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Log.8 暗転、そして

 風見藍は一ノ瀬との初デートを順調に終えて、すこぶるご機嫌で、自分のマンションへ

と帰ってきた。エレベータから玄関へとにこにこ顔で移動しながら。一ノ瀬との次のデー

トの話のことで頭の中がいっぱいだった。玄関をいつものように開けて、リビングへと移

動していく。


 『ただいまー、ミュー、ちゃんと大人しくしてたぁ、あれっミュー...、どこなの』


 ミューは自動給餌機に向かう途中のテーブルの脇で、意識を無くしていた。


 『ミューっ、ミューっ、ねぇ、どうしたの。あっこれが落ちてぶつかったのね、ごめん

ね、大丈夫、ねっ、どうしたの』


 藍はミューを抱きかかえてみた、息はしているが、かなり心細い感じがするし、かなり

身体が熱くなっている。


 『ミューっ、ミューっ、しかっりしてよぉ、ねぇ、ミューってばぁ。ああ、どうした

ら、どうしたらいいんだろ、ねぇどうしたらいい、ミュー、返事してよーっ.....、

そうだっ』


 藍はミューをソファにそっと置いて。PITをバッグから取り出した。


 『もしもしっ、あっ、母さん、ねぇどうしよう、ミューが、ミューが死んじゃうよぉ、

何?、えっ、父さんに代わるって?どういうこと、...あっ、父さん、ねえどうし

よう、どうしたらいい?うん、えっ、一ノ瀬さんて、父さんどうして一ノ瀬さんのこと

知ってるの、とにかく一ノ瀬さんに連絡すればいいのねっ、うん判った、うんうん、すぐ

連絡する、ありがとう、父さん、じゃ』


 藍は通話を切って、一ノ瀬に連絡をしている。


 『あのっ、風見です、藍です、はい、あのっ、うちのミューが、今にも死んじゃいそう

なんです、それで、実家に連絡したら、父が一ノ瀬さんに連絡しろって、はいっ、はいっ

判りました、えっとシルベスター動物病院ですね、番号は、はいっ、はいっ、判りました、

ええっ、連絡してみます。はい、まだ息はあります、はい、ごめんなさい頼ってばかりで

はい、ありがとうこざいます。来て頂けるんですか。はい、じゃその動物病院でお待ちし

てます』


 藍は一ノ瀬に教えてもらった動物病院に連絡をとっている。


 『あの、私、風見と申しますが、うちの猫が怪我をしたので...。えっ、はい、はい

あっもう連絡が入ってるのですか、はい、そうですか、はい、判りました、ええ、今から

すぐに連れて行きますので、はい、よろしくお願いします』


 藍は通話を切ると、ケージを準備して、ミューをそっとケージの中にいれてやった。


 『えっと、忘れ物ないわね、PITとバッグ持ったし、よしっ、ミュー今からお医者さ

んのところへ行くから、頑張るのよ、死んじゃだめだよ、ねっ、ミューお願いよっ』


 藍はミューの入ったケージを下げて、部屋を出て行った。 


 シルベスター動物病院と書いた大きな看板が夜間照明の中に浮かんでいる。


 藍とミューを乗せたタクシーが病院の入り口付近で停止した。


 藍がケージを抱えて降りて来るのと同時に、一ノ瀬が中から歩いてきた。


 『竜也さん、ごめんなさい、お世話になってばかりで』


 『そんなこと、いいですよ。それより早くミュー君を診てもらいましょう』


 『ええ』


 二人が入り口の自動ドアを入って行くと、奥の右手に受付が見えた。


 藍はその近くへと寄って行って、受付担当と思われる女性に話掛けた。


 『あのう、先ほど連絡した風見ですが』


 『はい、風見さんですね、承っております。直ぐに担当医が参りますので、そこで暫く

お待ち下さい』


 『はい、よろしくお願いします』


 藍はミューの入ったケージを待合室の並んだ椅子の一つに置いて、そしてミューの様子

を心配そうに覗いている。一ノ瀬はその横で沈痛な面持ちで立っていた。


