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ニュートンの忘れ物  作者: 高城 蓉理
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私と先生とラプラスの悪魔


 一般論として、未成年は大人と交際をしてはいけない。何故ならば、大人は子どもを守る義務があるから、倫理を守らなくてはいけないのだ。

 

 この前提は、恒久に覆ることはないだろう。

 だから暗黙の掟を破った私たちは、きっと周りの人に認めてもらえる日を迎えることはないと思う。


 私は、それでも構わない。

 失うものは何もないし、覚悟もしている。それに私にとっては秘密の関係こそが普通だから、今さら苦痛にすらならないのだ。


 でも、先生は違う。

 先生は大人だから、何かあれば全責任を取らなくてはならない。


 私と先生の関係は、これからも元担任と元教え子だった出会いからは変われない。

 だから私たちは、周りに祝福されることはないと思う。 

 

 一緒にいられれば、それで良かった。

 お日様の下は歩けなくてもいい。

 でも、結末がわかりきった未来を生きるのは、たまに涙が出そうになることもあるのだった……


 


◆◆◆




 先生が、私の両親に挨拶をすることになった。

 それが私と先生が決めた、一つのケジメだった。


 私は十八歳を越えたから、誰とお付き合いをしても構わないけど、未成年であることに変わりはない。だから正式に交際をするならば、親の許可を取らないと道理が通らないからと、先生が申し出てくれたのだ。

 両親は、私と先生のことは反対はしなかったけど、だからといって好意的には捉えているわけではない。私たちが先に進むために、婚姻届に印は押してくれたけど、親にあんな顔をさせてしまったことに罪悪感があった。



「すみません。せっかく#名古屋__こっち__#まで出向いて貰ったのに、課題が終わってなくて 」


「別に気にする必要はないよ。学生の本分は、勉強だし 」


 私の両親が名古屋の学会に参加するのに合わせて、先生が下呂から上京してきたのは、仕事終わりの夕方過ぎのことだった。初めての顔合わせは、とても心臓に悪くて、時の流れが止まったのではないかと、錯覚するような気分だった。


 夜が遅かったこともあり、私と先生は名古屋のシティホテルに一泊することになっていた。

 部屋には妙齢の男性と、まだまだ親の脛を齧る子供が二人きり。微かに甘ったるい石鹸の匂いが広がる空間で、同じ時を共有している。

 先生と一晩同じ部屋で過ごすのは、初めてのことだった。私は十八歳を越えたし、事実上の婚約状態なのだから、別に何をしてもお咎めは受けない。


 もしかしたら、今晩中に私たちの関係性は、一歩先に進むのかもしれない。

 緊張はしている……

 怖い。

 でも、自分の想いを確信に繋げたい。


 私の気持ちに、偽りはない。

 だけど、この満たされたい気持ちと裏腹に、私はまだ自分に問いかけていた。

 私は普通の幸せを、選ばなかった。

 ここまで一生懸命育ててくれた両親を、裏切ってしまったような罪深さは拭えない。私たちの関係性が周囲に認められないままで、自分の気持ちを押しきっていいのか、私はまだ迷っているのだ。


 だから私は……

 目の前にある込み入った現実の数々を、課題を盾にして逃げていた。

 本当は全く急がない。本来ならばこれくらいならば受験勉強のストックで、ギリギリなんとかなる範疇だけど、私はレポートやら参考書を、テーブルの上に並べていた。



「鞠子、大丈夫か? 」


「えっ? 」


「課題が立て込んでるのに、無理やり引っ張り出して、悪かったな 」


「ううん。これは計画的に勉強してこなかった、私の問題だし。それにうちの親が名古屋に出てくるタイミングに合わせてくれたのは、先生の方だから 」


「それは、別に構わないけど。んっ、鞠子? なんか、顔が真っ赤だけど? 間違えて、酒でも飲んだか? 」


「いや、そんなことはないけど…… 」


「そうか。それにしても、薬学部って、課題の量が尋常じゃないな。俺も、少し手伝おうか? 」


「えっ、あっ、大丈夫です。自分でやらなきゃ、課題の意味がないし 」


「ああ、まあ、それもそうか…… 」


 今なら、アルコールに頼る大人の気持ちが分からなくもない。お酒の力を借りて、一瞬でも全てを忘れて自由になれたら、どんなに楽になれるだろうか。

 私はそんなことを思いながら、先生の心配を否定すると、再びノートにペンを走らせる。


 先生に手伝って貰ったら、折角の時間稼ぎが無駄になる。それに、先生と生徒という肩書きが消えて、やっとただの恋人というポジションになれたのに、今さら勉強を教わるなんて嫌なのだ。

 私は空調と耳鳴りだけが響く空間で、しばらくの間、ひたすら時が経過するのを待っていた……





◆◆◆◆◆




 温かい…… 

 というよりは、体が熱くて火照るような感覚だった。


 私は、その腕が優しいことを知っている。

 ずっとずっと心の底では、ぎゅっと抱き締めて欲しいと思っていた。 

 私は目の前を覆うその指先に、自分の手を絡めると、その腕に唇を落とす。

 こんなに近くに先生がいるなんて、やっぱり夢みたい。

 んっ? あれ? 

