青柳昌鹿 あの夏のあいつ
マップアプリと睨めっこしながら、傾斜のなだらかな歩きやすいルートを進んで行く。電波がなくても使える登山用アプリなんて知らなかったぜ。シロヘノコの自生地は事前の打ち合わせの時、アプリに落とし込んでる。便利なもんだ。天気予報のとおり朝から雨が降ってやがるが、天に枝を広げた樹々が雨除けになって思ってたほどの歩き辛さはねえ。雨合羽を着てフードを被っちまえば、降り落ちる雨の鬱陶しさはほぼゼロだ。
所長と密は牛のお乳を絞りに早朝から出かけちまった。都合のいいことに、紫蘭の送迎つきだ。昼間の山で所長を出し抜いてシロヘノコを取るのは無理ゲーだし、それに勘違いかもしれねえが、紫蘭の奴も俺を遠巻きに観察してる節がある。要するに俺は今、全てから自由になって自分のためにだけシロヘノコを探せるってわけだ。松茸のシーズン終了と白鹿背豊年祭りの時期は重なる。この依頼中にどんだけシロヘノコを自分のものにできるかが勝負だ。
「アプリじゃこの辺のはずなんだけど」雨は木が和らげてくれるが、薄らかかる靄はどうしようもねえ。遠くの視界が効き辛えから、アプリがなかったら一人で探索は無理だったな。「おっ」雰囲気のいい木を見つけた。木の根元やその延長上、土中に伸ばしているだろう木の根の気配を探しながら丹念に地面を探す。この数日で俺も立派なキノコハンターだ。
「もりーのヘーノコーはどーこかーしらー」地面に這いつくばって探してると、急に視界の白い靄が濃くなって揺らいだ。俺の行動を牽制するように。
そんなまさか! 弾かれたように顔を上げて周囲を見渡す。ついこの前、粉塵爆発で吹っ飛ばされたばっかだ。所長が俺を追って来てたってことか? 雨の中、気配を全く感取らせず? ありえねえ……こともねえな、あの妖怪なら。俺のゴールデンドリームが早くも終わっちまうなんて、許されねえ。
祈るような気持ちで濃くなった靄の先に目を向ける。「まじか」その先には濡れた落ち葉を押し退けて雄々しく屹立する白いチンポ、もといシロヘノコが十本近く群生している。その傘の上に、枝から雫が零れ落ちる。ポフッ。雫の衝撃でシロヘノコの傘から白い胞子が舞った。ポフ、ポポフッ。続け様に他のシロヘノコも胞子を撒き散らす。
「なんだよ、おい」ひときわ濃い靄の正体はこいつだ。ずっと地面と睨めっこで探してたから、漂って来る胞子に気付かなかった。体から力が抜ける。だいたい辺り一面に白い靄って環境がいけねえ。嫌でも所長の影がチラつきやがる。
まったく、ポフポフ脅かしやがって、いたずらっ子め。「そのフォルムでそんなに胞子ポフポフしちゃダメでしょ。モザイクかけちゃうぞ」とにかくこれで百万円ゲットだ。丁寧にシロヘノコの周りを指で掘っていく。
まだ山に入って小一時間くらいしか経ってねえ。こんなに幸先がいいと、もしかするとほんとにキノコで借金完済できるかもな。なるべくグラム数を稼ぎたいから、途中で折っちまわないように掘らねえと。雨で地面が湿ってるおかげで、土が柔らかくて掘りやすい。一本一本優しく指で土をかき分けていく。土いじりなんてどれくらいぶりだろな? ガキの頃、泥団子を作って以来だぜ。そういや、硬えまん丸の泥団子を作れたんで自慢してたら、年上のクソガキに踏んづけられて壊されちまったっけ。もちろんボコボコにしてやったけどな。
「おわっ! ひ、人だ」
ひゃうっ! シロヘノコを掘りながら昔に思いを馳せてると、いきなり背後から弱々しい男の声がした。心臓が跳ね上がったぞ、この野郎。もしかして集落の人間か?
