宝石と想いの行方
ひぃちゃんは宝石が好きだった。
宝石はもちろんだけど、多分鉱物全般に興味があったんだと思う。
私も興味が無い方では無くて、どちらかといえば好きで。でも、そっちに足を踏み入れるとズブズブと沼にはまってしまうことが分かっていたから、そっちに行かないようにしていた節がある。
実際、一時期半貴石でアクセサリーを作ってネットで販売し、生活していた時期もあった。(ハンドメイド作家とかのハシリの時期だな)
でも、コレクターにはならないように気を付けていたし、一目ぼれしてから探し求めていたラブラドライトのリングを購入してから、それ一つで自分を納得させるように心がけていた。
とどのつまり、実は大好きなのだ。
一度、共通の友達のあーちゃんが貴石博物館に行きたいと言ったことがある。
私も(もちろん石好きとしては)貴石博物館の事は知っていて、行きたいと思っていたけど
・博物館が駅から離れており、簡単にはいけない事
・駅からどうにか足を用意したとしても、そもそも遠い事
・自宅から車で行くには高速代などがかかり、一人旅は現実的出来ない事
・そこに足を運ぶほどの誰かを誘うという人選が難しい事
などがネックで一人ではいけないなぁと思っていた場所だったので、誰かが一緒なら車一台で高速代を割り勘で行ける!と飛びついた。
そこに速攻ひぃちゃんが食い気味で「採掘道具一式持っている話する?」と飛びついてきた。
そこからトントン拍子で話は決まり、一泊二日で貴石博物館と温泉の旅が決定した。
車はひぃちゃん所有の車。運転は私。運転は苦にはならない。
確か私がひぃちゃんの家まで車で行き、乗り換えて、駅まであーちゃんを迎えに行ったのだ。
三人ともご近所さんではないので、なかなかその辺りは苦労する。
食道楽の三人はサービスエリアで買い食いをしながら貴石博物館に到着。
わくわくが止まらない三人は鼻息荒めで、宝探しに挑戦。
今はどうかわからないが、土日に隣接する施設で宝探しのイベントをやっているのだ。
学校の手洗い場のような大きなシンクに砂利と半貴石と当りのサイコロが敷き詰められていて、そこから見つけた石を持って帰れるというもの。
当りのサイコロは見つけた目によって、高価な石と交換してもらえるのだ。
三人とも、発生源のかわからない「私こそサイコロを見つけらる」という自信満々で挑戦したものの、やはり簡単に見つかるものではない。
しかし、醍醐味は入っている半貴石の一覧があって、そのコンプリートだ。
早々に銀色のサイコロサーチモードから、きれいな石サーチモードに切り替えて制限時間まで目を爛々させて石を探した。(ちなみに探す時の姿勢が腰を痛くする……)
結果はだれもサイコロは見つけられず。
でも、それなりの収穫があった。
見つけた石をザルから袋に詰め替えてもらった。
その戦利品のカテゴライズなどをしながら後の時間を過ごしたいのは山々なのだが、まだ本命の博物館を堪能していない。
急いで博物館に入館し、また目を爛々とさせながら、こんにしゃく石やら、いろんな生物のうんこの石やら、貴石に半貴石、建物のステンドグラスなどを見学・体験し、お土産も厳選に厳選を重ね、熟考し、購入の上、退館した。
石以外のお話は全部余談になってしまうのだけれど……
この貴石博物館の所在地は富士山のおひざ元なので、その広い敷地内から、富士山がきれいに望むことができる。
ここへ来るまでの高速でもそうだったのだけれど……静岡や山梨の方にはわかってもらえないかもしれないのだけれど、富士山に慣れていない者がその土地に足を踏み入れると、富士山が大きく見えるたびに「わぁ!」となる。実際に「わぁ!」と言う。
だだっ広い敷地で富士山を見てテンションが上がりまくった三人は、はしゃいで写真を撮りまくった。
そこから宿へ向かう道中も、偶然みつけた菜の花(ではないかもしれない)と桜とつつじと富士山が一度に楽しめるポイントがあり、そこでも車を止めて激ハッスルした。
今となってはすべてがいい思い出なのだけど、ここは特に鮮烈に残っている。
そんなこんなで宿に着き、素泊まりだったので食事へ出かけたり、夜のコンビニドライブをしたり。
その頃には癌闘病しているひぃちゃんには、楽しいとはいえ、身体にかなり負担をかけていたのかスイッチが切れてしまっていた。
(私とあーちゃんは、隣のホテルで露天風呂を貸していただいて堪能したのだけど)
夜は、少しだけ回復したひぃちゃんを交えてなんか話したけれど、あまり覚えていない。
あーちゃんとひぃちゃんが、フリーランスの話などをしていた気もする。
その日の戦利品のカテゴライズも、疲れ目ながらやっていたと思う。
楽しい夜は疲れていても眠れないものだ。
