ナンパの思い出 私はロリコンではありません
ちょうど15年前に書いた文章です。
以前運営していたホームページからの転載です。
自分が若い頃に実行したナンパの顛末です。
途中から違う話になっています。
注 この文章、2018年に投稿済だったのを忘れて、2022年11月に同じ文章をまた投稿してしまいました。
03.12.15記
私の人生でナンパというものを経験したのは2回である。
高校時代の友人で、地元の大学に入った友人が在学中に自分の車を持った。
春、夏、冬の休みには私も実家に帰っていたが、お互い、彼女がおらず、暇を持て余しては、よく彼の車の助手席に乗せてもらっていた。
といっても長距離ドライブはしない。彼は倹約家で、ガソリンはいつも10リットル ずつ入れていたし、車の中には「ラーク」の箱があったが、それは飾りで中身は国産の煙草だった。
だから、ドライブといっても国道2号線を大阪まで往復するか。 西宮市内をくるくるまわるくらいである。
その日も、国道2号線を東に向かって走っていたが、しばらくしたら急にUターンする。
「どうしたの」
と訊く私に対して
「今、バス停で女の子が2人、バスを待っていた。誘う」
とのたまう。
私はそういうことをしたことはないから、胸の鼓動が早くなる。
もう一度、Uターンして、そのバス停の前に止まった。 助手席に座っていた私が窓を開けると、友人が、女の子2人に対して
「乗らない?」
と話しかけた。
女の子は2人で顔を見合わせ、相談している。10秒近く、経ったろうか。
私も掛けていたサングラスをはずして「乗りませんか」と声をかけた。
ちょっとして女の子2人は、結局、断った。
断られたが、
「へえ、ちゃんと検討してくれるんだ」
と思い、それが嬉しかった。
と、同時に
「もしかして、俺がサングラスをはずしたのがいけなかったのだろうか」
とも思った。
もう一度は、大学4年の夏休みである。
大学ではいっていたお勉強のサークルでの友人2人が、私の実家に遊びに来た。
2人の家は、東京と千葉でともに自宅組である。
1週間近くいたように思う。
甲子園に高校野球を見に行ったり、六甲に行ってジンギスカンを食べたり (義兄と姉夫婦がご馳走してくれた)、うちの親の車を借りてドライブをしたり。
このドライブのときは、神戸の西の海岸に面した道路からの風景が、2人はいたく気に入ったようで
「いやあ、いいところだなあ。ドライブするにはもってこいのところじゃないか。 お前、こんないいところに住んでいて何で彼女が出来ないんだ」
などと言われた。
ある日、その日は須磨に海水浴に行った。
砂浜でぼけっとしていたが、しばらくして、あとの2人が、
「あそこの3人連れの女の子に声をかけるぞ。」と言う。
私は
「恥ずかしいからやめよう」
と言ったのだが、
2人は
「いや、声をかける」
と断固として言う。
「そうか、それじゃあ、俺はしばらく避難する」
と言って、海に入った。
これ以上行くと足がつかない、というところまで移動して様子をうかがった。
見ると、成功したようで、2 対 3 で 何か話している。
「そうか、成功したか」
と思い、
砂浜に戻り、さりげなく(さりげないかなあ)、話に加わった。
友人2人は、日焼け止めクリームを借りたりして、色々話を盛り上げようとしているが、 いまいち話が盛り上がらない。
友人の名誉のために書いておくが、この2人、ともに背は高いし、今の表現で 言えば充分にイケメンの部類に入るであろう。その時、ともに彼女もいたはずだ。
友人のひとりが
「で、君たちいくつなの」
と訊いた
「中学3年生」
と答えが返ってきた。
それ以降、話はぴったりと止まってしまった。
上記の友人のうち、東京に住んでいた友人と、それよりも前に議論をしたことがある。 テーマは、
「一番魅力的に感じる、女性のファッションは」
というものだった。
「タイトスカートに黒いストッキング」
と友人は主張した。
「ミニスカートに白いハイソックス」
と私は主張した。
しかし、このときの経験があって以降、私は友人の、そのときの主張を信用していない。
追記1:私の当時の趣味は友人間ではよく知られていた。
お勉強のサークルで、早慶戦を見に行ったときに、熊本の褌男(「コンパの思い出」参照)が 彼女(同じ学校)も連れてきたのだが、その彼女に(私は、「淳ちゃん」と(名前で呼ばれていた)、
「見て見て。 淳ちゃんの好きなミニスカートをはいてきてあげたわよ」
などと、気を使ってもらった、というようなこともあった。
その後の人生においても、テーマが、好きな女性タレントというような雑談の際に、 私は、ローティーンの年齢の少女をあげたりしていたものだから、まわりの人から 「ロリコン」という評価を受けたこともあった。
