第41話 朝稽古
神前家の朝は早い。実家に帰るとこれまでの寮生活がいかにたるんだものだったということに誠は気づく。家の慣れたベッドの中、冬の遅い太陽を待たずにすでに誠はベッドで目覚めていた。
そのまま昨日色をつけ終わって仕上げをどうするか考えていたドレス姿のカウラの絵を見ながら、のんびりと着替えを済ませる。紺色の胴着。その冷たい感触で朝を感じる。その時ドアの向こうに気配を感じた。
「おーい。朝だぞー!」
間の抜けた調子のかなめの一言。どうやら今回は薫に起こされて来たらしい。以前来た時は女性隊員は数が多かったので道場で雑魚寝をしていいて薫の朝稽古が終わったあたりでカウラが起きてくるといった感じだった。今回は気の置けない三人とあって母は自分の起床に合わせてカウラ達を起こしたらしかった。
「わかりました、今行きますから……」
そう言って頬を叩いて気合を入れてドアを開く。階段を下りるかなめの後姿。白い胴着が暗い階段で浮き上がって見える。
「かなめちゃん……もう少ししゃきっとなさいよ」
「だってよう、まだ夜じゃん。日も出てないし」
「珍しいな。低血圧のサイボーグか?」
階段を下りると同じように白い胴着を着たアメリアとカウラがいる。
「じゃあ、行きますよ」
そう言って目をこすっている三人を引き連れて長い離れの道場に向かう廊下を進んだ。
『えい!』
鋭い気合の声が響いてくる。さすがに薫の声を聞くとカウラ達もとろんとした目に気合が入ってきた。
「誠ちゃんですらあの強さ……薫さんもやっぱり強いのかしらね」
アメリアの言葉に誠は頭を掻きながら振り返る。誠も一応この剣道場の跡取りである。子供のころから竹刀を握り、小学校時代にはそれなりの大会での優勝経験もあった。
その後、どうしても剣道以外のことがしたいと中学校の野球部に入って以来、試合らしい試合は経験していない。それでも部隊の剣術訓練では嵯峨親子やラン、かえでは例外としても、圧倒的に速さの違うサイボーグのかなめと互角に勝負できる実力者であることには違いは無かった。
「あら、皆さんも稽古?」
四人を迎えた薫の手には木刀が握られていた。冷たい朝の空気の中。彼女は笑顔で息子達を迎える。
「まあそんなところです……ねえ、かなめちゃん」
アメリアに話題を振られてかなめは顔を赤らめる。誠はそれを見ておそらくかなめが言い出して三人が稽古をしようという話になったんだろうと想像していた。
「さすが甲武の鬼御前と呼ばれる西園寺康子様の娘さんね。それでは竹刀を……」
薫の言葉が終わる前にかなめは竹刀の並んでいる壁に走っていく。冷えた道場の床、全員素足。感覚器官はある程度生身の人間のそれに準拠しているというサイボーグのかなめの足も冷たく凍えていることだろう。
誠は黙って竹刀を差し出してくるかなめと目を合わせた。
「なにか文句があるのか?」
いつものように不満そうなタレ目が誠を捉える。誠は静かに竹刀を握り締める。アメリアもカウラも慣れていて静かに竹刀を握って薫の言葉を待っていた。
「それじゃあ素振りでもしましょうか……」
そう言って誠達は一列に横に並んだ。
「それじゃあ始めましょう……えい!」
薫はそう言って素振りを始める。
「えい!」
慣れた調子で誠も素振りをした。
思えば母とこうして素振りをするのは小学生以来なかったことだった。久しぶりの感触に誠は笑みを浮かべながら素振りを続けた。
「誠ちゃん……気合入ってるわね」
素振りをする誠に向けてアメリアはそう言って笑いかけた。
「ええ……久しぶりなんで」
「でもバットの素振りはしてたじゃないの」
薫はそう言って誠に笑いかけた。
「竹刀とバットじゃ振る向きが違うから……バットも野球部を辞めてから振ってないし」
少し言い訳がましく誠がつぶやくのを見て黙々と素振りをしていたカウラがその手を止めた。
「そうか……神前も久しぶりなのか……」
「そうですよ。でも母さんは毎日やってるんだろ?」
誠はカウラに向けていた視線を母に向けた。
「そうね、昔からのことだから……もう何年になるのかしら」
そう言うと薫は誠達の前でいつもの笑顔を見せた。
「じゃあ、朝食の準備をしましょう」
薫はそう言うと竹刀を置いて道場を後にした。誠達もまた竹刀を壁に立てかけると薫に続いて母屋の台所に向かった。




