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花に春泥、しき緑  作者: 畑中炭比古
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神嶽悠久 VS 可児慶土

 九十九は呼吸が整うと、のっそり立ち上がり倒れている轟に歩み寄る。気を失ってなお、石の体はそのままだ。


(どうしたものか)もちろんトドメは刺すつもりなのだが、意識を奪うのとはわけが違う。凶獣の石像を完全に持て余していた。見るともなしに見ていると、薄っすら開いた口の中、ピンク色が目に入った。


(なるほど、内か)九十九が石像の口をこじ開けようと手を伸ばしたその時、轟の口が微動した。


 九十九は驚き、慌てて手を引っ込める。ザッ。額から汗が滴り、不用心な自分を諌めた。


(……本当にくたばっているのか? 手応えはあった……が、相手は凶獣だ)いつ意識を取り戻してもおかしくない。すでに復活し、無力を装って自分を誘っている可能性もある。


(もしそうならば手を出せない。そもそも、もう一戦やるなんて……)九十九は優秀な戦士らしからぬことに、疑念と恐怖と疲労に絡め取られ動けなくなった。


(攻撃を躱せたことも、あの掌打も、轟の油断があったからこそだ。次は……もうない。こいつが起き上がれば、死ぬか……逃げるか……)そしてあろうことか、自分の成し遂げたことまで疑い、自ら戦意を挫いてしまった。ザザッ。あまつさえ後ずさる。


「お前も終わったら来いよ」可児は相棒に呼び掛けるが、返事はない。「おい」振り返ると、返事どころか、倒れた轟を前に様子がおかしい。


「なあ、どうした?」


 ザザザッ。


「……?」


 可児の視界に、ノイズが混じる。


 ザ、ザザッ。


(……おい、まさか!)とっさに目を凝らしてノイズを探る。


(くそっ。卒倒してたじゃねえかよ)目を凝らしつつ、額に指を当て、自らの脳に働きかけていく。ニューロンを通り脳の前頭前野に集まる情報、その中でも知覚や感覚を司る頭頂葉、視覚を司る後頭葉、いわゆる感覚野からの信号を注意深く精査する。見ているはずなのに、見ていない。ニューロンの発火を改ざんされた不快感と嫌悪感が眉間に乗る。とにかく可児は目の前の景色を徹底的に疑った。


(……いや、俺の油断だ)ノイズが徐々に像を結び、男の姿がクリアになるにつれ、可児も自らの否を素直に認めた。


(前もって聞いてたのに、この様だ)橋のたもとに今回のターゲット――神嶽悠久が悠々と立っていた。


「あれ、まじか? もうバレちまった?」まるで狙撃などなかったかのように、顔の半分を血で染めながらも平然としている。


「こんなに早く見破られたのは初めてだわ。そういう異能?」


 その通り、摩訶不思議な神嶽の異能に対抗し得る異能を持った男、それが可児だ。麻黒が裏社会の伝手を辿って、やっと手配した人材だった。


「こいつもやるよなぁ、腕にょきにょき生やしてよ。まさか岳をのしちまうなんて」


 その九十九には神嶽の姿も声も届いていないらしい。何かに怯えるよう固まって、ただ轟を凝視している。可児はいまだかつて、こんな姿の相棒を見たことがなかった。


「……平気なの? 頭」九十九の様子に戦慄しつつ、自分の感覚野や運動野を総点検する時間を稼ごうとする。麻黒から神嶽の異能について聞いてはいたが、それは断片的なものだ。


 一つ、相手の視覚に働き掛けて、自分の姿を消してしまう。

 一つ、相手の精神になんらかの異常をきたす。

 一つ、これらは一つの異能だと考えられる。


 近くにいた人間でさえ、神嶽の能力は未知なのだ。可児はこのままやり合うのはひどく危険だと判断した。


「これ、お前が撃ったの?」側頭部を指差しておおらかに笑った。「一瞬、意識飛ばしちまったよ。生きててラッキー」

「はは、どうも。銃は下手くそでね、申し訳ない」適当に受け流すが、可児の心中は穏やかならざる状況だ。


(ヘラヘラ笑いやがって。気色悪い)九十九がうどの大木に成り果てたのは神嶽のせいに違いない。今のところ自分は正常のようだが、いつどのように攻撃を仕掛けられるかわからない中、可児は底知れぬ不穏さを感じていた。


