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第36話 上流階級

 ドアがノックされたころにはかなめはすでに西園寺家当主の姿に戻っていた。


「どうぞ」 


 そんな丁寧なかなめの言葉に誠達は思わずかゆみを覚えていた。ドアが開いた瞬間、誠とアメリアは現れた女性の纏っている衣装に息を呑んだ。 


「失礼します」 


「メイド!メイドさん!」 


 いつの間にかアメリアはそうつぶやいていた。入ってきたのはフリルのついたスカート、白いエプロンがまぶしい典型的なメイド服の女性だった。甲武貴族の出入りする店だからといって、そんなものがリアルにいるなどとは誠は信じられなかった。


「ベルガー大尉、クラウゼ少佐、神前曹長。今日もアッサムでよろしいですわよね」 


 かなめは自然体で微笑む。その妖艶にも見える表情に誠は頭を掻きながらうなづく。二人のメイドは静かに紅茶の準備を進めている。


 その光景を眺めている誠達の耳に再びノックの音が響いた。


「どうぞ」 


 再び凛としたかなめの声が響いた。開いた扉からは長身の紳士が現れた。誠は思わずアメリアに目をやったが、彼女は紅茶の準備を進めるメイドに夢中だった。しかし現れた紳士があまりにも典型的な執事のような姿をしているのが目に入るとアメリアの表情は驚きに変わった。


「かなめちゃん!」 


 思わず抱きつきかねないような感無量の表情を浮かべているアメリアが叫ぶ。それを見て爆笑しそうになるかなめだがつつしみの演技を思い出すようにして静かに目の前に置かれたティーカップに軽く触れる。


「何かしら?クラウゼ少佐」 


「ありがとう!本当にありがとう!」 


 メイドに執事。ついにアメリアは感激のあまり泣き出した。だがその理由が良くわかるかなめは待たせている神田という名前の執事風の男に笑顔を向けてアメリアを無視することに決めたようだった。


「これはお待たせいたしました」 


 タイミングを見計らって執事風の神田という老紳士は静かにかなめの正面に座る。隣に雰囲気の違う人物に座られて誠はいづらい気分になった。


「このお二人に似合うティアラなどをお求めとか」 


「そうですわ。私の上司ですもの。一緒にいて恥をかかされてはたまりませんわ」 


 そんなかなめの言葉にこの場で唯一平常心を保っているカウラは明らかに不機嫌になる。一方のアメリアは紅茶を入れ終わってもそのまま待機しているメイドさんに夢中だった。


「いえいえ、ですが西園寺様程のお方とお付き合いされている方という事で探しますとかなりお時間が……」 


「分かっておりますわ。ただ明々後日がこのベルガー大尉の誕生日ですの」 


 そう言ってかなめは目の前のカップを見下ろして紅茶をどうするか悩んでいるカウラに目をやる。その一瞬だけ見せるサディスティックな笑みに誠は大きくため息をつく。


「エメラルドグリーンの髪……もしかして……」 


「私はゲルパルトの人造人間です」 


 カウラは一言そう言うとまた難しそうな顔でカップを見下ろす。


「どういたしましたの?ベルガー大尉」 


 再び残忍な笑みを一瞬だけ浮かべた後にカウラにかなめは追い討ちをかける。カウラはそれを見て覚悟を決めると机の中央に置かれた上品な白磁の上のレモンを手にとってカップに落とし込む。


「そんなに緊張なさらないでください」 


 笑みを浮かべる執事におどおどと頷くとカウラは静かにカップを手にして口に運ぶ。その様子をかなめは今にも噴出しそうな表情で見つめている。


「髪を映えさす為に緑で統一するということになりますと……」 


 そう言って紳士はテーブルの上のコンソールに手を持っていく。次々と画像が移り、そしてエメラルドのはめ込まれたティアラとネックレス、ブレスレッドのセットを表示させる。


「これなどはいかがでしょうか?現在鏡都の支店に保管してあるものですが明後日には取り寄せることができると思いますが」 


「緑の髪に緑の石。いまひとつ映えませんわね」 


 かなめの言葉に神田という支配人は笑みを浮かべて静かにまた端末の操作に移った。その表情はこの写真を見ればかなめがどういう反応を示すかわかりきっているかのようで誠は感心させられた。


