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歪んだクリップと赤い目



 黒い鏡のようなモニターは僕を写している。

 それをかき消して映し出されたのは、デスクを前に座っているスーツ姿の会社員。彼は僕の管理者だ。「機体試験部」のオフィスの背景が見える。どうやら残業のようで、部屋の大半の蛍光灯は消されていた。向こうが現実世界だ。


「……どうもいかんな」

「ダメですね」


 僕は手のひらを軽く上げて、苦い顔で試験データを見みている彼に同意した。仮想空間試験の空戦係担当員である若い男性は顔を歪ませて笑った。彼は椅子の背もたれに体重を預け、頭を後ろに回しながら話を続けた。


「テスト時間、二分二八秒。その間にジャミングが六回だな」

「攻撃時には、殆どの場合で弾詰まりを起こすことは間違いありません。今のテストでも機銃六挺のうち、翼内四挺と機首一挺が使用不能となりました。軍隊へ引き渡す前に発覚してよかったですね」

「だな。おい、そっちは? ……同じか? やっぱりな」


 彼は、離れたデスクの人間に声をかけた。恐らく僕の仮想敵を担当している社員であろう。


「教えて下さい」

「何を?」

「大方の原因は分かっているのでは?」

「……お前も熱心な奴だな」


 僕は空戦係の試験ソフトウエアに過ぎない。だが、試験機の問題点を自分なりに分析しておく事は、試験部にとってもマイナスではないと思う。

 様々な視点から問題を洗い出すことが狙いで、すべての係で試験を行うことがセオリーだが、やはり空戦係は機銃テストを行う所ではなく、確かな答えは、ここでは分からなかった。兵装係で本格的に原因究明がされているはずであり、僕はそれを知っておきたかったのだ。

 彼は、吸い殻が山盛りにされた灰皿を画面外から引っ張り出してタバコに火をつけると、短い息と共に煙を吐いた。


「大戦終結後、戦闘機に搭載する武装の性格が変わった、って事は知ってるな」

「はい」


 戦時中のわが社の戦闘機は、二〇ミリから三〇ミリ級の大口径機銃を装備する傾向にあった。要因は多々ある。その内の一つが、高性能エンジンの開発が遅れたこと。機体を軽くする必要に迫られて多くの武装を搭載することを許されず、瞬間火力を高めるため弾丸一発の威力に頼んだ結果だった。

 彼が言う通り、戦争終結を転機として武装の性格が変わった。

 中口径機関銃を多数搭載し、無数の機銃弾をばらまくという方式に変更されたのだ。理由としては、直進性と威力のバランスが良い一二・七ミリ機銃を多数配置出来るようになった為。我が国の兵器改革を促進させるため、戦勝国による大出力エンジンの技術供与がもたらした成果であり、それが狙いでもあったらしい。

 先勝国側の軍事企業が、有り余った一二・七ミリ機銃と弾薬を売り付けたのだ。おまけに、更なる弾薬量産で得る利益を独占するため、という陰謀説も囁かれている。結局のところ、国内に製造ラインは設けられたが。ともあれ、現在は対戦闘機装備としては一三ミリ機関銃が六門というものが標準となっていた。

 ディスプレイに映っている彼は、灰皿に吸いかけのタバコを置き、正面に僕を見る。組んだ手をデスクの上に置いて一服を中断していた。


「火力とは『弾数』。今じゃそれが正義だ。連射速度の向上と運動性能を両立させるため、翼内に詰め込まれた四挺の一三ミリは軽量化を図るためAPIブローバック方式に変更された。それも少し昔の話だな」


 API方式。従来の機銃のように弾が薬室へ完全に装填されてから発射されるのではなく、尾栓と弾が薬室に進みながら雷管が撃針で打たれて発射される方式である。装填エネルギーと発射エネルギーの打ち消し合いによって衝撃が軽減される。その利点によって、機銃の軽量化を可能にしていた。