(……落ち着け、大丈夫。不安なのは先がわからないからだ)可児は自分の感じている不安や焦り、恐怖を一つ一つ丁寧に拾い上げていった。その上で、自らの脳を優しく諭す。(相手の能力が未知数? それはあいつにとっても同じだろ。今、この瞬間に集中しろ)彼の呼び掛けで脳は必要な分泌物質を吐き出して、ストレスを最適な状態へ調整しようと動き出す。(先のことはわからない。じゃあ今は? 俺は今、何か不自由を感じているか? 俺の行動を邪魔するものはなにもない)不安に揺れ動いていた精神は徐々に平静さを取り戻して、ついには細波一つない凪の境地に至った。


(そう、いい子だ。心配いらない、いつも通りさ)可児慶土、この男は自分の脳内物質の分泌を客観視する、もう一人の自分を頭の中に住まわしているマレビトだ。自分の平常心が脅かされる時、可児はもう一人の自分に成り代わり、静かに脳と対話する。対話を通じて、さながら乱れた音を整えるピアノの調律師のように、脳内で起こる化学反応を調整し、自分の感覚や感情を整えていく。そのおかげで可児はどんな窮地でも鉄の精神力と実行力を発揮できるのだ。


(サンキュー、モーターケイド)可児は、このもう一人の自分を敬意と親愛の念を込めてモーターケイドと呼んでいる。たった今も完璧な仕事をしてくれて、心は平静を取り戻した。


(相手が未知なら、未知のまんま倒しゃいい)


 可児は懐から拳銃を抜き出し、神嶽に向かって構えた。


「……ふうん」可児の内面で起こっていることを知ってか知らずか、神嶽は興味深げに可児を観察している。


「お前、面白えな」

「面白がってる場合かよ」可児は撃鉄を起こし、狙いやすい胴体に標準を合わせた。

「おいおい、狙うならここ狙えよ」神嶽は自らの眉間をとんと指し示す。「アドバイスだ。半端な負傷じゃ俺は止まらねえ」

「そうかい」とっとと片付けよう。引き金を引きかけた瞬間、神嶽の像が僅かにブレた。


(逃がさない)モーターケイドが感覚野を隈なく調律するが、神嶽の像はそこから動かない。

(ブラフか)そう認識するや躊躇なく銃を連射した。


 タスタスタスタスタス。サプレッサー付きの銃は規則正しく弾を飛ばし、次々に神嶽の胸元に着弾した。


「ぐっ」神嶽は血を撒き散らし苦しそうに膝をつく。しかし、彼が言う半端な負傷をとうに通り越えた重篤な状況に至ってもなお、笑みを絶やさず可児を睨みつけている。可児の鼻腔をほのかに甘い匂いが刺激する。


(元ヤクザの矜持か?)可児は膝立ちの敵の眉間に狙いを定め、撃つ。


 笑んだ顔のど真ん中に穴を開けられ、被弾した勢いのまま神嶽は仰向けに突っ伏した。


(……終いだ)必要性は感じなかったが、律儀にも可児は死を確認しようと神嶽に近づいた。傷口から血が吹きこぼれて地面を赤黒く汚している。橋を滲み進む血の行進を妨げぬよう、避けて神嶽の顔を覗く。


(うへ、ナイスショット)自分が作り上げた死体に顔をしかめ、次に轟の方を見遣った。


(一応、あっちも片付けとくか)


 可児は昏倒している轟に近づき、いまだ石化しているその体を頭から爪先まで丹念に目で撫でた。


(よくもまあ、こんなのと真っ向から戦ったよ)


 九十九の蛮勇に半ば呆れ、半ば感心しつつ、轟の口に銃口を突っ込んで引き金を絞る。弾丸は生身の口内から脳に至り、轟の命をあっさりと絶った。これこそがモーターケイド、どんな障害も越えていく鉄の歩み。神嶽の異能で刹那的に揺らぎはしたが、危なげなく仕事をやり遂げた。


(そう言えば、車のそばに女がいたな)ポケットからハンカチを出して銃口を拭きながら、対岸に視線を向ける。


(しゃーねえ。九十九は後だ)一歩を踏み出そうとした時、落葉する紅葉が顔をかすめる。反射的に行く先を追うと、足元の血溜まりに音もなく落ちていった。その赤い波紋から甘い匂いが静かに立ち上る。


