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世の中はフルーツみたいに甘くない

 日々の暮らしで理不尽な目に遭ったことのない者は少数派だろう。甘い夢物語など現実には起こり得ない。ならばせめて、甘いものでも食べて、世知辛い世の中から逃避してみてはいかがだろうか。


 お店に限らず、接客業をやっていると、変なお客さんっていうのはどうしてもやってくる。常連さんもある意味では変な人たちだけど、悪い人じゃない。ここでいう変な人っていうのは、いちゃもんをつけてくるような人たちのことだ。

 「このあらいを作ったのは誰だあっ!!」

 「俺だが何か文句あるか?」

 「もうちょっと穏やかにいきましょうよ・・・。」

いきなり怒鳴りだしたお客さんと、最初から喧嘩腰のケンさん。見たことない人で、何だか頑固そうな人だなぁとか思っていたけど、そういう予想が裏切ってくれたためしがない。私に飛び火しないくらいの距離感で話を聞いていよう。

 「貴様には料理をする資格がないっ!!」

 「よし分かった。もう帰れ。」

試合終了。ケンさんがお客さんを担ぎ上げて強制退場処分。短期決戦もとい、短気決戦だった。

 「何だったんだあの野郎は。」

 「さぁ・・・?」

タバコのにおいでもついていたなら100歩譲って分からなくはないんだけど、全席禁煙だし、私もケンさんも吸わない。ただの迷惑なお客さんだったなぁ。・・・まだドアの向こう側で喚き散らしている。あんなに怒って疲れないのかぁ?

 やっと静かになったと思ったら、窓から恨めしそうに覗き込んでいる。どこまでも迷惑な人だ。そろそろ追い返した方が・・・誰か来て話をしているみたい。あ、帰っていった。一体何だったんだろう。

 「やあ。大将もモルモーちゃんも、ヘンな人に絡まれて大変だったね。」

 「全くだ。」

さっき話をしていたのはロブさんだったみたいだ。あんな偏屈な人とも話ができるなんて、やっぱりロブさんはコミュニケーション能力の塊だなぁ。

 「ロブさん、あの人とお知り合いなんですか?」

 「一応そうだね。ときどきボクらのとこに魚を買い付けに来るんだけど、いつも生け簀を見ては『私はこの中からは選ばない、絶対に』とか言うもんだから、1度も売ったことないんだよね。」

 「何がしてぇんだよ。」

料理に並々ならぬこだわりがあるんだろうなぁ。それを他の人に押し付けたり、難癖をつけたりしなければいい人かもしれない。言い方1つで印象も変わりそうなのに、残念な人だなぁ。

 「甘くない現実は忘れて、何か甘いものでも食べたいね。」

 「お前甘いもんもいける口だったか?」

 「別に嫌いってわけじゃないよ。たまにはワインになる前のブドウジュースも飲むからね。・・・そういえば、ブドウそのものはまだ食べたことがないな。よし、今日はブドウを食べよう。」

 「え、そのままですか? 料理とかしないで?」

 「うん。たまにはそういう注文も悪くないんじゃないかな。」

 「素材の味を活かしてくれって話はよく聞いたが、素材そのものを寄越せってのは初めてだぜ。」

レストランのアイデンティティがなくなっちゃった・・・。でもここでしか食べられないって意味では間違った注文でもないのかなぁ? ともかく、ブドウ狩りに行こう。


 ブドウに限らず、多くの果物は水はけのいい斜面で育てる。つまり、おいしいブドウがほしいなら、目の前に見えている山を登って探すことになるわけだ。天然モノというか野生の果物って、人の手で育てたものよりも甘くなくてそんなにおいしくないイメージだけど、ここのブドウはどうかな? 苦労して収穫するだけの価値があるといいんだけど。

 「人の手が入ってりゃ甘いんだがな。野生の山ブドウじゃ期待はできねぇな。」

 「そうかもしれないですが、とりあえず行ってみましょう。」

何でもやってみるまで分からない。ブドウも食べてみるまで分からない。期待しすぎないくらいの気持ちで臨むのがちょうどいい。

 緩やかな斜面を登ってブドウの木を見つけたところ、どうやら先客がいるみたいだ。キツネが実を食べようと、一生懸命ジャンプしている。だけどほんのちょっとだけ届かない。どこかの童話で似たような場面があったなぁ。

 「このブドウは出来そこないだ、食べられないよ。」

捨て台詞を言うところまでは合っているんだけど、こんな嫌味な感じじゃない。だいたい、実ったものに対して出来損ないってどういうことなの? キツネには届かなくても私たちには問題ない高さ。出来損ないかどうか、味見をしよう。

 「何だこりゃ!?」

 「ほ、本当に食べ物ですか!?」

強烈な酸味と渋みだ。思わず吐き出しちゃった。これが完成形かどうかはさておき、食べられないという点についてはその通りだ。ロブさんが前後不覚になるまで酔っていても目が覚めそうだ。当然だけど、到底出せそうにない。

 「山にはこれしかないですよね。」

 「そうだな、別のとこで探すしかねぇな。」

そうは言ったものの、どこかブドウが自生するのに適している場所に心当たりがあるわけでもない。何か手がかりになりそうなものはないかなぁ?

