表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花に春泥、しき緑  作者: 畑中炭比古
21/28

名伏密 心を燃やせ

「昌鹿さん、戻ってきてないですね」


 窓からしとしと降り続ける雨を見ながら百雲さんに話し掛けた。昨日姿を消した昌鹿さんは、今朝もそのまま行方知れずだ。


「そうだね。天気予報じゃ、明日からまた山に入れそうだしな。一応、いてもらわなくちゃね」


 百雲さんはそう言ってスマホを取り出し、耳に当てる。


「もしもしアリカさん。……ええ、久しぶりです。……うん、それで一つお願いがあって。……そうそう、まだいける? ……さすが。……え? 実は仕事の途中で行方がわからなくなって。……申し訳ない。……はい、ありがとうございます。……頼みます。それじゃ」


 電話を切り、百雲さんは悪戯っぽく笑う。


「アリカさんとお友達になったんだよね」


 なるほど。どうやら昌鹿さんの股間には、いまだに危険なマーキングが施されているらしい。想像しただけで内股になってしまう。


「あ、地図が送られてきたよ」


 二人でスマホを覗き込む。


「ん?」百雲さんの表情が曇っていく。「……どこだろ、ここ。闇無のどこかみたいだけど」


 ブブッ。続けてアリカさんからメッセージが送られてきた。


(ここ、神嶽組の闇カジノだよ。一回パパにおねだりして、連れて行ってもらったことある)


 百雲さんはメッセージを読むや、慌しくアリカさんに電話をかける。


「地図ありがとうございます。……ええ、そうなんです。……んー、どうだろ。……いつからここにいるかって……そう……それはわからないですか。……はい、ありがとうございます。こっちもなにかわかれば連絡します。……ええ、すみません。それじゃ」


 百雲さんは電話を切ったと思ったら、また誰かに電話し出した。


「葛原です、昨日はどうも。……今日明日、いったん事務所に戻ります。……ええ、中止というわけではないです。……早ければ明後日から再開しますので。……はい、すみませんがよろしくお願いします」

 どうやら睦男さんへの電話だったようだ。


「密君、荷物をまとめてくれ。一度戻ろう」


 早口の百雲さんに追い立てられて、状況を飲み込めないまま、自分の荷物と昌鹿さんが置いていったものをまとめて車に乗り込んだ。




 闇無の事務所を目指して県道を飛ばす。昌鹿さんは白鹿背の山を荒らしている神嶽組が所有する雑居ビルにいるという。


「情報が少なくて、仮定が乱立しちゃうけど」


 そう前置きする百雲さんの表情は硬い。


「一番真っ当なのは、昌鹿君と神嶽組がなんらかの理由で鉢合わせてトラブルになったってストーリー。昨日、僕らが睦男さんとこに行ってる間に昌鹿君がいなくなっただろ? 多分、一人で山に入ってシロヘノコをくすねようとしてたんだ。そこで神嶽組とばったり出会って交戦。考え辛いけど、昌鹿君が敗れて神嶽組のビルに拘束されているってパターン。なんでわざわざ拘束なんてしてるのかはわからないけど」


 話を聞きながら、助手席に体が沈み込むような錯覚があった。彼が姿を消した時、真っ先に俺が思い浮かべたことを百雲さんは口にしているのだけど、俺が勝手に想像するのと百雲さんの口から説明されるのとでは真実味が全然違ってくる。昌鹿さん、本当にシロヘノコを勝手に採ろうとしていたのか? 情けなさと不甲斐なさがこみ上げてくるけど、裏切られたという感覚がないから不思議だ。


「一番最悪なのは、昌鹿君と神嶽組がグルってパターン。これはもうほんと色々まずい。僕らの情報は依頼を受けた時から全部筒抜けで、常に神嶽組の掌で踊らされていたってことになる。しかも依頼主の損害が僕らの身内の反社会的な行動だったなんて、事務所の社会的信頼は地に落ちる。インターンはもちろんお終いだし、マクベスのメンバー登録は取消し。下手をすると僕も罪に問われかねない」


