転生したらゾウリムシだった件 ~目すら見えないけど、微生物ならではの力で無双します~
ゾウリムシ。
ばかアホ間抜けでニートな俺でも耳にしたことがある、とっても有名な微生物だ。
外見は細長くやや捻じれていて、絞った雑巾みたいな形状。草履の名がつくものの、扁平さは欠片もない。一方で全長は髪の毛の直径とそう変わらないくらい。つまりめちゃくそ小さい。
同じく微生物として著名な存在──ミジンコに比べ、このゾウリムシは十分の一にも満たない大きさだという。罵倒でもなんでもなくミジンコ以下である。名前からすると、割と大きい感があるのに。
〈この期に及んで自己分析なんて、随分余裕ぶっこいてるね~? ニート君。そこ、君より大きい微生物の楽園だから。ぼやぼやしてると食われるよ?〉
思考中、突如脳裏に響く軽薄そうな男の声である。
声音だけでも品性が窺い知れる、神経を逆なでするような響き。 右往左往する俺を見て楽しんでいるのだろう。彼の声には隠しきれない愉悦が滲む。
〈脳裏に響くて。ゾウリムシに脳なんて無いよ? 単細胞生物じゃん〉
うっせーバーカ! お前が「面白そうだから」とか言ってゾウリムシに俺の魂ぶち込んだんだろうがッ!
〈そうだっけ? まあ何でもいいじゃない──あ。君の同期、食べられちゃったよ。ほら、クリプト藻の子。君よりずっとすばしっこかったのに、やっぱり小さいとダメだね〉
淡々と語る脳内の声に、我が身に生える繊毛がぞわりと総毛立つ。
同期といえば、俺と同じようにして微生物へと転生させられた連中だ。
鼻息の荒く汗を滴らせて興奮していたデブ。タバコの臭いを充満させていた挙動不審なハゲ。目を充血させてどこぞの部族みたいなクマを作っていた女の子。
思い出せる顔は幾つもある。ほんの数分前まで、白くだだっ広い空間で一緒にいたというのに……。今や全員訳の分からん微生物として、池(?)の中に放り込まれている。
その人物(微生物)が死んだというのに、男の声は酷く軽い。いやむしろ、蔑む色さえ僅かに滲む。この程度で死んでしまうのか、と。
……この悪辣さ。神というより邪神が近かろう。
〈そういう認識もありかな。ぼくは力ある故の神であって、君たちが思い描くような絶対的善性があるわけでもないし。それはそうと、君、そろそろ食べられそうだよ?〉
邪神の声が響くと同時。体を覆っている繊毛がうねりを捉える!
おおらかなる水の流れとは異なる、ジワジワ迫る波の気配。
ゾウリムシは目が見えない分、繊毛や触覚器官が鋭い感覚を有しているようだ。すげーな微生物。
というわけで、知覚したなら即逃走。ゾウリムシたる俺に闘争なんぞ不可能であろう。コマンドは「逃げる」だけである。
俺の体にはヒレや力強い筋肉など存在しないため、センサーの役割を果たす繊毛を使って移動する。毛で泳ぐといえば間抜けだが、体そのものが小さいため毛というより舟を漕ぐ櫂に近い。
お毛々を巧みに動かしスイスイス~イとその場を離脱。
ガハハハ。敗北を知りたい。
などと、余裕こきまくっていると──。
〈あッ。食われた!〉
──尻(?)に激痛が走った。
おぎゃぁぁぁあああ!? 痛えッ! ケツが、穴が増えるぅぅう!?
〈クリプト藻の子が食べられたって言ったじゃん。あの子は長い鞭毛があるから、繊毛でのそのそっと動くよりずっと速いよ。フフフ、ゾウリムシな君が逃げられる道理がなかったね〉
解説サンキュークソッタレ!
ちくしょう。目が見えねえから、ぶっ刺しからの丸呑み行動をしてきた相手がどんな奴かわからねえ。
じわり、じわりと。繊毛を剥がし圧し潰していくような圧力が、ケツから腹の辺りにまでのぼってくる。
全力で身を捩ってみるも、抜け出せる気配は毛ほども生まれない。
生物としての筋力が絶対的に違う。そう思わせるほどの圧倒的膂力の差。
絶望。その二文字が、絞った雑巾のような我が身にずしりと沈む。
俺はこのまま、訳の分からんまま一呑みにされちまうのか……。
〈君は藻の子より体が大きいから、まだ何とかなるんじゃない? ほら、単為生殖というか分裂できるでしょ。身代わりの術だー的な〉
身代わりもクソも、単為生殖なら増えた存在も全く同一なんだが……。
しかしクソ野郎に突っ込んだところで、がっちりホールドされている現状を脱する術は思い当たらない。このままガジガジと食われていくよりは、分裂脱出に託す方がマシであろう。
背の上あたりにある排水器官から水を吐き出し、覚悟完了。
うねうねともがいて時間を稼ぎつつ、分裂のためのエネルギーを絞り出す!
