トマトが赤くないと私は青くなる
武士は食わねど高楊枝、という言葉が東の果ての国にあるらしい。どんな状況でも満腹であるかのように見せ、自身の体面を保つのだそうだ。それを真似て木の枝を咥えてみても、当然お腹は膨れない。・・・そう言えばやせ我慢をするって意味もあった。こんなことなら、街を出る前にちゃんと買い込んでおけばよかった。あまりおいしくないから、などと変なところにこだわっていた自分を殴り飛ばしたい。もっとも、そんな元気があればの話だけど。
「はぁ・・・、お腹すいた・・・。」
次の街に着くまで保つだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、建物が見えてきた。休憩所かと思ったけれど、遠くからでも分かるほどきれいで休憩所とは似ても似つかない外観だ。不審に思いながら近づいてみると、『飯屋 山猫』と書かれた看板がかかっている。どうやらレストランらしい。
街道の真ん中にポツンと建っているレストラン? 怪しい。入ったが最後、自分が食材にされてしまう可能性だってある。そもそも本当にレストランかどうかも疑わしい。だからといって無視できるほどの余裕もない。そうだ、中を覗いてから考えよう。服を脱げとか、シャワー浴びろとか、そういうトンチキなことを言ってくるようなら全力で逃げよう。
意を決してドアを開け、建物に入っていく。内装をざっと見回したところ、普通のレストランのようで一安心だ。一拍置いて、私が店内に入ってきたことを察したのか、奥からコックスーツを纏った男性が顔を出した。
「いらっしゃい。好きなとこ座ってくれや。」
少しぶっきらぼうではあるものの、表情は柔らかく声の調子も妙に親しみやすい感じだ。この様子なら取って食われる心配はなさそうかな。私はカウンター席に腰掛けた。
席についたところで違和感を覚えた。このお店、どこを見回してもメニューがない。やっぱり普通のお店じゃない? 逃げたほうがいい? 対応を考えていると、さっきの男性と目が合った。最初とは打って変わって険しい顔つきで、何故か包丁を構えている。どう見ても戦闘態勢だ。驚いた拍子に椅子から転げ落ち、そのままの姿勢で謝り倒していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、食べないでくださいお願いします。」
「ん? 何だ、襲ってこねぇのか。」
彼はまた穏やかな表情に戻った。
「いやー、すまんかった。てっきり血ィ吸われんのかと思っちまった。」
彼の言葉に呆然としていると、
「よくよく見たら嬢ちゃん、吸血種だろ? そんなんが来たもんだから警戒しちまってな、許してくれ。」
一目見ただけで私の正体を見破った? ただの人間が? そして、私が吸血種と分かった上で笑っている? この世で最も恐ろしいとまで謳われた存在を前にして?
「私が怖くはないんですか?」
「襲ってこねぇんなら怖かねぇよ。イカの天ぷら作ってるときのがおっかねぇ。」
料理人ジョークは独特な表現だなぁ、と関心していると、
「で、何で吸血種がわざわざ店に来るんだ? 人ならその辺歩いてるってのに。」
そう、吸血種の食事は人間の血だ。人間がこの世界で最も数が多いのだから、食事に困ることなどない。旅路にあっても、街道を往く人間を狙えばいつでも新鮮な血が手に入る。
「じ、実は・・・血液アレルギーなんです。」
「・・・聞き間違いじゃねぇよな? もっかい言ってくれ。」
「私、吸血種のくせに血液アレルギーなんです!」
あぁ、ついに言ってしまった。こんなに恥ずかしいのはお弁当箱いっぱいのトマトを見られたとき以来だ。恥ずかしすぎて灰になりたい。
「はははははは! いや、笑っちゃいかんのは分かってんだがな、血が吸えねぇ吸血種って、ははは!」
ちょっと笑い過ぎでは? と思わないでもないが、私が人間じゃないと知ってもなお距離を置かない人間に会ったのは初めてだった。それにどうやら悪い人間ではなさそうだ。気を取り直して、お店について尋ねてみることにしよう。
「このお店って、メニューないですよね。どういうとこなんですか?」
「あー、初めて来た客はそこツッコむよな。うちは客の望むもんなら何でも作る。だからメニューはねぇ。」
何でもって言いましたよこの人間、さも当然のように。
「ところで嬢ちゃんは何を食うんだ? 血がダメでも代わりはあるんだろ?」
「あ、えっと、トマトです。できればトマトジュースがいいです。」
「はははははは!」
また笑われた。何か変なこと言ったかなぁ?
