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花に春泥、しき緑  作者: 畑中炭比古
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飛世紫蘭 出立

 祭りの翌日、朝靄に包まれた木々と一緒に、ひっそり立って山を見下ろす。深く息を吸い込むと、土の湿った匂いがした。白え吐息と靄が混ざり合う。一見すると山の朝は静かやけど、そうでもねえ。冷えた空気の動く音、木の葉からこぼれ落ちる朝露の雫、目覚め出す獣や野鳥たちの気配。山の命脈が目覚めていく。


 昔の誰かが、一握りの米を求めて山を拓き田んぼをしいた。自分じゃ切ることはねえ、次の世代のための木を植えた。先人たちが繋いできたそういう流れの中で、私は生かされてきちょんのやろう、けど。


「あんたぁ、幸せやったかえ?」


 苔むしてうずくまる野仏に聞いてみる。名も生きた時代もわからん先輩は、当然のこと落ち葉に埋もれてだんまりや。


「さみい」ずずっと洟をすする。


 もうここには戻って来ん。この地の流れから外るる、そう決めた。祭りに参加したんは、私なりのけじめや。私にはここでの暮らししかなかった。小せえときから百姓仕事を手伝って泥だらけの真っ黒け。なんかの寄り合いがありゃ、大人に混じって飯炊きん手伝いや。


 でもこんな辺鄙な村やけど、誰に何が刺さるかわからねえ。都会から田舎に引っ越してくる、いわゆる移住ブームってやつで。空気のきれいなところで子育てしたいとか、自然農法で畑をしたいとか、若い奴らや退職して第二の人生を謳歌したい中高年が白鹿背を目指してやってくるようになった。


 地元の人間と外の人間、育ってきた環境も文化も違うけん、衝突することもあるけど、面白えやつらや。移住組で手先の器用なやつがおって、私にピアスを作ってくれた。私のこと、凛々しい顔と焼けた肌にきっとよく馴染むよ、とか言ってな、少し太めで輪っかになった真鍮のピアスをくれたんや。耳たぶに穴開けるのは怖かったけど、真剣嬉しかったけん、もらってからはいつも両耳にぶら下げちょん。そん人にはお返しに、罠猟で捕った鹿肉と野菜をたんまりやった。


 それでもな、やっぱり夜一人で家におると、たまーに電池が切れたごとなる。そうなると、いらんことばっかり考えちまう。私はこのままここで歳取って死ぬんやろかとか、田んぼも山もほっぽりだして、この家から出てったらどうなるんやろか、ってな。私と父さんを残して集落を飛び出して行ったあの人の気持ちが、今はなんとなくわかる。


 今まで紡いできた集落の歴史を、田んぼ耕して木ぃ切って、今度は私が繋いでいく。田舎の原風景っちゅうもんを守っていくわけや。移住組のやつらに言わせりゃ、そげな嬉しいことはねえんだと。ここには自分らしく生きていくための全てがある、そうやって白鹿背に理想を乗っけて来る。ここは豊かだってよ。


 あいつらの言う豊かさってのは、わかる。質とか、心の話やろ? でもそれなら教えてほしい。なし母さんは出て行ったん? なし父さんは田んぼで死んだん? 元々白鹿背の人間じゃねえ母さんは、父さんに嫁いでこっちにやって来た。自由奔放な人やったけん、田舎の狭えしがらみに嫌気が差したんやろうか。みんなほっぽって消えちまった。その後すぐや。父さんは農作業中に田植え機で畦に乗り上げて、ひっくり返った拍子に機械の下敷きになって死んだ。田んぼに入れるような精神状態やねかったんやと思う。それでも、田植えをして、秋の収穫に繋ごうっち、野良着に袖を通したんや。そうして父さんの時間は途絶えちまって、私にバトンが回って来た。自分がどげえしてえかもわからん。でも、飯は食ってかんといけんから、大学進学は諦めて、ただ百姓を続けよった。でも、いつまでやる? 死ぬまで? 父さんのごと?


 もう終いや。誰が開いた田んぼか知らんが、誰に託したい景色か知らんが、私は降りる。私を生きる。


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