翌日は富士山の見える天然温泉へ行き、朝霧高原でお昼を食べて帰ろうというコースだった。
前回話した通り、ひぃちゃんはストーマだった。
ストーマとは人工の肛門。
体の状況にもよるのだろうけれど、腰辺りに人工の肛門作り腸を繋げる。そしてその人工の肛門から腸で消化されたものが無意識に排泄できるようになっているのだ。
そのストーマにパウチ(袋)を着けて管理をするのだけど、それも防水テープでぴっちりと体に張り付けて、私たちは気にしないのだけれど……いや、ひぃちゃんの方が気にしたのかもしれないけれど、中身が見えないよう処置をして、富士山を眺めながらお風呂も一緒に入った。
家族の話とか、あまり他では話さないような話もしたなぁ。
裸だからだろうか。全員が赤裸々に話した。
もちろんストーマについても色々教えてくれた。
大腸が無くても、出来ることも食べる物もなにも変わらない。
疲れやすそうだったけれど。
ほうとうもワカサギもカレーもチーズもヨーグルトもソフトクリームもいっぱい食べた。
これは2018年4月の話。
まだまだタイムリミットなんて、遠い未来の話だと思っていた。
── そして2020年12月。
コロナだけど一年に一度は会うかと、思い切って会う事にした日。
その日、いつものようにお寿司を食べ、まだしゃべり足りないのでコーヒーを飲みに違うお店にはしごをした。
そこで、ひぃちゃんは私たちに宝石を選ばせた。
茶色いお菓子の箱を取り出すと、中にはぎゅうぎゅうにルース(裸石)状態の宝石や半貴石が入っていた。
石の種類は色々あった。色とりどり。形もラウンド・オーバル・マーキス・トリリアント・スクエア……
10ミリを超える大きな石もあったような思うけれど、ほとんどが4ミリから6ミリ程度。
一つ一つがジップ付きの小さな透明の袋に入っていて、石の名前がシールで張り付けられていた。
実は(たぶん)全部、規格外の石で、サブスクと言ったらいいのだろうか?クラウドファウンディングと言ったらいいのだろうか?
兎に角、定額で定期的に、かけていたりインクルージョンのある石が送られてくる石なのだ。
ひぃちゃんはキラキラしたもの好きが講じ、彫金を習っていた。
コロナ下で教室には通えないけど、リモートで続けていると言っていた。
なので私たちに、その石で指輪を作ってくれると言うのだ。
もちろん、石好きを抑えてはいるものの根は石好きの私と、抑えてはいない石好きのあーちゃんは、目をキラキラさせて石を選んだ。
好きな石は別にあるんだけど、この先絶対に誰からも貰う事のないだろう石がいいな、と思った私は「グランディディエライト」にした。
あまり個人的に着けることのない緑色の石だった。
トリリアント(三角)のファセットカットで、今思えば、緑色も濃くて透明度も高かったなぁと思う。
あの頃は、そのすごさがわからなかったのだけど。
ひぃちゃんはグランディディエライトは希少石だと教えてくれた。
あーちゃんは結局選びきれなくて、ひぃちゃんに任せるという事になった。
その帰り道、余命の話を聞いたのだ。
結論から言うと、ひぃちゃんの指輪を作りたいという願いは叶えられないままになってしまった。
12月の時点でも、浮腫みがひどく一段であろうと段を上るのに苦労していたのだけれど、年が明けてからも浮腫みがどんどんひどくなり入院をし、2020年の最初辺りに広いリビング活用と家の補強のための大規模リフォームに伴って、ひぃちゃんは2階に大きな専用の仕事部屋兼アトリエを作っていたのだけど、その部屋にも上がる事も出来ず、痛みと薬物アレルギーによる全身のかゆみ、痛み止めなどによる抗えない眠気、食べたい衝動と食べたくても食べることができない矛盾に襲われる毎日を過ごしていたのだ。
そんな状態でやりたいことができるはずもなく……
そして、そのグランディディエライトが入ったあの茶色い箱もどこにあるのかわからず仕舞い。
どこにあるんだろうなぁ……
ひぃちゃん自身が作りたいと言ってくれたから、叶えてあげたいという気持ちと、それとは別に、実は別の友達からの情報でひぃちゃんは家族には内緒でエンディングノートを書いていたらしく、それも見つかっていないというのだ。
どうしてだか分からないけれど不思議に、私はどうしてもその2つが同じところにある気がして、エンディングノートをご家族の為にもひぃちゃんの想いの為にも、見つけてあげたいなぁと思う。
家族が入れ代わり立ち代わり、いろんな目でいろんな場所をくまなく探したそうなのだが、見つからないらしい。
ひぃちゃんは、一緒にもっていってしまったのだろうか。
やり残したから。まだ足りないから。
……亡くなった人の想いは何処に行くんだろう、そんな事を考え続ける。
まだ少し続きます。