森の精と園芸家
瑞々しい肌を伝い、一滴に膨れた紅が自由落下の末に緑を塗りつぶす。じわり、と染みるように広がったそれが消え、恍惚とした吐息が漏れた。
歓喜に震えている葉を撫でた女性が、唇を舐める。口内に残った真っ赤な血が、口紅のように艷やかさを彩った。
「今日もありがとう、助かるわ。」
「あ、あびぃさん……吸いすぎ、えす……」
首筋を抑えてふらつく女性を膝の上に転がすと、アビィと呼ばれた人物は投げ出された髪を丁寧に梳き始めた。聞いてない。
「なにか、怒ってますか?」
「何を?」
「いえ、何となく……」
自分で解いたそれを、丁寧に結い直しているアビィの顔が見えない。すっかり慣れたように全身を預けている彼女が、その顔を覗き込もうとする。
弛緩仕切っていた彼女の体が、急にモゾモゾとするので視線を向けたのだろう。必死に顔を見ようとしていた彼女と目が合った。
「ね、なんで怒ってるんですか?」
「だから、怒ってないから。」
「知ってますか? アビィさんが嘘つくと、そこの葉っぱが赤くなるの。」
自身の宿る樹木へと視線を向けるが、そんな変化は無い。嫌な予感を持ったままに視線を戻せば、イタズラが成功したような顔が視界に入る。
結んだ髪に花を挿して、彼女を膝の上からポイとする。尻もちを着いた彼女が、少し潤んだ目で睨めば、涼しい顔で唇を拭う怪物が目に入る。
「リア、嘘は良くないわ。」
「アビィさんが先に言ったのに……」
「言ってない。」
「言いました~。」
「リ~ア~? 食べるわよ?」
儚ささえ感じる顔からは想像できないような、鋭く攻撃的な捕食者の犬歯を覗かせる彼女に、怯むことの無い接吻が浴びせられた。
少し身を引くと、唇に赤が移った彼女が笑う顔が見えた。
「お揃いになりました?」
「貴女の血よ?」
「忘れてました……苦いです。」
「健康にもう少し、気を使えば良いんじゃないかしら。」
化粧で誤魔化されてはいるようだが、その目の下にある隈が完全に隠れている訳では無い。頬を包むように添えられた手が、目元を撫でるのに身を任せながら、彼女は続きを視線で促す。
「「地上の月」なんてものに、うつつを抜かすからよ。」
「月照花の事、知ってたんですか? 此方のお花じゃないのに。」
「貴女は私をなんだと思ってるの? それに、何年か前に貴女が育ててみたいって言ってたでしょう。」
「そんな昔の事なのに、覚えててくれたんですね。」
「貴女の事だもの。」
月照花。高い反射性を持った花弁が内側を向く白い花。僅かな光でも明るく輝く大輪の花で、その光に寄ってくる虫達を媒介に実をつけるのだが。
花に比べて貧弱な茎や、殻の薄い実。一年で数週間しか花を咲かせない事から、「美人薄命」とも言われる程に育てるのが難しい花だ。
「私なら、貴女にこんなに苦労をかけないのに……」
「もしかしてアビィさん、妬いてます?」
「こ、ん、な、に! 悪い顔色で尋ねてきた友人に、小言の一つも言いたくなるのは当たり前じゃないかしら?」
「い、いひゃいへふ。」
先程まで優しく掌に包まれていた頬を抓り上げられ、目に涙を浮かべる彼女が抗議の声を上げる。
「お花の世話をするより、自分の世話をしたら?」
「そう言うわりには、アビィさんだっていっぱい吸ったのに……」
「そうすれば貴女、暫く立てないでしょ。ここに居なさいな、食べる事と寝る事くらいしっかりするべきよ。」
「でも、アビィさんは人の食べ物持ってないんじゃ……」
「果実ならあるわよ? 人の健康にも良いと聞いたの。」
それだけだと栄養が偏るような……と思案する彼女だったが、それでも山菜を齧りながら土弄りをするよりは健康的かと思い直す。
向こうからのせっかくのお誘いなのだ、甘えてしまうのが一番に違いない。
「それじゃ、数日はお世話になりますね。」
「もうあの花は良いの?」
「実の収穫まで終わったので、後は次の種を植える時期が来るまで待つだけなんですよ。」
「そう、ならそれまでは独り占めね。」
抱き寄せた彼女の襟へ、若草の香りのする頭をこすり付けるアビィに、その髪を撫でながら声を落とす。
「やっぱりヤキモチさんだったんですね。」
「良いでしょ? たまには私だって甘えたいのよ。私のワガママ……聞いてくれる?」
顔を隠す彼女の耳が、髪の隙間から赤い色を覗かせている。珍しい態度に、特別な想いを感じ頬が緩んだ。
その喜色を失うまで待つなんてことは、彼女には出来ない。胸元に押し付けられたアビィの頭を抱きしめて応える。
「……ふふ、いーっぱい! 聞いてあげますね。」
ヒロイン スレリア ストレリチアから
花言葉 寛容
輝かしい未来
気取った恋
ドライアド アビィ アセビから
花言葉 犠牲
献身
二人で旅をしましょう