 「かわいそうに、本当のブドウを食べたことがないんだ。」

さっきのキツネだ。どうしてこんなにも上から目線なんだろう。自分だって食べようとしていたくせに。

 「だったら本当のブドウとやらを教えてくれよ。」

 「海に行ってみてください。本物のブドウが見られますよ。」

ちゃんと教えてくれるんだ・・・。そうやって素直にしていれば、余計なトラブルとか引き起こさなくて済むのに。

 キツネのアドバイスに従って、海までやってきた。最初から山に狙いを定めていて、どんなところか確認もしていなかった。海岸近くはジメッと蒸し暑い。植物たちもどこかトロピカルな雰囲気で、ブドウとは縁のなさそうな気候だ。

 「まさか海ブドウじゃねぇよな。」

 「さすがに違うんじゃないでしょうか。」

潜って海ブドウを探すのは最後の手段にとっておこう。海岸線のマングローブみたいな木とか、結構気になるものが見えている。そっちを優先していきたいところだ。

 遠くから眺めていただけじゃよく分からなかったけど、ブドウみたいな実が生っている。そして、それを食べようとキツネダイが海面から飛び跳ねている。さっきも見た光景なだけに嫌な予感がする。

 「ちぇっ、あのブドウはすっぱいんだ。」

 「やっと俺たちの知ってる昔話になったな。」

 「なぜか海にいますけどね。」

収穫の邪魔になりそうなキツネダイたちも諦めて帰っていった。静かになったところで私たちの番だ。海面に出ている根っこに乗ったままでも手が届きそう。

 「くそっ、少し届かねぇ。」

ケンさんがギリギリ届かないなら、私はやるまでもない。トマト狩り用の高枝切りばさみがあれば余裕なんだけど、置いてきちゃったんだよなぁ。枝も登って取れそうなほど丈夫そうには見えないし、しょうがない、適当な道具でも作ろう。

 血で私の愛用の高枝切りばさみそっくりに作って切り取っておしまい・・・にならない。

 「こいつ、動くぞ。」

 「何でブドウに煽られてるんでしょうね。」

切り取ろうとした瞬間に枝を翻して避けただけじゃ飽き足らず、左右にゆらゆらと枝を振っている。動物だけじゃなくて植物まで性格が悪い。

 「こういう奴にはちいとばかし仕置きが必要だな。」

 「植物相手に大人げないですよ。」

 「所詮この世は弱肉強食よ。どっちが強者か教えてやらねぇとな。」

 「まぁ、このままじゃ埒が明かないですし、やっちゃいますか。」

今までいろんな動く植物の相手をしてきたけど、枝だけが動く木は初めてだ。でも本体が移動しないってものすごく楽。さっきの高枝切りばさみを手斧に作り変えて、動かない幹目がけてフルスイング。吸血種(ブラッドサッカー)の筋力から繰り出す一撃、耐えられるわけがない。ひと振りで幹の半分くらいまで突き刺さる。あとは倒れないように支えておかないと。

 「そうやって素直に寄越してりゃ切られねぇで済んだってのによ。」

 「あの、切ったの私ですよ?」

 「手に入ったんだから何でもいいだろ。」

 「そういうことにしときましょうか。」

何かを悟ったのか、しおらしくなってブドウを差し出してきた。ありがたく頂戴して帰ることにしよう。


 何だか嫌味っぽいキツネ曰く「本物のブドウ」らしいけど、味見をしてみた私たちにはどの辺が本物なのかさっぱり分からない。私だけならともかく、ケンさんも『無駄に甘い』と言うだけ。あの世界では甘さこそが正義なのかなぁ。今となっては些細なこと、ロブさんはどんな反応をするのかな。

 「いや、ちょっと甘すぎない? ブドウってこういうものなの?」

 「もう少し酸味もあるぞ。普通ならな。」

 「いやはや、甘さも加減を間違えると凶悪だね。甘い夢を見たかっただけなのに、これだけ甘いとただの悪夢だよ。」

 「やっぱり現実は甘くないんですよ。」

甘いものを食べて現実世界の辛さを語るのもなんだかおかしな気分になってくる。その辛い現実からの一時避難だったはずなのに。

 「だけどね、転んでもタダでは起きないのがボクなのさ。このブドウ、あとどれくらい残ってる?」

 「結構ありますよ。ケンさんが調子に乗ってもいでましたから。」

 「もう少し使い勝手いいと思ったんだよ。」

 「じゃあ全部買い取るよ。」

何を企んでいるのか、何となく分かる気がする。使い道がほかにあるわけでもないし、全部持って行ってもらおう。

 「ありがと。そのうち結果の報告に来るよ。」

 「ロブさんのことですから・・・。」

 「間違いなくアレだろうな。」

このときの私たちの予想は、やっぱり外れることはなかった。2週間ほど経ったある日、結果とともにロブさんがやってきた。

 「いやぁ、できたにはできたんだけどさ、どうもおかしな世界のブドウなせいで、おかしな出来になっちゃったんだよねぇ。」

 「お前にゃそうかもしれんが、料理に使う分にはこれ以上ないぜ。」

なんでも、そのまま飲めなくはないんだけど、おそろしく渋いワインになっちゃったみたい。ただ、料理酒としては一級品で、ケンさんがすごく気に入っている。醸造施設でも作りそうな勢いだ。

 「ボクも少しくらい甘い夢を見たかったんだけどねぇ・・・。」

 「いつも夢見心地で酒飲んでるじゃねぇか。」

 「みんな起きてるときに見たいんですよ。」

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