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ルプスの盾  作者: 深縹 あき
第1章 契約
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8


 背の高い木々で陽の光が遮られた森の中は、鳥達が歌い、爽やかな空気に満ちていた。今日は、屋敷の裏手にある森に来ていた。野イチゴを採りに行こう、とニゲルが提案してくれたのだ。

 四月も半ばになり、空気もだいぶ暖かくなってきていた。



 エルがこの屋敷に来て、三日が過ぎていた。

 まだ屋敷に居ることができているのは、アストゥートの伯父ジェロジアが色々と手を回してくれているらしい。


 伯父とニゲル達の説得は続いているが、アストゥートの意志はやはり固く、進展はみられていない。

 けれど、昨夜見かけたアストゥートは、眉間の皺が一層深くなっていた。彼も悩んでいるのだろう。

(考え直してくれたらな……)

 そう思いつつ、野イチゴで少し重くなった籠を持ち上げ、エルは辺りを見回す。終わりました、と声をかけようにも、肝心のニゲルの姿が見えない。

 離れた所へ行ってしまったのだろうか。

(おかしいな。さっきまで、話をしていたのに……)


 不意に、後ろの方から足音が聞こえた。

 ニゲルだろうか。屋敷の中では足音を立てることがなかったニゲルだが、草や落ち葉もあってか、ここでは普通に足音を立てていた。音がした方へ顔を向ける。

 人が、走っていた。

 木々の間を縫うように走っているのは、男性のようだった。

 どうしてここに人が? という疑問はすぐに消え、エルは籠を放り出し駆け出していた。


「待って!」

 男はこちらを一瞥したが、足は止まらない。

 なんとか視界には捉えられているが、このままでは見失ってしまうかもしれない。必死に足を速める。


「ニゲルさん!!」


 男の腕に抱えられているのは、ニゲルだった。

(一体、どうしてニゲルさんが……!)

 悲鳴は聞こえなかった。今だってニゲルは返事もせず、その体はピクリとも動かない。気を失っているのだろうか。


 昨日ニゲルが説明してくれたことを、エルは思い出していた。

 一部の領地・領域は、魔法によって結界が張られている。その為、魔法扉(リネア)からしか入ることが出来ない場所が多く存在し、移動するためには鍵が必要だ、と。


 目の前を走る男は、断定はできないが、盗賊の類だろう。

 じゃあ、一体どうやってここへ? 魔法扉(リネア)から?

 屋敷には、ポーとモーがいる。

 それに、さっきまでいた場所は屋敷から少し離れた所だったとはいえ、来訪の鐘は聞こえたはずだ。

 誰も気づかない、なんてことがあるだろうか。

 じゃあ、外から?

 それ以外に可能性はなさそうだが、結界はどうしたのだろうか。

 ……今は答えが出ないものを考えていても仕方がない。頭を振って、男の後姿を追いかける。段々と距離は縮まっていた。



「ニゲルさんを離して下さい!」

 刹那、男が振り向いた。こちらとの距離を確認した男は目を見開き、左手をエルに向けた。男の手から放たれた何かは、エルめがけて真っ直ぐ飛んでくる。


 水球だ。人の頭ほどの大きさのそれを、右へ踏み出すことで避ける。凄まじい速さで水球は横を通り過ぎていく。

(どうして盗賊が魔法を……!? 魔法を使えるのは貴族だけなのに……)

 男が貴族だとすると状況は厳しい。主と契約していない、〈盾〉の能力を使えない状態のエルが、相手に勝つ手段はほとんどないといってよかった。けれどエルは、奥歯を噛みしめ、ただ駆けた。



 男は更に仕掛けてくる。

 二発目が来る。

 かと思いきや、男の手から無数の水球が生み出され、一斉に襲い掛かってきた。

 エルは咄嗟に近くの木の後ろに回り、しゃがみ込む。幾つもの水球が木に当たる強い衝撃が背中に伝わる。

 ついにはミシミシと音を立てて、木は折れてしまった。

 頭の上辺りで無残にも折れた木を見て、エルの額からつうっと汗が流れる。


 水球や火球を放つのは、魔法の中でも下級魔法として習っていた。〈剣〉との連携の訓練の中で、実際見た魔法の一つでもある。

 けれど、訓練の時には水球が的に当たっても砕けはしなかった。おそらく手加減されていたのだろう。


(ニゲルさんは――!?)