「それならこれなどはいかがでしょう?幸い当店にありますお品物です」 


 そう言って画面に現れたのは赤い宝石のちりばめられたティアラとネックレス、そして指輪のセットだった。はめ込まれた石は一つ一つは大きくないものの、その数、そしてその周りを飾る小さなダイヤも見事に輝いて見える。明らかに高嶺の花とわかる商品にただ誠は息を呑んだ。


「なるほど、ルビーですわね。確かにベルガーさんの緑の髪には似合うんじゃないかしら」 


 かなめはそう言って悠然とカウラに目を向ける。そのタレ目の真意を測りかねてカウラは呆然としている。そこで神田は微笑んで話し始める。


「よろしければ直接ご覧いただけますよ。早速用意させます。そしてこちらのご婦人のものは……」 


 今度はアメリアを一瞥して再び老執事は検索を始めた。カウラはただ呆然と二人の会話を聞いていた。もしそのまま彼女の気の抜けた顔を今のかなめが見たらかなめの演技のめっきは剥がれ落ちて大爆笑間違いないという状況だった。


 誠はただ老執事の手元だけを見ていた。


「クラウゼ少佐のものは急がなくて結構ですわよ」 


 そう言うと自然な動きでレモンと砂糖をカップに入れてかなめは悠然の紅茶を飲む。その優雅な姿はいつも寮で番茶をずるずるすすっている御仁と同一人物だとは誠には信じられなかった。


「なるほど、では、まもなく開かれるオークションなどに出品されることが考えられているようなものでもよろしいわけですね?」 


 かなめを見上げて穏やかに笑う初老の支配人の表情は穏やかだった。


「そうですわね。とりあえずコンセプトを私が決めますからその線で品物が出てきたときに連絡していただければ結構ですわ」 


 かなめはゆっくりとカップを置く。彼女にこんな芸当ができるとは誠も予想していなかった。


「それではこれなどはいかがでしょう」 


 そう言って映し出したのはダイヤ中心の白を基調としたようなティアラと首飾り、それに腕輪のセットだった。


「あのー、かなめちゃん?」 


 画像を見たとたんにアメリアはそれまでの楽しそうな表情から一変して頬を引きつらせながら隣に座るかなめの袖を引っ張る。


「どうされましたの?クラウゼ少佐」 


 今回かなめが浮かべた表情は見慣れたかなめの満足げなときに見せる表情だった。明らかに悪魔的、そして相手を見下すような表情。確かにこんな目でよく見られている小夏が彼女を『外道』と呼ぶのも納得できる。


 そんな二人の様子を老執事は黙って見つめていた。


「そんなにお気になさらなくてもよろしいですよ。防犯に関しては定評のある銀行の貸金庫の手続き等、初めて購入される方の要望にもお答えしていますから」 


「神田さん。わたくしの銀行の東都支店。あそこを使いますからご心配には及びません」 


『わたくしの銀行』という言葉。誠、カウラ、アメリアはその言葉に気が遠くなるのを感じていた。


 神田と呼ばれた老執事はやさしげにうなづく。そしてこれまでと違う表情でかなめを眺めていた。


「そういえば神前様にと頼まれていた品ですが」 


 かなめの表情が見慣れた凶暴サイボーグのものに変わる。びくりと誠は震えるが、神田が手元の端末に手を伸ばしたときにはその表情は消えていた。


「ちゃんと手配しておきました。合法的に東都に輸入するには必要となる加工が施されていますので実用には……」 


「ええ、その点は大丈夫ですわ。機関部とバレルなどの部品についてはわたくしの部隊に専門家がおりますから。そちらの手配で何とかするつもりですの」 


「機関部?バレル?」 


 しばらく誠の思考が止まる。バレルという言葉から銃らしいことはわかる。しかし、ここは宝飾品を扱う店である。そこにそんな言葉が出てくるとは考えにくい。正面のカウラもアメリアもただ呆然と男が画面を表示するのを待った。