ゾウリムシの底力ってやつを見せてやるぜ! うおおおッ!
~十分経過~
ぜえ、はあ……。やっと、分裂できたか……。
ポーンと分かたれるかと思っていたけど、単細胞生物ってのは分裂に時間がかかるらしい。何とか脱出できたが、本当にぎりぎりだった。
分かたれた俺は当然小さい。その上、腹も減っていて力も出ない。
……あれ? 結構ヤバいんじゃないですか、これ。
ひとまず謎の捕食者から距離を取ったけど、小さくなっているから大きな距離は移動できない。パワーもあんまり残っていないし、また襲われてしまうかもしれない。ピンチ継続中である。
〈言うて、死ぬよりはマシでしょ。あのままだと確実に食われてたよ、うん〉
実際、俺の片割れは食われたんだけどな。
というか、意識も分裂したのか並列して認識できていた。
つまり食われる最中の感触も共有していたのだ。
ケツから迫る捕食口。メリメリ剥がされていく繊毛と細胞質。
全くの暗闇の中でゆっくりゆっくり食まれていく感覚は、人であった頃に体験したどれよりも強烈な刺激。二度とはごめんな、形容しがたい悍ましさだった。
〈へぇ~。分裂しても意識が並列して存在できたんだ。面白いね……群体の多細胞生物化かな。でも、二度とはごめんっていうのは勿体ないなあ。君、それを使えば幾らでも危機が察知できるでしょ。至る所に自分自身がいて、意識が共有できるんだから〉
神の意見はなるほど道理だ。
目が見えない状態にある俺にとって、世界を把握する術というのはこの上なく魅力的である。現状、繊毛センサーはごく近い範囲しか気配を探れないわけだし。
とにもかくにも移動を開始。疲れていようが食われちゃお終いだ。背に腹は代えられぬ。ゾウリムシの場合、背中も腹もあったもんじゃないが。
もやもやと思案しながらうぞうぞと繊毛を動かし、あてもなく光無き世界を遊泳。ついでに、腹が減ったのだからと口を開けてお食事を開始する。
ゾウリムシの捕食方法は吸引である。
ドキュメンタリー番組でクジラがずぉぉぉ~っとオキアミを食べる姿なんかが放映されることもあるが、イメージ的にはアレに近い。
吸い込むための肺も無いのにどうやるのかと聞かれれば、口部に生えている繊毛を使う。しゃかしゃか動かして水流を作り、極小の微生物を呼び込むのだ。
〈掻いて泳いだり回して呼び込んだり、繊毛って万能だよねえ。というか君、一体誰に説明してるのさ〉
説明口調で思考していないと気が狂いそうなんだよ……。今こうしている間にも、さっき襲ってきた奴や別の捕食者が現れんとも限らんし。全く気が休まらん。
〈そっかー。なんだかごめんね。でも、そうやって苦悩するゾウリムシ……見ててとっても楽しいです☆〉
よほど暇をしているのか、神様のノリはクソうざい。
つーか俺一人(一匹)を実況するって、どんだけ暇なんだよ神ってやつは。
〈まさか。君みたいなただのゾウリムシ一匹にかかずらってるわけがないじゃん。ぼくは神だから、並列して沢山のお仕事をこなしてるんだよ。微生物見て笑ってるのなんて、この星で起きてる自然の営みを監視する作業の中で、本当に余裕のある時だけさ。貴重な癒しのひと時なんだよ〉
等々、益体のない脳内会話(脳なんて無い)を繰り広げている内に、すぽぽぽーんと口内へと入っていく微生物たち。俺より更に小さいそいつらは俺の体にある消化を担う部位へ移送され、エネルギー源へと変わっていく。
しばらく食べ歩いているうちに分裂で消耗した体力も戻ってきた。襲われる前にもう一度、いや何度か単為生殖に励んでおこう。
ずもも。体の中心がくびれるような感触を覚える。
ずももも。くびれが大きくなりだした。繊毛ですいすい動きつつ、体をねじって境目をはっきりとさせていく。
ずるりん。くびれがぶつりと千切れとび、俺が二つに分かたれた。
意識が倍増、思考の同調も全く滞りない。初めからそうであったかのように、俺と俺は自在に遊泳する。
人であった頃でいえば、右手と左手のような感覚だろうか。およそ違和というものが存在しないのだ。
けれども、倦怠感も二重に感じる。分裂で得られるメリットの前では小さなものだが、俺たちが同時に疲れてしまわないよう気を払っておくべきか。
とにもかくにも腹が減ってはなんとやらだ。これからしばらくは食事と分裂の時間としゃれ込もう。
~飯を食らい単為生殖に耽る、堕落した時を過ごすこと三日ほど~
六度の分裂を経て、俺は五十匹以上にもなるゾウリムシ集団へと変貌した。俺たちの捕食行動により、もはや周囲の微生物たちは激減している。
途中、ねばねばした捕食者や針を持ったウニみたいな捕食者に食われてしまうことがあったが……捕食されている間に他が逃げて被害拡大を防いだため、損害は軽微だ。
また、分裂して意識が増えたからか、捕食される際に痛みも薄まっていた。個としての意識が弱くなった影響だろうか?
