轟岳 始動の凶獣
ハル坊は血飛沫をまいた勢いそのままに崩折れて、車窓から見えなくなる。何が起きているのかわかるようでわからない。できの悪いB級映画をスローモーションで観せられていたみたいに、そこから瞬間、記憶が飛ぶ。後に飛世が言うには、ハル坊の名前をブツブツ呟きながら、俺は幽霊のようにハイエースから這い出ていったらしい。
……懐かしいショートホープの匂いが漂ってくる。気付いたらハル坊の血に濡れた首元が眼前にあった。庇うように、いや、実際庇うためにハル坊の体に覆い被さったんだろう。倒れた指に挟まれたままの煙草は、何事もなかったように静かに紫煙をあげている。
そうだ、ハル坊。一体どうなった? 頭を撃たれた? 一体どこから? とにかく守らないと。
タスッ。乾いた音とともに地面が爆ぜた。その爆ぜたコンクリートの飛び散った方向を見て、一つ、今の自分の状況に合点がいった。横たわるハル坊の上半身を射線から隠す格好で、俺は四つん這いになって身を屈めているらしい。
ああ、最悪の状況にしちゃ、まずまずの判断だ。……違う! そうじゃない! まだオツムは眠ったままなのか!
自分を誇る気持ちをすぐに打ち消す。麻黒の刺客を予期しておきながら、この結果を回避できなかったなんて俺はとんだ間抜け野郎だ。
サプレッサー付きのライフル? 今のは俺を狙ったものなのか、ハル坊への念押しの一発か。どちらにしろ、もたもたしていられない。
撃たれたであろう頭部を確認しようとした瞬間、庭で腐っていた橙が脳裏をよぎった。喪失の予感に内臓が縮み上がる。血に濡れた首元から先に視線が進まない。
いく、いくぞ、いくんだ! 覚悟を固め、えいっと首の向こうへ視線を移す。一瞬、自分の最悪な想像が現実を覆ったように錯覚したが、待ち受けていたハル坊の顔は、黙ってそれを否定してくれた。
左の側頭部は血まみれだが、銃弾が顔面にクリーンヒットしているわけではなかった。左こめかみの少し上、線状に髪の毛ごと薄い肉が抉れて骨が微かに覗いている。赤黒い血で確認しづらいが、よく見ると銃創の始まりの損傷が大きく、覗いた骨は焦げて黒ずんでいる。側頭部に着弾したが、頭蓋骨の表面で弾が滑ったのかもしれない。
口に手をかざし、首筋にもそっと手を当てると、浅い呼吸と脈拍が伝わってくる。奇跡が起きた! おそらく頭に衝撃を受けて気を失っているだけだ。ハル坊の刻む命のリズムが、俺の掌から全身を巡る。その体を担ぎ、射線を切るように急いでハイエースに回り込んだ。ここなら銃撃は免れるだろう。
「きゃっ」
車の窓ガラスが割れる音とともに飛世の悲鳴が響く。そういえばあいつは無事なのか?
「こっちに出てこい!」ハイエースを背を預け、車内に向かって叫んだ。
「なんなんこれ!」涙目で飛世が飛び出してきた。「銃? なし撃たれないけんの? ハルさん生きちょるん?」上擦った声で矢継ぎ早に質問を飛ばす。
「神嶽組の刺客だ。まさか狙撃なんてな」
「狙撃ち、今んヤクザは軍隊か! ああ、ハルさん頭から血が!」
ライフルを扱えるやつなんて神嶽組にはいなかった。おそらくハル坊の異能を警戒してヒットマンを雇ったんだろう。
「弾はそれてる。気を失ってるだけだ。くそっ、どっから撃ってやがる」
敵はこちらに近づくことなく仕事をするつもりだ。このまま車の陰に隠れていても埒が明かない。
「どっからっち、お前見てねえんか」
飛世はハンカチをポケットから取り出し、忙しくハル坊の傷口に当てながら言った。
「あ?」
「車、停まっちょったやろうが。ほら、こん道ん対岸に。黒ん四駆や」
ハイエースからこっそり飛世の指す方角を見遣ると、川を挟んだ向こう側、自生した木々のせいで見えづらいが、さっきまで俺たちが走っていた道の離合地点に確かに黒い四駆が停まっている。
「二人おる! 一人は殺気ガンガン、こっからでもむせ返るくれえ匂いがはっきりわかる。もう一人は無臭や。静かすぎて逆に気味悪ぃ」
匂い? 言っていることはわけがわからないが、表情は真剣そのものだ。この状況で他に頼れる情報もない。
「わかった」
おそらくどちらかが狙撃手で、もう片方はその補助兼護衛だろう。飛世を信じることにした。都合のいいことに車のそばに干からびた輪ゴムが落ちている。あまり保たないだろうが、贅沢は言ってられず、ぱさついたそれを口の中に放って飲み込んだ。
「きさねえやん! な、なんしよんの?」
「敵をぶっ潰すんだよ」
俺の皮下で、筋繊維が緩くたわんでその性質を変化させ、人間の限界を超えたゴムの柔軟さと弾力性を備えていくのがわかる。
「落ちちょんゴミ食べるのと、どげえ関係があるん?」
「俺は食ったもんを体に再現できるんだよ」
「暴食」、それが俺の異能の名だ。ゴムに続いて、今後は転がっている石を口に入れ、消化しやすいように適当な大きさに噛み砕く。ゴムみたいな柔らかいものは体に還元するのが早いが、石のような硬いものは時間がかかってしまう。だがあまり細かくしすぎると、石の性質が消えてしまって砂になってしまうから、荒く砕くのがミソだ。
「い、石、噛み砕くっち、お前ん体どげえなっちょん?」飛世は応急処置の手を止めて、目を皿にしている。「ちゅーか、マレビト? じ、情報量が……」
いちいちうるさいやつだ。生物以外の食べたものを体に再現する、その異能の影響なのか、俺の顎と歯は特別製なのだ。「まあ、見てろ」拳程度の大きさの石を拾い上げた。今度は食うためではない。
「逃げられねえように、まずはあの車を潰す」
一つの賭けだ。ハイエースから身を晒す。俺がハル坊に覆い被さっていた時、狙撃は大きく逸れた。
ギャインッ。足元で銃弾が跳ねる。やっぱりただの牽制だ。
偶然なのかなんなのか、とにかく今、狙撃に構う必要はなくなった。腕を振りかぶり、片膝を高く上げて腰に溜めを作る。野球の投球フォームだ。体内で筋肉がミチミチと音を立て、破壊のエネルギーがその繊維一本一本に充満し高まっていく。
大きく足を踏み出し、腰から背中、腕をしならせた。弾む肉体、地面から足を伝い、指先に収束していく渾身の力。ゴムの筋肉が躍動して、破壊の弾道を一直線に描いていく。
百メートルほどの距離を大砲さながらに石は飛んでいき、派手な音を立ててタイヤの前輪を粉砕した。ほんとはエンジンルームを目掛けて投げたんだが、一応足を殺すことはできた。ダメ押しでもう一発いっておくか。手頃な石を拾い上げたが、体からゴムの弾力が消えていく感覚があった。干からびた輪ゴム一本なら、まあこんなものだろう。
「お前、バケモンか」
口をあんぐり開けている飛世に、車の鍵を投げ渡す。
「ハル坊を頼んだぞ」
「お、お前はどげえするん?」
「あっちに行ってくる。ここで暴れるわけにはいかねえからな」
遠距離でコソコソ狙ってくるような連中だ。接近戦になれば楽勝だろう。
好きにはさせない。今度はこっちのターンだ。