 やがて、白衣を来た男が一人やって来た、後ろには助手と思しき2人が移動台を押しな

がら付いて来ている。


 『風見さんですね、今回の担当医の細川です』


 『はい、風見です、ミューのことよろしくお願いします』


 『わかりました、まず精密検査を行いますので、ミュー君をお預かりします』


 細川は後ろの二人に指示してミューをケージごと移動台に載せた、やがて移動台は奥

へと消えて行った。


 不安そうに見送る藍に


 『済みませんが、事故の状況を教えて頂けますか』


 藍はちらと一ノ瀬を見たが、一ノ瀬が頷くのを見て、事故当時状況の説明を始めた。


 『はい、大体の事は判りました。それで精密検査などでかなり時間がかかりますので

今日は一旦ご自宅に戻られたらいかがでしょうか』


 細川は落ち着いた口調で話しかけた。


 『でも、もう少しここで待ってはいけないでしょうか』


 『いや、別に構いませんが、何分夜も遅いので』


 一ノ瀬が藍の代わりに答えた。


 『僕が送っていきますから、もう少しここにいさせてください』


 『ああ、一ノ瀬さんがご一緒ならいいでしょう、では診察に行きますので、ここで失礼

します』


 細川はゆっくりと奥の診察室へと戻っていった。


 『藍さん、帰りたくなったら言って下さいね』


 『竜也さん、ありがとう、我侭ばかり言って済みません』


 『いいんですよ、僕もミュー君のこと心配ですから』


 重苦しい時間がゆっくりと流れていく、藍も一ノ瀬もさすがに疲れの色を隠せなくなっ

た頃。入り口の自動ドアが開いて二人の人影が病院の中に入って来た。


 藍の父親の風見忠行、そして母親の茜の二人である。どうやらフライトを利用して来た

ようだった。藍が連絡してからまだ4時間しか経っていない。


 忠行は受付へ行き、先ほどの受付の女性に声を掛けた。そして内ポケットから何かを取

り出して見せたところ。相手は驚いた顔をして即座にどこかへ連絡をしている。そして、

忠行ににこやかに応対して、ほっとした表情をした。


 茜はその様子を見た後で藍と一ノ瀬が俯いて座っている近くまで歩いていった。そして

藍の肩を優しく揺すっている。


 『藍、藍、大丈夫?』


 『ん、うんっ?、えっ、あっ、あっ、母さん?どうしてここにいるの?、えっ、あれっ

あそこにいるの父さんじゃないっ、なんで、どうしてっ』


 『んまぁー、この子ったら、何寝ぼけてるのよ、ミューが大変だって言ったの、あなた

じゃないの』


 『そりゃ、そうだけど、父さんまで来てくれるとは思わなかったのよ』


 『それは判るけどね、それより、こちらの方はどなたなの、ちゃんと紹介して頂戴』


 藍は一ノ瀬が隣にいることをすっかり失念していた様子だ。顔が真っ赤になっている。


 『あっ、あっ、あのこの方は私の会社の先輩で一ノ瀬竜也さんです。一ノ瀬さん、あの

う、あのっ、うちの母です』


 『あなたが一ノ瀬さんでしたか、いつもいつも藍がお世話になってます。今度の事でも

藍を助けて頂いたそうで本当に感謝の言葉もありません、ありがとうございます』


 一ノ瀬はバツが悪そうにしきりに頭を掻きながら。


 『あっ、そんなことは無いです。単に僕ができることをしてるだけですから』


 『まあ、ご謙遜なさって。ああ、ちょっとお待ちくださいね。あなた、あなた』


 忠行がゆっくりと3人の近くにやって来た。


 『おい、母さん夜間の病院で大きな声を出すんじゃない他の方に迷惑じゃないか、で、

何だい』


 『はいはい、それは十分判ってます。で、何だいじゃなくて、こちらが一ノ瀬竜也さん』


 『おおっ、君が一ノ瀬君かぁ、神谷教授から良く君の話を聞かされたよ』


 『あなたっ、今はその話じゃなくて、藍の会社の先輩でお見えになってるのだから』


 『あっ、そうだったな。いや、藍がいつもお世話になってます。こいつどじばかり踏ん