「すまん、そんな漫画みてぇなベッタベタな展開は予想外だったわ。トマトジュースだな、ちょっと待ってな。」
そう言って厨房らしきところへ向かう彼を思わず引き止めた。このお店はそれほど大きくないというのに、どんなオーダーにも応えられるほどの食材をどこに確保しているのか尋ねてみた。
「んじゃ、ついて来るかい? なぁに、別に隠すほどのもんでもねぇ。」
お腹が減って動きたくはないけれど、好奇心の方が勝ってしまった。彼に従って厨房の扉をくぐると・・・
「な、な、な、何が起き・・・え・・・?」
私は、ジャングルの中に立っていた。全く状況が飲み込めない。お店は街道に面したところに建っている。決して密林地帯の真ん中ではない。それがどうして、扉1枚隔てただけでこうなってしまうのか。目を白黒させるしかすることがない。
「よ~し、気合い入れてトマト狩りと洒落込もうじゃねぇか!」
彼の言葉で我に返る。それでもまだ動揺は隠せない。
「ど、ど、どうなってるんです? 何で急にこんなジャングルにいるんです?」
「はっはっは、驚いたろう? こいつが何でも作れる秘密ってわけだ!」
私にばらした時点で秘密じゃなくなったとか、そんなツッコミを入れたいところだけどそんな場合じゃない。何より少しも謎が解けていない。
「うちの厨房は欲しい食材があるところに連れてってくれるのさ。おかげで何でも揃うから何でも作れるって寸法よ。」
「でもどこにもトマトないですよ?」
「問題は着いた先で探し回る必要があるってことだな。」
それを聞いて少しがっかりした。トマト食べ放題だと勝手に思い込んでいた。それでも確実に欲しいものが手に入るなんて夢のような扉だ、と考えていたところにまた1つ疑問が出てきた。
「探し回ってたら、お客さん帰っちゃうんじゃないですか?」
「そこは問題ねぇ。理屈は知らんが、こっちでの1年が元の世界での1分くらいだ。」
なんという滅茶苦茶設定、もう何が起こっても驚かない気がしてきた。
「質問はそんくらいか? そんじゃ改めてトマト狩り開始だな。」
彼は懐から包丁を取り出して、道を塞ぐ植物を斬り始めた。ただの万能包丁にしか見えないのに、一振りするだけで道が拓けていく。私の包丁の概念も一緒にバラバラになっていく。何者なんだあの人間。
探し始めてから数分経ったくらいで、目当てのものを発見した。
「お、あったあった。さっさと見つかってよかった。」
真っ赤に熟したトマトだ。あまりの空腹感で、私は引き寄せられるようにトマトに近づいていった。
「おい! 不用意に近づくな!」
彼の言葉で立ち止まったが、遅かった。私は地中から突然現れたモンスターに吹き飛ばされた。ジャック・オー・ランタンみたいな顔がついた、直径50センチくらいのトマトだ。頭の上に生えている通常サイズのトマトがアクセントになっていて、見た目だけならちょっと可愛いく思える。こちらを獲物を見る目で睨みつけてこなければ、という前提だけれども。
「説明しなかった俺が悪かった、ここで手に入る食材ってのはほとんどが魔物なんだ!」
「先に言ってくださいぃぃぃぃぃぃ!」
彼がトマト『狩り』と言っていたのはそういうことだったんだ。いちご狩りみたいなものを想像していたのに、まさか本当に狩りだったなんて。・・・ちょっと待って、今狩られそうなのは私の方では? トマト(?)に食べられた吸血種なんて前代未聞、末代までの恥だ。
「い、今の私なんてやせ細ってておいしくないですよ? 食べるならあっちのおじさんの方がきっとおいしいです!」
「確かにオスの方がうまい生き物ってのはいるな。」
いや、私吸血種、あなた人間。オスメス以前に種族が違う。って、何考えてるの私。
「は、は、早く助けてくださいぃぃぃぃいぃぃぃ!」
「分かってるっての。」
私とトマト? 魔物? もうト魔トでいいや、の間に割って入った。ト魔トが噛みつこうとしてきたところを飛び上がって回避する。そのままト魔トの頭に飛び乗り、生えているトマトを切り取った。おばけカボチャみたいな顔がしょんぼりして、ト魔トはおとなしくなった。
