余命告知
寿司同好会というのは、ひぃちゃんと、あーちゃんと私のライングループ名だ。
その名の通り、三人でよくお寿司を食べに行った。
長時間喋りたいから基本は回転ずし。
しかし侮るなかれ。
回転ずしと言えども、レベルはそこそこなので、舌の肥えた生魚好きの私たちも満足していた。
ひぃちゃんと私は同級生なのは言わずもがななのだが、あーちゃんの年齢は下なのだ。
もともと私がとある「うたうたい」のファンで、ファンサイトで知り合い、かれこれ二十年ほどの付き合いになる。
なんとなくこの二人は引き合わせたいとは思っていたものの、なかなかそんな機会も無く時は流れていたのだが、偶然にも私がボーカルを務めるバンドがお寺のお祭りでライブをする機会があり、二人が見に来てくれて引き合わせる事が叶ったのだ。
ひぃちゃんはとても開いた人なのだ。
あーちゃんも愉快で優しくて人懐っこい人ではあるけれど、警戒心もあり……というよりも無意識に気をつかって、自分の事よりも人の心配ばかりしているような、そんな人。
だから最後の薄皮一枚、開くまで時間かかかるようなところがあるのだけど、驚いたことにひぃちゃんとはその日の内に最後の薄皮一枚も無くなってしまったように私はには見えた。
これも開いている事がダダ漏れのひぃちゃんのなせる業なのだろう。
ひぃちゃんは、どんな意見や価値観もとりあえずはウエルカムで聞いて熟考してくれる。
なので基本的に速攻否定ということが無い人だった。
熟考ののち、違うな、と思ったところで、疑問に思う所は口にするけれども否定はしない。
私も考え方の違う人に出くわすと「そーゆー人もいる」と飲み込み最終的な否定はしないが、触れないようにする節がある。でもひぃちゃんは、異文化というか「わからない事」に対していい距離感を保ちながら関わり続け、わかろうとし続ける。
だから、開いている印象があるんだろう。
ほんと、人生何週目だったんだろうな。
そんなひぃちゃんだから、私たち寿司同好会のメンバーに病気の状況を話してくれるのもすごく早かった。
癌の発病は私がたぶん先に聞いていたと思う。
あーちゃんに初めて話した時も、かなりカジュアルに話していたように思うのだけど、ちょっとそこは失念していて定かでは無い。
しかし、最後の最後まで、私たちに嘘偽りない状況を報告してくれていた。
今、抗ガン治療にこんなことをしているけど、あまり効き目が無くて数値が高いとか、
この治療法がダメだったから手が無いから困っていて、主治医も悩んでくれているとか、
新しいところに転移が見つかってしまったとか、
けれど、きちんと調べたら転移では無く、別の癌だったら、それを摘出してもらえるとか、
血液が固まらないから手術ができないし、絶対に怪我ができない事(学生時代から包帯やギプスを付けていない事が珍しいほどの人物である事を考慮)とか、
臓器が無くなった事、ストーマになった事、ストーマ利用者がおしゃれをする事に対する意識変革を起こしたい事、病院での看護婦さんとの楽しい会話、コミュ障の主治医の話……
新しい治療法の事やら、お薬のことや、治療のうまくいっている事もいっていない事も、きっとほぼ全部。
言わないことも聞かれたら、答えてくれた。(だいたいあーちゃんが聞く)
これだけ包み隠さず言うのも、自分の病状に向き合う事になるのだから、強い人だと思う。
そして、強い人だからこそ……いや、そういう強い人は逆に何も言わない方向に行きがちではないのかな、と思うのだけどひぃちゃんはどんなに不利な状況に陥っている時も話してくれた。
その状況に落ち着く前段階で、リサーチがあったのだ。
受け入れ側(カミングアウトされた側)がショックな内容を聞きたいか、隠されていたいかのアンケート。
多分、あれはそういう事だったんだろう。かなり前の話だ。
本人は会社でのカミングアウトの話として聞いていたけれど、その頃はもうフリーランスになっていたので、関連することはあるかもしれないけれど、直結することは無かったはず。
その時の本人の言葉を借りると「隠している方が何かあった時に迷惑をかけるだろうから出来るだけカミングアウトしているんだけど、もう一方で余計な心配をさせたくない(心的負担をかけたくない)」と言っている。
嘘偽りないひぃちゃんの気持ちなんだろう。
社内の話前提で話がふられていたので、私も職場の中ではこうだろうか、という返事をしたうえで、私たちのような関係においての答えを聞かれているような気がして 「友達同士だったとしたら、それは言ってもらった方が私はいいな」「何が変わるってわけではないけど、聞かない方が不自然な気がする」と返事をした。
ネガティブな考えに直結するのを、出来るだけブロックしようと考えた返事だった。
「もし何をカミングアウトされても、無駄に気をつかわないから大丈夫」というメッセージだったのだが、きっと正しく受け取ってくれたから、最終的に余命が出た段階で、タイムリミットも教えてくれたんだろうと思う。
私たちは淡々と事実を話すひぃちゃんの言葉を聞き、粛々とそれを受け取った。
だから、可哀想がったりはしなかった。
それが、お互いが気をつかわないという無言の契約だったように思ったから。
ひぃちゃんの本当の心の中は不安だったり、恐怖だったり、ネガティブな気持ちも抱えていたんだろうけれど、それを見えなくしてしまうほどの「やってみたい事」や「食べたいもの」や「わくわくする事」「素敵なもの」という光がずっと輝いていたように思う。
私たちが余命を聞いたのは2020年の12月だった。
コロナで会えなくなり色んな遊びの予定がとん挫していたのだが、三人で会うのがほぼ一年出来ていないという状況になり、そろそろ会ってもいいか、となった。
あーちゃんも、私もほぼ引きこもりのような生活をしていたし、もちろんひぃちゃんは感染しているはずもなく……(入退院を繰り返し、出かけるのは病院のみ)
だから、食事くらい今年最後に行こうと出かけた時だった。
明るい声で話し始めた。
「実はぁ……、私の命のタイムリミットが出てしまいましたぁ!」と話が始まった。
車の中で。私は運転していた。
── 長くて半年。
それがタイムリミットの長さ。
しかし、私はその前の段階で……いつだっただろうか。
ずいぶん前から浮腫みがひどいという話で、腹水がたまっているとか、下半身に水溜まって抜けない、という話から始まり、2020年には胸水が溜まっているという話を聞いた時点で、タイムリミットが始まっているんだなぁと思っていた。
私の妹もそれだった。
肺の水はどうしても抜けない。
肺胞一つ一つが水没してしまうと呼吸できる部分が徐々に侵食されていき最後は呼吸ができなくなるのだ。
本人もそれは知っていたんだろう。お互いに口に出さなかったけれど。
余命告知の話を聞いた時、「肺が侵食されるよりも早くタイムリミットが来るんだな、」と思った。
私は「そっかぁ、」と言ったのち、「余命半年と言われても何年も生きている人もいるからね、実際わからないよね、」と言ったと思う。
そして咄嗟に半年として6月、いや、上手くいけば夏まで。
今年も桜を見たいし、花火も見たい。
もう一度旅行もしたい、と色々と思いが駆け巡った。
何よりひぃちゃんのやりたい事を全部させてあげたいと思った。
それが何かはまた別の機会に。
まだ少し続きます。