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ひぃちゃん、つれづれ  作者: メラニー
21/25

穴の開いていない写真

写真オタクが火を噴く回です。

色々文章が邪魔くさいと思います(笑)

 ひぃちゃんのご家族が、前回お邪魔した時に遺影にする写真だけでは無くて、遊びに行った写真すら見せてもらったこともないと仰っていたので、私は私の持っている画像や写真をプリントして一冊のアルバムにまとめた。

 ひぃちゃんダイジェストアルバム。

 次にお邪魔した時に、ご家族に渡そうと思って。(具体的にはコンちゃんとお邪魔した時)


 私たちの高校生の頃は、レンズ付きフィルムの全盛期だったと思う。

 (写ルンですとか、撮りっきりとか……フイルムの販売に「写真が撮れる」という付加価値を付けた商品。なので商品にも注意書きがしてあるように、「撮れる」という付加価値にお金を払って貰ているので、フイルム以外はメーカー側が回収するのが基本)


 あの頃の女子高生は、一人最低二つは持ち歩いていただろう。

 多い子で四つ同時持ちは珍しくなかった。

 まずカラーネガ。そして、キャラクター付き、セピア、白黒。望遠やら、高感度フイルム使用のもの。日付をいれる為のAPSフイルムのものも……


 今もスマホで画像を日常的に撮っているんだろうけれど、あの時代はフイルムのコマ数は決まっていて、多くてひと巻40コマ。少なくて12コマ。主流が24枚撮りだった。

 同時プリント代(現像……生のフイルムに付いている乳剤を熱と薬品で剥がし写っている像取り出す事と、プリント……印画紙に像を焼き付ける事を一度の注文でする事)も馬鹿にならないので、湯水のように使う事は出来ず、ワンショット入魂!

 いや、今から思うと湯水のようにバカスカ撮っていたけれど、あの時はあの時なりに節約していたつもりだった。


 色々撮ったなぁ。

 何気ない写真ばっかり。

 下校途中に公園で寄り道してブランコに乗って撮ったり、休み時間に撮ったり。

 今思うと、なんであんなに撮ったんだろうと謎だけど、それが楽しかったのだ。

 そして、そういう写真の方が後に思い出になる。


 余談……

 でも、よくよく考えると、私はもっともっと小さいころから写真が好きで、今はもう忘れ去られた110(ワンテン)のフイルムのカメラをもう使わないからと親がくれて、それで撮りまくっていた。

 なので時代が私に追いついたんだろう(笑)

 その後もおもちゃカメラ(ロモのLC‐A)を購入したり、デジタルカメラに移行しても、フルサイズカメラを買ったり、そこそこ私は幼少期からカメラ趣味は続いているんだなぁと今初めて気が付いた。

 (古い人間なのがばれる……もうばれてる←)



 撮った写真はちゃんとアルバムにしまってあるのだけれど、ほんと写真ってその時の自分の為にプリントするものでは無くて、遠い未来の自分の為にするものなんだな、と改めて実感した。(色あせしない高級プリントにするべき。明らかに色あせが違う)

 その頃の写真が役に立ってくれた。


 高校在学中から、卒業旅行の沖縄、大学時代、社会人になってから、あーちゃんと3人で遊ぶようになってから、と、長きにわたっての写真を持っていた。

 当初はそこから40枚ほどいいショットを集めてミニアルバムに……と思っていたのが、どんなに厳選してもほぼ100枚になってしまい、それをプリントして、おばさんに渡した。

 もちろん、喜んでもらえたのだけれど、心残りがある。



 ひぃちゃんがストーマを付ける直前の話。

 前にも書いたけれど、ストーマとは人工の肛門の事。たいていの場合、腰辺りやお腹の皮膚に穴をあけて装着をする。

 もちろん一度開いてしまえば、穴の開いていない肌に戻ることは無い。

 (一応、特別な手術が今はあるみたいだけど……前にストーマを閉鎖をしたお医者さんの記事を読んだ気がする)


 なので肌に傷がつく前にヌード写真を撮ってほしいと頼まれて、私を含む写真を趣味にしているひぃちゃんの知り合いが4人集まって撮影会をしたことがあるのだ。


 ヌードと言っても健康的で、全裸では無くて腰のあたりが見えるようにした程度の……セミヌードまでも行かない感じで終わっていた。

 私以外のカメラマンが、仕事繋がりの友達で男性ばっかりだったのも(ひぃちゃんの廃墟撮影のお仲間)、思いきれなかった原因かもしれないし、もともとそのつもりだったのかもしれないし、そこは今となっては分からないのだけど。



 写真を撮るという行為は本当に不思議なもので、同じ被写体を同じカメラで撮ったとしても、全く違って映るのだ。

 視界が違うというか、見えているものが違うんだろう。

 切り取り方とか、今だ!と思ってシャッターを切る瞬間や、その時の光、空気感。そして被写体をどう思っているかなど、びっくりするほど写真に映り込んでしまう。

 なので、得意不得意がはっきりと分かれる。


 風景を魅力的に撮れる人。人物を魅力的に撮れる人。動物を魅力的に撮れる人……

 その人の持っている装備の違いや、知識の違いはもちろん反映されるのだけど、それ以外の+αがあるのは確実なのだ。


 高校の修学旅行に行った時、行先は北海道だったのだけど、道東から道南へ移動する班と、そのまま逆の日程を行う班で二手に分かれていた。

 私の班に同行したカメラマンは人物を撮るのが得意なカメラマンだったようで、人物のポートレートはどれも魅力的だったのだが、風景がいまいち。

 でも逆の日程班に同行したカメラマンは風景がものすごく得意で、どれも感動するレベルの写真だったのだが、人物には興味が無いらしく、どれも可哀想な感じだった(笑)

