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これはアクマで契約です!

「いいか? もっと自分を大切にしろ。死んだ爺さんがどう思うか、考えろ」


 淫靡(いんび)な間接照明に照らされた古臭いラブホテルの一室に置かれたダブルベッドの上に正座をしている。

 私の──竹下(たけした)(みさお)の向かいには、()()()

 比喩表現ではなく、彼は本当に悪魔だった。西洋の絵画によくある山羊の下半身と人間の上半身ではなく、きっちりとした燕尾服を纏っているけれど。頭に大きな山羊の骨を被った彼は、確かに悪魔だと名乗ったのだ。


 数日前に、私の祖父が亡くなった。ならば両親が居るではないかと思われるだろうが、生憎と母とは死別、父は蒸発してしまっていて、身内といえば祖父しかいなかった。

 まだ高校二年生の私は、どこかに引き取られるのが一番なのだろうけれど、これもよくあることで親戚たちは厄介者が増えることにいい顔をしなかった。

 とりあえず、その話は後日、と無理を言って帰ってもらいはしたが、一人で家に残されると急に寂しさが襲ってきた。

 冷蔵庫に残っていたカレーを温めてみても、一人でテーブルにつくのが怖い。

 だから、私は葬儀の時から着たきりの制服姿のまま、街に出たのだ。

 制服を着た女子高生というものは高級ブランドのようなものらしく、街をぶらついていたらすぐに声を掛けられた。

 まあ、別にどうでもいいか、と思い付いていった。娘ほどの歳の女子高生に興味があるものなのか、と思いながら。


 後ろから付けられている気配はなかった。

 そのラブホテルは誰にも顔を見られずに部屋に入れるもののようで──そもそも、私はラブホテルというものも初めてなのだけれど──男性は慣れた様子で部屋を決め、薄暗い廊下を歩いていた。扉を開けて、私に先に入るよう促した時だ。


