試験管の中のドッグファイト
「0」と「1」のみで創造された空。
完成された人工知能。
もし今も、孤独を知らずに孤独でいたら。
僕は、どれだけ幸せだっただろう。
――さみしい。
幻聴は紛れもない自分の声。
それを振り切るように操縦桿を握っていた。
僕は「機体試験部空戦係」のテストパイロット。
試験対象のレシプロ単座戦闘機を操り、仮想敵機と空戦をする事が僕に与えられた使命だ。
* * *
天候は「晴れ」の設定。試験対象は牽引式の単座戦闘機。牽引式とはエンジンが操縦席よりも前に置かれていること。相手も同型だった。
エルロンを操舵して濃緑色の主翼を翻し、昇降舵は上げ舵で水平面の右旋回。お互いに後ろを追いかける旋回運動に入ってから、いま三周目に入った。あと一周で仮想敵機の尻尾を捉えることが出来るであろう。相手は高速でドッグファイトに突入したが故に、旋回の径が膨らんでいる。こちらのほうが小さい円運動をとっているはずで、その差が空中戦の勝敗を決するのだ。
光学式照準器を覗く。四周目の旋回。蜘蛛の巣のような照準線の中へ吸い込まれるように仮想敵機が現れる。計算通りだ。射程距離を確保。照準器はオレンジ色の十字線の中に相手を見た。FCSが作動し、相対速度がはじき出され、正確な照準位置が示される。クロスの交差点はプロペラのスピナー。同時に機銃の自動射角調整が完了すると高い電子音が響いた。敵機をロックオンしたという合図だ。
迷わずに機関銃のスイッチを押す。機首の一三ミリ機銃が目の前で火を吹いたが、その咆哮はすぐに途切れた。
「またか……」
音声記録に残らない程度の声で悪態をつく。
六回目の弾詰まり。発射可能な機関銃は六挺中、機首の二挺だけ。主計機器パネルの上部から突き出している機銃のレバーを忙しなく引き、手動で次弾を装填する。そのすきに仮想敵機は離脱を図り、急降下で僕を振り切ろうとしていた。すかさずに操縦桿を突き込んで追跡。背面飛行からバク転するような具合で降下体勢にはいる。
鋭い風切り音。降下によって、数倍のGが体にかかっていることを感知した。相手が老練なパイロットならばこちらのオーバーシュートを狙い、横転による急減速を利用して背後をとるかもしれない。だが眼前の仮想敵はそうしなかった。必要がないのだ。
テストでは、ベテランのパイロットが搭乗していることを想定して行うべきではなく、平均的な技量の人間が操縦した場合のデータである方が望ましい。「玄人では、これ程ほどの性能を期待できるでしょう」よりも「凡人では、この程度の性能ならば確実に発揮できます」という試験結果の方が参考になりうるからだ。
仮想敵機は草原に墜落する前に機体を引き起こして、地面と平行に空を駆けた。
僕はピッタリとその後を追う。
撃ってくれと言っているように動かない相手。
だから、照準器の十文字を刻んで発砲。
ところが銃口から一発ずつの曳光弾が吐き出されただけで、また機銃弾が機関部で詰まった。敵機はその豆鉄砲をひらりと左に避けると、また逃走を始める。
「役立たず……!」
今回は音声記録に残るように声を上げる。今回はわざとだった。
また手動装填レバーを操作したが、右の機関銃からの手応えが軽い。二回ほど試射。左側よし、右側の銃口は完全に沈黙。故障だ。これで使える機関銃は残り一挺になった。発射可能な左側だけもう一度手動で装填し、同時に左に飛び退けた相手を追尾する。
直後、仮想敵機の尾翼が急激に迫る。
相手は急減速したのだ。
咄嗟にスロットルを絞ったが間に合わない。
勢い余って敵前に飛び出す。
瞬間、後ろからの銃撃。
機体が、飛び越えていく無数の燐火の真っ只中を奔る。
だが銃声はあまりにも短い。機関銃に異常が発生したと思われた。むこうも僕と同じく、銃火器に問題を抱えているのだ。その時点でこちらは十分に減速していたので、その結果、今度は敵機が前に飛び出して来た。
そして偶然に、照準のど真ん中に躍り出たのだ。照準線がピタリと操縦席に。ボルトやビスがはっきりと見えるほどの危険な距離。だがこうなれば、FCSは必要ない。
直接照準、迷わず機銃弾を叩き込む。
一筋の赤い閃光が空を裂く。
弾丸は仮想敵機のバブルキャノピーを砕き、その内側を紅く染めた。
操縦する機能を失い横腹にも縫い取りをかけられた敵機は、火こそ吹かずともガクリと機首を下げ、沈むように高度を落として行く。草原に激突する瞬間に仮想敵機は消え、本来なら墜落したであろう地点に「DELETE」の文字が浮かび上がる。その下には、再起動までのパーセンテージを示す帯が伸びていた。
撃墜。
これで任務は終了。
僕は、すぐに自分の飛行場に帰投する。
そこは簡素に過ぎる飛行場で、上空から見えるのはアスファルトの滑走路と一室しかない小さな建造物と、僕の帰りを待つ和犬だけ。ほかに見えるのは短い草が生い茂る地面だけだった。
ゆっくりと定められたコースを降りると車輪を下ろしてフラップを下ろし着陸体制に入る。過去の接地地点と数ミリも違わない所にタイヤが接する。我ながら見事な三点着陸だったが、それはいつもの事だ。
しばらく路面を走行し、十分減速をした後に車輪にブレーキをかけて停止。イグニッション・スイッチを「OFF」に切り換えて、エンジンを切った。適度な黒煙が排気管から吐き出され、四翼プロペラが止まりきってからバブルキャノピーを解放して四点ベルトを外し、コクピットを立った。
滑走路の脇に設けられた小さいブリーフィングルームに向かって歩いていると、後ろから浴びせられた鳴き声に振りかえる。
「シロ、ただいま」
戦闘機をくぐり、足元でお座りをした犬の名は「シロ」。そのまっ黒い紀州犬は、舌を出して僕にすりより帰還を歓迎している。頭を撫でると嬉しそうに僕を見上げた。愛おしい仲間だ。しかし、その一つ一つの動作には見覚えがあり、相棒であるシロに対する僕の感動は失われつつある。
試験データを送信している事を示しているのは、テスト機の上に現れた文字。五〇パーセントと表示されたあと、すぐに一〇〇パーセントになり、機体とともに消滅した。
すべてはコンピューターの中で起こっていること。
この世界は作り物。
僕も同じ。
試験対象の実機にスキャンをかけ、デジタル化した後に仮想空間で再構築。それに搭乗して空戦をするのが仕事。当然、仕事と言っても報酬や手当てはないけど。むこうの現実世界に似せて作り上げられたこの仮想空間で僕が空戦を行う事により、実戦に限りなく近い形の試験結果を導きだす。
その目的を果たすことが、作られた世界と、作られた僕の存在意義。
僕はプログラムの一部に過ぎない。
思考、言動、行動などはすべて誰かが設定した人格の構成に基づくものなのだ。
僕は無感情にブリーフィングルームに入ると、そこに一つだけ置かれている椅子に腰かけて、ゴーグルと飛行帽を脱いだ。目の前にはこの部屋には似つかわしくない大型のモニターがある。その黒い画面に、椅子に座ったパイロットの姿が反射して見える。ネズミ色の短髪に黄色い繋ぎの飛行服。これが僕の姿だった。