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胸焼け警報発令中

 加齢とともに味覚は変わるもの。子どもの頃は食べられなかったものが、大人になると食べられるようになった、なんてことは誰しも経験があるはずだ。

 逆に、大人になって脂っこいものが食べられなくなった、という話もありがちだ。


 人間の作り出す流行というものには、ときどき理解が追いつかない。否定するつもりも毛頭ないのだけど、それでも『何でこんなものが?』と思わないことはない。今だって、ちょっと前の健康ブームに真っ向から反発するものが大流行している。

 「お待たせしました、トンカツ定食です。」

 「モルモーちゃん、何だかげっそりしてるけど大丈夫かい?」

 「揚げ油のにおいだけで胸焼けしそうです・・・。」

ここ最近の流行の最先端は、揚げ物らしい。何でも、ものっすごく恰幅のいいアブラ・ギッテルマンというシェフの揚げ物講座が王都で人気を博していて、その影響でありとあらゆる揚げ物の消費量が跳ね上がっているんだとか。・・・名前だけで胃もたれしそう。

 『油で揚げれば大体うまい』を合言葉に何でもかんでもきつね色に染め上げる様は、私の目にはちょっと異常に映る。さすがにトマトは無事だろうと思っていたら『もうトマトのフライはある』という驚愕の事実を告げられ、実際にいくつか提供した実績がある。

 「あんなに可愛かったトマトが無惨な姿に・・・。」

 「1度くらい食ってみたらどうだ? ジュースと丸かじりだけじゃ飽きるだろ。」

 「これを食べるくらいならケチャップで過ごす方がよっぽどいいです。」

 「どう考えてもケチャップよりマシだろ・・・。」

吸血種(ブラッドサッカー)の宿命か、脂っこいものと甘いものは体が受け付けない。そういう血の持ち主が結構な確率で不健康で、吸いすぎると悪影響が出るせいで本能的に避けるようになってしまっている。甘みについては糖度が高い品種のトマトが増えたからか、むしろ得意になったけど、血が吸えなくても根っこの部分は変わらない。

 「まぁ、人間のブームなんて一過性のもんだ。しばらく我慢してくれ。」

 「それもそうですね。」

揚げ物は自分で作ろうとするとかなりの手間がかかるし、いつも外食とはいかないだろうからきっと長くは続かないはず。続いたら続いたで、体に支障をきたして食べたくても食べられなくなっていそうだ。

 お昼ごはんの時間を乗り越え、私たちも休憩。ディナーに備えて英気を養っておこう。ティータイムなら揚げ物需要はないだろうし、貴重な体力回復ポイントだ。

 「俺の生まれた国にゃ、アイスの天ぷらなんてもんもあるんだぜ。」

 「何でわざわざ冷たいものを・・・。人間の考えはたまに理解できないですよ。」

 「何でも揚げたがるやつはいるんだよ。菓子だからって揚げもんと無縁じゃねぇってこった。」

そういえばドーナツとかも油で揚げていたなぁ。太るからって嫌われているものだと思っていたけど、人間って意外と油が好きなのかもしれない。

 「ごきげんよう・・・あら、休憩中でしたか。」

 「構わねぇよ。日が暮れるまではお前くらいしか来ねぇからな。」

 「いらっしゃいませ、ジュリエットさん。」

ギトギトの油とは縁のなさそうな人でよかった。焼き菓子の注文が多いからバターは結構使うけど、ウツボを油へポーンと比べたら大したことじゃない。

 「今日のモルモーちゃんは何だか香ばしいですね。」

 「ついさっきまで揚げ物ばっかりでしたから。」

 「流れるように抱きつくな。そしてお前も受け入れんな。」

 「もう挨拶みたいなものだと思ってますから。」

逃げると追いかけたくなるのが生き物の本質。そういうときは激流に身を任せて同化するに限る。気配は邪悪でも悪い人じゃないし、満足したら解放してくれる。

 「今日は何にします?」

 「お2人は『禁断のお菓子』というものをご存知ですか?」

 「太りやすさの話なら大体が禁断になるぞ。」

ものにもよるけど、お菓子には大量の砂糖と卵、バターが必要になる。つまり、食べること自体が罪と言えるほど太りやすいのがお菓子だ。禁断と銘打つからには、ただのお菓子なんか目じゃない存在なんだろうなぁ。