「この方式にも問題があったが、設計が洗練されて行く内に不具合も解消されていった。で、完成したのが一三ミリ機関銃“カグツチ八號”ってわけだ」


 僕は素直に頷いた。「矢継ぎ早」の異名をとる機銃カグツチ八號は、まさに完成されたAPIブローバックといえる。


「さてさて、ここからが問題だ。それらの進化にとり残されられた存在が今回の不具合の正体なんだが、分かるかな?」

「わかりました」

「はえーな」


 彼は驚いた、と言うよりも、つまらなそうに眉毛を跳ね上げている。


「装弾子、ですね」

「ピンポーン」


 適当な拍手を送られても嬉しくない。身じろぎもせず椅子に座っている僕は思った。彼は書類を拾い上げ、それに目を走らせる。


「ビックリすることに装弾子は終戦直後となんにも変わっちゃいないんだよ、これが」

「驚きですね」

「当然ながら、連射性能に給弾速度は比例する。そのスピードアップに装弾子の耐久が付いていけなくなった結末がこれさ」

「弾帯の切断による給弾不能、装弾子の変形による弾詰まり、ですか」

「あぁ、機首の一三ミリはプロペラ同調機の関係で通常のブローバック方式だとはいえ、やっぱり給弾のスピードは上がってる。つまるところ結果は同じってわけだ」

「なるほど、理解できました」

「銃器兵装部にクレームだな、これは。製造番号を無作為に選んでこれじゃあ他の製品もすべてこの調子に違いない」

「でも、社内クレームで済んでよかったですね」

「もっともだ。明日、部長に打ち上げて手を打ってもらうとしよう」


 彼の意見を肯定的に思い、僕はうなずいた。今日、一日中をこの作業に費やした。テストは何度も行われる。仮想敵を何度も撃墜したし、僕も撃破された。長くも短く感じられた一日が終わろうとしていた。


「しかし、あれだな」


 唐突に、彼は笑いだす。


「『役立たず』はよかったな。あれは効くぜ」

「あまりに酷かったので、故意に言いました」

「技術屋連中に、あの一言はテキメンだ。現場の搭乗員が同じ事を言ってると思って、精力的に改良を加えるに違いない。最後の記録映像も部長に提出することにしよう」

「それで不良品が減るのは好ましいですが……」

「うん?」

「僕の仕事が減るのは寂しいです」

「問題がなくてもテストは行われる。君の仕事がなくなる事はないさ」

「……安心しました」


 心底安心した。しばらく黙ったあと、管理者の男は首を傾げた。


「どうした。最近元気がないな」

「ぼッ、僕にそれほどの感情の起伏が起こるわけありません」

「そうとは言い切れまい。君の精神は限りなく人に近くプログラムされているんだからな」

「……だとしても、任務に影響はありません」

「そうか。ならいいが」


 彼は腕時計を見ると、すぐに立ち上がり、椅子にかけてあった上着を着はじめた。


「今日は終いだ。おやすみ、アダム君。そうだ、俺のプレゼントは気に入ってくれたか」

「ええ、元気に走り回っていますよ。おやすみなさい。久留米(くるめ)さん」

「なら、なによりだ。……オーイ。ちょっと、どっかに寄ってこうぜ。腹減ったぁ」


 そこで、映像は途絶えた。

 おやすみなさい。この言葉の本質を理解できない。いや、通常の人間が睡眠を必要とすることは知っている。だが僕自身に眠りは不要だった。睡魔に襲われた事もないし、一睡だってしたことがないのだ。

 腹が減る。その感覚を一度も感じた事はない。栄養補給する必要がない体なのだ。それらは当然の事で、僕が生身の人ではないことの証明であろう。

 暗転する世界。

 設定が「月夜」に変更された空を、ブリーフィングルームの外に出て見上げる。三つのパターンの内、最も美しい月。僕は、その冷たい月光に照らされていた。建物の脇に置かれたベンチに腰かけて、溜め息を一つ吐き出す。シロがついてきてベンチに登り、鼻を飛行服に押し付け、嬉々として僕を見ている。悪戯に顔を近付けると、頬を舐められた。


