甘味千里を走る?
甘いものは別腹などと宣い、調子に乗って食べているといつの間にか体重が増えていた。世の甘党の頭を悩ませる問題だ。
味覚にも自分にも甘いのが原因ではあるが、甘味くらい心ゆくまで楽しみたいものだ。運動した後のご褒美として後顧を憂うことなく食べるか、摂取カロリーと同等以上の運動をする鋼の決意を持った人間だけが、別腹を主張できる。
「うーん、やっぱりおいしくない。」
お昼休憩中に久し振りに市場に出回っているトマトを口にしてみたものの、味のバランスが悪い。人間の食への探究心はすごいけど、野菜はフルーツと違ってそのまま食べることに関してそこまで考えられていない。
このトマトは煮込み料理に使えばおいしいのだろうけど、生食にはあまり向いていない。こっちのミニトマトはフルーツとして作られた品種でとても甘い。ただひたすら甘いだけで、トマトらしい味わいは感じられない。それからそっちの濃い赤色のは健康志向で栄養価は高いらしいけど、味を度外視して作ったらしく、生だと途轍もなく酸っぱくて食べにくい。
「その中じゃ、フルーツトマトが人気らしいぜ。」
「甘ければいい、ってものでもないんです。少しくらい酸味も混じってて一流のトマトなんです。」
「まぁ、言いてぇことは分からんでもねぇな。」
甘味というものは脳にとって麻薬のようなものらしい。だから人は極上の甘味を求め品種改良を繰り返し、糖度の高い野菜や果物の生産に余念がない。それ自体は別に否定しないけれど、素材の持ち味まで殺してしまうような改良はいただけない。
「やっぱり自分で取ってこないとダメかぁ。甘い話はないんですね。」
「大した手間でもねぇんだ、素直にそうしとけ。」
最初に登場して以来、全く出番のないトマトの魔物は裏世界でひっそりと私に狩られている。高枝切りばさみがあれば安全に取れるし、意外と群生していて、大量に取ってきてはジュースを作って命を繋いでいる。
さて、そろそろ休憩もおしまいにして営業再開だ。と言ってもお昼を過ぎたこの時間帯、優雅に紅茶を楽しむ場所でもないこのお店に足を運ぶ人は少ない。紅茶の良し悪しはさっぱり分からないけれど、一緒に提供するお菓子はおいしいと自信を持って言える。味見と称してつまみ食いしてる私が保証する。
「トマト以外何食っても太らねぇのをいいことに食いすぎなんだよ。」
「いや~、おいしそうだからつい魔が差してですね・・・。」
そんなわけで、この時間帯に来るお客さんは私にとって非常にありがたい存在だ。頻繁に来るわけではないのが残念なところ。
「ご機嫌よう。お邪魔いたします。」
それでも来るときは来る。こんなお店には不釣り合いな上品なドレスを着た、どこかの貴族のお嬢様のような人だ。何だか周りの空間が輝いている気がする。そんな人がお供もつけずに1人でやってきた。
「まぁ! しばらく見ない間に可愛らしい方が増えてますね。どこからさらってきたのかしら?」
いろんな人と会ってきたけど誰一人として新しい店員という発想に至らない辺り、どこか普通じゃない。誘拐した、現地妻、キャバクラ化と様々ある中でも誘拐してきた説が今のところ優勢かな。
「どうしてどいつもこいつも、俺を人さらいにしたがるんだ・・・。」
「モルモーです。言い寄られてここで働いてます。」
「お前も誤解を招きそうな言い方すんなよ。」
誤解も何も事実、戦力として誘ってきたのはケンさんの方だ。私はおいしいトマトと逃げなくて済む宿がある、ケンさんは戦力が確保できる、お互い不利益なんてない。
「お人形さんみたいな娘ですね。こんなに愛らしい娘、私が口説きたかったわ。」
どこのご令嬢かは知らないけれどお世辞がうまい。・・・気のせいかなぁ、ものすごく熱い視線が送られてくるような。もしかしなくても、本気で言ってる? あの目はカエルを前にしたヘビと同じに見える。何だか背筋が寒くなってきた。
「こいつを連れてきたきゃ、うちよりいいトマト探すんだな。」
人をトマトで釣れる安い女みたいに言ってくれる。まぁ、トマトで釣られたのは事実だけど。
「かぐや姫よりも難題をふっかけるのですね。・・・あらいけない、私ったらまだ名乗ってもいませんでしたね。ジュリエットと申します。服飾デザイナーをしております。」
デザイナーさんかぁ、私にもそういう技術やセンスがあればなぁ。何を作っても雑巾にしかならないのはある意味ではセンスがあると思うんだけど。
「私でよければ、手取り足取りお教えしますわよ?」
「まずよだれを拭け、不審者。」
「あら、私としたことが。つい興奮してしまいました。」