で、皆さんにご迷惑をお掛けしたりしてませんでしょうか、それがいつも心配で...』


 藍は何がなんだか訳の判らない顔をしていたが、話が自分のことに及ぶと。


 『お父さんっ、止めてってば、そんな事話に来たんじゃないでしょ、一ノ瀬さんが困っ

てるじゃないっ』


 『ああ、それもそうだな。それでミューの容態はどうなんだ』


 『今、精密検査をしてると思うけど、かなり時間がかかると言われたの。ねぇお父さん

ミューちゃんと治るかしら、もし死んだりしたら私、私、ミューに申し訳なくて...』


 忠行は藍の肩を叩いて


 『大丈夫だ、ここのドクターは優秀な人が揃っているから、とにかく今は待つしかない

だろ。お前が悲しむようなことをミューがする筈がないだろ。だからひとまず母さんと一

緒に家に戻っていなさい』


 一ノ瀬が口を開いて


 『そうですよ藍さん、ミュー君が戻ってきた時に藍さんが元気じゃないと、彼の怪我も

早く治らないでしょうから、今日はもうお帰りになったらいかがですか』


 二人から言われて藍はしばらくじっと考えていたが。


 『はい、一ノ瀬さんがそう仰られるなら、家で待つことにします』


 『じゃあ、私と藍はマンションに戻ってますから、何かあったら連絡頂戴ね、じゃ、藍

行きましょう』


 藍はしおれた様子で、茜と共に病院から帰って行った。


 忠行と一ノ瀬はそれを見送った後


 『一ノ瀬君、連絡を貰っていて助かったよ。なんとか間に合ったようだ、ありがとう、

恩に着る』


 『いや、いいですよ、そんなこと、当たり前のことをしただけですから』


 『いや、君だからこそミューの秘密に気付いた訳だし、そのおかげであいつもなんとか

助かることができたと思っている』


 『彼はやはり』


 『うむ、そうだ。まだプロトタイプだが、ほぼ完成と言えるだろう、ただ..』


 『ただ、なんでしょうか』


 『藍にはまだ内緒にしておいてくれないか、今はまだショックが大きいし、それにまだ

公開するには時期が早い』


 『そうですね、それは判っております』


 『そうだ、君も一緒に彼を見ておかないか、今後、何かと役に立つこともあるだろうし』


 『えっ、いいんですか。はい、是非お願いします』


 『じゃあ、集中治療室へ行こうか』


 『はい』


 忠行がもう一度受付に行くと、ネクタイを締めた男が一人立っていた。そして、忠行と

一言二言交わした後、忠行が一ノ瀬をその男に紹介しているようだった。男は驚いた様子

で一ノ瀬を見ていたが、すぐに一ノ瀬と握手をして、二人を奥の集中治療室へと案内して

行った。


 その日から、2週間ほど過ぎた日曜日。


 ここはシルベスター動物病院、平日の日中は様々なペットを抱えた人達で賑わっている

が日曜日、それも夕方となるとあまり人影も無く、静かな佇まいとなる。


 藍と茜は連れ立って、ミューの退院を迎えに来たのだった。


 『ミューはどれくらい元気になったかなぁ、ちゃんと歩けるのかなぁ』


 『ここのお医者様方が手を尽くして治療して下さったそうだから、きっと良くなってる

わよ』


 『そうだといいけど』


 藍は不安を拭い切れない様子で病院の入り口をくぐった。


 『風見さん、こんにちは』


 一ノ瀬が病院のロビーに立ってこちらを見ていた。


 『まあまあ、一ノ瀬さん、わざわざ済みません、藍共々お世話になりっぱなしで』


 茜の話をにこやかに聞きながら


 『ミュー君、もう直ぐこっち来るそうですよ、術後も順調だったって、先ほど伺いまし

たから。もう心配されなくてもいいと思います』


 『本当ですか、良かった......』


 藍の瞳はもう涙が溢れそうになっている。


 15分程経っただろうか、奥から担当医の細川がやってくるのが見える。手にはミュー

を連れてきた時のケージが下げられている。ということは、まだ歩行するには困難な状態

なのかも知れない。


