狛犬に娶られました(3)
それから約二週間後、新月がやって来た。
更紗は全く覚えていなかったのだが、初めて朔と出会った日も新月だった。早いもので、あれから三ヶ月が過ぎた。
更紗は今、御神木の前に立っている。
今夜は月の光がない。しかし、辺りはぼんやりと幻想的な光に包まれていた。
「綺麗……」
これが、月読命の力なのだろうか。
注連縄を越えた先、御神木に寄りそうようにツキが行儀よく座っている。
光は御神木からもたらされていた。
「更紗」
静かに手を差し伸べられる。更紗はその手を取り、すぐ隣に立つ朔を見上げた。怪我もすっかり完治し、髪もきちんと切り揃えられている。
長い髪だったが、先の戦いで切り落とされてしまった。この機に短くすると言っていたのだが、朔は再び髪を伸ばし始めている。今では肩を少し超えたところか。サラサラの艶髪のせいで、まだ飾り紐では結べない。
これまで使っていた飾り紐は、血に染まってしまった。更紗はそれも大切に取ってあるが、新しいものを編んで朔に渡していた。
更紗は、朔の長い髪が好きだった。髪の短い朔も見惚れるほどだが、漆黒の髪に白い飾り紐が揺れる美しい姿が目に焼き付いており、どうしても惜しくなってしまったのだ。
朔の意思に委ねたが、新しい飾り紐を手作りしてプレゼントした直後、朔はまた髪を伸ばすことを決意した。その紐は今、朔の左手に巻かれている。
「紐、邪魔じゃないですか?」
「邪魔なはずがないだろう。この場に相応しい」
更紗は小さく微笑む。
朔は更紗の手をゆっくりと引く。何かに躓いて転ばぬよう、慎重に優しく、丁寧に。
更紗は白無垢姿だった。暗闇に淡い光、その中での白無垢はおおいに映え、優美な華のように浮き立たせる。
朔は黒羽二重の紋付袴を身に付け、更紗のすぐ隣に立っていた。白い肌に黒が映え、いつまでも見つめていたい衝動に駆られる。
月読命から力を賜った更紗は、今日という日、正式に狛犬の嫁となる。
これから、月読命の前でそれを報告するのだ。神前結婚式と形式は似ているが、それとは異なる。だが、意味合いとしては同じだ。
拝殿から正装した司狼がやって来て、二人に巻紙を渡す。御神木の前で深々と頭を下げ、司狼が三ヶ月前に書いた契約書の便箋を燃やした。
それを合図に、二人は渡された巻紙を広げ、朔がそれを読み上げていく。誓詞奏上だ。滔々と述べられる言葉を、更紗はしっかりと噛みしめる。
「今後はご神徳のもと、相和し、相敬い、苦楽を共にし、明るく温かい生活を営み、子孫繁栄のために勤め、終生変わらぬことをお誓いいたします。なにとぞ、幾久しくご守護くださいますようお願い申し上げます」
楽しいことも、苦しいことも、これからは朔とともに分かち合っていくのだ。
「夫、月川朔」
更紗は震えそうになる声を堪えながら、御神木の見上げ、宣誓した。
「妻、更紗」
眦から一筋の涙が零れる。
これまでの出来事が走馬灯のように蘇ってきた。
苦しいことも楽しいこともあった。幸せを感じていたことも。しかしそれも、今この瞬間と比べると霞んでしまう。これまでのことは全て今に繋がっていたのだと、そんな風に思えた。
「朔、更紗」
司狼が慈愛溢れる微笑みを湛えながら、二人を見つめる。その顔を見ただけで、どんどん涙が溢れてきた。
「親父、更紗を泣かせるな」
「私も泣きそうだ」
「それは勘弁してくれ」
朔は更紗の涙をそっと指で拭い、引き寄せる。
幸せだった。これまで生きてきた中で、一番幸せだった。
更紗が微笑むと、朔も柔らかい笑みを返す。
「おめでとう、朔。おめでとう、更紗」
「ありがとう……ございます」
声を震わせながら言うと、司狼が困ったように笑った。
「年のせいか、涙腺が弱くなって困る」
「だから、親父まで泣くな」
「しょーがないだろ! 年だって、自分で言ってるんだから!」
後ろに控えていた陽が乱入してくる。
「年じゃないわ!」「自分で言ったんだろう!」と言い合っている二人をやれやれといった顔で見守っていた春南が、更紗の手を取った。
「これで、更紗さんは本物の狛犬のお嫁さんね」
「はい……」
「朔さんを支えてあげて」
「はい。これまで朔さんを支えてくださって、ありがとうございました」
更紗が頭を下げると、一瞬にして春南も泣き顔になる。そんな春南を抱きしめ、更紗も泣いてしまう。
更紗がいない時は、いつも春南が朔に力を分け与えてくれたのだ。更紗も一度それを経験し、それがどれほど自分の気力と体力を削るのか思い知った。だから、春南にはどう感謝してもし足りない。
「更紗さんも、この間は陽にそうしてくれたでしょう? 本当にありがとう」
「そんな……」
「もう一人いるって、すごく頼りになるんだなって思った。これからも……よろしくね」
「はい……!」
二人で抱き合って泣いていると、「あー! 嫁同士でいちゃついてる!」と陽が司狼をほったらかしにしてやって来た。
陽はいつだって周りを太陽のように明るく照らす。春南は文句を言いながらも、陽の胸に飛び込んでいく。
そんな二人を眺めながら、改めて朔を見上げた。熱のこもった視線にぶつかり、心臓がドクンと大きく脈打つ。




