神様の思し召し(4)
「……嫁?」
「ウォン!」
呆然としながら呟いた声に反応したのは、何故かツキだった。言葉がわかるのかというほど尻尾を大きく何度も振って、ご機嫌な様子だ。更紗にピタリとくっつき、甘えている。それに和みながらも、更紗の頭の中は依然として大混乱を起こしていた。
嫁になれ、と言われた気がする。いやいやいや、そんなわけはない。
朔と出会ったのは昨夜だ。しかも、更紗はすぐに気を失ってしまったので、会ったといえど、それは一瞬。会話さえ交わしていない。なのに。
「返事は?」
「へ、返事?」
どうか聞き違いでありますように。そう願いながら、更紗は恐る恐る尋ねる。
「今、何て言ったんですか?」
「は? だから、返事は?」
「いえ、その前」
「はぁ!? お前、聞いてなかったのか?」
「い、いえっ! でも……」
「あぁ、もうっ!」
朔は苛ついたように前髪をグシャグシャと乱し、更紗の側へ寄ると、腕を掴んで強引に引き寄せた。
「ひゃっ」
「これで聞こえないとは言わせないからな」
「は、はい……」
「何度も言わせんな」
「すみません」
どうして怒られなければいけないのか謎だが、しっかりと抱きかかえられているこの状態で、また聞き返すことなどできまい。更紗はバクバクと暴れる鼓動に耐えながら、朔の言葉に集中した。
「更紗」
「……っ」
昨日会ったばかりなのに。さっき、名乗ったばかりだというのに。
朔はさも当然のように、更紗を名前の方で呼ぶ。
少し低めの声には艶があり、ゾクゾクするほどの色気を感じさせる。口調はぶっきらぼうだが、それほど怖いとは思わない。それがとても不思議だった。
「俺の嫁になれ」
再び同じ言葉が繰り返される。
今度こそ聞き間違えようがない。すぐ側で、言い含められるように言われた。
いつの間にか更紗の膝から布団の上に放り出されていたツキが、クゥンと甘えるような声を出す。呆けていた更紗はその声で我に返り、朔を見上げた。
たった今プロポーズをした人間とは思えないほど、淡々とした表情だった。
そう、これなのだ。この表情に惑わされる。
動揺したり、赤くなったり、緊張したり、そういった表情の変化で心の機微がわかればいいのだが、朔は一定のまま変わらない。だから、聞き違いかと思ってしまうのだ。
「あの……」
「なんだ」
「嫁って……結婚するってこと……ですよね?」
「それ以外に何かあるのか」
「いえ……」
ない。ないのはよくわかっている。しかし、聞き返したくなる気持ちもわかってほしい。
助けを求めるように司狼を見るが、彼はガクリと肩を落としており、更紗の方を見ていない。そうしている間にも、朔の視線は更紗の返事を要求し続ける。
ちょっと待って! いきなり嫁っていう意味がわからないし、これってどういう展開!?
そう叫びたいところだが、朔の視線が強すぎて声が出ない。恐ろしいとか怖いとかそういったことではなく、この視線に声も身体も全て囚われている、といった感じなのだ。
その時、バシッという乾いた音がして、この緊迫した静寂を破った。気付くと、朔が後頭部を押さえ、眉を顰めている。
「痛ってぇ!」
「馬鹿か、お前は! それじゃ脅しだろうが!」
「そんなつもりはない」
「お前にそのつもりがなくても、更紗さんはそう思うだろ! ったく、恋愛事に疎いのにも程があるわっ」
陽が朔の頭をはたき、説教を始めていた。
にもかかわらず、更紗の身体はいまだ朔の腕の中だ。頭が冷静になってくると、この格好の恥ずかしさに改めて気が付き、顔から火が出そうになる。
「あの……離して……」
「おいこら、朔! 更紗さんを離せ」
「嫌だ」
心臓がバクンと跳ねた。
嫌だ、朔ははっきりとそう言った。それでもやはり表情は変わらない。
そんな朔を見て、一体どういうつもりなのかと、更紗は段々腹が立ってきた。