 その時に、写真というのはシャッターを押せば撮れるけれど、それだけでは無い事を知った。

 (もちろん私はその時の写真販売は、風景は同じところを回っているのだから逆日程班の写真を買った)


 私はひぃちゃんヌード会の時、頭ではそれが分かっていたのだけど、まだ心や指先にそれが降りてきていなかったというか、どうしたらそれが出来るのかがわかっていなかったのだ。

 今は、何となくわかるのだけど……


 日本人は、被写体本人が見て良いな、と思える瞬間を撮ってあげようと構えるんだけど、フィンランド人の友達が同じ被写体を撮った写真を見た時、本人の「こんな顔の瞬間は残したくない」みたいな評価とは関係なく「生きてる」とか「楽しんでる」とか「歌ってる」「踊っている」という「している!」みたいな瞬間を撮っている感じがして、写真からあふれ出る勢いが全然違っていた。


 あと特に人物は、自分のその人への評価とは関係なく「かわいい」「かっこいい」「すてき」と思ってシャッターを切ってあげる事。本当に驚くほど違うからやってほしい。

 知らない人をかなりの数撮ってきた私が言うのだから、信ぴょう性はあると思う。

 しかし、写真は鏡ではなく真実を写すと書くくらいなので、正しい自分の顔を受け入れていない人には不評なのだ……。

 それも本当の事。「私、こんな顔していません」と言われたことあり。

 どう見てもそんな顔なんだけど……そういう難しい部分もある(汗)


 まぁ技術でカバーできないところは、そういう思いが大切なんだなぁと、すごく勉強になったのだけれど、あの時はまだそれも知らない。

 技術もない。

 ストロボもその時は持っていなかったもんなぁ。


 つまり、あんまり私的には納得のいく写真では無かった。


 それでも、画像を渡すとひぃちゃんは喜んでくれた。

 その時にRAWロウデータ(画像になる前の生データ。それを現像して画像になる。大体は個人で現像処理をしなくてもカメラに搭載されたメーカー特製の現像処理機能で画像に仕上がったものを見ている。)を好きにして~と、全てのデータをあげてしまって、同時に、自分の肌色の多い画像を他の人が持っているのは嫌だろうなぁと私が持っているデータは消してしまったのだ。(自分的にも不本意な写真だったし)

 なので、あのお腹に傷一つない、開いている穴はおへそだけの写真が無いのだ。


 他の男性カメラマンたちもきっともう持っていないと思う。

 仕事仲間のヌード写真だからねぇ。

 保存しにくいよねぇ。


 ひぃちゃんは今必死に「見せないでいいから!」と私の横辺りで言っていると思うけど、ご家族に見せたかったなぁって。



 これはこれ、なんだけど。

 遺影がセルフポートレート(たぶん学生の時だったと思うんだけど……卒業してからだったかなぁ?髪をツーブロックにした記念だったかもしれないし、撮影のために髪を切ったという話だったかもしれない……)なんて、ひぃちゃんらしくてかっこいいとは思うんだけど、それでも、もし私が通夜の前の時点で連絡がついていたなら、いろんな写真の中から、選んでもらえたのかもしれないと思うと、それはそれで、しょんぼりした気持ちにはなってしまう。




 ずっとこの「ひぃちゃん、つれづれ」を通して言っている事なんだけど、紙の媒体で残すことは結構重要なんです。


 違う媒体が無いと見れなくなってしまう方法で残してしまうと、いつか見られなくなってしまう。

 もちろん紙を失くせば元も子もなし、火事や災害で無くなることもあるだろうけど、それはデータでも一緒。

 でも、紙は一部無くしたり破損しても、助かる部分もある。


 メディアで残すのは静電気や湿気、普通に破損もある。

 CD‐Rで残すのと、DVD‐Rで残すのとどちらがいいか聞かれることもあるけれど、プレスされていない剥き出しの書き込み面は傷がつけば一気に見られなくなる。そもそも傷がつかなくても風化劣化する。


 クラウドも絶対じゃない。

 何かの拍子に消してしまうかもしれない。

 会社が放棄する日が来ないとは言いきれない。保存されている地域が戦争になったらどうなるだろう。


 それら何かの媒体を挟まないと見られないシリーズは、ビデオやレコード、オープンリールが主流では無くなったように、何年後か先はその媒体自体無くなっている可能性もある。

 ちょっと前のはずのカセットテープやフロッピーやМОなんかも遺産レベル。

 カメラに使われていたメディアだって消滅したメディアは多い。

 スマートメディア、XDカード、メモリースティック……


 何が言いたいかというと、画像全部を写真にしろとは言わないけれど、大切な画像だけは写真にして残してほしいって事です。

 家庭用のプリンター(インク)でも自動販売の写真機(インクリボン)でもなくコンビニのプリンター(たぶんレーザー)でもなく、写真屋さんで銀塩プリントしてください。

 赤ちゃんの写真だったりすると、その一枚の写真、その子のお孫さんが見るかもしれない一枚ですよ、と思う。

 そこまで色あせしないで残るのは、銀塩プリントしかないから。

 (決して私は写真屋の回し者ではないけれど。利害関係ないし。)



 写真だけでその頃に戻れることもあるから。

 高校の帰り道の写真も、卒業旅行の写真も、2人でゾンビになった写真も、あーちゃんと三人で富士山の被り物を被って撮った写真も、あーちゃんとひぃちゃんの完璧に擬態したおば写も、全部写真になったから思い出が色あせないなぁって思うのです。


 本当、写真って良いものですね。(なんだ、その終わり方)

ね、オタクだったでしょ?(笑)


でも、そんなにオタクではないんですよ、ほんとに。

必要な技術なのに失われそうだから、どうにかしてあげたいな、と思うだけで。

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