 これって、本当に夢なのだろうか?


 

「え゛っ? 」


 私は…… 

 もしかして、ベッドで寝てる?

 しかも、顔がめちゃくちゃ近いっッ。

 それに、何でこんなに固められてるのっッ!?


 私は事情が飲み込めず、見慣れない天井をパチクリする。ベッドライトに照らされているのは私の想い人で、スースーと寝息を立てていた。

 吐息がおでこに吹き掛かって、逃げ場がない……

 ガッチリとホールドされた脚には、チクチクと脛毛が当たっていて、急に気恥ずかしさが沸いてくる。

 

 私は、いま物凄く大切にされている……

 先生を寸止めさせているのは、私が子供だからだ。

 


「あの、先生? 」


「……ああ、鞠子。起きたのか? 」


「はい。あの、私はまだ課題が残ってて…… 」


 だから、その手を離して下さいと言うとした瞬間だった。先生は反対の手を私の口許を押さえると、その続きの言葉を制止したのだ。


「……量子化学と基礎物理は、明日俺が教えてやるから、今日は諦めて寝ろ 」


「えっ? 」


「何だよ? 」


「先生…… もしかして、私の課題を見たの? 」


「ちょっと目に入ったから、眺めただけだよ。一応俺も教員だからさ。物理と数学が絡むような科目なら、一通りは教えられるんだよ。俺が代わりに解いても良かったんだけど、それだとお前さんは納得しないだろ? 」


「…… 」


「だから、今日はもう諦めて、素直に寝るんだな 」


「あっ 」


 先生はそう言うと、私の頬に手を伸ばし、ゆっくりと私の唇の自由を奪う。

 初めて交わした大人のキスは、震えるような高揚感で、私のキャパシティーはとっくに振り切れていた。


「……んっ  」


「…… 」


「……あの、先生?  」


「別に、そんなに急いて大人にならなくていい 」


「えっ? 」


「まあ、我慢をしてるのは事実だけどな。我ながら、この数年で、精神力は相当鍛えられた気はするし 」


「えっ? あっ…… 」


 先生はそう言うと、ぎゅっとその腕に力を込める。その手は少しだけ私の胸に当たっていて、鼓動が明らかに加速していた。


「そりゃ、そうだろ。でも、まあ、ここまで来たらあと何年でも変わらないから、大丈夫だよ。俺は一応、大人だし 」


「ごめんなさい。私…… 」


「……鞠子? 」


「私、先生のことが大好きなのに…… 」


「別に、気にしなくていい。大事な一人娘が、いきなり元担任の大人を恋人だって言って連れてきたら、動揺しない方がおかしいだろ。だから、これからは俺も、鞠子のご両親に認めて貰えるように頑張るから 」


「先生…… 」


 私が先生を避けていた理由まで、しっかりとバレていて、さすがに涙が溢れてくる。

 やっぱり、私は先生には敵わない……


「でもまあ…… 俺も、本当はまだまだ子供なんだよな。だから引っ付いて寝るくらいは、許して。辛いよな、ごめんな。でもさ、やっぱり俺、鞠子のことが好きだわ。離したくない 」


「うん…… 」


 私は先生の腕に手を伸ばすと、もう一度唇を重ねた。

 本当は、私もしたい……

 今すぐにでも、先生の温もりを分けて欲しい。

 でもそれをしてしまったら、私は本当に先生を危ない橋に引きずり込む。だから私も決心がつくまでは、もう少しだけ時間が欲しかった。

 





 ラプラスの悪魔は、否定された。

 そして、私はこれから先生と、二人でその証明を果たすのだ。

 だから、この先の未来は如何様にも変わっていくし、見通しが立たない地図の上を歩いても、人生は幾分か楽しくなる。



 私は担任の先生に恋をした。

 この抱いてはいけない気持ちは絶対に許されないことだと、ずっと思い続けていた。


 でも、今なら……

 私は、自信を持って言える気がする。

 この人を好きになって、私は本当に良かった。

 私はこれから先も、この事実を後悔することはない。


 林檎が重力に抗えないように、私が先生に惹かれたのは必然の産物だった。

 でも私は、この手を決して離さない。

 それが私が選択した、唯一無二の不等式の答えなのだから。








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