 「懇意にしている方から聞いたのですが、なんと『揚げバター』というものがあるらしいんです。バターを揚げるなんて背徳的なお菓子、気になりますよね。」

 「え・・・?」

 「・・・は?」

思いもよらない言葉に固まってしまった。ケンさんすらフリーズするほど強烈な響きだ。

 油の塊と言っても差し支えないバターを揚げる。ただ揚げただけじゃ溶けてなくなってしまう以上、しっかりした衣をつける必要があり、そうなると衣は溶け出たバターと揚げ油をたっぷりと吸い込むことになる。

 ということは、口にするのはとんでもない量の油だ。背徳的、とジュリエットさんは言うけれど、どう考えたって暴力的の間違いだ。

 「待て待て待て考え直せ! あれをそこらの菓子と同類と思うんじゃねぇ!」

 「そ、そうですよ! 絶対ひと口食べて後悔しますって!」

 「むむむ、そう言われるとますます食べたくなりますね。ダメと言われて引き下がる私ではありませんよ。」

 「大体お前油もん苦手だったんじゃねぇのかよ、少しは年をかん」

言葉を遮って風切り音が聞こえたと思ったら、ケンさんの後ろの壁に裁ちばさみが深々と突き刺さっている。予備動作なしのおそろしく速い投擲、見逃しちゃった。・・・ジュリエットさんの笑顔が怖い。

 「マスターさん、何かおっしゃいました?」

 「・・・どうなっても知らねぇぞ。」

 「はい。楽しみにしていますね。」

眩いばかりの笑顔だけど、それも料理が出来上がるまでの話。近い未来、苦悶の表情に変わるのは避けようがない。気が進まないけど、やるしかないかぁ・・・。


 扉を抜けると、そこは雪国であった・・・? 辺り一面、白い雪のようなものに覆われているけど、たぶん雪じゃない。元の世界では初夏に入ったくらいで薄着のままやってきたわけだけど、雪が積もるほどの寒さは感じない。

 じゃあ、この白いものは一体・・・? 触ってみると本物の雪と同じく溶けるんだけど、全然冷たくない。

 「なんか、ヌメヌメしますぅ・・・。」

 「こいつぁ脂だな。脂が粉状になったやつだ。」

まさかバターを求めてやってきた場所が、こんなベタベタする世界だったとは。あれ、バターを探しにきたんだっけ? でもバターは在庫がたくさんあったし・・・。

 「ケンさん、揚げバターの材料なら揃ってますよね? 何しにきたんです?」

 「2度とこんな注文できねぇように、べらぼうにくどいバターを探しにきた。」

 「嫌がらせですか!?」

 「教育的指導と言ってくれ。」

たまに突拍子もないこと言い出すよなぁ・・・。そんなバター手に入れたところで、今回以外に使い道なんかないのに。

 改めて周りを確認しておこう。足元には脂の大地、少し先の方には山と森が見える。森を通り抜けるように川も流れ出ている。地面がこれだったんだし、きっとあの川も・・・。

 「やっぱり、流れてるのは油ですね。」

 「ものは悪くねぇな。帰りに汲み上げるか。」

どうやら固体・液体を問わず、油脂に特化した世界みたいだ。品質にはかなりの差があるらしく、油の川と違って粉雪みたいな脂は滑りやすくするくらいしか役に立たなさそう。

 普段は牛乳から作ってストックしてあるし、今回もどこかに乳牛タイプの魔物でもいるのかな。牛じゃなかったとしても、こんな粗悪な脂の平野じゃ何も見つかるわけもない。森の探索を始めよう。

 森の入口までやってきた。雪原みたいな風景にお似合いの、針葉樹の森だ。ちらほら魔物たちの姿も確認できるんだけど・・・。

 「どいつもこいつも肥満体型だな。」

 「あれでよく動けますね・・・。」

最初に目に入ったのは、木に止まっている鳥だった。デフォルメされたシマエナガみたいにまん丸で、枝もしなって重たそうだ。視線を下げると、およそ肉食獣とは思えない、お腹を地面に擦りながら歩くキツネの姿があった。足取りも重く、獲物を狩る絵が想像できない。

