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ルプスの盾  作者: 深縹 あき
第1章 契約
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3


 玄関広間に、男性がひとり立っていた。

 まず、目を引いたのは青みがかった白く長い髪。長身で均整のとれた体に、髪とは対照的な黒い上品な服を身に纏っていた。

 こちらの足音に気付いてか、男性がこちらを振り向いた。

 その顔を見て、エルは息を飲む。


(アストゥート様だ――……)

 と、エルは思った。

 彼の蒼い瞳は、いつか見た暗い空を裂いた雷を思い出させた。彼は切れ長の瞳を眇めたかと思うと、片方の眉を上げた。

 その視線はエルに向けられている。エルは自分の体が強張るのがわかった。


「お帰りなさいませ、旦那様」

 恭しく礼をして迎えるニゲルに続いて、深く頭を下げる。


「ああ……後ろにいるのは、新しい使用人か?」

 心地の良い低音が降ってきた。

 新しい使用人、という言葉に引っかかりを覚えつつも、エルが挨拶をしようとすると、ニゲルが先に答えた。


「……いいえ。〈盾〉です。旦那様」

 その返答に主人は眉間に皺を寄せ、鋭い視線を放つ。剣先を向けられているような感覚に、エルの体が凍りついた。


「どういうことだ、ニゲル」

 






 一階の応接間。

 品の良い椅子に座り、エルは主人と机を挟んで向き合っていた。

 その冷ややか視線にさらされ、エルは落ち着かなかった。冷たさを感じさせる整った容姿も相まって、恐ろしい迫力だった。

 同じ視線を受けているにもかかわらず、隣に座るニゲルの表情は変わらない。


 塔を出る間際にニゲルの呟いた言葉の意味が、ようやくわかった気がした。

 今までの会話を聞く限り、主人の許可を取らず、ニゲルが〈盾〉を手配したらしい。そして、目の前の主人が〈盾〉を歓迎していないのは明らかだった。

 エルには応接間の空気が、真冬の夜のように感じられた。冷え切った空気の中、話の口火を切ったのは主人だった。


「……私はアストゥート・ルプスだ。君の名前は?」

 思っていたより、その声は穏やかだった。そして、やはりとエルは思う。


「聖ルウ=カネレ大修道院から参りました。わ、私、エルと申します」

 緊張のあまり、声が震える。

 けれど、気にした様子もなくアストゥートは言葉を継いだ。


「エル、か。契約書は持っているか?」

「はい、こちらです」

 役人から受け取った羊皮紙を鞄から取り出す。

 アストゥートはさっと目を通すと、確かに、と呟いた。書類から顔を上げて、ニゲルを見据える。


「〈盾〉は、必要ないと言ったはずだが?」

「ええ、そのように聞いております」

 平然と返すニゲルに、エルはぎょっとし、アストゥートは眉間の皺を一層深くした。


「わかっておられるはずです、旦那様。〈盾〉が必要だということは」

「権力の誇示のために、というのか」

「……それも理由のひとつでございます」

「では、他の理由も聞かせてもらおうか? 主に断りなく〈盾〉を呼んだ理由を」

 会話の内容に、いくつもの疑問がエルの頭を過るが、二人のやり取りに割って入る余地はなかった。

 その上、二人が言葉を交わすたび、部屋の空気が冷えていく。エルはいたたまれなくなり、床へ視線を彷徨わせた。


「これはジェロジア様のご意向でもあります」

「……伯父上か」

 そう呟き、アストゥートは机に視線を落とした。



「アスト様」

 ニゲルは旦那様ではなく、親しさを感じさせる名で呼んだ。黒い瞳で、じっとアストゥートを見つめる。


「ジェロジア様も私も、貴方様が心配なのです。どうかご契約を」

 その声はただ静かに、言い聞かせるような響きだった。

 アストゥートは答えない。ただ、眉間の皺は消えていた。エルの方に視線を向けると、彼は深く溜息を吐いた。







 自室のベッドに座ると、張りつめていた緊張の糸が切れた。

 体の力が抜けていく感覚と共に、疲れがどっと押し寄せてきた。

 鎧戸の隙間から流れ込んでくる冷気を感じて、エルは毛布を羽織る。

 天井へ視線を向けると、屋敷の玄関広間のものと同じだが、ずっと小さい水晶の仄かな光が部屋を包んでいる。

 ぼうっと水晶を見ながら、エルは思考に沈む。


 ――結局、アストゥートは、最後まで〈盾〉を受け入れなかった。


 「もうこの話は終わりだ」とアストゥートが応接室から出て行ったことで、話し合いは切り上げとなった。ニゲルはエルを部屋まで送ると、旦那様を説得しに行きます、と言った。なにか手伝えることはあるか聞くと、彼は感謝を述べ、お気持ちだけでと微笑んだ。

 必ず納得してもらいます、と彼は主人の元へ行ってしまった。

 水晶から目を逸らし、エルは俯く。


(きっと、難しいだろな……)

 アストゥートには、絶対的な拒絶しかなかった。

 聞いていた通りの、雷帝という名に相応しい言葉と態度。そして、先ほどの視線を思い出すと、少し体が震えた。


 出戻りになった〈盾〉の話は聞いたことがなかった。主人が拒否するのであれば、このまま帰されるだろうか。エルにとって、まったく想定外の出来事であった。


 エル自身が〈盾〉として訓練されたのは、〈盾〉を育成している聖ルウ=カネレ大修道院に偶然拾われたからである。

 初めは、ただ流されて。

 けれど、次第に考えが変わった。

 魔物は少なくなったとはいえ、脅威は完全には消えていない。〈盾〉となり、主と協力すれば、より多くの魔物を倒せるだろう。


 そうなれば、市民を、修道院のみんなを、クレアを守ることにも繋がる、と。

 選ばれなければ、ただの兵士になろうと考えていたのだ。

 だから、選ばれたことは本当に幸運で、本当に――


(嬉しいこと、だったのにな)

 ふっと笑みがもれたその時、当然目の前が暗くなった。



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