プロローグ 名伏密について
俺、名伏密の中には怪物がいる。そいつは俺の理性をどんどん食い散らしていき、肥え太って御し難い。一六歳の男子が戦うには、荷が勝ちすぎる化け物だ。
俺の内なる怪物は、ありていに言ってしまえば、それはつまり性欲だ。
俺が初めて自分の性欲と相見えたのは小三の頃で、なんの覚悟も身構えもなく突然それは現れた。そのとき俺は、風呂に一人でどっぷり浸かり、潜水艦の潜望鏡に見立てたチンチンを水面からのぞかせて遊んでいた。ふとした思いつきでそばにあったビニール人形と潜望鏡を格闘させ、先っぽの方を人形の足でぐりぐり踏んづけていたら変な気持ちになっていった。なんだか変だな、ちょっと気持ちいいかも、そう思った矢先に、固く鋭い快感が俺の潜望鏡と脳天を突き抜けていった。そういう刺激になれていなかったせいか、俺は人形の足に踏みにじられてものの数秒で果てたんだ。
怖かった。汚いところをいじって得た快感は小三の俺には強すぎて、いけないことをしてしまったという罪悪感で胸がいっぱいになった。天国の母がこれを見て、どう思うだろう。がっかりするだろうし、おぞましく思うはずだ。俺に母の記憶はないけれど、何かあるたびに育ての親である祖父母が、「母さんが空から見守っているよ」と言っていた。まだ固くびくびくと脈動するチンチンを強く強く握りしめて、頼むから小さくなってくれ、こんな俺を見ないでくれと半べそをかいた。もうチンチンにイタズラなんて絶対しない、そう固く誓いもしたけれど、次の日にはもうすでにイタズラする始末。そして俺はその行為が終わるたびに激しく自己嫌悪し、空にいる誰かに怯え、また新たな誓いを立てるのだった。
厄介なことに俺は女の子が好き、いや、大好きだ。俗に言う好きなタイプというのもあるにはあるけど、その守備範囲は割と広い。いや、そもそも「範囲」なんて限定するような表現を用いることは正しくないのかもしれない。艶々した黒い髪からはみ出た大きな耳の形がきれい。中途半端に伸びた髪を引っつまんで結んだ毛先が魔女の箒みたい。雪のように白い肌に整えていない逞しい眉毛が映えて、逆に整っているように見える。そんなよくわからない理由で気になる女の子はそこら中にいて、俺はころころ好きになった。
性欲と惚れやすさを並べて語るつもりはないし、本来それらは全く別の代物だ。
でも俺の場合、並べて語らざるを得ない。俺には、好きという気持ちと性欲を直結させることができる忌まわしい力があるんだ。オナニーを覚えた小三から数年後、金玉の裏っ側にひょろりと一本目の陰毛が生えた小学校の高学年の頃、目が合ったものを自分の思うままに欲情させるという恐ろしい能力を身に宿した。
エロガキがそんな力を持ったのならば、さぞ淫らな生活を満喫していることだろうと羨ましがるのはナンセンスだ。俺はただのエロガキではなかった。天にいるらしい母や、何より周りの実在する人たちに、自分の破廉恥さを知られることをよしとしない魂の気高さを持っていた。ただのむっつりだという指摘があるけれど、そんな意見はあえて無視しよう。真実はいつも自分の胸の中にあるものだ。俺は今でも自分の欲望と戦う戦士であって、そのうえ紳士であろうと努めている。
俺はこの力を持ってから、自分にオナニーを許した。存在があやふやな空の上の母を考慮したとしても、許さざるを得ないと判断した。自分で処理することもできずに膨らみ上がった性欲は、きっと、いや絶対、俺に異能を使わせる。俺は自分のことを誰よりも理解している。理解しているからこそ、この異能を恐れたんだ。一度異能を使ってしまえば、俺はあっという間に性獣に成り下がるだろう。それだけは断じて許されない。
正直なところ、オナニーという武器を罪悪感なく振りかざすことができるようになった戦士の俺でも、やはり欲望を加速させる自分の目には参った。気高くあろうとする魂と欲望の戦いをより一層熾烈なものにした。誰彼構わず東西入り乱れ争い続けた応仁の乱もかくやというほどに、俺の心は様々な感情でとっ散らかり、理性と本能は複雑怪奇で果てのない戦いを繰り広げることとなる。きっと、性に朗らかな人ならこうはならなかっただろう。俺だからこそ、自らを望まない茨の道へと誘うのだ。