神様の思し召し(5)
「私の方こそ嫌ですっ!」
更紗はそう叫び、朔の腕から何とか逃れる。すぐさま立ち上がって距離を取り、きつく朔を睨みつけた。
助けてもらったことには感謝しているが、いきなり嫁になれとはどういうことだ。何の説明のないままそんなことを言われ、はいわかりましたと答える人などいない。
「更紗さん、申し訳ない!」
見ると、司狼が深く頭を下げていた。陽も頭を下げており、朔は陽に無理やり頭を抑えつけられている。
「どういうことか、ちゃんと説明してください」
更紗がそう言うと、朔が間髪入れずに言い返してくる。
「説明すれば、嫁になるのか?」
「朔! お前は黙ってろ!」
朔は、何が何でも自分の意思を押し通したいのだろう。だが、それは何故なのか。
何年も不倫していた。相手が結婚しているなど、夢にも思わなかった。周りに心配する声はあったのだ。にもかかわらず、更紗はただ彼の言うことだけを信じた。そんな世間知らずで能天気な自分でも、このプロポーズに裏があることくらいわかる。更紗は、強く唇を噛みしめた。
すると、朔がすぐさま更紗に近づき、その手を取った。呆気なく捕まってしまう自分のどんくささに嫌気がさして、無意識に歯を食いしばろうする。その瞬間、指で無理やり口をこじ開けられた。
「っ!」
「口を開けろ」
更紗は必死に首を振って抵抗する。このまま朔の指を思い切り噛んで、食いちぎってやろうかとさえ思う。どこまでも馬鹿にされているような気がして、悔しさに涙が滲んだ。
「そんなに強く噛むな。唇が切れている」
「……」
そういえば、鉄の味がする。唇が切れ、血が出ているのだろう。それに気付いた途端、唇がじんじんと痛みだす。
「自分を傷つけるな」
誰のせいだと思っているのか。
更紗がもう一度睨みつけてやろうと顔を上げると、あまりにも近い距離で朔の瞳とぶつかった。
「……っ」
避ける間などなかった。近いと思った瞬間、唇に何かが触れ、吸われた。そのせいで漏れるリップ音に今何をされているのかを自覚し、身体中の血液が顔に集まってくる。
触れていたものが離れ、更紗の身体も解放される。驚きすぎて、言葉も出ない。更紗はへなへなとその場に崩れ落ちた。
「あー……」
「朔、お前……」
「言葉が足りないのは、朔さんの悪い癖ですよね……」
外野の声が聞こえるが、聞こえるだけで理解はできなかった。
更紗はただ呆然としていた。それでも朔は、その視線で更紗を捕らえたまま、離そうとしない。
「更紗さん、少々強引すぎたようです。本当に申し訳ありません。今はまだ混乱されているでしょうから、もう少し落ち着いた頃を見計らい、改めて私の方から説明を……」
「いえ、今お願いします」
司狼の言葉を遮り、更紗は言った。
ここで切り上げられても困る。もう少し落ち着いた頃というが、何が何やらわからない状態で落ち着けるはずもない。
更紗はみっともないのは承知の上で、司狼の前までヨロヨロと這っていく。立て続けに信じられないことが身に降りかかり、すっかり腰が抜けてしまっていたのだ。
司狼は困り果てたような顔をしていたが、引き下がる気はない。更紗は請うように司狼を見つめた。
「……そうですね。このままだと、気になりますよね」
「はい」
「わかりました。それでは、もう少し私どもの話にお付き合いください」
そう言うと、司狼は改めて姿勢を正す。そして、陽と朔に後ろに控えるよう言った。
二人はそれに大人しく従う。親の言うことなど聞かなそうな二人だったが、その辺りはきちんと躾けられているらしい。
不本意という顔をしながらも、二人は司狼の後ろで同じように姿勢を正して座った。春南は話が長くなりそうだということで、お茶を持ってくると言って一旦下がる。
この部屋には、司狼、陽、朔、更紗の四人になった。司狼は部屋を出て行った春南に視線を遣りながら、更紗に向き直る。
「春南も、あなたと同じように月読命様に選ばれた女性なのです」
「え……」
「彼女も、元々霊感があったということもなく、ごく普通の女性だったんです」
「でも、今は見えるんですよね?」
「はい。ここに時折現れる悪霊たちの姿も見えますし、陽と朔の耳と尾も見えます」
「春南さんは、どういった理由で月読命様に選ばれたんですか? そして、私もそうだと言われましたが、どうしてなんですか?」
月読命に選ばれる基準とは? そして、朔がいきなり嫁になれと言った真意はどこにあるのだろうか。