何が彼女の琴線に触れたのかは分からないけれど、どうやらターゲットになってしまったようだ。捕まったら着せかえ人形で済めばいい方かなぁ。命の危機ではなさそうだけど、他の何かが危ない予感がする。方向性は違っても賞金稼ぎと同じ、危険な人間だと私の直感が告げている。
「落ち着いたら通報されるか注文するか、どっちか選んでくれ。」
即座に通報されないだけ有情なんだろうなぁ。
「そうねぇ・・・。どうしようかしら。」
この流れでどうして私の方を見るんだろう。本当にその目はやめてほしい。いやな汗がにじみ出てくる。
「スイートポテトかしら。モルモーちゃん見てたら、そんな気分になりました。」
それは私が芋っぽいってことだろうか。確かに都会のキラキラした感じとは無縁だったけど、ちょっと凹むなぁ。何にせよ、真相はジュリエットさんにしか分からない。
「はいよ。あとはいつもの紅茶でいいか?」
「ええ、お願いします。」
もっとおしゃれなカフェでのんびり楽しむべき注文だ。お菓子がおいしくてもここは街道にあるレストラン、優雅さとは無縁の場所。だけど当の本人がここがよくて来てるんだろうから、私が口を出す権利なんてない。
「さて、俺は茶の方をどうにかする。芋は任せたぜ。」
「私1人ですか?」
「問題ねぇよ。ちょっと疲れる程度で済む。」
ケンさんがそう言うなら安全なんだろうけど・・・。知らない素材を1人で取りに行くのは初めてだ。
「私もついていきましょうか?」
「いえ、お客さんにそういうことさせられません。」
そう言ったものの、本音は身の危険を察知したからだ。最初にキラキラして見えた気がしたオーラみたいなものが、今は邪な気配を放っている。逃げるように採集に向かった。
何度目かの大草原。来るたびにちょっとずつ地形が変わってるけれど、それほど大きな変化はない。勝手知ったるとまではいかないものの、安全に探索できると言っても差し支えはないかな。
サツマイモを探す前に、1人は寂しいから使い魔を喚び出そう。芋掘りもすることになるだろうし、穴掘りの得意な子がいいな。
「ワンワン!」
ここ掘れワンワン、こういうときはリル君の出番だね。前の出番でも言ったけど決して犬ではなく、超小型のフェンリルだ。モフモフで可愛いから何でもいいんだけど。
「今日はサツマイモを探すよ。」
「ワンワンワオォーン!」
元気よく出発したのはいいけど、よくよく考えたらサツマイモは畑に生っているところしか見たことがない。野生だとどんな感じなんだろう。花が咲いていたら分かりやすくていいんだけどなぁ。とりあえず日当たりのよさそうなところを重点的に探してみよう。
探し始めて3時間は経過しただろうか。手当たり次第に植物の生えているところを探してみたもののサツマイモは見つからず、それどころか食用の植物すら見当たらなかった。襲ってくる魔物がいなかったのが不幸中の幸いだ。
「見つかんないねぇ。少し休憩しよっか。」
「クゥーン。」
手頃な大きさの岩に腰掛けて何気なく遠くに見える山を眺めていると、土煙が上がっているのが目に入った。どんどんこっちに向かってくる。そして、呆気にとられていた私の目の前を駆け抜けていった。
「何なの・・・?」
「ワン、ワンワン。(あれ、たぶん芋だよ。)」
「えぇー・・・。走るなんて聞いてないよ・・・。」
どういう進化をしたらダッシュする芋になるんだろう。そもそもサツマイモって根っこに栄養を貯えるから太くておいしくなるはずでは? 何でエネルギー発散してるの? サツ魔イモ(仮称)は筋トレして立派な芋になるってこと? 食物繊維じゃなくて筋繊維が豊富になってそう。
あれこれ考えてもどうにもならない、とにかく追いかけよう。こっちも全力で走れば追いつけそうなスピードだ。
「よーし、行くよリル君!」
「ワフン!」
今までは追われる立場だった私が追いかける側に回っているのは少し違和感がある。でも追いかけるって気楽でいい。何より後ろを気にしなくていいというのは大きい。ドゥエドゥエ言いながら小刻みにジャンプとキックを繰り返して追い立てる変態もいなければ、奇妙なブーツでフワッと浮き上がったと思ったら急加速して壁抜けする変態もいない。あんなのが吸血種狩りの専門家だって言うんだから、どっちの方が危険か分からなくなってくる。
そんな変態たちから逃げ回って鍛えられた脚力のおかげで、もう少しで捕まえられそうなところまで迫っていた。土煙が鬱陶しいけどそれももうすぐ消えてなくなる。よし、捕まえ・・・
「たぁぁぁぁぁ!?」
「キャイン!」
