心を見つめる(6)
「あ……」
気付けば、更紗が部屋の中に入ってきて、紐を拾い上げていた。
陽を見るとニヤリと口角を上げ、その場を立ち去っていく。朔は呆然としてそのまま突っ立っていた。
「あの、座ってもらえますか?」
更紗の声に我に返り、朔は紐を更紗から受け取ろうとする。が、更紗は首を横に振った。
「いや、自分で……」
「私にやらせてもらえませんか?」
朔の髪を更紗が結うこともあり、むしろそちらの方が綺麗にまとまる。
朔はおずおずと畳の上に座る。更紗は朔の背後に回って膝立ちになり、朔の髪に指を入れる。櫛やブラシが近くにないので手櫛だ。
髪に更紗の指が触れる。漆黒の髪はサラリと揺れ、朔の身体に僅かながら力が入った。
髪に神経など通っていないはずなのに、更紗の指が触れると肌が粟立つ。その腕を掴み、もっと側に引き寄せたい。
朔はそんな欲望を心の奥に押し込めるように、強く瞼を閉じる。
「できました」
その声に目を開けると、穏やかに微笑む更紗の顔が見えた。その刹那、朔は自分の動きを止めることができなかった。花のような香りが仄かに鼻孔を掠め、ようやく気付く。
「朔さん……?」
「……悪い」
更紗をその腕に抱いていた。ハッとして、朔は腕を解く。更紗を見ると、少し寂しそうに微笑んでいた。それを見て、朔の胸が締め付けられる。
──自分を制御できない。
「朔さんは……何も悪くないです」
「……更紗」
更紗は一転して明るく笑い、立ち上がる。
「大丈夫です。ちゃんと……わかってるつもりです。……さぁ、買い物に行きましょう」
「……あぁ」
息が止まるかと思った。
急に突き放し、更紗はさぞ困惑したことだろう。更紗のことだから、自分を責め、人知れず泣いているのではないか。そんな風に思っていた。
更紗に元気がないことは遠目からでも感じていたし、陽や春南からも聞いていた。その度、心苦しく感じていた。
確かに、更紗は散々泣いたのだろう。自分を責めたはずだ。更紗に非など、1mmたりともないのに。
「だんだん寒くなってきたので、今日はお鍋にしようかって春南さんと話していたんです。お野菜もたくさん取れるし」
更紗は朔を気遣っている。自分が朔の負担にならないようにと、精一杯明るく振舞っているのだ。
朔は込み上げる感情を抑えつけるように、再び目を閉じる。
「朔さん……大丈夫ですか? 体調が……」
心配そうな顔をする更紗に、朔も今自分ができる精一杯の笑みを向ける。上手く笑えていなくてもいい。更紗なら、わかってくれるはずだから。
朔は更紗の横に並び、一瞬だけその髪に触れた。
「問題ない。行くぞ」
「……はい」
噛みしめるように返事をする更紗に、朔は心の中で白旗を掲げる。
「月読命、狛犬の嫁、そんなものは……関係ない。堪えろというなら堪えるまで。それもあと……少しの間だ」
その心の声は、更紗には聞こえない。
あれこれ話題を探し、一生懸命話しかけてくる更紗に応えながら、朔は心を決める。三ヶ月の時が過ぎた後、どういう結果になろうがどうでもいい。更紗に想いを告げ、そして──。
「更紗、お前を必ず嫁にする」
「え?」
更紗が朔を見上げる。朔は口元を手で覆い、小さく首を横に振った。
「何でもない」
「……あ、もしかして苦手なものがあるとか?」
「好き嫌いはない」
「ほんとですか?」
「あぁ」
「うーん……。確かに、朔さんって何でも食べてくれますもんね……」
考え込む更紗に、朔の緊張が解けていく。
更紗といると、どうしてこんなに楽なのだろう。側にいて、これほど心穏やかになれる人間を他に知らない。
更紗が再び朔を見上げ、嬉しそうに笑う。朔は参ったといった表情で、頬にかかる更紗の髪をそっと指で払う。頬を染める更紗の額に、ほんの一瞬口づけた。
「さ、朔さん! ここ、外……です」
「誰もいない」
「そうですけどっ……」
朔は慌てふためいている更紗の手を取り、指を絡める。更紗が驚いて朔を見る。
──もう決して暴走したりしない。だから。
「更紗、今夜から家に戻っても……いいか?」
「え……」
「勝手に出て行って虫のいい話だとは思うが」
「そんな!」
更紗は立ち止まり、何度も首を振る。あまりの勢いに、それを止めようと朔は更紗に触れ、初めて気付いた。
「俺は……お前を泣かせてばかりだ」
「違っ……。これは、あの、嬉しくてっ……」
「それでもだ。これからは、泣かせないように気を付ける」
「だからこれはっ……」
朔は更紗の涙を拭い、ふわりと髪を撫でる。更紗は朔の表情に目を見開く。これまでに見たことないほど優しく、慈愛に満ちたそれに、息を呑んだ。
「お前に泣かれると、俺の首も絞めることになるしな」
「……え?」
きょとんとする更紗に、朔が笑う。
それはこれまで更紗が見てきた中で、一番自然で、思わず見惚れてしまうような美しい笑みだった。