 誰かが、男性を殴った。


 蛙を踏み潰したらこんな声で鳴くんじゃないかという声を上げて男性は倒れ、私は部屋の中に連れ込まれた。

 それが、件の悪魔である。

 悪魔は私に座るように促し、けれど床の上では足が痛くなりそうだからローファーを脱いでベッドの上に正座をした。

 そこでまじまじと相手を見て──驚いたのである。

「なんだ、もっと驚くと思ったが──肝が据わってるんだな」

 悪魔は、山羊の骨のバランスを取りながらそんなことを言う。驚いている。驚きすぎて声が出ないだけだ。

 そして始まったのが説教である。まるで祖父を知っているような口ぶりで、悪魔は延々と渡しに説教をした。


「……あの」

 説教が一段落ついた所で、学校よろしく手を挙げる。

「どうした」

「祖父を、知っているんですか?」

 すると悪魔は腕を組み、胸をそらして自慢げに言う。

「当たり前だ。爺さんは俺の契約者だからな」

「けいやく……」

 曰く、祖父から依頼をされたらしい。私が妙なことをしないよう、犯罪に手を染めないよう、見守ってほしいと。

「対価は──爺さんの命」

「い……いのち?」

「どうしたって、爺さんはあんたより長生きできないだろ? だから、どうしたらあんたの為になるかって考えたんだよ。それで、俺を見付けたってわけだ」

 風前の灯となった自分の命を使ってまで、祖父は私のことを気にかけてくれていたのか。

「だから、寂しいとかそういうので爺さんの思いを無駄にするんじゃねえぞ」

 悪魔は、悪魔らしくない説教をする。

 でも、それは勝手な悪魔の論理だ。私の気持ちを無視したもの。

「何かあったら俺が──……」

「──……よ」

「ん?」

「勝手なこと。言わないでよ」

「お前、おい」

「わたしは、おじいちゃんが居てくれた方が良かった! 残り少なくてもいいから、もうちょっとでもいいから、一緒に居たかった!」

 残り少なかろうと、ちゃんと別れを言いたかったのだ。学校から帰って、冷たくなっている祖父に迎えられるなど、嫌だった。

「おじいちゃんを返してよ!」

 祖父の意思なのは分かる。だが、残り少なかろうと私のために人生を終わらせるなど、望みはしない。

「いや、そんな無茶──……」

 悪魔が、うろたえていた。そんなことにお構いなく、私は身を乗り出し悪魔の襟元を掴む。

「だったら、あなたが一緒にご飯食べて! お帰りって言って! あの家から出て行きたくないの!」

 そうだ。祖父と暮らしたあの家から出て行きたくない。どこかの家の厄介になりたくない以上に、祖父の大好きだったあの家を離れたくないのだ。

 未成年の私がどう望んでも叶えられない願い。

「見守るんじゃなくて、傍に居てよ! 私が死ぬまで!」

 悪魔だろうと何だろうとどうでも良い。何だって──これまでの暮らしが変わらないのなら、藁にでも縋りたい思いだったのだ。

 山羊の骨の奥で、悪魔の目が──目があるとしたら、だが──光った気がした。


「それが、お前の望みだな?」


 それまでの声音とは違う、地の底から響いてくるような低いものだった。

「そうよ、これが私の望み。他には何も要らないわ」

 欲しいものは、帰る家と、おかえりと言って迎えてくれる家族だけだ。その他は要らない。

 骨が笑えるとするならば、この時、悪魔は確かに笑っていた。

「ならば、契約をしよう」

「契約……」

 悪魔と、契約。祖父も行ったという──契約。

 祖父は対価に命を差し出したという。

「私も……死ぬの」

 それも良いかもしれない。一人は寂しいから。

 だが、悪魔の反応は意外だった。

「はあ!? お前、どうしてそう何でもかんでも粗末にするんだ」

 悪魔が、悪魔らしくないことを言い出した。ぽかんとする私に、なおも説教を続ける。

「寂しいからオッサンと寝てもいいやとか、寂しいから死んでもいいやとか、本当に舐めすぎだ。爺さんが心配したの分かるわ」

「でも、おじいちゃんは……」

「爺さんは、寿命がぎりぎりに迫ってたの。だからそれでいいってなったの」

「……でも」

「でもじゃない」

「……はい」

 返事はしたが、唇を尖らせて、不満たっぷりだった。悪魔のくせに、どうして説教をしているのだろう。どうせ対価を要求するくせに。

 悪魔はまだ小言を続けていたが、まるで学校の生徒指導の教師のように口うるさいもので、声は右から左に抜けてゆく。

 私は別のことを考え始めた。命が要らないというのなら、何を要求するのだろう。

 金──は、欲しいのだろうか。悪魔が。欲しいと言われても、あまり持ってはいない。

 他に──他に。

 あれこれと考えて、思い至ったものがひとつある。


 乙女の純潔。


 図書館の本で読んだことがある。悪魔が何よりも好むのは、乙女の純潔であると。それを対価に、何でも望みを叶えてくれるのだという。

 良かった、行きずりの、訳のわからない男性と寝るよりも遥かに有意義な使い方ではないか。

 悪魔の説教はまだ続いていたが、善は急げ。制服の、セーラー服の裾を持って捲り上げようとすると、悪魔が大声を上げた。

「ばっ……! お前、馬鹿! 何やってんだ! 俺の話聞いてねえだろ!」

 そして、手を掴んで制服を下ろさせる。

「でも……悪魔の契約って、純潔でしょ? ここ、ホテルだしセ」

「女子高生がそういうこと軽々しく言うな! ったく、操なんて貞淑な名前貰っときながら……なんつー娘だ」

「貞淑……」

 まさか悪魔の口から貞淑などという言葉を聞くことになるとは思いもしなかった。目の前に居るのは、悪魔ではなく補導員ではないかという気がしてくる。

睨み合ったまま、待つことしばし。どちらがどう切り出すか──結局、それは私から。

「だったら、どうするの」

「……どう、って……」

「契約。対価が必要でしょ?」

 すると、悪魔は少し考える。腕を組み、しばらく唸った後でこう言った。

「対価は、爺さんと同じく、死ぬ間際に命を貰う。だけど、それだけじゃ、傍に居るという契約には足りない」

「どうして?」

「爺さんは、お前に何かあった時に駆け付けてくれっていうものなの。四六時中、傍に居なくて良いワケだ。それが、あんたのは違うだろ。俺に、家族になれって言ってるんだ」

「家族……」

 確かに、それはそうだ。

「だったら、やっぱり」

「だからそれはナシだ!」

 今度は脱ぐ動作をするより先に、手首を掴まれてしまった。悪魔というものは純粋らしい。言葉が途切れた。そして、少しの間の後。

「目を、瞑れ」

「はい」

 言われた通り、目を瞑る。

 微かな音は何だったのだろう。分からないまま、唇に何かが触れた。それは柔らかく、温かいもの。

 どうやら唇の感触らしい。骨にしては柔らかいから、バランスの悪かった頭蓋骨は外されたのだろう。ならば、今、目を開けると悪魔の顔が見えるのか。

 興味はあったが、それをすると悪魔が拗ねてしまいそうだったからやめておいた。

「……もう、いいぞ」

 長いような、短いような。だがただ唇を触れ合わせるだけの口付けの後、ようやく目を開けていいとの許可が下りる。

 残念ながら羊の骨で顔が隠れていたけれど、少し顔を伏せた仕草が照れているように見えた。それを言うとまた怒られそうだから黙っておく。

「こ、これが……契約の、対価だ」

「これ?」

 これ、とは今の口付けだろうか。契約内容はしっかりと把握しておきたかったから確認のために問い返すと、悪魔はびくりと肩を強張らせた。

「察しろ!」

「分かりません」

 少し、嘘だ。あまりに反応が面白かったから、あえて白を切って訊ねる。

 悪魔は右手の人差指を立てて、私の目の前に突き出す。手には白い手袋が嵌められていた。

「た、対価は、だな……いち……いち、いちにち……」

「一日?」

 私が確認のように反芻すると、その通り、と言いたげに悪魔が頷く。

「い……い、いっかい、キ……キ……キ──……」

「一日一回、キスすれば良いんですか」

 中々先が続きそうになかったから私が続きを引き取ると、悪魔は骨の頭を抱えて蹲る。

「お前はどうしてそう恥ずかしげもなく言えるんだ!」

 逆に訊きたい。悪魔なのにどうしてそんなに恥ずかしがるのかと。どこまで純粋──純粋……なのだろうか、悪魔だというのに。

 祖父も、中々面倒な悪魔を見付けたものだ。

 気を持ち直した悪魔は顔を上げて、私に詰め寄る。

「いいか、これはあくまで契約だからな。分かったな、あくまで──」

「はいはい、契約です」

 契約のための対価のキスであって、それ以上でもそれ以下でもない。そう言いたいのだろう。私も、それで一向に構わない。


 こうして私は悪魔とかりそめの家族になったのだった。

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