5
開け放たれた窓の向こう側に、緑色のローブを纏った人物が立っていた。
フードを目深に被っているが、声から年若い女性だと思われた。
「よっと」
女性は窓枠を飛び越え、部屋へ入ってきた。
「これ、ロッティ」
ニゲルが窘めるように名前を呼ぶ。
ロッティと呼ばれた女性は意に介していないらしく、にっと笑い、フードを取った。
フードの下から、一つに束ねた茶色の長い髪、意思が強そうな黄色の瞳が現れる。
ロッティは、同性でもはっとしてしまうような、美しい少女だった。背はエルより少し高く、年はあまり変わらないように見えた。
「じいさん、この子が?」
通りの良く、伸びやかな声で彼女が言う。
ニゲルが頷くと、ロッティはエルの前までやってきた。
「庭師のロッティだ。よろしくな」
そう言って右手を差し出すロッティに、エルも手を出す。
「エルです。よろしくお願いしますね」
しっかりと握手を交わす。ロッティは再びにっと笑って、白い歯を見せた。
「これで、使用人は全員です」
と、ニゲル。
「そうなんですね」
エルは改めて、皆を見てお辞儀をした。
「その、改めて、聖ルウ=カネレ大修道院から来ましたエルです。皆さん、どうぞよろしくお願いします」
顔を上げると、皆一様に笑顔と拍手で受け入れてくれた。気恥ずかしさから、エルは目を伏せる。良い人たちそうで良かった、とエルは思う。この人たちならやっていけるだろう、と。
けれど――
「……後は旦那様ですね」
そう言って項垂れるニゲルを見て、ロッティが腕を組み、訝しげな顔を作った。
「まさか……」
そこへモーが壁を軽く叩き、割って入った。壁に文字が走る。
『冷めてしまう前に、そろそろ……』
あっ、と皆の視線が食卓に集まる。
慌てて皆で席に着き、祈りを捧げて食事を始めた。
ニゲル、ロッティはスプーンを手にしたが、ポーとモーはただそれを眺めている。
エルが首を傾げると、影人は魔素さえあれば、食事をとらなくても良いと説明してくれた。
実体を取れば、食べることができる。が、沢山動いたり、実体化を長く続けたりして、激しく体力を消耗しない限り、進んでは食べないらしい。
漂っている魔素を呼吸と共に取り込むのは、人と同様で、普段はそれだけで十分、とポーは言った。
ロッティはワインを一口飲み、エルを見ながら口を開いた。
「良い子そうじゃあないか、それでも駄目だったのか?」
面と向かって褒められ、エルは頬が少し熱くなるのがわかった。俯きながらスープを口に運ぶ。
(あ、美味しい……)
さっぱりとした味つけのスープを続けて口に入れながら、エルは話に耳を傾ける。
ニゲルが答える。
「……ええ。ジェロジア様の名前を出せば、受け入れてくれるとばかり」
暗い顔をするニゲルに、ロッティが言葉を継いだ。
「無理矢理、やっちまえば?」
「とても旦那様相手にできる事ではありませんな」
と、ニゲルは首を横へ振った。
主にするべきでないという意味と、あのアストゥート相手に出来るわけがないという二つの意味合いが含まれていた。
アストゥートは雷帝という二つ名が示す通り、雷を使った魔法を得意とし、その上様々な魔法を使いこなせる騎士だ。また三人の騎士の中で、最も戦いというものを知り、優れてもいると伝え聞いていた。
また、彼が雷帝と呼ばれるのは、その魔法だけに由来しているのではない。
雷のように鮮烈なまでにはっきりとした物言い、そして他人を寄せ付けない雰囲気を指して呼ばれている、と――そこまで思い出して、エルは思う。
(アストゥート様ほど強ければ、本当に〈盾〉は必要ないかもしれないな……)
〈盾〉を拒否する理由が、足手纏いになることを疎んで、ということならば、やはり自分では力不足だろう。エルは視線を机の上に落とした。
それに、とニゲルが続ける。
「第一、アウリグラが無いですからね」
〈剣〉と〈盾〉を繋ぐ契約は、アウリグラと呼ばれる耳飾りを使って行われる。
本来なら、事前にアウリグラは用意されているものだ。だが、アウリグラを作るには〈剣〉の魔素を必要とするので、流石に作ることができなかったのだろう。
『ジェロジア様から口添えして貰えないでしょうか?』
と、ポー。
「旦那様の急用というのは、おそらくジェロジア様のところでしょう」
『では』
「明日、旦那様が戻られるのを待つしかないですね」
『そうですね……』
今度はモーが色々な形に姿を変える。最後は女性に似た影になり、首を傾げている。その形はエルに似ているように見える。
モー以外から一斉に声が上がる。
『それはだめです』
「それは少し……」
「駄目だろうな」
皆からダメ出しをくらい、モーは頬のあたりを膨らませた。
ポーはともかく、他の二人も、モーの言いたいことがわかるらしい。自分が作戦に含まれていることはわかったが、内容は皆目見当もつかなかった。
「あの、モーさんはなんて?」
『いえ、なんでもありません』
「あまりに突拍子もない案だったのですよ、気になさらないでください」
「?」
教えてくれない二人から、ロッティへ顔を向ける。
彼女はパンにチーズをのせ、それに齧り付いていた。旨い、旨いと言って、こちらを見ようとしない。
誰も教えてくれないことに首を傾げつつ、エルは言う。
「私が旦那様へお話ししても、難しいですよね?」
「おそらく……申し訳ございません」
済まなそうな顔をするニゲルに、首を横へ振る。
その後もあれこれと意見を出し合うが、「これだ」という案は出ず。
「じゃあ、どうするんだ?」
「可能性がありそうなのは」
『ジェロジア様、ですね……』
「――旦那様のお帰りを待ちましょう」
ニゲルがそう言うと、一同の口から深いため息がもれた。