味はないよ 」


「それ、絶対嘘でしょ…… あっ 」


 先生の体重が、ずっしりと私の胸に響く。

 唇が触れた瞬間に吐息が漏れて、恥ずかしいけど止めたくない。


 十五歳の頃の私は、抱いてはならない恋をした。 

 でも今は、その想い人は私の胸の中にいる。

 やっぱり、私は世界一の幸せ者だ。

 

 胸の鼓動が加速して、熱を帯びた身体が脈を打つ。

 私は甘美な誘惑に酔いしれると、今一度その背中に腕を伸ばすのだった。










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