(……)血溜まりの元を辿れば横たわった神嶽の死体。血の行進がゆるゆると可児に迫っていた。首筋に山の風が冷たい。(さすがにそりゃねえだろ)神嶽が倒れている橋のたもとから可児まで、ゆうに十数メートルは離れている。


(……まさか)モーターケイドが速やかに視覚を調律すると、血の行軍は消え失せていた。


(死んでも気味の悪いやつだ)それから波立った精神を落ち着かせ、思考を巡らせる。


(最悪の想定をするべきだな)考え得る最悪は今も神嶽は生きていて、自分がその異能の支配下にあるということだ。


 モーターケイドが脳の細部に至るまでクリアにしていく。今この瞬間、自分の感覚は正常だ。可児はモーターケイドで正常な自分を確認し続けながら、神嶽の死体に歩み寄った。


(やっぱり死んでる。……今の俺も、正常だ)


 タスタス。銃弾を神嶽の顔に撃ち込んだ。死体を追撃したところで、もちろんなんの反応もない。死体の上を紅葉がひらひら舞っている。


(俺は……大丈夫、正常だ)


 念のため、轟のもとへ行って先程と同じように口内に弾丸を見舞った。


(今も正常)


 そうして踏み出すと、靴の爪先が血に触れた。神嶽から赤い道が伸びている。鼻腔の奥を満たす甘い匂いに可児は気づかない。


(馬鹿な!)モーターケイドをフル稼働させつつ神嶽の死体へ走る。すでに三発分の穴が開いている顔に、撃つ。


(……俺は正常だ。大丈夫)


 轟の方に足を向けると、その足はくるぶしまで血に染まっていた。モーターケイド。振り返り死体を撃つ。モーターケイド。不安、焦燥、舞い散る紅葉。モーターケイド。そして銃を撃つ。


 神嶽の顔は幾度もの銃撃でひき肉と化し、その体からは血が泉のように湧き出て橋から溢れ落ちる。御木川は注がれる血でその流れを赤に染め、紅葉を飲み込んで山麓へ運んでいく。


(どうなってやがる?)モーターケイドは今も調律を続けている。異常はない、そのはずだ。地面にはいくつもの弾倉が転がっていた。


「これ、お前が撃ったの? 一瞬、意識飛ばしちまったよ」


 憔悴した可児の背後で、聞こえるはずのない声が聞こえた。


「生きててラッキー」


 振り返ると、頭部の成れ果てだろう汚い肉片を首からぶら下げて、真っ赤な死体が立っている。


「お前は一体……なんなんだ!」


 可児は半狂乱になってありったけの銃弾を神嶽に見舞った。


「アドバイスだ。半端な負傷じゃ俺は止まらねえ」

「うるせえ!」


 弾が切れると、可児は腰からナイフを抜き出し神嶽の心臓に突き立てる。その刺し傷から甘美な芳香が吹き出して、可児の感覚を加速度的に狂わせていく。


「いい加減死にやがれ!」ここに至ってもなお異能は働いているのだが、可児はすっかりモーターケイドと引き離され、幼児のごとく取り乱してしまっていた。


 首なし神嶽はナイフで刺されたまま、片腕で可児を強く抱きしめた。ぐちゃぐちゃになった十字型の首の断面からは、血まみれの骨がのぞいている。銃弾で削られたのか、打製石器のようにその先端が尖っていた。


「くそっ、放せっ!」


 全身で力いっぱい藻掻くが、信じられない腕力で身動きが取れない。首の断面が眼前に迫り、可児の鼻腔を濃い鉄の臭いが蹂躙する。破れた気管からは血と脂を含んだ生暖かい息が吹き出して、地獄の門から漏れ出る瘴気のように顔を襲う。首を反らそうとするが、もう片方の腕がそれを許さない。後ろ頭を鷲掴みにされ、そのままジリジリと赤い十字架に抑えつけられていく。


「や、やめろ……っくそ、たれ」


 恐怖で顔を引き攣らせながら、それでも歯を食いしばって抗う。しかしゆっくりと近づく赤い骨刃、そこに慈悲はない。


「あ、あああっ」


 抵抗する可児を歯牙にもかけず、赤刃は可児の右眼球をマイペースに突き破っていく。周りにまとわりついている肉片をこそぎ落としつつ歩みを進め、上眼窩裂を通り抜けて、その奥、前頭葉に到達した。その頃には可児も抵抗をやめ、ただ体をひくつかせているだけだった。あと一突き、異能とともに可児の脳を破壊できる。そこでようやく、赤い道は進むことを止めたのだった。