「こら、くすぐったいよ」


 たしなめはしたが、シロの背中を優しく撫でてやる。心地よくなったのか、シロは隣で丸くなった。月の光を反射して煌めく体毛が美しい。彼に対する新しい発見はなくとも、僕にとって大切な存在であることに変わりはなかった。

 寝息をたて始めた相棒。

 僕は独り、夜の中に取り残された。

 ――悩みなど、ないはずだった。

 僕の中に発生していた違和感。忘れようとしていたそれが、またひっそりと再燃する。

 事の発端はコイツ、シロだ。少し前の事。試験担当員の久留米さんが、僕の一歳の誕生日にプレゼントをくれた。それがこの犬。犬を見たのは初めてのはずだったが、僕の中に刷り込まれた一般常識はこの生物が犬であることを認識できた。紀州犬であることも予備知識にインプットされている。僕はこの犬をシロと名付けた。この国で多用されてきた犬の呼称だったから。

 この世界で独りきりだった僕は、仲間の出現に感激した。帰還したときに出迎えてくれたり、任務がないときはずっと側に居てくれる。僕に懐いてくれるシロの存在は安らぎを与えてくれた。

 僕は、自問する。これ程まで幸福な僕に、いったい何の苦悩があるというのだろう。企業にとって、都合良いように作成された僕に悩み事などない。あってはならない。そのはずだった。

 例え話をしよう。

 最初から兄弟が居ない独りっ子は、孤独すら知り得ない。

 光が生まれれば、自ずと闇も生まれるもの。それらは表裏一体なのだ。シロは温もりを、感動を、安らぎをもたらしてくれた。それらと同時に、僕が習得してしまったものは、孤独感。

 相棒が傍らに居ない時、今まで感じた事がない冷たいものが胸の内をすり抜ける。一人で「さみしい」という感情が欠如していた僕は、その冷たいものが孤独によるものだと分析できるまで、多少の時を要してしまった。

 任務でテスト機体に搭乗している時、今のようにシロがスリープモードに入ってしまった時。殊更に後者は応えた。何故ならば、特にやることがないせいで、孤独に対して否応なく向き合わなければならないから。やることがないのも辛いものなのだ。それに最近では、任務中に妙な幻聴が聞こえてしまうほど、僕の精神は異常をきたしている。

 いったい、僕はどうしてしまったのだ。

 苛立ち、焦り、それらを払い除けるように立ち上がる。少し歩こうと思った。じっとしていられない。目線と同じ高さに、ブリーフィングルームの窓があった。そのガラスは鏡のように、月に照らされる僕を映す。まったく、この窓と言い、余計な事に苛まれる自分と言い、本当によくできた世界だ。僕は苦笑するしかなかった。ガラスの中の僕も同様に口を歪ませる。

 もう一人の自分?

 あることに気がついて、思わず目を見開く。

 そうか、この世界には僕の他にもう一人が存在している。

 それは仮想敵。僕と同じように試験機を操縦するテストパイロットが存在しているはずだ。僕の管理者の久留米さんとは他に、もう一人の担当社員がいるならば、ここから遠いところにもう一つの飛行場があって、パイロットもそこに居るはずでは。

 その人に会いたい?

 どうだろう、気持ちは複雑だ。会いたいかもしれないが、僕が恐れている事がある。顔、声、性格、全てが僕と瓜二つのパイロットだったら嫌なのだ。言う事、考えている事など、それらは僕となにも変わらないのだから、そこに新しい発見もなければ感動もないだろう。自分が二体いたところで、それは一人でいることと変わりはないのではないだろうか。

 ひとつため息をついて、膨れ上がった妄想を吹き飛ばす。考えすぎだ。

 次の任務まで散歩でもしておこう。走ってもいい。

 とにかく、じっとしているのが耐えられないのだ。



 * * *



 天候は「曇り」の空。

 僕は、また空の上。

 試験対象は、A30M戦闘機。すでに量産されている機体の通常テスト。ロールアウトされた戦闘機をスキャンして問題がないかを確かめる。だけど僕がやることは同じ。空戦係は空戦をすればいいだけだ。