 藍もそれを察知したのか、覚悟をしたように口元を引き締めたまま、じっと細川が近づ

くのを待っている。やがて細川が軽く会釈をしながらロビーに着いた。


 藍は急ぎ足で近づいていき


 『先生、本当にありがとうございました。おかげでミューも元気になっ......』


 藍はケージを覗いて、声を失った。茜も一ノ瀬も表情が強張っている。


 『先生、ミューはミューは、どうしたんですか、何かあったんですか、ミューに..』


 細川は笑いながら手を横に振って


 『あははっ、いやいや、違うんですよ、ミュー君は元気です。いや元気すぎて、ほら』


 細川の手の甲には傷用の医療テープがしっかりと張られている。


 『いや助手と二人で、このケージに入れようとしたら、思いっきり暴れられてしまいま

してね、この通りですよ』


 藍は眼を丸くしたまま。


 『じゃあ、ミューは』


 細川は後ろを指差して


 『ほら、あそこですよ』


 見ると、奥から、ミューがあちこちの臭いを嗅ぎながら、さもつまらなさそうな顔をし

て、こちらに歩いてくるのが見える。まだ腹部にはコルセット状のものが巻かれているが

歩き方に異常はないようだ。


 藍はミューのところへ走っていき、そしてゆっくりとミューを持ち上げた、そしてまる

で宝物のようにしっかりと胸に抱いて頬ずりをしながら戻ってきた。


 『先生、本当にありがとうございました。お世話になりました。こら、ミューもちゃん

と、挨拶ぐらいしなさいよ、済みません、お怪我までさせてしまって』


 『先生、本当にお世話になりました。なんとお礼を申し上げてよいやら』


 『いや、私よりもミュー君を誉めてやって下さい、彼がすごく頑張ったから、こうやっ

て生き延びられたと思いますから、それじゃ退院手続きをして、お帰り下さい。私はここ

で失礼しますので』


 三人は深々と頭を下げて細川医師を見送った。


 『それじゃ、私が退院手続きをしてこようかね』


 茜は受付へと向かって行き、担当の女性から書類を受け取り何か記入している。


 『藍さん、良かったですね。ミュー君が退院できて、それに結構元気そうだし』


 藍は胸に抱いたミューを愛しそうに撫でながら


 『はい、これも全部一ノ瀬さんが助けて下さったお陰です。何とお礼を言ったらいいか

本当にありがとうございます』


 『ははっ、これもきっとミュー君の運の強さなんですよ。それと藍さんの普段の心掛け

が良いからだと思います』


 茜が話に割って入って来て


 『この子のどこか心掛けがいいんだか、本当に、藍、大体あなたがね.....』


 『もう、判ってるってば、母さん、お小言は家へ戻ってからたっぷり聞かさせて頂きま

すから、今は一ノ瀬さんにお礼を言わなきゃ』


 『あっ、そうだったねぇ。一ノ瀬さん何なら何まで本当にありがとうございました。家

の主人も大変感心してましてね、良くできた人だ、なんて、普段はめったに人のことなん

か誉めた事も無いのに.....』


 『母さんっ....』


 『あら、ごめんなさいね余分な事ばかり喋ってしまって、もし、お近くに見えたときは

家にも寄ってくださいね、主人も喜ぶと思いますから』


 一ノ瀬は二人のやり取りをにこにこしながら聞いていた。


 『はははっ、はい、ありがとうございます、その節は是非寄らさせて頂きます』


 『もうっ、一ノ瀬さんまでっ、ミュー行こうねっ』


 藍はミューを抱えたまま出口に向かって行く、茜と一ノ瀬はそのあとをゆっくりとつい

て病院を出て行った。


 もう、しっかりと寒い季節になっていたが、藍の気持ちは暖かい想いで満ち溢れていた。


 え、これで終わるのか、私になにか一言ぐらい話をさせてもいいだろうに…


 藍、たまには猫缶が食べたいぞ…



終わり



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