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受験生の引き継ぎ

 僕は校舎に挟まれる中庭で先輩に呼び止められた。秋の文化祭で一緒の出し物をしてからずっと気になっている先輩だ。

 憧れの先輩に呼び止められ僕は少し声を弾ませ返事をしながら珍しいと思った。少ないながらも校庭の梅が白くなるころには先輩たちは受験戦争真っ只中となり自由登校になっているのだ。

 自分だったらよっぽどの用事でも無ければ登校しないだろうが、中には自習などで登校している先輩たちが意外といるらしい。

 だけど先輩はもう勉強で登校する必要はないはずなのにと考えていると目の前に差し出される物があった。


「はい、約束の問題集だよ。がんばれ」

「え、はい。ありがとうございます」


 憧れの先輩が晴れやかな表情で大学受験用の問題集を僕に手渡してくれた。

 反対に僕はかろうじて返事をしたものの驚きで声がうわずってしまっていた。

 先輩は学生にとっての一大イベントである大学受験における勝ち組だ。受験生と呼ばれる勉強漬けの日々を乗り越え県内の語学系大学に見事合格していた。春からは花の女子大生である。

 次代の受験生としてプレッシャーをかけられつつある高校二年生の僕からすれば更に憧れ度がアップする響きだ。ステキ要素満載な先輩から自分宛てに手渡されるものがあれば、それに少々の違和感があっても舞い上がりその正体を確かめず放置してしまっても仕方のない事だろう。

 これから一年間の苦難を考えると普通ならげんなりしてしまうところだが、先輩からのプレゼントですっかり有頂天だった。しかも、先輩が使った問題集を受け継げるのだ。これほど嬉しい事はない。

 しかし、これは夢なのか、はたまた何かのドッキリ企画なのではないかと思ってしまった。なぜなら、どうして先輩から問題集をもらうことになったのかさっぱり覚えていなかったからだ。

 自分の性格を鑑みるにおそらくだが・・・


「先輩、受験が終わって使わなくなった問題集ください」


 と、特にひねりもなくストレートに何かの勢いで口走ったに違いない。人の良い先輩はきっと快く返事をしてくれたのだろう。

 だが小心者の自分は迷惑に思われていないかとか、もう告白同然なんじゃないだろうかとか意味不明なことを考えてパニクっていたことは想像に難くない。自分から言い出して快諾してもらったにも関わらず、何てことを考えているのだと更に心の中で叫んで頭を抱えていたのはもう間違いない。

 その後も会話をしていたはずだが挙動不審な状態をひたすら続けていただろうと思うと本当に恥ずかしくなる。恥ずかしさに耐えられず逃げ出した可能性が十分に考えられるところが正直怖い。

 問題集を受け取ったこの瞬間もかなり動揺していたが、もらう約束をした時は今以上だったのだろう。

 しかし、せっかくもらった問題集で気を取り直してどんな内容なのかと開いてみると表紙の裏に何か書かれていた。

 

 早田君へ

  受験勉強がんばってね

            奏より

 

 もう僕の魂は頭の後ろあたりから抜け出て天に召されてしまいそうだった。受験勉強をするためにもらったはずの問題集を見て受験勉強がどうでも良くなるとか本末転倒過ぎる。本当にありきたりで簡単な一言だけだったが自分のために書かれた先輩の手書きのメッセージに完全に心を持って行かれてしまっていた。

 しかし、ここは憧れの先輩から問題集を引き継ぐ受験生としての意地を見せるところだ。


「はい、受験がんばります」


 どこかへ行ってしまいそうな気持ちを持ち直しつつ、嬉しいのか照れているのか気合を入れているのかよくわからない顔を上げなんとか先輩に返事をした。小さな意地を見せた。

 そんな僕に先輩は、うんと優しくうなずいて答えてくれた。変な顔をした僕を見て笑っていたかもしれない。それでも構わないこんなに大きな希望をもらったのだから。


「ありがとうございます、先輩」


 今度はしっかりとお礼を言えた。


「がんばってね」


 もう一度うなずきながらこれから受験に立ち向かう後輩を激励する女神のような表情で先輩は僕を見ていてくれた。

 


 それから1年たった。

 僕も無事に大学受験を終え工学系の大学に進学することになった。

 受験勉強を続けていた一年間に幾度となく問題集の表紙をめくっては書かれた短いメッセージを見て受験勉強に挫けそうになる心を奮い立たせていた。たった一言のメッセージだけでこれだけ頑張れたのだから本当に現金だなと今更ながらに思う。

 しかし、ちょっとしたきっかけが大きな力になることはよくあることだ。それは、誰かとの何気ない約束かもしれないし、好きなアーティストの歌かもしれない。自分の将来や現状に夢や希望を与えてくれる何かを見つけたとき、気持ちが動き動かされ自分を後押ししてくれる。

 僕の受験生活の中で問題集は直接的な力になることはなかったが受験勉強できしむ心の潤滑剤になっていた。あくまでも力を出すのは自分だが、それを加速させる大きな存在だった。

 僕は先輩からもらった問題集の表紙をなんどもめくった。しかし、それ以降のページをめくることはなかった。

 なぜなら表紙にはこう書かれていたから。

 

 国立受験対策 国語問題集

 

 僕はこの問題集をもらうことになった時のことを覚えていない。



こんなことがあったら大変な受験勉強も少しは捗ったかもしれない・・・ですね。

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