 正面の入道雲に黒点を発見。仮想敵機だ。みるみる大きくなる。相手がまっすぐに向かってくるのに対して、僕も迎え撃つ体勢をとる。スロットル全開。六翼二重反転プロペラの羽音は高らかに、エンジンも唸りをあげる。

 左手の親指が発射スイッチに触れる。まだ押しはしない。危険ではあるが、このまま一撃してから離脱しようとしていた。仮想敵も微動だにせず、こちらに急接近してくる。考えている事は同じようだ。


 ――考えている事が、同じ?


 いつかの夜の不気味な妄想が思い起こされる。もう一人の僕。ドッペルゲンガーに会えば片方が消されると言う噂話を知っている。そんな知識、必要ないのに。どんな奴が乗っているのだろう。

 この目で確かめてやろうか。僕は、初めて仮想敵機のキャノピーの中身に興味を持った。スロットルは緩めない。小刻みな振動はあるが、この機体の直進安定性は素晴らしい。黒い点は、すぐに形を変える。照準器のなかに相手の機体。

 一瞬の出来事だった。

 キャノピーの内側に、僕と同じように照準を覗く目を見た。一筋の光が走るように目線がぶつかる。相手のゴーグルの奥の目が見開く。僕も、同様に目蓋をあげる。

 僕が見たのは、紅い瞳。

 次の瞬間、強烈な衝撃が全身を貫く。

 寸分も違わぬ見事な正面衝突。

 五感が切れるというか、消滅するような感覚。視界が黒く染まると、白いアルファベットが現れ、再起動中であることを示した。しばらくすると、僕はいつの間にかブリーフィングルームの椅子の上に座っていた。モニターの中で久留米さんが訝しそうに僕を見てる。


「どうしたよ」

「……」

「バグか?」

「いえ……」

「……今日のテストはなしだ。システムチェックをかける」

「そんな、大丈夫ですよ。テストを続行しましょう」

「いやダメだ。……この際だ。もともと予定していたプログラムの改変も一緒にやってしまおう」


 改変。その言葉で一気に緊張が高まる。


「改変って……何を?」

「いろいろだ、いろいろ」


 彼もやけに機嫌が悪い。明らかにイライラしている。右手の人差し指が忙しなくデスクを叩いている。


「どうなるんですか……?」

「すこし時間がかかる。数日はかかるが、まぁアダムには関係ないか。寝てればすぐだからな」

「寝る……?」

「そうだ。……おい! アレを今日やる、いいな?」


 彼は離れたデスクの人に向かって話かけている。仮想敵の担当者か。相手も。もう一人のテストパイロットも僕と同様に怯えているだろうか。

 何を怯えている?

 それは、改変の対象が「僕」であること。性格、記憶などが何者かの手によって書き換えられることへの恐怖。気がついたら、以前の自分とは違う「僕」になっているかもしれないのだ。頭の中をかき回されたことも知らずに。その言い知れない不安は「限りなく人に近い人工知能」ではなくても理解できるのではないだろうか。起きたら、自分のことを「俺」と呼ぶようになっていたら。「私」になっていたら……。気持ち悪い。


「ちょっとの辛抱だ。システムを停止する。またな」

「……はい」


 あるいは、あの孤独感は僕にとって、やはり異常な感情だったのかもしれない。バグなのか。ウィルスなのか。答えは気がついたときに分かる。

 世界が消滅した。

 空も地面も、光も陰もない。ただ僕が浮かんでいるだけ。すこし離れたところにシロも宙に漂っている。僕は戦闘航空機の不調を分析することはできても、自分に対してはなにもわからない。なんだか滑稽だ。僕は少しだけ笑ってみた。それが最後。世界と同じく、僕も。

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