 男を見ると、あまり距離は開いていない。むしろ、進む速度が落ちているように見えた。

 魔法の使用で疲労しているのだろうか。

 〈盾〉が〈剣〉に魔素を分けるのは、魔法を多く使うためにだ。

 それと同時に、魔法の使い過ぎによる魔素の枯渇を防ぐためでもある。魔素の枯渇は、術者に疲労や精神の異常をもたらすのだ。

 ただ、水球のような下級魔法で、すぐに疲弊するものだろうか?  

 疑問は浮かぶが、それなら、と、エルは木の陰から飛び出した。


 男はまだ水球を出してくるが、右へ左へ水球を避けつつ進む。

 水球を使うたび、男の歩みは遅くなっていく。

 近づくにつれ、ニゲルの姿がはっきりと見えた。口元が布で覆われ、白い網のようなもので捕らえられていた。その姿を見て、エルの胸が痛んだ。ただ捕えられているのなら、死んではいないはずだ。未だ動かないニゲルの姿に、怪我をしていないかが気になった。



 開けた場所に辿り着くと、男が足を止めた。

 振り返った男は、息を切らせ、青白い顔をしていた。ひどく疲弊している。

 年齢は中年ぐらいだろうか。痩せていて、背丈はエルとさほど変わらないようだった。

 男はニゲルを地面へ乱暴に投げ捨て、腰の長剣を抜いた。

 その行動を睨みつけながらエルもまた、腰に下げてきたダガーを取る。

 この森に獣がいると聞いて、念のため持ってきていたものだった。良く手に馴染んだそれを構える。


 その時、落とされた時の衝撃で起きたのか、ニゲルと目が合った。そして、彼はバタバタと体を動かし、何やらモゴモゴ言っている。それから必死に網を解こうとしているニゲルを見て、ほっと胸を撫で下ろす。あれだけ動けるなら、酷い怪我はなさそうだ。

 エルはニゲルへ向かって、声を掛けた。


「待ってて下さい! 今助けます!」


 ゆっくり息を吐き出す。

 勝てない。そう思うが、魔法を使った男の変化を見るに、隙はあるだろう、とも考える。

 大丈夫、訓練通りやるだけだ、と自分に言い聞かせ、まっすぐに相手を見た。


 相手が呼吸を整える前に駆ける。男がエルに向かって、長剣を振り落ろす。

 低い体勢で踏み出し、男が剣を振り切る前に相手の間合いに入る。剣を持つ腕へ刃を素早く滑らせ、エルは一歩退いた。


「ぐあっ……!」

 呻き声を漏らし、男は剣を落とした。


(あれ……?)

 隙を生じさせる為に切りつけたのだが、あっさり剣を落としたのは予想外だった。戦いなれていない。誘拐(こんなこと)をする人間ならば、戦い慣れていると思ったのだが。

 手を抑えてこちらを睨みつける男へ、エルはダガーを向ける。


「大人しくしてください!」

 男は何も言わない。ただ、左手を前に出した。男の手のひらに水が集まり出している。

 エルは地を蹴った。

 体を捻り、右足を繰り出す。男は手で防ごうとする。しかし、それよりも早くエルの足は男のこめかみを捉えていた。

 硬い感触が足に伝わる。

 そのまま、振り抜く――男は悲鳴を上げることもなく、地面へ倒れ込んだ。


 すぐに体制を整え、男へ向かってダガーを構える。

 が、白目を剝いて倒れている男を見て、エルはダガーを鞘へと仕舞った。

 ……どうやら気を失ったようだ。多分、しばらくは起き上がれないだろう。小さく息を吐く。


 ひとまず、終わった――けれど、エルの頭に疑問が浮かぶ。

 エルが訓練を受けていたとはいえ、男は弱すぎた。

 わざわざあのアストゥートの領内に侵入し、ニゲルを攫おうとするような人物なのに。

 今の時間帯は使用人しかいないと知った上で、入り込んだのかもしれない。けれど何故、それを知っているのか。それとも、ただの偶然だろうか? いや、それはないだろう、とエルは思う。

 ――わからないことだらけだった。


 とにかく、とエルは男から視線を外し、他にも侵入者が居ないか辺りを窺う。

 人の姿も、気配もない。ただ穏やかな森が広がっているだけだった。周りの歩いてもみるが、やはり誰もいない。

 静かに息を吐き出し、男の長剣を拾い上げる。そして、ニゲルの下へ向かおうとした時、後ろから音が聞こえた。

 風を切るような音。


 エルが振り返った時には、それはもう目の前に迫っていた。


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