 何の変哲もないのは、この森の木くらいかな。・・・と思ったけど、何だか全体的にツヤツヤしている。

 「松脂でコーティングされてますぅ・・・。」

 「樹脂も守備範囲内か。」

油の香り漂う森林浴をしながら探索を進め、ついに牛の群れに遭遇した。予想を上回る丸いボディ、もう頭と胴体の境目が分からない。足に至ってはお腹から生えているようにしか見えない。

 「あら、あんたたち随分と細いけど、ちゃんと食べてる? よかったらお乳分けてあげようか?」

 「いいんですか? 助かります!」

 「ちょっと待ってね。・・・はい、好きなだけ絞っていきな。」

 「横向きで乳搾りなんて、今後経験しねぇだろうな。」

ゴロリと横になった牛の乳搾り。普通じゃありえない貴重な体験だった。

 こんなに簡単に材料が見つかるなんて今日はついている。油にまみれた世界なんてすぐにさよなら・・・油? 何か嫌な予感がする。ケンさんも何か思い当たったのか、2人で顔を見合わせる。

 「ケンさん、この牛乳・・・。」

 「奇遇だな、たぶん同じこと考えてるぜ。」

しっかりと容器を密閉して、振る。とにかく振る。ひたすら振る。一向にバターができる気配がない。

 これは牛乳じゃなくて液状の牛脂だ。白くてサラサラした見た目に騙された。産まれてすぐにこんなものを飲んで育ったんじゃ、あの体型になるのもしょうがない。

 引き返して探索再開。動物は当てにならない、植物を狙っていこう。バターの木とか、そんなものがあったっておかしくはない。

 松脂に覆われた木々の合間を縫って歩いていると、開けた空間にぶつかった。油の泉が湧き出ている。最初に見た川は、山じゃなくてここから流れ出ていたのかぁ。

 「少し休んでいくか。」

 「そうですね、景色もいいですし。」

そう、景色だけはいい。目に映るもの全てが油でできているだけ。泉の液体はとても飲めたものじゃないし、雪原は寝転がったら全身ベタベタだ。向こう岸の木に実っている果実だって、果汁の代わりに油がにじみ出るに違いない。

 「あれがおいしい木の実ならいいのになぁ。」

 「木の実なんてどこにあるんだ?」

 「見えませんか? あの対岸の、この辺りじゃ珍しい広葉樹です。」

 「よく見えんが、行ってみるか。」

休憩も程々に、泉を迂回して実をつけた木を目指して歩き出す。ケンさんが興味を示したってことは、当たりかも。

 「間違いねぇ、こいつだ。」

木の実の正体はアボカド。なるほど、『森のバター』なんて呼び方もあるくらいだし、これが探していたバターに違いない。早速収穫・・・しづらい。

 「す、滑って掴めません・・・。」

 「大豆を箸で掴む方が簡単だぞ・・・。」

例に漏れず表面がワックスに覆われていて、これがまたよく滑る。揺らして落とそうにも、木に衝撃を与えようとした攻撃も滑ってクリーンヒットしない。どうしよう。

 何度が挑戦して、そんな無駄な苦労をしなくていいことに気がついた。手で輪っかを作って実を押さえて、その間に切り取って落とせばいいんだ。下に入れ物を用意しておけばどこかに滑っていくこともない。

 「意外とあっさり採れましたね。」

 「辛い思いして食うもんは採るのは楽なんだよ。」

 「何ですか、その微妙な気遣い。」

そんなところで意味もなくバランス取ってるんだ・・・。じゃあ、やっぱりこれを食べるのはオススメできないってことでは・・・? はぁ、今から味見が憂鬱だ・・・。


 初めて使う食材はまず味見から。味も分からずに料理はできない。このアボカドっぽいバターだって例外じゃない。バターそのままで食べることなんて普通はしないけど、用途が用途なだけにそのまま食べざるを得ない。

 まずはしっかり洗って表面のワックスを落とす。滑らなくなったのを確認したら、普通のアボカドと同じように真ん中から縦に包丁を入れて、種に沿って1周して半分に切る。種をくり抜いたら実を食べやすい大きさにカット。覚悟を決めて、いただきます。

 「あうぅ・・・。油がきついです・・・。」

 「確かに油っぽさが増してはいるが、ただのアボカドだな。」

どういうことだろう。まさか関係ないのに早とちりしちゃった?