「よかったぁ。ね、ねえ。あんた白鹿背の人?」
屈んだまま慎重に振り向くと、甘ったるい顔した泥だらけの男と、その男の肩を借り、片足をを引きずるようにして歩く柴犬そっくりの男が靄から現れた。白鹿背の人間にしては雰囲気が荒んでる。
「……あれ? もしかしてキノコ狩りに駆り出された口?」あま顔は俺をまじまじ見て首をかしげる。
「……ば、ばか。無闇に……近づくんじゃねえ」柴犬は息も絶え絶え、ベビーフェイスを嗜めた。
「そんなこと言ってられないじゃん! 早く恒川、医者に診せないと」ベビーフェイスが負けじと言い返す。
「それにヒロシも言ってたでしょ。もう集落には俺たちのことバレてんだから、今さら取り繕うことないって」
「……だ、だからだよ。いいか。……遭難して、ボロボロの……俺たち。仕返しの相手にゃ……うってつけだろが」
柴犬は俺から距離を取ろうとするが、逆に体を支えるベビーフェイスはこっちに近づこうとするもんだから、バランスを崩してずっこけた。
「恒川は細かいこと気にしすぎるるんだよ。そこで座ってな」
「……もう、勝手にしやがれ」柴犬はそのまま近くの木を背もたれにして、雨に濡れながら苦しそうに座り込んだ。怪我と雨でかなりまいってるみてえだ。唇は真っ青で、薄く目を閉じて浅い呼吸を繰り返してる。
「ねえ、あんたここで何してんの? ヘノコ狩りに駆り出された奴隷君かな?」
会話からするに、俺たちに先んじてシロヘノコを狩ってたのはこいつらに違いねえ。これは俺様にビッグチャンスが到来したんじゃねえのか? こいつらのシロヘノコを奪っちまえば、こんな雨の山をほっつき歩くこともねえ。
泥遊びした豚みてえになって、もしかしたら狩りの途中で遭難したのかもしれねえな。可哀想だが、俺に会ったのが運の尽きだ。
「俺はマクベスから派遣されたモンだ。集落の依頼で、お前らをとっちめに来た」
フードを深く被り直しながらゆっくり立ち上がり、足元のシロヘノコを隠す。
「マクベスッ」
ベビーフェイスは俺のハッタリに顔を強張らせる。
「逮捕権も与えられてっからな。逃げようっつっても無理だぞ」
「ま、まじかよ。どどど、どうしよう」
さっきまでの軽さは消え去り、急におろおろし出すベビーフェイス。こいつ、顔だけじゃなくて中身までベビーなんじゃねえのか? 相棒を病院に連れて行くんじゃなかったのかよ。
「麻黒さんに殺されちゃう。ね、ねぇ、どうしよう恒川」
ベビーフェイスは振り返って助けを乞うが、柴犬もとい恒川はぐったり座り込んで反応がない。半ば気を失ってる。……ん? こいつ今、麻黒って言ったな。麻黒ってあの、神嶽組の火炎放射器のことか? ははは、まさかほんとにヤクザがキノコ狩りとはな。しかも神嶽組と言やあ、一年前の夏に闇カジノでがっぽり稼がせてもらったお得意様だ。どうやら俺たちは特別な縁で繋がってるらしい。
「な、なぁ。あんた、見逃してくれよ。俺たちだって好きでこんなことやってんじゃないんだよ」
うひゃひゃ! 話が早えじゃねえか。こうなればこっちのもんだ。
「見逃せだあ? お前らチンケな窃盗団の言うことなんざ、聞いてやる筋合いねえんだわ」
「もうしないから! 頼むよ、この通り!」
ベビーフェイスは泥濘に両膝をついて、祈るように両手をあわせ懇願してくる。違う、そうじゃねえだろ。
「ふざけんなよ。お前ら逃がして俺になんの旨味があんだ?」
「う、旨味?」
こいつ、ヤクザのくせに勘の悪いやつだ。
「お前ら、シロヘノコ採りに山に入ってるんだろ? ならよ、それ寄越せ」
「え! だ、だめだよ」
「ああん? じゃあいいぜ。てめえらふん縛って終いだ」
「ちょ、ま、待ってくれ! わかった、わかったから! ……でも、今ここにはないんだ」
「ない?」
ベビーフェイスと恒川を交互に見遣るが、確かに二人とも身一つで何も持っていない。
「昨日、シロヘノコを探してる間に遭難したんだ。他のやつらは先に行っちゃうし」
どうやらこんな山の中で、昨晩から雨に打たれ続けているみてえだ。
「はっ、置いてかれたのか。薄情なお仲間だな」
「しょうがないよ。みんな自分のことで精一杯さ。失敗したらボスになにされるかわからない」
麻黒ってやつはよっぽど部下に怖がられているんだな。
「それならお前も、あんなやつ放っときゃいいじゃねえか」
木に寄りかかってくたばっている恒川を顎で指す。
「ち、違う。恒川が俺を助けてくれたんだ。俺が崖から落ちそうになったのを庇ってくれて」
それでこいつは助かり、恒川が怪我をしちまったってわけか。だから放っておけない、と。はは、こんな情けねえやつ、助け損だなこりゃ。
「そうかそうか。だがそりゃお前らの事情だ。シロヘノコがねえっつーんなら、別のもん出せや」
「あ、あんたほんとにマクベスの人間か?」
「うるせえな。所詮は小遣い稼ぎだっての。で? なんかあんのか? ねえなら職務を真っ当しようかね」
「待ってよ! ……み、見逃してくれたら、保管庫に案内する!」
「保管庫?」
「シロヘノコを保管してるビルがあるんだ。恒川を病院に運んだ後、そこに案内する。もうすぐ業者に引き渡す時期だから、結構な量になってるはずだよ」
「お前、馬鹿か? わざわざ敵の懐に飛び込むやつがあるかよ。どうせ待ち伏せて俺をボコろうって腹だろ」
「そんなこと絶対しないから! 仲間と連絡取れないように、俺と恒川のスマホもあんたに預けるよ。そもそも電池切れちゃってるんだけど」
「てかお前さ、ボスが怖いんなら、ここで俺にふん縛られるのも、保管庫に案内するのも一緒じゃね? どっちにしろやべえだろ」
「……ほんとはもう、どうでもいいんだ。いつもビクビク怯えながらいるの、疲れるし。それにシロヘノコちょろまかす方がごまかし効くんじゃないかな?」
「まあ、俺にゃ関係ねえけどな。それじゃ、ほれ」俺は手を差し出す。
「え?」
「スマホ、寄越せよ」
「……! ありがとうっ!」
「あるだけ全部もらってくからな。あと、そいつはお前が担ぐんだぞ」
俺は少し待つようベビーフェイスに告げ、足元のシロヘノコを綺麗に採った。よし、シロヘノコ狩り、第二ラウンドのはじまりだ。