地面から生えてきた蔓に絡まって身動きが取れなくなってしまった。いきなりの出来事で固まってしまったけれど、冷静になれば難なく引きちぎれる。脱出してリル君を助けよう。
「クゥーン・・・。(ひどい目に遭った・・・。)」
複雑な絡まり方はしていないとはいえ、時間を取られたせいでまた芋との距離が離れてしまった。ただ追いかけるだけじゃダメみたい。作戦を考えよう。
ということで追い込み漁作戦発令。リル君が追いかけて私の方に誘導し、挟み撃ちにする形を取る戦法だ。捕まえにかかるタイミングをずらして、蔓をリル君の側に集中させているところを私が押さえ込む。これでいこう。
それにしても牧羊狼でもできるんじゃないかってくらい追い込むのがうまいなぁ。もう目と鼻の先まで追い詰めてきた。あとはリル君が飛びかかってから一拍置いて確保するだけだ。
「クゥーン。」
「ごめんってば。」
まさか私たちの動きに完全に対応してくるとは思わなかった。フェイントまでかけて完璧にタイミングを外したはずなのに、リル君と仲良く蔓に絡まっているのだった。
失敗したなら別の手段を取るだけだ。次の作戦に移行しよう。
「ワンワンワフン?(そんなものあったっけ?)」
「ないよ。」
軍師じゃないんだから作戦なんて湧いてくるものじゃない。じゃあどうするか。相手の力量を大きく上回っているときに最も有効な戦術、ゴリ押しだ。負け続けのように見えるけど、蔓自体はそれほど強靭なものじゃない。だったら捕まってもすぐに脱出して追いかけて、またやられる前にやる。吸血種の怪力を最大限活かせる作戦だ。
「ワオン?(根比べ?)」
「そういうことになるね。」
私と芋、先に体力が尽きてへばった方の負けという、実にシンプルな勝負。逃げ続けてきた私に体力で敵う生き物はきっと少ないはず。息が上がっても走り続けないと死ぬ恐怖をあの芋にも教えてあげよう。
そうと決まれば、まずは遠ざかってしまった土煙に追いつくところから始めよう。あんなに土を巻き上げて、無駄の多い走り方だ。何だかんだ言っても芋だしね。詰まってるのはきっと知能じゃなくて栄養だろうし。
走り続けることおよそ10分、射程圏内まで近づいた。まずは1回目のアプローチをかけよう。
「絡まるのは想定通り!」
案の定蔓が私の足に絡みついてきたけれど、心構えさえできていれば何てことはない。走るために繰り出す腕と足の勢いに任せて強引に引き剥がす。
私の動きを封じきれなかったことは、芋にも理解できたようだ。少し走るスピードが上がっている。ちょっと速くなったくらいで逃げられると思ったら大間違いだ。2回目のアプローチ。
「わわっ、避けられた!」
蔓での攻撃が効かないと学習した芋は、回避行動を取り始めた。不規則にジグザグ走って狙いを定めさせないつもりらしい。意外と賢いなぁ。
魔物相手ならその程度でも十分逃げ切れるのかもしれないけれど、もっと高度な知的生命体には通用しない。
どれだけ不規則な動きでも、絶対にぶれない場所がある。人間で言うところのへそだ。この芋なら足のような根っこの付け根よりも少し上の部分、その1点に注意を払えばどんなにフェイントをかけられても対応できる。長かった鬼ごっこもここまでだ。
「そこだぁぁぁぁぁ!」
曲がり終わった後の一瞬の隙を突いてタックルを仕掛け、芋を押さえ込むことに成功した。逃げようとジタバタしていた芋も観念したのか、今ではすっかり大人しくなった。これで任務完了、持って帰って料理をしよう。
「ワオン、ワオォーン!(ブラボー、ブラボー!)」
リル君、見せ場がなかったからって変な姿勢で飛び出さなくていいよ・・・。
調理を始める前の私たちの目前には、逃げられないように根っこを切り落とされた芋が横たわっている。本体から離れても少しの間動いていた根っこの何とも言えない気持ち悪さが印象的だ。
「足の方は使いもんにならねぇから、次からは落として持ってきて構わねぇぜ。」
ケンさん曰く、本当に筋繊維が詰まった根っこだとか何とか。動物のお肉と違って煮込んでも固くて筋張って、食べられる人は多分いないけれど、固ければ固いほど本体は甘くておいしいんだって。私の取った芋は釘が打てそうなくらい固い、良質な芋らしい。
まずは皮を剥いて小さく切る。竹串が刺さるくらいまで茹でて柔らかくしたら、潰してから裏ごししてペースト状にする。常温に戻したバター、砂糖を入れて混ぜたら、生クリームと卵黄を加えて更に混ぜ合わせる。混ぜ終わったら鍋に移し替えて加熱して水分を飛ばしていく。粗熱が取れたら形成して卵黄を塗って、オーブンで焼き上げれば出来上がりだ。