〈さてさて。三日も放置してたけど。生きてるかな──うわキモッ。じゃなくて……要領がいいね、君。五十も意識を並列させてるって、結構凄いことだよ。多分普通は発狂するんじゃないかな〉
しばらく音声の途絶えていた神曰く、凄いことらしい。
そうは言っても、俺の意識では手先足先を動かすシミュレーションゲームといった感じだ。
行なうのは複雑な処理など挟まない、単純極まる命令のみ。分裂、捕食、遊泳。頗るシンプルである。特に負担は感じない。
〈へえ~。ニート君に思わぬ適性が……って、また食べられてる! ぶふふッ〉
……ぐぬァッ!?
神に笑われるまでもなく知覚する、鉄柱を腹へぶっ刺すような痛み。
それは忘れもしない、ファーストインプレッション。
ゾウリムシとなった俺を恐怖のどん底へ叩き込んだ、あの悍ましき捕食者である。このケツの痛み、生涯忘れることがないだろう。
〈君って時々、真面目なんだかふざけてるんだか分かんないよね……っと、逃げるんだ? 今なら数が沢山いるし、撃退すると思ったんだけど〉
捕食されている間に無事な面々で逃走陣形を組んでいると、神より思わぬ言葉が零れ出た。
撃退。考えてもみなかった行動だ。
何せ我が身はゾウリムシ。牙を持たず目すら見えない繊毛虫である。一体どうやって捕食者を打倒するというのか。
〈まあ確かに、君はゾウリムシだけどね。じゃあ君、今後も困難に直面する度、そうやって逃げ続けるのかい? 自分自身を差し出して、相手から逃げ惑って、生贄を用意するために分裂して……。それじゃあ君、逃げるために生まれたみたいじゃないか〉
身を翻して遠ざかろうとした瞬間、容赦ない言葉が降りかかる。
勝手に俺の魂をゾウリムシに突っ込んでおきながらこの口上。やはりこいつは邪神に違いない。
だけども……そんな罵詈雑言にも、一理ある。
俺は確かに今という状況に追われていて、将来のことにまで考えが及んでいなかった。
苦を避け楽へ逃げる刹那的な生き方。それは人であった頃、ニートであった時と変わらない漫然とした生だ。
そうやって低きに流れる生がどれほど退屈なものか。俺は身をもって知っている。
〈だろう? だからぼくは君を選んだんだよ──退屈というものを知っている、君をね。……そうそう、ゾウリムシって重力に逆らって進む性質があるんだよ。低きに流れるなんて、“らしく”ないんじゃない?〉
愉快そうに笑う男の声。不思議とその言葉には、蔑む色は乗っていなかった。
いいだろう、ノってやる──ゾウリムシの底力ってもん、みせてやんよ!
我ながらチョロいもんだと思いつつ、繊毛を動かし面舵いっぱい。
右へ右へと旋回し、加速しながら捕食されている俺へと突貫する!
勢いに乗ってぶちかますのは、大好きな漫画で見た中国拳法の奥義──八極拳・鐵山靠ッ!
哈ァッ!!!
〈ただの体当たりでしょ……〉
そんなぼやきが聞こえた刹那──めにょりと、我が頭部(?)が何者かにめり込む。
目が見えずとも分かたれた俺の体は知覚可能。それを利用しての全力突撃が、捕食者に直撃したのだ。
どっこい、敵も然る者。
鐵山靠によって吹き飛びながらも、捕食者は捕食途中だった俺を丸呑み。どころか攻撃の気配を滲ませこちらへ迫る!