「いくらなんでもそこまでは……」

「僕だってそう思うさ。いくらなんでもって。でも、昌鹿君を信じれば信じるほど、なぜか最悪な仮説が息づいてくるんだ。今だって、僕らを掌で転がしながら高笑いして闇カジノで遊んでいる彼を、ごく自然に想像できてしまう」


 百雲さんの話を聞いていてやっとわかった。不義こそ昌鹿さんの信頼の証なんだ。俺たちの信じているモラルや良心なんてものは、彼にとってゴミクズ同然なんだろう。


 最悪な展開も十分あり得るという実感と不安が、下腹から首筋まで這い上がってきた。今の今まで、目まぐるしく変化する状況に振り回される自分を、高揚感とともに少し楽しんでいた。正直な話、今でも深刻な気持ちと、それをどこかで客観視している自分がいる。でも、それじゃダメなんだ。自分を掻き立てろ。居場所を脅かされる危機に、怒れ。


「密君、ひとまずキミを家に降ろすから」

「え?」

「インターンの範疇を超えてるよ。大丈夫、どうにかして見せるさ」


 意志の寄辺にしようと奮い立たせていた怒りに風が吹きつける。送り込まれる空気を火力に変えるほどには育っていない弱々しい種火は、すぐに萎んだ。でも、引き下がれない。ここで引き下がれば、俺は受け入れられざるものを受け入れることになる。今までのように。


「……すみません。い、嫌です」

「キミの気持ちはわかる。逃げたくないって思いも立派だ。だからこそ、待っててほしい」


 困らせないでくれ、言外にそう言われた気がする。でも、


「逃げたくない、じゃないんです。俺的にもう、逃げない、なんです」


 走り去る道の先、視線を外すことができずに、ただ真っ直ぐ言葉を溢す。


「……逃げたくないじゃ、今までと変わらないんです」


 玄関で青ざめていた俺から、やっと一歩進めて、今。はたから見ると、今も逃げている真っ最中なのかもしれない。でも、それでも、俺は進んでいると信じるしかないんだ。不登校だって後ろ指を差されようが、俺だけは俺を信じてやらなくちゃいけないんだ。だから、俺が信じられる俺になる。


 強ばる気持ちを握りしめるけど、視界が揺れてどうしようもない。望みを伝えるという行為は、まるで自分を殺す支度のようだ。


「……わかった。でも連れては行けない。だから、事務所で僕を待っててくれないかい?」


 それでもいい、精一杯頷いた。


「密君を事務所に降ろした後、僕は神嶽組の闇カジノに行ってみる。どこまでできるかわからないけど、昌鹿君の状況を探ってみるよ。もし、彼の意志に反してそこにいるようなら救出を試みるつもりだ」


 まだ声を出すと気持ちが溢れてしまいそうだったから、とにかく頷く。


「昌鹿君と神嶽組が通じてた時は……まあ、その時考えるさ」


 視界の外で、百雲さんが笑った気がした。わがままを通した申し訳なさが込み上げる。


 それでも俺は、ふやける空を堂々と睨みつけた。




 事務所に横付けした車から慌ただしく降りる。作り置きしていたおからのクッキーを頬張っていた麗子さんに今までの事情を手短に説明すると、「昌鹿君はどうでもいいから、とにかく事務所を守るのよ」と彼女は言って、クッキーの残りをティッシュに包んで百雲さんに握らせた。「こんな楽な職場、そうそうないんだから」そう言い添えて。


「はいはい、頑張りますよー」軽い口調とは裏腹に、ティッシュの包みをポケットに押し込みつつ苦笑いで出て行く百雲さんの背中は、冬山のように孤独だった。


「戻ったらなに食べたいですか?」口をついて出た。


 百雲さんは驚いたように振り返り、目を瞬いた。そうしてゆっくり口を開き、「ミネストローネがいい。野菜がごろごろ入ってるやつ」大事な何かを告げるように、かすれた声で呟いた。


「あったかいの作って待ってます」よし、トマト缶を買いに行こう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