 ふと視線を向けると、種がちょっとだけツヤツヤになったような気がする。もしかして、本体はアボカドで、種がバターなのかもしれない。固いけど、切れないほどじゃない。ひと欠片頂戴して、口に放り込む。

 「無理、無理です!」

 「濃厚って言や聞こえはいいんだがな。」

どういう生態かは知らないけれど、乳脂肪だけを凝縮して固めた感じ。やり過ぎはよくないということを思い知らされる。・・・ちょっと気持ち悪くなってきた。

 このバター製の種を四角くカット。ホットケーキの生地を纏わせたら油で揚げて、きつね色になったら完成だ。1つはプレーン、別なのには粉砂糖をまぶす。好みに合わせて使えるよう、ハチミツやチョコレートソースも用意。・・・それから、お菓子向けじゃないけど、油と相性のいいプーアル茶も淹れておこう。

 「本当に食べるんですか・・・? 今ならまだ間に合います、やめましょうよ・・・。」

 「モルモーちゃんは心配性ですね。ただのお菓子ですよ。」

 「お前が能天気すぎるんだよ。」

躊躇なくナイフを入れるジュリエットさん。中からトロリとバターがこぼれ出る。ああ、断面にもバターが染み込んで凶悪さを増していく・・・。

 「おいしいですよ。バターの香りと塩味とが絶妙で・・・、ええと・・・。」

 「無理すんな。」

 「無理なんか、して、ません、よ?」

顔がひきつっていて、よく見ると手も震えているような。

 怖いもの見たさでつまみ食いしなかったのは正解だった。食べていたら、きっと厨房でのたうち回っているんじゃないかな。

 「ごめんなさい。やっぱり無理です・・・。」

 「ですよね~。」

 「言わんこっちゃない。」

変な意地張って完食する人じゃなくてよかった。そもそも何事もなく食べ切れる人はいるんだろうか。この揚げ物フィーバーの元凶のシェフなら食べられるのかも?

 「はぁ、あと1000年若ければまだ・・・。」

 「せんねん・・・?」

 「あっ。」

しまった、という顔をしたと思ったら、すかさずいつも通りの笑顔を作るジュリエットさんと、呆れ顔で天を仰ぐケンさん。聞かなかったふりでもするんだった、つい反応してしまったせいで、いたたまれない空気が漂っている・・・。

 「・・・仕方ありませんね、正直に話します。私はハーフエルフ、人間ではありません。」

森を出たエルフと人間との間に産まれたのがハーフエルフだっけ。まずもって結ばれること自体がレアケースで、さらに子どももほとんどが人間で、めったなことじゃ産まれないって話だって記憶している。

 昔はエルフからは穢らわしいと言われ、人間からは気味が悪いと迫害されたらしい。今の世はエルフ特有の器用さを買われて重用されるか、昔ながらの考えで嫌われるかの両極端。これまでの話から察するところ、ジュリエットさんは前者っぽい。

 私に嫌われると思っていたのか、すっかりしおれてしまって元気がない。私たちの他には誰もいないし・・・、よし。

 「別にいいじゃないですか。私だって吸血種ですし。しかも血液アレルギーの出来損ないですよ。」

 「そんな気を遣わなくていいんですよ?」

 「嘘じゃないですよ、これ見てください。」

普段は他の人から見えないように気をつけている吸血用の牙を見せつける。あまりにも使わないせいですっかり丸みを帯びちゃって、まかり間違っても人間の皮膚を傷つけられないナマクラ。まさか他人に見せるときがくるなんて、これっぽっちも考えたことなかった。

 「・・・本当に、吸血種なんですか?」

 「はい。」

うーん、さすがに引かれちゃったかなぁ。吸血種は嫌われ者どころか危険分子扱いだし。下を向いたままフリーズしている。

 「や・・・。」

 「や?」

 「やっと人外のお友達ができました! いいえ、危険を承知で吸血種だと明かしてくれたのですから、それは信頼の証、私と生涯添い遂げる覚悟の表れですね!!」

 「ちょ、ちょっと落ち着いて・・・。」

元気になったのは何よりだけど、暴走モードに突入しちゃっている。もう手の施しようがないところまで妄想が爆発している。

 いつも以上の熱い抱擁で完全に身動きが封じられた。く、苦しい・・・。

 「ドレスは何色がいいですか? お色直しは何回します? それから・・・。」

 「お熱いねぇ。見てるだけで胸焼けしそうだ、俺の手には負えねぇや。」

 「に、逃げないでくださいぃぃいぃぃぃ!」

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