これについては、ロリコンの厳密な定義は知らないが、世間一般では、そういう年代の女の子に、男性としての欲望をもつ男。 というようなニュアンスで使われているように感じる。
そうであれば、私は昔から「ロリコン」ではない。
私は、さきにあげた年代の少女の美というものは、この世界がもつ、最も優れた美のひとつ、 と思っていた。
そしてそれは、その少女が大人の女になった時点で失われてしまう。 その年代でしか、もちえない美。と思っていた。
が、その年代の少女に官能的な欲望をもつことはない。
つまり、
「私は美少女を愛する。が、それは形而上的な愛である」ということである。
「ロリコン」といわれるたびに、こういうことの説明を試みたのだが、なかなか理解して もらえなかった(まあ、そうだわな)。
ところで、もう相当に以前になるが、ある日、私はそういう、美少女に対して持っていた気持ちが自分の中になくなっていることに気づいた。
それまでは、そういう美少女を見たとき、私は少年の頃の気持ちがよみがえり、何か甘酸っぱい気持ちになっていたものだったのだが、 もう、そういう気持ちがよみがえらないのだ。
そういう少女を見ても「可愛いな」と思う。 それだけだ。
一種、父親の目になってしまっており、その種の美に対する感受性が枯渇してしまっている 自分に気づいたのだ。
そのとき思ったのは
「自分の心の中にあった、少年の部分は、もうなくなってしまった」
ということだ。
で、今、議論するとすれば、当時の友人の主張を支持することになってしまう。
大人、女性をより強く感じるタイプの人が良いなと思う
(客観的に、というよりは、主観的にそう感じるという部分のほうが大きい)。
もっとも、色々と理屈をつけているが、元々若い頃から女性の趣味は変わっていないのに、 若い頃は、若さ特有の美意識により、そういう自分を認めるのがいやで、
「俺は、純粋で清らかなものを愛しているのだ。」
と自分にインプリンティングして、 そういう自分に酔っていただけではないのか、と自己分析している。
年を取ってから変貌したのではなく、いちいち、心の中で理屈をつけるのが面倒になっただけなのだろう。
少年時代、私が頭でっかちの理屈屋でなく、女の子に対して、そのとき持っていた特有の美意識というようなフィルターをかけることなく、素直に見ていたら、その時点で、前述したことを認識できていたのではないかと思う。
少年時代から青年時代の初期にかけて、私は恋愛に関しては、色々悲しくなること、苦しい気持ちになることも多かった。
一途に思い詰め、こころに余裕がなかった。
恋とはそういうものなのかもしれないが、その恋にも前記した理屈、美意識のフィルターがかかっていたと思う。
その拘りが、余計にこころに余裕を無くさせていたと感じる。
が、上記のこと、年齢が重なり、若さ特有の美意識の類いも無くなり、あらためて、いいなと感じる女性を見ていると、より愉しい気持ちになっているし、気持ちもしっくりと居心地が良くなっているからだ。
気付いた時点では、もう自由に恋愛のできる境遇では無くなっていたが、そういう気持ちを持ってと仮定して、少年時代から青年時代の初期をあらためて、時々想像してみる。
なかなか愉しい。
追記2:追記1に書いたことの途中からの記述が、概ね30歳代後半以降の状況だったが、 近年また変わってきたように思う。
といっても、昔に戻った、というわけでもない。
ここまで書いてきたような分析をすること自体、女性全般を、あるパターンにはめ込むような心の作業自体を、 どうでもいいじゃないか、と思うようになってきた。
まあ、過去の心の残滓というものはあるが、そういう方向には向かっている。
追記3:この心の動きを分析(好きやなあ)すると、
・テーゼ
・アンチテーゼ
さらにそれをアウフヘーベンしての
・ジンテーゼ
と
見事にヘーゲルが言うところの三段論法、
「史的弁証法」の軌跡を描いているではないか。
ヘーゲル は 素晴らしい。
だから、どうした。と言われれば、もう、特にコメントはないです。
以下は、2022年11月22日記
上記末尾の文章につき、一応補足説明しておきます。
・テーゼ(正)
私は美少女を愛する
・アンチテーゼ(反)
私は美少女を愛することができなくなった。
・ジンテーゼ(合)
テーゼ、アンチテーゼ、両方の概念を包含、統合し、美少女という概念にとらわれることのない、自らの感性に従って女性美を愛でるという新たな概念に到達した。
(私がセクシーと感じることができるというのが、私にとって価値のある女性美)。