〈あらら。避けられないよねえ〉
ぐふぅ……。
体がくの字となるほど強烈な衝撃に、腹へと突き刺さる鋭利な突起。
俺の突撃など効いていないとでも示すように、突撃をぶちかましてきた捕食者は圧倒的な力でもって捕食を開始した。
〈やっぱり無理かー。なんだか君ならやってくれそうな気がしたんだけど……〉
神の言葉通り、この状態となっては動けない。
やはりゾウリムシが捕食者に抗うなど、無理無茶無謀だったようだ。
されども──。
〈えッ!?〉
──俺であれば話は変わる。
俺の意識は五十匹分のゾウリムシ。
一匹は食われ、一匹は串刺しとなって──それがどうしたァッ!
さあ、遠慮することはない──俺ごとやれ!
などと自作自演で盛り上げれば、ゾウリムシの流星群が四方八方より降り注ぐ!
一発目──俺の背部へゾウリムシが直撃。
ねじ込む衝撃でもって、俺に刺さっていた捕食口を弾き出す。
二発目──吹っ飛んだ捕食者へゾウリムシが追撃。
なおも捕食されている俺の意識をマーカー代わりに、弾丸と化したゾウリムシたちが次から次へと押し寄せる!
三発、四発、五発と迫撃が続き、捕食中の俺を吐き出そうとするほどに揺らぐ相手。
対するこちらは口の中にて全力抵抗。
体をよじって繊毛をうねらせ、絶対に出てやるかと口内に踏み止まる!
そうやって押し合いへし合いしている最中、突然捕食者と俺の間に鋭い針のようなものが出現した。
〈……槍状の放出体? トリコシスト放出か!〉
神の反応的に、なにやらゾウリムシに備わる防御反応らしい。
意識して出したわけではないが……効いているのならば良しッ!
トリコなんちゃらがばら撒かれたおかげで口内が棘まみれとなり、相手の動きは露骨に鈍った。
しからば、突撃あるのみッ!
勇敢なる戦士たちよ、俺に続けェ!
必ッ殺ッ! 渦巻く流星撃!
螺旋回転を行うゾウリムシたちによる、全力全開の突進が殺到し──捕食者の微生物は、粉と砕けて藻屑となった。
◇◆◇◆
〈驚いた。いいもの見れたよ〉
生物史に名を刻むであろう激戦を終えた後。
現在、俺たちは絶賛お食事中である。疲れた体を癒すためでもあるし、勝利を味わうために必要なプロセスでもある。
やってやったぜ!
高速遊泳可能で圧倒的な力まで具える絶対者。よくこの身で勝てたものだ。
まあ、数でゴリ押した感が濃いけども。
先の戦闘を振り返りつつ、みょもも~と糧を吸引。食料は粉々となった捕食者の残骸だ。
神曰く、こいつはディディニウムという名の微生物らしい。自身の身の丈ほどのサイズのゾウリムシを日に何度も食べる、恐るべき大食漢なのだという。
〈数の利があるとはいえ、狩っちゃうとはねえ。大したもんだよ。自然界でも殆ど例がないんじゃないかな〉
キャラ崩壊なんじゃないかと思うほど感心し、俺を褒め称える邪神様。
どうやら偉業を打ち立ててしまったらしい。
ガハハハ。敗北を知りたい。
心地よい達成感と勝利の余韻を味わいながら、ゾウリムシの生も案外悪くないものかもしれないな──と、考えていたその時。
〈ぶッ。また食べられてる!〉
不意に襲い来る、体を圧し潰すような不快感である。
ねばねばの中へ沈んでいくような得も言われぬ感覚に加え、愉快そうな神の反応。俺たちの内の一匹が捕食されていることは間違いないようだ。
やれやれ。微生物の生というものは、気の休まる時など無いらしい。
ディディニウムの捕食を取りやめ取り舵いっぱい。左へぐるりと旋回し、捕食中の何者かへと突進を開始する。
一匹食らえば周りが逃げ出すとでも思ったか? 甘いぜ。何せ俺たちは全ての個体が一つの意識。そこいらのゾウリムシとはモノが違うからなあ!
〈ほんのついさっきまで生贄作戦に出てたのに、よく言うよ〉
などという呆れ声を無視し、突進加速。繊毛を全力で漕ぎまくり、速度を増して増して増しまくる!
迫りくる俺たちを前に、ぶるりと震える謎の捕食者。
後悔したってもう遅いぜ──俺たちの戦いはこれからだ!
ご愛読ありがとうございましたァ!!!
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