 無遠慮に体を揺さぶる振動で可児は目を覚ました。風がビュウビュウ吹きつけてきて寒い。あっ、と反射的に右目に触れようとしたが、両腕を後ろで縛られていて動けなかった。恐る恐る瞬きしてみると、なんの痛みもないし、視覚に異常も感じられなかった。(……生きてる。右目もなんともないみたいだ)目の前には車の座席シートが見える。どうやら自分は車内の後部座席の上に転がされているらしい。


「起きたか」


 声の降ってくる方を見上げると、前席から轟が顔を覗かせている。(なんだと?)可児は体を緊張させた。(どういう状況だ? 捕まったのか?)起き抜けの頭を必死に回転させ、状況を把握しようとした。


 轟の手が顔に伸びてくる。(なんだ。やめろ)ビリッ。熱い痛みとともに口が自由になった。今までガムテープで口を塞がれていたらしい。


「よう」轟の隣から、今度は神嶽の顔がひょっこり現れた。「誰かさんがサイドガラス割ってくれたおかげで、ちっとばかし寒いけどよ。そこは我慢な」


 神嶽の顔を見た途端、様々な感情で可児の頭はとっ散らかった。(こいつの異能にやられたのか? 一体いつ術中にはまった? 俺のモーターケイドが負けただと? くそったれ)可児にとってモーターケイドはただの異能ではなく、動じない心、その屋台骨であり、彼の誇りなのだ。それを破られたことの悔しさや不甲斐なさで泣きそうになる。が、(……そうか、俺は負けて、こいつらの車に載せられているらしい)敗れてなお、可児は自らの誇りを証明し続けようとする。邪魔な感情はいったん脇に置き、一つ一つ状況を確認しようと冷静に努めた。


(でも、なんでわざわざ? 殺すか、そのまま放っておけばいい話だ。尋問? そんな必要もないだろう。依頼主は明白だろうしな)


「お前、やっぱ面白えな」


 神嶽はにんまり敵に向かって笑んだ。


「俺をどうするつもりだ」可児は仕方なく尋ねた。それに「九十九はどうした?」

「お前の相方なら前にいるぜ」神嶽は助手席を顎で差した。


(助手席だと?)可児は驚愕した。助手席とはナビをしたり、居眠り運転の防止のための会話をしたりと、運転手をサポートする者が座る席ではなかったか。しかも、座る者によって運転手のの居心地がガラッと変わる、ドライブにおける最重要ポジションのはずだ。そんな敵側の車の助手席に、なぜ九十九が? お世辞にも、可児にとっても助手席に座られて楽しい相手とは言えない。


 全身を芋虫のように蠢動させ、どうにか座席の上に体を起こした。スリーシートの一番後ろに転がされていたらしい。運転席には女が座っている。(いや、そんなことより)件の助手席を見遣る。


「大丈夫か?」轟越しに助手席の九十九がぬっと振り返った。まるで二こぶの山脈が連なっているようだ。「盛大にやられたな」その九十九に拘束はなく、心なしかそわそわと楽しそうな表情だ。


(モ、モーターケイド……)しかし、脳内の混乱はどうにか収まるも、カオスな状況に変化はなかった。


「どういうことだ?」質問しかできない自分を無力に感じるつつ、聞かずにはいられない。

「ただのドライブさ」神嶽は楽しそうに言う。「付き合ってくれるなら、手足を自由にしてやる」

「ドライブ?」

「ああ、お前らの雇い主にご挨拶だ」

「……どういうことだ?」

「もう俺にちょっかい出さないようにさ。お灸を据えてやるんだよ」


 神嶽たちは神嶽組に向かっているらしい。付け狙われるのが鬱陶しいから、元を断とうということのようだ。


「なんで俺たちまで」馬鹿みたいに当たり前の疑問を口にした。

「いいだろ? 気に入ったんだ」

「……は?」側頭部に生々しい傷をこさえたままはにかむ敵の顔を、可児は阿呆のように見つめた。

「聞こえねえのか? いいからついて来いって言ってんだ!」なぜか不機嫌な轟から怒鳴られる。

「可児よ、じたばたするな。見苦しいぞ」そして理解の対岸にいる九十九からは諭される。


(一体どうなってやがるんだ?)結局、状況は目覚めた直後よりも一層混沌として、可児の思考が追いつくためにはもうしばらくドライブが必要なのだった。

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