神様の思し召し(7)
更紗は放心したように座り込む。
先ほど、陽と朔を一対の狛犬のようだと思ったが、それは事実だというのか。
改めて朔を見る。何度目を擦っても、彼には獣の耳と尾があった。隣にいる陽もそうだ。陽が獅子で、朔が狛犬。
「更紗」
朔が立ち上がり、更紗のところまで来て膝をつく。そして、目を擦っていた更紗の手を取った。
「そんなに強く擦ると腫れる」
「あ……」
さっきと同じだ。更紗が唇を噛みしめた時、朔はそれを止めようとした。そして──。
唇に触れた熱を思い出し、体温が上がった。しかしふと気付く。そういえば、いつの間にか痛みが消えている。
更紗が切れた箇所に触れると、朔が顔を覗き込んできた。
「まだ痛むか?」
「え、あの……もしかして、さっきのは……」
「失礼いたします」
その時、障子が静かに開かれた。春南が人数分のお茶を持って戻ってきたのだ。しかし、二人を見るなり部屋に飛び込んできて、更紗の側に駆け寄った。その顔は、今にも泣き出しそうだ。
「更紗さん、またどこか傷つけましたか?」
「え?」
「朔さんが近くにいるってことは、また傷を治していたんですよね?」
春南の言葉に、更紗は口を僅かに開け固まった。
やはりそうだったのだ。さっき朔が更紗の唇を吸ったのは、切れた傷を塞ぐためだった。
「春南、違うって。落ち着け」
「え……?」
陽が春南を落ち着かせ、自分の隣に座らせる。春南の持ってきたお茶は、盆ごと立派な唐木の座卓の上に置かれた。
「傷を……治せるんですか?」
更紗が尋ねると、朔は小さく頷く。
「軽い怪我ならな。大きなものはさすがに無理だ。だから、大きな怪我は絶対にするな」
「……」
するなと言われても、しようと思ってする人はいないと思うのだが。しかし、朔が更紗に傷を負わせまいとしていることは、よくわかった。
朔はまだ更紗の目が気になるようで、じっと見つめている。あまり見つめられると、どうしていいのかわからなくなる。体温がどんどん上がっていき、頬が熱くて仕方がない。
「少し赤くなっている」
「え……」
朔は、擦られて赤くなった更紗の瞳のすぐ下を、親指で軽く触れた。
ドクン、と心臓が跳ねる。
こんなに簡単に触れないでほしい。その度に、飛び出しそうに心臓が暴れるのだ。
更紗はこの場から逃げ出そうとするが、朔に腕を取られたままではそうもいかず、僅かな距離を取ることで精一杯だった。
「これくらいなら、すぐに済む」
「あのっ……」
更紗の返事など待たず、朔は赤くなっている部分に唇を当てる。今度は吸われるようなことはなかったが、それがかえって恥ずかしさを増す。これでは傷の手当というより、普通にキスだ──。
「あああああ、あのっ!」
朔の唇が離れた瞬間に、更紗は朔の腕を払って大きく距離を取る。涙目で他の面々を見遣れば、揃いも揃って全員が申し訳なさそうな顔をしていた。
司狼などは、天井を見上げて「オーマイガー」とでも叫び出しそうだ。しかしそこはさすがに年の功というか、すぐに落ち着きを取り戻し、何事もなかったかのように話を続けた。
「誤解しないでいただきたいのは、陽と朔も我々と同じ「人」であるということです。ただ、彼らには使命があるだけのこと」
「使命……」
「はい。月川神社を護る、一対の狛犬としての使命です。ここは、現世と幽世の交わる場所、幽世からやって来るよからぬ輩どもが集まってきやすいところなのです」
「その……よからぬ輩って、人間に憑りついたり?」
「そうですね。憑りついた人間を使って悪さをしたり、憑りついた人間の生気を吸って命を奪うこともあります。力のない霊が集まり、大きな集団となってこちらを襲ってくる場合もあります」
更紗が昨夜襲われそうになったのは、霊の集まりではなかったか。そうでないと、あの大きさにはならないだろう。
「彼らの目的は、人を襲うことなんですか?」
「そうですね……。あらゆるものの破壊、とでもいいましょうか。人でいう恨みつらみ、怨念の塊です。その強い思念の塊は、幽世と現世の結界を突き破り、こちらへとやって来るのです」
「破壊……」
「なにせここは、あちらとこちらの境目です。ここに完全に穴を開けてしまえば、行き来し放題になります。そうすれば、大量の悪霊たちが現世に雪崩れ込み、大暴れすることになりますね」
「え!? そんなの大変じゃないですか!」
悪霊たちが大量にこちらの世界にやって来る、それを想像し、更紗はぶるりと身を震わせた。
司狼は神妙な顔で頷き、更紗を真っ直ぐに見つめる。
「そんなことにならないよう、月川神社があるのです。月読命様がお守りくださっている。そして、その月読命様を護るのが、獅子と狛犬の使命なのです」