ケンさんが紅茶を淹れている間に、1ついただこう。味見は大事だからね。
「何これ、すっごくおいしい!」
サツマイモの甘みが引き出されていて後を引くこともない。スイートポテトなのに喉に詰まるような感じが一切せず、舌触りも滑らかで食べだしたら止まらない。これは人間を太らせるために存在するお菓子だ。
「茶も用意できたし、つまみ食いは後にして持ってけ。」
「ふぁーい。」
食べかけだけど仕方ない、残りは晩ごはんの後のお楽しみにしよう。
紅茶とお菓子を客席のジュリエットさんに届けた私は、なぜか彼女の対面に座っている。いや、座らされている。テーブルに置いたらすぐに離れようと思っていたけれど、目にも留まらぬ早業で腕を摑まれ、「一緒にいかが?」と誘われたのだった。槍で飛び上がって死角から骨を投げつけてくる変態から逃げ切った私だけど、ジュリエットさんからはなぜか逃げられない。
「可愛い娘が一緒だと、それだけでお茶がおいしいわ。」
「うちはそういう店じゃねぇんだがな、犯罪者予備軍。」
「本当は膝の上に乗せたいのを我慢してるんですから、大目に見てください。」
こんな発言が飛び出すんだから、下手なことしないのが1番だ。何がトリガーになって暴走するか分からない以上、とりあえず笑顔でやり過ごすのが無難なところかなぁ。兎にも角にも、今日という日を無事に乗り越えられますように。
「あら? モルモーちゃん、服に穴が開いてますよ。」
「え? どこです?」
「ほらここ、袖のところ。」
全く気づかなかった。芋と追いかけっこしてたときにどこか引っかけちゃったのかなぁ。
「少しだけ、じっとしててください。」
そう言って針と糸、端切れを鞄から取り出して数分のうちに、何事もなかったかのように穴は塞がっていた。言われても修繕したようには見えない、本職の仕事は一味違う。でも服を着たままだったのに、一体どうやって・・・?
「もののついでですし、ちょっと採寸させてもらえないかしら?」
「えーっと・・・。」
「ちょっと憲兵呼んでくらぁ。」
「冗談です。」
絶対冗談じゃなかった。邪悪な気配が見え隠れ・・・全然隠れてなかった。何をするつもりだったかは知りたくないし、知らない方がいいことはごまんとある。藪をつついて出てくるのがヘビとは限らない。今なら蛇女が出てきたっておかしくない。
「あんまり長居しちゃうと憲兵詰所で明日を迎えそうね。そろそろ帰りましょうか。」
「おう、そうしとけ。まったく、やべぇ奴だって自覚がある分、始末に負えねぇ。」
ふぅ・・・、何とか無事にやり過ごせた。次にお店に来るときまでにあしらい方を考えておいた方がよさそう・・・。
身の危険を感じた昼下がりだったけれど、その後はいつもの日常が過ぎ去っていった。平和って素晴らしい。その平和からかけ離れた時間の元凶とも言えるスイートポテトを食べている今この瞬間が1番平和なのは解せない。でもまぁ、おいしいから気にしないでおこう。
「こんなにおいしいなんて、苦労して捕まえた甲斐があったなぁ。」
「そんな苦労することあったか?」
「えっ、蔓に絡まって大変でしたよ?」
芋と私(とリル君)とで大捕物を繰り広げたっていうのに、あれが大したことじゃなかったら何だったんだろう。
「あいつ、13キロくらい走って休憩に入ってを繰り返すんだ。ランニングに付き合って休んだとこを引っこ抜いておしまいだぜ。」
そんな・・・。あんなに体を張ったのに、全部ムダな努力だったなんて・・・。あれくらいの速さだったら30分も走ればそれまでの話だったんじゃないかな。
「でも何で13キロなんです? 随分と半端な距離ですよ?」
「俺に言われてもなぁ。たぶん、栗より甘いからじゃねぇか?」
「何ですかそれ。」
「知らねぇのか。サツマイモは『九里四里甘い十三里』って昔から言われてんだ。その名残じゃねぇか?」
なるほどなぁ。昔の人はなかなか洒落の効いた言葉遊びをするものだ。今後のためにも異国の文化を少しくらい学んでおいた方がいいかもしれない。だからといって、ポテト13(命名:ケンさん)の行動に納得できるわけじゃない。
「何だか悔しいのでヤケ食いです! 余ってるスイートポテト食べ尽くしてやります!」
「生物だから好きにしろ。しっかし、太らねぇやつはいいよなぁ。」
怒りに身を任せて暴食に走ったのはいいけれど、肝心なことを忘れていた。『太らない≠お腹にたまらない』ということを。
こうして調子に乗って食べすぎた私は、翌日お腹を壊して大変な思いをするのでした。