「これなんですが……指定の二十世紀のロシア製は見つかりませんでしたのでルーマニア製になります」 


 金色の何かが画面に映される。誠はまさかと思い目を凝らす。


「悪趣味……」 


 思わずつぶやいたアメリアの一言で、誠はその目の前の写真の正体を認める準備ができた。


 アサルトライフルである。形からしてベルルカンの紛争地帯でこの遼州系でも使われているカラシニコフライフルに良く似ている。しかも金属部分にはすべて金メッキが施され、グリップやハンドガードは白、おそらく象牙か何かだろう。そこにはきらびやかな象嵌が施され、まばゆく輝く宝石の色彩が虹のようにも見えていた。


「AIMだな。ストックは折りたたみか」 


 それだけを言うのがカウラにはやっとだった。三人は呆れたようにかなめに目をやる。


「あら?どうしましたの?だってお二人にも贈り物をしたんですもの。いつも働いてくれている部下にもそれなりの恩を施すのが道理というものではなくて?」 


 かなめの笑顔はいつもの悪党と呼ばれるような時の表情だった。誠はこんなかなめの表情を見るたびに一歩引いてしまう。


 ドアがノックされる。


「入りたまえ」 


 神田の言葉に先ほどカウラの為と指定したルビーのちりばめられたティアラとネックレス、そして純白のドレスを乗せた台車が部屋へと運ばれてきた。


「いかがでしょうか」 


 ゆっくりと立ち上がった紳士についてかなめ、カウラの二人が立ち上がる。額のようなものの中に静かに置かれたティアラと白い絹のクッションに載せられたネックレス。しばらくカウラの動きが止まる。


「ベルガー様。いかがです?」 


 そう言ってかなめはにやりと笑う。いつのも見慣れた狡猾で残忍なかなめと上品で清楚なかなめ。その二人のどちらが本当のかなめなのか次第に誠もわからなくなってくる。


「ドレスも一緒とは……」 


 そう言ってカウラはマネキンに着せられた白いドレスを眺める。


「試着されてはいかが?」 


 追い討ちをかけるようなかなめの言葉にカウラは思わずかなめをにらみつけていた。


「そうだな……」 


 もう後には引けない。カウラの表情にはそんな悲壮感すら感じさせるものがあった。


「それではこちらに」 


 メイド服の女性に連れられて部屋を出て行くカウラが誠達を残して心配そうな表情を残して去っていく。


「それではこちらのお品物はいかがいたしましょうか?」 


 老執事の穏やかな口調に再びソファーに腰を下ろしたかなめがその視線を誠に移す。


「僕は使いませんから、それ。射撃は苦手なんで」 


 ようやく搾り出した言葉。誠もそれにかなめが噛み付いてくると思っていた。


「そうなんですの?残念ですわね。神田さん。それはお父様のところに送っていただけませんか?」 


「承知しました」 


 最初からそのつもりだったようであっさりとそう言うかなめに、誠は一気に全身の力が抜けていくのを感じた。安心したのはアメリアも同じようで震える手で自分を落ち着かせようと紅茶のカップを口元に引き寄せている。


「でも西園寺様の部隊。司法局とか世間では呼ばれておりますが、大変なお仕事なんでしょうね」 


 老執事のそれとない言葉に紅茶のカップを置いたかなめが満足げな笑みを浮かべている。


「確かになかなか大変な力を発揮された方もいらっしゃいますわね」 


 かなめの視線が誠に突き刺さる。一般紙でも誠が干渉空間を展開して瞬時に甲武軍の反乱部隊を壊滅させた写真が紙面を賑わせたこともあり、神田も納得したようにうなづいている。


「そうですね。特に誠ちゃ……いや神前曹長は優秀ですから。どこかの貴族出のサイボーグと違って」 


 明らかにアメリアはかなめに喧嘩を売っている。誠もかなめのお姫様的な物腰に違和感を感じてそれを崩したい衝動に駆られているのは事実だった。


 居づらい雰囲気に呑まれながら誠はただカウラが帰ってくるのをひたすた待ち続けた。



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