「た、助かったぁ・・・。」
「嬢ちゃん、怪我はねぇか?」
「大丈夫です、ありがとうございます。」
「こんな感じでここの食材どもは凶暴だからな。トマトも手に入ったし、今のうちに引き上げんぞ。」
この人間がすごい観察眼を持っていたり、包丁1本で開拓できたりする理由がよく分かった。
帰りの道すがら、あの魔物について教えてもらった。
「あいつはアングラートマトっつってな。地上の実で釣って、近寄ってきたやつを地中の本体が襲うんだ。そのくせ弱点も実の方で、本体と実が離れたら動かなくなっちまうんだ。しばらくしたらまた生えてくるがな。肝心の味なんだが、本体は固くて青臭くて煮ても焼いても食えたもんじゃねぇんだが実の方は絶品でな、普通のトマトなんか二度と食えなくなっちまう。」
「でも簡単には近づけないですよね? いちいち戦って採るんですか?」
「いや、これを使うつもりだったんだ。」
いつの間にか手に高枝切り鋏を持っていた。鋏の下には網も付いていて、実を落とす心配もなさそうだ。それよりその鋏、どこから取り出したんだろう。何次元コックスーツなのやら・・・。
無事に帰ってきた私は、ようやく食事にありつけるのだった。魔物の一部だったと思うと少し複雑だけど・・・。
採れたてのトマトと塩を少々、ミキサーにかけてザルで濾せば完成。トマトジュースなんてシンプルが一番だ、というのが彼の弁。確かにおいしい。トマトの甘みが引き立っているし、後からやってくる爽やかな酸味のおかげで、いくらでも飲めそう。この辺りのひたすら酸っぱいだけのトマトや、甘みだけを追求しすぎて歯が痛くなるフルーツトマトでは逆立ちしたって勝ち目がない。もうここに住みたい。
「ところで嬢ちゃん、吸血種なんだから腹減ってなけりゃ強ぇんだろ?」
「え? 一応、他の種族よりは強いつもりですけど・・・。」
「だったら、俺の食材集めの手伝いしてくれねぇか? 空き部屋もあるし、もちろん給料はちゃんと出すぜ?」
「それは嬉しいですけど・・・吸血種がいたらお店に迷惑がかかっちゃうんじゃ・・・。」
吸血種が恐れられている理由はいくつかあるが、最も大きい理由がその戦闘能力の高さと好戦的な性格にある。華奢な外見からは想像もつかない怪力、大量の使い魔、そして心臓さえ無事なら再生する生命力を持ち、二重の意味で血に飢えている。食料と戦いを求めて人間と戦争を繰り返していた歴史もある。気弱で争いを避ける性格は非常に珍しい。私以外にいないんじゃないかなぁ?
「うちの常連はよく言えば細けぇこたぁ気にしねぇ、悪く言えば馬鹿だから心配いらねぇよ。」
とても客商売をしているとは思えない発言が飛び出した。不思議と嫌な感じがしないのは、この人間の特性だろう。
「本当に私でいいんですか? 私より強い吸血種ならいっぱいいますよ?」
「いくら強くたってなぁ、あいつら話聞かねぇじゃん。」
そういえばそうだった。大抵の吸血種は傲岸不遜・唯我独尊・傍若無人。他人と行動を共にするなんて、到底不可能だ。
「それに、行くアテもないんだろ? 悪い話じゃないと思うぜ?」
そこまでお見通しだったとは。素性が知られる前に街を去り、時にはばれて命からがら逃げ出したり。私を受け入れてくれるところなんてどこにもないと思っていた。私を必要としてくれる存在なんてないと思っていた。
「私なんかでいいのなら・・・よろしくお願いします。」
「おう! よろしく頼むぜ!」
「あ、自己紹介がまだでしたね。私、モルモー・ヴァン・ピールです。」
「俺はケン・サワミヤだ。常連客は大将だのマスターだの好き勝手呼んでっから、まぁ好きに呼んでくれ。」
「はい、よろしくお願いします、ケンさん!」
ひょんなことから宿と食事、おまけに仕事まで見つかってラッキー! と思ったけど、食材(魔物)の相手が務まるのか、不安も覚えた。これからどんな日々が待っているんだろう・・・。